洋ナシ
写真:ひろぽん
2022年から2023年秋にかけての、ゲーム分野の動向を探る座談会。批評、レビュー、研究などの立場でこの分野に関わる有識者3名が挙げたトピックスについて議論していきます。後編ではeスポーツ、実況配信など、ゲームまわりのコミュニティ、さらにはゲーム内での表現の傾向について掘り下げます。
――コミュニティといえば、さやわかさんは実況配信、平井さんはeスポーツに着目されています。これらの盛り上がりは顕著で、人気配信者やスタープレイヤーが数多く生まれています。これはすばらしいことですが、一方であまりよくないことも起きていますね。
さやわか 僕は特に実況者が属するコミュニティのふるまいを注視しています。例えば特定のゲームが出会いのツールになっているというようなことが今あるわけですよね。それは一概に悪いことでもないと思うんですよ。出会い系のアプリを使うことも昔よりは日常的なことになりましたし、またデートのために集団でアクティビティを楽しむことだって、昭和の時代からあったことです。『VALORANT』(2020年)1をやっている女性は男性と出会おうとしているから、すなわち悪。だからやるな!なんて意見を持つ人すらいますが、正直意味がわからないですよね。でもそれならばこそ、社会はゲームの盛り上がりから変なことが起こらないようにいろいろなケアをする必要があるとも感じています。また、そういうコミュニティの意見にどんな啓発ができるかというのが、この件についての僕の一番の興味ですね。あともう一つ、これが平井さんのトピックと重なる部分だと思うんですが、eスポーツ・実況シーンの大きな盛り上がりは属人的な文化として成り立っているからこそ「強め」の発言が見られるわけですよね。炎上上等みたいな人たちがどんどん現れていて、今の社会って炎上したもん勝ちみたいになっている。そうした野蛮さの横行についても、社会として的確に対処できるようになったらいいなと感じています。
平井 同感です。加えて、eスポーツシーンの話ですが、スポーツの語彙を使う以上、どのように一般から見られるのかにも興味があります。フィジカルスポーツの祭典である、古代オリンピアの目的は「神々への信仰」であり出場者たちには聴衆の規範となるような姿勢が求められました。これからeスポーツ選手も「見る人に規範を示し、目標にされる存在」となるのか。あるいは「自分のキャラクター」を貫くのか? 今後求められる選手像がどちらになるかが気になります。ただ、人々の規範が最終目的となると、アンダーグラウンドの一部であるゲームセンターの育んできた文化とは、本質はまったく違います。格闘ゲームという文化を「スポーツ」という言葉で区分しきれるのかは、疑問があります。
向江 フィジカルスポーツ同様、スポンサーが資金を出すことによって成り立ってるのがeスポーツの世界であれば、いいか悪いかを決めるのは大会やチームのスポンサーになってくるんじゃないでしょうか? あと、選手側ではなく見る側、観客のマナーというのは現状どうなんですか?
平井 格闘ゲームの観戦者の一部が、かつて「フーリガン」と記載された資料を読んだことがあります。ゲーム中に大きな声を出しすぎたり、灰皿を投げたりして観客が出禁になった事例もある。観客のマナー問題も、市場が広がれば当然出てくる。加えて、スポンサーが登場し、以前と比べて大金が動くマネーマッチもある。そのような環境の変化により、eスポーツ選手が素行の面で、どうふるまうかは今後の課題でしょう。
――盛り上がるコミュニティがある一方で、衰退しているコミュニティもある。平井さんにご指摘いただきましたように、近年では著名なゲームセンターの閉店が目立ちます。
平井 ゲームセンターはゲームをするだけでなく、場所を起点とした交流があった。これがパンデミックにより厳しくなり、数多くの店舗が休業から閉店に追い込まれている。多くのユーザーが嘆いている状況です。幼少期から親しんだホームがなくなる。その経験は、通いつめた常連のお客様にとっては、少なからずショックかと思われますので……。
さやわか 日本は電車を日常利用する都市形成を行ってきたところがあって、通勤・通学で通えるから「駅前の盛り場のゲームセンター」みたいな文化が根付いてきたところもあると思うんです。けれども、時代も移り変わって、コロナ禍もあって、どうなるかっていうような状況ですよね。ゲームセンターミカドの店長の池田さんにお話をうかがったことがあるんですけれども、彼はゲームセンターがなくなっていく理由の一つにゲームセンターでは大会をやらなくてはいけないんだけど、近年のタイトルでやろうとすると使用料が必要で、それが非常に足かせになっているとおっしゃっていましたね。しかもそういう苦しい状況にあって、常連の方からは「値下げをしてくれればもっと遊びに来る」というお願いもされる。けれど、彼によれば値下げをすると潰れるんだと言うんです。その代わりに、例えばサウンド環境がいいとか、連射ができるとか、付加価値のある店にしていく必要があるんだと。そのときはまだミカドは1店舗しかありませんでしたが、「うちは店増やしますから!」と言っていたんですよ。そのあと本当に池袋に新店舗をつくっていたので、彼のノウハウに傾聴すべき点があるのかなと、そのとき感じましたね。
向江 そのあたりの話で川﨑寧生さんの『日本の「ゲームセンター」史』(2022年)という本があるんですけれど、この本の目次を見ても2000年代ぐらいまでの記述がすごく分厚くて、最近の衰退を感じさせますよね2。ただコロナ禍前に話題になったのが、ゲームセンターに高齢者が集いだしていることでした。ゲートボールをやる代わりに、メダルゲームやクレーンゲームで遊ぶ。あるいはゲーセン自体がだんだんマイルドなファミリー向けに変化している。
平井 今のゲームセンターは1階が全部クレーンゲームになっているのが普通です。客層も変わり、もう格闘ゲームやシューティングゲームの筐体だけが並んでいる殺伐としたゲームセンターの姿は稀少になってしまった。
――おっしゃるところ正鵠を射ておりまして。日本アミューズメント産業協会が出している収益についてのデータによると、実は2021年度には売上高を盛り返しているんです。ただ、プライズゲームが年間売上高の構成比68%を占めています。ゲームセンターが姿を変えていっているところがデータとしても現れています。
さやわか オールドタイプのゲームセンターをいかに文化として残していくのかは大事なことだと思いますね。
向江 それこそ一つはさっきのサブスクじゃないですか。プレイし放題を謳うような。あと『Minecraft』(2009年)3のように教育路線に力を入れてさらに売上を伸ばした例もありますから、極端な話ですけど修学旅行でゲームセンターに行く、クラブ活動でゲームセンターに練習に行くとか、そういう方向もありえるのかも。
さやわか それは新しいですね。ダンスだって、クラブカルチャーのようなアンダーグラウンドなものだったところから、学習指導要領に入れられるようなものになったわけですから。じゃあそれが格ゲーでもいいのでは?という。
――平井さんは「鉄拳」シリーズの研究をされていますが、もう一つ格闘ゲームの名前を挙げていただいています。それが『Idol Showdown』(2023年)です。VTuberグループ「ホロライブ」の海外ファンが制作したゲームで、ホロライブのアイドルを操作する格闘ゲームですね。
さやわか このゲームはどちらかというとファンカルチャーに近いものがあるなと思ったんですけどね。
平井 注目したい点があります。「なぜこの格闘ゲームがピクセルアートで表現されているのだろうか?」という部分。たとえ個人制作であったとしても、現在のPCスペックを考えれば、3Dグラフィックや、スプライトアニメーション4でもピクセルより高精細な表現が選べないはずはない。おそらくは、懐古主義とまでいかずとも、あえて昔の技法を使う選択をしたのだろうと。最近ホラーゲームでも、あえてPS2時代の解像度にして暗さを味わう流れがある。『Idol Showdown』というファンメイドゲームにも、作為的にドット絵にした理由があっても不思議ではありません。
さやわか 僕は古いオタクのゲーマーになるので、『Idol Showdown』を見たときに、美少女ゲーム会社Leafのキャラクターがたくさん出てくる同人ゲーム『THE QUEEN OF HEART』(1998~2001年)5を思い出して、それがちょうどこんなピクセルアートのゲームだったので懐かしさを感じましたね。また、この好きなものを戦わせる感じがM.U.G.E.Nという格闘ゲームエンジンを使ってファンが勝手につくったちょっとイリーガルなファンメイドゲームの雰囲気があって、懐かしいノリだなとも。ただこのゲームの場合は今のインディーゲームの流行で、オールドスタイルのグラフィックとかサウンドとかを取り入れるのがかなりかっこいいものとして認識されているところがあるので、そこを狙ったのかもしれません。
向江 『Undertale』(2015年)6なんかがその代表になるんでしょうかね。あとは『VA-11 Hall-A: Cyberpunk Bartender Action』(2016年)7とか。
さやわか そこでちょっとおもしろいのは、少し前まではピクセルアートにみんなすごく興味あったんですけど、次第に流行の時代性が上がってきていて、今だんだんプレイステーションやセガサターン風のポリゴンにも興味を持つかのようになってきているところ。ファッションがトレンドを繰り返すのと同じようなことかと思うんですけどね。
――ピクセルアートのイベントが東京で行われていたり、ピクセルアートの画集も出たり、若い層にとってはピクセルアートは今アツい表現になっているかもしれません。
さやわか 若いイラストレーターにもピクセルアートの人はかなり出ていますよね。関西テレビがそうしたイラストレーターと組んでステーションCMをつくっていましたし、ピクセルアートをかっこいい表現、エモーショナルなものだと捉えてるのかなと思う。
向江 私もよく引用するメディア研究の概念に、「リメディエーション」があります。これは古いメディアが新しいメディアのなかで再度メディア化されるという意味ですが、ゲーム研究者の吉田寛さんは、それがゲームのなかでも起こりうると言います。このピクセルアートというのもある意味、古いものが新しくなったっていうだけでなく、ピクセルアートがゲームとして再発明されたみたいな、そんなニュアンスを感じますね。なので、昔のピクセルアートと今のピクセルアートって、明らかに表現にレイヤーの差がありますね8。
――古いメディアつながりで挙げられるのが、向江さんが注目されている『MADiSON』です。2022年7月に発売されたゲームですが、インディー発のホラーゲームとしてはかなり売れたゲームの一つとなっています。このゲームではインスタントカメラを印象的に用いていますね。
向江 オールドメディアを使った表現にも結構いろんなパターンがあって、単純にアイテムとして出てくる場合とか、キーアイテムになっている場合とか、ゲーム画面がVHSカメラで撮ったような粗い画質になっているようなものもありますよね。これは先にお話ししたリメディエーションとはまた別の形で、古いメディアをフィルターとして使ったノスタルジックな表現です。こうした入れ子構造自体は90年代から00年代ぐらいのJホラーですごく流行っていました。映画のなかで貞子がテレビからはい出てくる、みたいな。ただそうした90年代のJホラーで使われていた手法と現在のそれとは、文脈がだいぶ異なっているんですよね。当時は慣れ親しんだメディアの中からそれが出てくるから怖かったっていう地続きのリアリティだったんですけど、今だとVHSって10代の人たちは触ったことがない人も多い。そこではVHSが一周回って新しいメディアになっている。30代、40代が感じる懐かしさと、10代、20代が感じる「こういう媒体があったんだ」という新鮮さ、ここにギャップがあるんですね。ただ『MADiSON』のインスタントカメラに関しては、まだ若い層も使う場面がありますから、今のプレイヤーもこういうカメラを知っているだろうとあえて使っているところはありそうですが。こんなふうに、このトレンドにはよく知っている懐かしいメディアというレイヤーと、触ったことがない珍奇なメディアというレイヤーの二つが共存していると思います。
さやわか 今のお話でおもしろかったのは、ビデオが恐怖を喚起するのはまさにJホラーだとおっしゃったところですね。Jホラーに影響を与えた小中千昭さんという監督・脚本家がいらっしゃるんですけど、ホラードラマシリーズ「学校の怪談」で注目された人ですが、彼のホラーのノウハウは、キャリアの初期にビデオ映画作品でホラーを手掛けるなかで培われたものでした。ビデオであることを逆手にとって映り込んでるはずがないものをありえない場所に映り込ませたり、解像度の低さを生かして画面の奥に判別不能な「何か」が映り込んでいるようなホラー演出を生み出したんです。黒沢清などは明言していますが、Jホラーはそういう彼の手法を受け継ぎながら作品をつくっていった。今のトレンドはそれを再発見しているということですね。画面内にスーパーインポーズで「ビデオ1」といった文字列が入っているとか、つまりビデオ的な映像って怖いみたいな、そういう発見ですよね。昔のスタイルをもう1回新しいものとして取り入れている。
――あえて古い表現で新しい作品をつくっていくという流れに対して、向江さんからは『バイオハザード RE:4』(2023年)のように、古いゲームを新しい表現にしていく、リメイクブームも起きていることをトピックとして挙げていただきました。
さやわか 「バイオハザード」シリーズはリメイクを着実につくり続けていますし、『FINAL FANTASY VII REMAKE』(2020年)9もコンスタントに続けていますよね。ただ日本の場合だと明らかにリメイクですという打ち方ですが、海外だとリブートをやる!という感じもあるじゃないですか。そういう方向性が日本であまり見られないのはすこし不思議に感じますね。
平井 リメイクだけでなく、リマスターブームもあります。最新のハードで以前の名作が遊べた方が、ファンは喜び、プレイヤーは増える。だから最新機に持ってくる。実機主義のコアゲーマーで「あえて古いハードでやる」「ブラウン管まで揃えて当時を再現する」熱心な人も一定数いますが、最新ハードで出てくれるとユーザーとしてはやりやすい。昔の名作をやるためにハードまで用意するのは多大な出費となりますから。
さやわか ゲームのアーカイブの問題にも関係あるところですよね。ゲームって素人考えだと、データなんだから残るよねっていうふうに思ってしまう。エミュレータがあればパソコンでだって動くし、最近はダウンロード販売もされているし、いつでも昔のゲームに触れられるようになったよね、と思う人もいるかもしれないけれども、実は全然そうではない。実機で動かさないと、何ならモニタなどの環境も含めて環境を整えないと、そのゲームを当時の人たちがどのように遊んでいたかっていうのは、わからない。そういう意味で、当時の体験を再現するのってどんどん難しくなっていっている。
平井 リメイクだと、そういう当時との差を感じる部分はあります。『Virtua Fighter esports』(2021年)10というゲームが出て、これは『Virtua Fighter 5』(2006年)11がPS4で遊べるという触れ込みのリメイク作品でした。当然、テクスチャの高解像度化といった、グラフィックにも手が入りました。特に女性キャラは今の時代にあった目の大きく、細い顎の美人に変更されたんです。この変更には賛否両論があり、顔が変わったキャラクターを見て「もはや別人じゃないか」と感じる古参がいてもおかしくない。その程度には、美形・美人の概念がここ数十年で大きく変わったのでしょう。目が大きくなるプリクラや、加工技術の無料化も関係します。
向江 乙女ゲームのような2Dのイラストもそのあたり非常に難しくて。同じ絵師でもかならずしも以前と同じ画風で次世代機向けにアップデートできるわけではないので、絵師自体を代えてしまって描き直すみたいなこともありますし、PSPからSwitchまでまったく同じイラストでいくこともあります。
――『ELDEN RING』(2022年)、『ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム』(2023年)も2022年、2023年を語るうえで欠かせない大型タイトルです。
さわやか 僕が話そうと考えていたのは『ELDEN RING』が『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』(2017年)12にインスパイアされながらつくられたというところです。開発者がそう語っていると聞いて、なるほどなと思ったんですよ。2013年にナラティブという言葉がすごく流行ったことがありましたが、そこからの流れとして考えました。2010年代の当初、『The Elder Scrolls V: Skyrim』(2011年)13なんかがゲームの物語や映像表現の達成として実践したのは、膨大なデータを用意して世界観を徹底的につくり込むことでした。それはゲーム内を具体的な表現やメッセージで埋めていく作業だったとも言える。ナラティブの流れはいわばそれに対するものとして、抽象的な表現や言葉に頼らない誘導を多用することで、かえってプレイヤーに物語を自分がつくり出しているかのように錯覚させる仕組みです。結局ナラティブはバズワードとして消えていったわけですけど、ここで試された手法はゲーム業界へと浸透していった。この10年、ゲームは物語にリアリティを持たせ、プレイヤーに「俺が物語をつくり出してるんだ」と感じさせるノウハウとして、より洗練されていったのかなと。その末端に『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』が出た。つまりあのゲームは、あの山を越えたいなってプレイヤーに思わせて、途中で飽きて寄り道したらそこに洞窟が偶然あった……ように見える。そしてそこに入ったら、たまたま人がいて、何か自分に話しかけてきたりする。計算されているんだけれども、あたかも物語を自分が作ったように感じるというナラティブな手法ですよね。そんな『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』の影響を受けて『ELDEN RING』も同じことをやっているわけですよ。そしてそのあとに『ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム』が出た。だからあれはこの10年のいわゆるナラティブ芸の集大成、総決算みたいなもののように僕には思える。
向江 先に話したトピックの『バイオハザード RE:4』といま挙げられた作品の対比がすごくおもしろいですね。『バイオハザード RE:4』って行き先に全部黄色いペンキが塗ってあるんですよ。やりすぎだろうというくらいに。ただ、つくっている側としてはもうそれだけしないと、ユーザーが迷ってしまうと思っている。これと『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』『ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム』や『ELDEN RING』がやっていること、これらはどちらもプレイヤーの行く先を強調しているんですけど、取る方法が全然違う。
さやわか フロム・ソフトウェアや任天堂といった、つくり込みをとにかく徹底する人たちの目が、いわゆるナラティブ的な手法の徹底性に向いてきているのかなと。ただ、ナラティブという言葉が言われはじめたときには、これだったらインディーの人であってもアイデアや工夫で注目を集められて大手のデベロッパーにも並び立てる、いい手法だとみんな思ったはずなんですよ。だけどここまで高度化されたゲームを大手が出してしまうと、もうこんなの大変すぎて対抗できないと、多くのクリエイターが思う時代になってしまいつつあるのかも。
――ゲームではありませんが、ゲームを題材とした映画として大ヒットした『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』(2023年)もさやわかさんより挙げていただきました。ゲーム原作の劇場作品としては興行収入が世界歴代1位とのこと。
さやわか 『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』を見て、ゲームに関心のある人の多くが思うことだと思うんですが、僕もやはり「実況的だな」とすごく感じたんですよね。
――実況的っていうのはいわゆる誰かのプレイを見ているということですか?
さやわか そうです、実況動画を見ている感じですね。今のゲームの楽しみ方のなかには実況動画とか、eスポーツとか、誰かのプレイを見ることが大きな部分を占めているので。マリオの映画もそういうふうにつくられているのだ!と。ただ、そう言うのはむしろ容易くてですね。あの映画が「実況的だ」というだけでなく、それ以上の、何かもっといい言い回しがあるんじゃないかなとは感じています。というのも映画を見ると、2Dのマリオが始まったり、ビハインドビューな3Dマリオが始まったりするんです。それでジャンプして、ギリギリで難所を飛び越えたりするんですよ。そういうシーンを見て僕が感じるのは、いけるかと思って飛んだらいけたっていう、実況よりもむしろゲームを「プレイしている感覚」なんです。もちろん、実況動画を見ているような気持ちも、また物語としてのマリオがんばれ!という感情もあるんですけれど、マリオの映画に関してはもう少し主体性というか、見てる人に「やってる感覚」をしのばせるようなところもあったと思うんです。
――マリオが実況動画やプレイ感を想起させるということで、ここでほかのメディア化作品との比較もおうかがいしたいです。例えば『Cyberpunk: Edgerunners』(2022年)14はゲームで見た風景が出てきて「おお!」と思うことはあっても、デイビッドをVのように操作している感覚にはならないと思います。今後、どちらのタイプの作品が増えてくる、また、まったく違うスタイルが出てくるなどの見解はありますか?
さやわか ゲームらしさを感じさせない映像タイトルが出ていることもすごくいいと思うんです。ただそのなかで『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』は、「いやいや、ゲームをストーリーにするとかそういうことじゃないんで、うちは」という頑なさでつくられたんだと思うんです。つまりあくまでもゲームであることにこだわった。その結果ゲームをやっているかのような、あるいはゲームを見ているかのような映画になった。このマリオの映画を足がかりにゲーム体験を再現した映像作品が今後増えて、おもしろくなったらいいなと思いますね。
――乙女ゲームはむしろアニメ化とかメディア化に恵まれているタイトルだと思うんですけど、今後変わってきそうなことはありますか?
向江 今年オトメイトの『Collar×Malice』(2016年)15の劇場版アニメがつくられたこともそうですが、乙女ゲームって2000年代からメディアミックスを前提とする作品が増えていて、ゲームに舞台にグッズにと一つの経済圏をつくってきたんです。なので、多メディア展開はある意味で王道なんですよね。そこに付け加えて、今は原作になかった設定を後から追加して上書きしてしまうなんて展開があります。例えば声優さんがイベントで言ってしまったダジャレがさまざまな展開作に盛り込まれていくんです。
さやわか 今日全体のお話で、コミュニティの話がよくでましたけれど、それはつまりそこにシーンがあって、時間的な動きがあるということなんですよね。還流するかのごとく、原作にも取り込まれていく日本のメディアミックスや同人誌とかではオーソドックスな流れですけどね。
向江 ただ、そこで困るのは新規参入者なんですよ。コンテクストがもうわからないんですから。しかもどっぷり浸かってる人たちの「これが正しい」と思ってる認識が、実はほかのコミュニティメンバーとずれていたという悲劇もある。さらに新規参入者だけでなく、開発側もそこが見えていないことがありえます。先のダジャレをゲームに反映するアップデートでファンにアプローチしても、それが実際どこまでファンへと共有されたものなのか、こういうところは実は開発側にもわからないのかもしれません。
――ゲームのメディア展開を進めるうえでは、今後よりコミュニティに寄り添う、逆にコミュニティ側も参画することが必要になってくるかもしれませんね。
さやわか 一番最初のUnity Runtime Fee問題も結局そういうお話だったじゃないですか。「あなたのためにやってるよ」という雰囲気が大事なんでしょうね。感情ですね。制作側とコミュニティのあいだに絆を感じさせるかどうかが、今後ますます重要なんでしょう。
脚注
[さやわか氏のトピック解題]
1 『Starfield』:サブスク販売から考えられる今後
マイクロソフトが販売する『Starfield』は同社のサブスクリプションサービス「Game Pass」に対応しており、加入していればサービス利用料のみでダウンロードし遊ぶことができる。過去にヒット作を数多く手掛けてきたベセスダ・ソフトワークスによる10年ぶりの新規タイトルがこうした形式で発売されたことは時代の変化を感じさせる出来事だった。
2 『ホグワーツ・レガシー』:巻き起こった性の多様性議論
「ハリー・ポッター」シリーズの原作者J・K・ローリングはトランスジェンダーに否定的な発言を行っており、同作を題材にしたゲーム『ホグワーツ・レガシー』には開発段階からネットを中心に不買運動などの動きが見られ、また逆にローリングを擁護するバックラッシュも起こり、いわゆる炎上状態となった。開発陣はほぼ沈黙を貫いたが、完成したゲームはトランスジェンダーの人物が登場するなど原作者との距離を感じる内容となった。
3 eスポーツ、実況配信:コミュニティにおける選手、実況者のふるまい
2022年にはeスポーツのプロ選手がネット配信番組でジェンダーや障害者についての差別発言を行い解雇される事件があった。またプロに限らずとも、ゲームのプレイ実況を主力コンテンツとするネット配信者が炎上したり、問題発言が取り沙汰されたりすることは日に日に増えている。こうした動向は日本に限ったことではなく、海外ではゲーミングコミュニティに特有の粗暴さがスポンサー企業の警戒心を招きつつあるという報道もなされている。
4 『ELDEN RING』『ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム』:ヒット作のナラティブの洗練
『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』や『ELDEN RING』などの作品は、明確な目的の提示や言葉によるルールの説明などがなるべく控えられ、プレイヤーの創意工夫が試されるようなつくりになっている。そのことから、これらの作品は懇切丁寧なガイドが重んじられる、一般的な日本のゲームを覆す印象を残すと言われることがある。
5 『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』:実況動画を見ている感覚
2023年に公開されヒットした『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』はゲームそのもののような画面構成や演出が多用された。一部の映画批評家は「誰かがプレイしているゲームを見ているようだ」と批判し、同作が既存の映画文化の枠組みで語ることができる作品なのか、あるいはそうされるべきか否か等、幅広い議論を巻き起こした。
さやわか
批評家、マンガ原作者。著書に『僕たちのゲーム史』(2012年)、『僕たちとアイドルの時代』(いずれも星海社、2015年)、『名探偵コナンと平成』(コアマガジン、2019年)、『世界を物語として生きるために』(青土社、2021年)など。マンガ原作に『永守くんが一途すぎて困る。』(ふみふみこ作画、LINE、2021~2022年)、『ヘルマンさんかく語りき』(倉田三ノ路作画、KADOKAWA、2023年~)など。「ゲンロン ひらめき☆マンガ教室」主任講師。
[平井和佳奈氏のトピック解題]
1 『鉄拳7』:販売本数1,000万本超え
『鉄拳』は世界的なヒットを記録する人気対戦格闘ゲーム。最初の稼働は1994年のアーケードで、約30年の歴史を持つ。「鉄拳」シリーズは独自の操作法を導入している。右パンチ・左パンチ・右キック・左キックと、四肢に対応したボタンや、空中コンボや十連コンボといった独自性の強い連続技を持つ。2015年にリリースされた『鉄拳7』は、累計1,000万本を超えるセールスを記録した。この快挙は1997年の『鉄拳3』以来である。本作品の人気と多数のシェアがわかる。
2 格闘ゲーム研究:注目される「格闘ゲームAI」
デジタルゲーム研究は日本でも盛んになり、学術的な考察の対象となっている。しかし、対戦格闘ゲームに関する論文は、まだ数が少ない。近年の格闘ゲーム論文は、アルゴリズムと、それを用いた格闘ゲームAI研究が活況である。その背景には、CPU戦を楽しむプレイヤーへの配慮がある。なるべく人間に近い動きをするように、ただ強いだけでなくランダム要素も含めるなどして、日々格闘ゲームAIは研究されている。
3 eスポーツ:問われる選手のスポーツマンシップ
「eスポーツ」とは、「エレクトロニック・スポーツ」の略で、広義には、電子機器を用いて行う娯楽、競技、スポーツ全般を指す言葉である。eスポーツもフィジカルスポーツの選手と同様、企業にスポンサードされ、プロ選手も一般プレイヤーの規範となる姿勢が求められるようになった。格闘ゲームにおいても、攻撃的・差別的な発言はスポーツマンシップに反し、不謹慎だとされ現在は謹慎の対象である。はたしてeスポーツプロ選手たちは、どのようなふるまいが今後求められるだろうか。
4 ゲームセンター:店舗の閉店にかかるコミュニケーションの場の消失
パンデミックに陥り、数多くの歓楽施設が閉鎖や休業に追い込まれている。ゲームセンターも例外ではなく、コロナ禍で営業を停止したり、店舗ごと閉店した場所も少なくない。格闘ゲーマーたちにとってゲームセンターは、ゲームをする以上に、情報交換や観戦などコミュニケーションの場でもあった。現在の、接触を避けたPCでの世界大会は、安全ではあるが、会場の熱気や交流という代え難い付加価値は、ここ数年で大幅に減少した。
5 『Idol Showdown』:「ホロライブ」のVTuberたちの2D格闘
『Idol showdown』は女性VTuberグループ「ホロライブ」の所属タレントが登場する非公式ファンメイド対戦格闘である。本作品では、普段は3Dアバターや2Dイラストを伴って活動するVTuberがピクセルアートで表現されている。ゲームシステムは2D格闘。操作キャラと、それに加勢するアシストキャラが選べる。この作品の特徴は、普段はVTuberのライブ配信の試聴も、格闘ゲームもしない層にも広く普及した点である。多くの人を動かした2023年の話題作といえる。
平井 和佳奈(ひらい・わかな)
東京都出身。2019年夏デジタルゲーム研究者デビュー。かつて純粋数学者を志していたが、業績は哲学が多い。私淑の偉人は文系・アリストテレス、理系・ポール・エルデシュ。対戦格闘ゲームに対し、多角的な論証を行う。主目的は3D対戦格闘ゲーム「鉄拳」シリーズのシステムおよびコミュニティ解析。「なぜ『鉄拳』はおもしろいのか」を分析中。対戦格闘ゲームのおもしろさの構造、強豪プレイヤーを構成する要素など学術的な手法を用いて疑問の核心に迫る。主な論文として「最小分散法による鉄拳プレイヤーの階層型クラスタリング」『ゲーム学会第18回合同研究会「ゲームと教育」研究部会 研究報告』第18巻、第1号、2021年。研究外の活動として2002年ランウェイにデビュー。
[向江駿佑氏のトピック解題]
1 Unity:料金改定騒動にみるゲーム制作環境の画一化問題
CEOの交代にまで拡大した本騒動だが、結局勢力図が変わるには至っていない。代替候補のUnreal EngineやGodotは、学習コストの高さやアセット充実度などの面で導入のハードルが高く、また結果的に中小規模の開発者に有利な料金体系に修正されたことで、乗り換える理由自体が薄れた。不信感が払拭されたわけではなく代替エンジンの潜在的需要は高まったが、当面Unityのシェアが大きく減少することはないだろう。
2 オトメイト:ファンクラブ終了に続き、サブスクも終了
ルビー・パーティーとともに乙女ゲーム市場をリードしてきたオトメイトだが、その分ジャンルの勢いが停滞した際の影響も大きい。国外でプラットフォームがスマホに移行するなか、スマホ版だけでなくあえてゲーム専用機にも注力する判断がどう作用するかは、今後の乙女ゲーム市場全体の方向性を左右する。スマホアプリメーカーのボルテージの一年ぶりとなる家庭用機向けオリジナルタイトルが、この流れに棹さすことになるかも注目される。
3 『時空の絵旅人』:中国の人気タイトルリリースで勢力図に変化の兆し
現状中国向けのみの『光与夜之恋』(光と夜の恋)もすでに日本語に対応しているため、遠からず日本でもリリースされると思われる。国内大手メーカーがゲーム機向けに供給を増やす一方で海外勢がスマホアプリにリソースを割く傾向は続きそうだが、国内では『アイドルマスター SideM』(2014年)や『金色のコルダ スターライトオーケストラ』(2021年)など人気タイトルの終了が続く。中国乙女ゲームにとっても、四大国乙や新作『恋と深空』がこの1、2年でどれだけ地歩を固められるかが勝負となる。
4 『MADiSON』:海外・インディーホラーゲームでのオールドメディアの存在感
座談会で言及された「小中理論」のように、メディアの入れ子構造が恐怖を喚起するのは映画やビデオ作品では90年代から盛んに見られる。視聴者としてそうした表現方法に馴染んだ世代が現在のゲーム業界で存在感を持つことも、昨今のブームの一因だろう。海外タイトルにおけるこうした傾向についてはVTuberの人生つみこ氏が『BRUTUS』No.991(2023年)のホラー特集で紹介しているので、そちらも参照されたい。
5 『バイオハザード RE:4』:(サバイバル)ホラーの原点回帰の動き
現行機に旧世代機と互換性がないためジャンルを問わず過去作の移植やリメイクが続くが、グラフィックの質感の向上による体験の変化がわかりやすいホラーゲームにおいて、その傾向は著しい。「バイオハザード」シリーズにくわえ、『クロックタワー』(1995年)や『アローン・イン・ザ・ダーク』(1992年)などジャンルの黎明期を支えたタイトルが再びプレイ可能になれば、世代間での体験の断絶を埋め合わせ、時代を超えて通用する恐怖の源泉の再発見に資するだろう。
向江 駿佑(むかえ・しゅんすけ)
ゲーム研究者。CIEE Kyoto Adjunct Professor、立命館大学大学院先端総合学術研究科一貫制博士課程。『Violence | Perception | Video Games: New Directions in Game Research』(transcript Verlag、2019年)、『「情動」論への招待』(勁草書房、2024年、いずれも分担執筆)のほか、雑誌やウェブメディアなどにホラーゲームや乙女ゲーム論を寄稿。
※インタビュー日:2023年10月27日
※URLは2024年2月29日にリンクを確認済み