メディアアート特別座談会 伊村靖子×きりとりめでる×高橋裕行 生成AIによって変わる作品とデジタルデータの行方[前編]

坂本 のどか

写真:畠中 彩

左から、伊村氏、きりとり氏、高橋氏

コロナ後1年目の拡張現実・仮想現実

――本日は国立新美術館の伊村靖子さん、批評家のきりとりめでるさん、メディアアート研究の高橋裕行さんの3人と、オブザーバーとしてNTTインターコミュニケーション・センター[ICC]の畠中実さんにはオンラインで参加いただき、アフターコロナのメディアアート状況を俯瞰してお話しいただきたいと思います。まずは展示の仕方や技術の用い方の点で印象深かった展覧会を挙げていただけますか。

伊村 2022〜2023年はちょうど自分自身が大学から美術館へと所属機関を移動した時期で、美術館という場がコロナ禍を経てどう変化し、またそこにメディアというものがどう関わっていくのか注視していました。自館の話になりますが、美術館とメディアとの関わりでまず挙げたいのが、ARを用いた「NACT View 02 築地のはら ねずみっけ」(国立新美術館、2023年1月12日~5月29日)です。

高橋 美術館内のあちこちでスマートフォンのカメラをかざすと、ネズミのキャラクターがARで出現する展示でした。

伊村 はい。専用のアプリで運用されたのですが、アプリの画面にあるのはARを出現させられる場所のリスト(ターゲットリスト)とARカメラだけ。インターフェースのつくりもシンプルでした。ターゲットリストには、普段展覧会を見に美術館を訪れるときには行かないような場所もあり、なおかつすべて無料で入れるエリア。近年展覧会の入場料は高額化していますし、誰でもアクセスできるという点も大事なポイントだったと思います。

畠中 館内だけでなく、千代田線の乃木坂駅からの直結ルートにもネズミがプロジェクションされていたのもおもしろかったです。

伊村 物理的な会場の入口だけでなく、オンラインの入口ができたこと、そして既存の場所をARによって読み替え、新たな動線を提案してくれた点が興味深いと感じました。ネズミは築地が普段から作品に用いているキャラクターなのですが、本来は美術館にいてはいけない動物です。そこにもシャレがきいていたように思います。

「NACT View 02 築地のはら ねずみっけ」のためのアプリケーション
築地のはら《ねずみっけ》(2023年)の国立新美術館展示風景。館内の各所にねずみが現れた
企画:吉村麗、撮影:梅田健太

きりとり ARに続いて、「許家維+張碩尹+鄭先喻 浪のしたにも都のさぶらふぞ」(山口情報芸術センター[YCAM]、2023年6月3日~9月3日)も、技術面での新規的な考察性がある展覧会でした。2部構成のうちの2部がVRやモーションキャプチャー、映像を用いたパフォーマンス作品です。本展では舞台上の演者は、頭にヘッドセットを装着してVRを見ながら、また身体の動きをリアルタイムにキャプチャーされながらパフォーマンスを行い、背景の三つのスクリーンにはそのシステムに紐づいた映像などが映し出され……と、かなりハイコストな、YCAMでしか実現できない展示形態でした。

注目した点は二つあります。一つ目は、本作は台湾を拠点に活動する3名の作家による作品なのですが、台湾は半導体の国際的なシェアにおいて台頭していて、今や分野を推進する立場にあると思います。その自認が作品に強く現れているように思えたのが印象的でした。二つ目としては、今日本では通産省を中心に議論されている「アバターの人格権」の複雑さを直感的にわからせるつくりになっていたことです。というのも、議論のポイントとなっているのは「これまでの人格権の延長で考えることが可能か」。本作では重要なモチーフとして人形浄瑠璃が使われ、人形遣い(人形浄瑠璃で、人形を動かす役割)が人形を動かす映像と、舞台上の演者の動きに伴ってアバターとして動く人形の映像が併置されます。その光景が、アバターが複合的な主体の統合によって存在することを直感的にわからせてくれると思います。今の時代を反映しながらもいまだ揺らいでいる状態の技術であるVRと、長い歴史を持つ伝統芸能とを反射させた作品でした。

高橋 AR、VRときたので、僕からは「Syn:身体感覚の新たな地平 by Rhizomatiks × ELEVENPLAY」(TOKYO NODE、2023年10月6日~11月12日)を。ライゾマティクスはもう10年ほど、VRやARを用いてさまざまな試みをしていますが、今回はその集大成的なものだと思いました。パフォーマンス公演なのですが、固定の座席がなく、さらに全体で70分の長丁場なのです。70分もの長時間仮想空間に浸ると、見た後には現実に戻ってこられた安堵感、現実かどうか疑いたくなる妙な違和感が残りました。

今年文庫化された『ニューメディアの言語』(レフ・マノヴィッチ、訳:堀潤之、ちくま学芸文庫、2023年)にも書かれているとおり、VRの特徴はフレームがないことです。とはいえ普段は現実の物理的な制約があるのですが、本作は空間や可動壁を駆使した仕掛けによって、奥へ奥へとずっと歩いていける感覚を抱かせました。

伊村氏

2000年初頭の言説からその後をたどる

――『ニューメディアの言語』、原書が出たのは2001年。四半世紀を経た今読むことで読み方も変わるのではないでしょうか。

高橋 本書の執筆当時はブロードバンドもまだ普及しきっていない状態で、スマートフォンもまだありません。iPhoneが発表されたのが2007年ですから。仮想世界の先駆けであるセカンドライフも、スタートしたのは2003年です。まず、「ニューメディアの諸原則」として挙げている内容に先見性があります。例えば「可変性」。無数のバリエーションがあり得る世界になると書いているのですが、今のレスポンシブなウェブサイトなどは、同じコンテンツでありながら、見る人によって無数のバージョンが存在しますよね。さらにその先には「生成」もありえるとも書いています。まさに生成AIです。

『ニューメディアの言語』は文庫化に際して訳者である掘潤之による詳細な解説も付された

――きりとりさんは2018年に共著で『インスタグラムと現代視覚文化論 レフ・マノヴィッチのカルチュラル・アナリティクスをめぐって』を出されていますね。近年のマノヴィッチの活動についてお話しいただけますか。

きりとり マノヴィッチは「デジタルとは何か」を論じつつ、デジタルが新しいことを生み出しているわけではないという話にどんどんフォーカスしていきます。『ニューメディアの言語』にもあるように、マノヴィッチはデジタルをサンプリング化と量子化の2段階で捉えました。サンプリング化は長い間、人間の文化や技術のなかで行われてきたことで、その後の量子化によってInstagramや生成AIによる画像処理ができるようになった。マノヴィッチはAIや大量データの分析について論じていくわけですが、彼は、これらと芸術とを絡めるならば、「ユーザーであること」を肯定する立場をとります。

私はそのことが、以後の展開を考えるうえで重要だと思っています。彼自身プログラマーとしても優秀な人物でありながら、つくられたプラットフォームやソフトウェアの上で社会がどのように動いているのかを考える必要があるとして、ソフトウェアスタディーズに注力していきます。実際に2010年代には、ソフトウェアスタディーズ的な作品がたくさん出てきましたが、それを束ねる言説は多くない。マノヴィッチの知見と、作家たちによるユーザー視点でのソフトウェアとの対峙とをより参照していけるといいのではないかと思っています。

伊村 アレクサンダー・R・ギャロウェイの著書『プロトコル 脱中心化以後のコントロールはいかに作動するのか』(訳:北野圭介、人文書院、2017年)も、原書が出たのは2004年です。パラレルに見ていくと、ソフトウェアはそうして概念として提示され、2007年以降、スマートフォンの普及のなかで社会に浸透し始め、2010年代には震災などを経てさらに普及していく。技術がインフラとなって、誰もがユーザーとして関わっていく流れの始まりが2000年代半ばあたりと言えそうです。

ちなみに、2006年にICCでは、RFID(交通系ICカードなどに用いられる、非接触情報認識技術)のシステムを使った展覧会1が開催されています。ライゾマティクスの真鍋大度と石橋素が《RFIDライトシーケンサー》をつくった展示です。2008年に発表された作品《計算の庭》(佐藤雅彦+桐山孝司)も、RFIDを用いたシステムによって制作されました。RFIDはその後、改札や決済のシステムとして社会実装されていきます。ソフトウェア技術のインフラ化はパンデミックを経てさらに加速していますし、2000年代初頭に提示された考え方を振り返るタイミングとして、今はふさわしい時期なのかもしれません。

高橋 個人の表現活動と、プラットフォームやソフトウェアとの関係は、一度捉え直しておくとよさそうですね。スマートフォンの登場で、メディアアートを見るための端末を誰もが持っている状態になった。これはやはり大きな変化ですし、メディアアート自体も変わらざるをえなかったわけですから。

高橋氏

技術の伝播とそのメディア性

きりとり 技術やインフラのお話につながるかもしれませんが、「The Flavour of Power─紛争、政治、倫理、歴史を通して食をどう捉えるか?」(山口情報芸術センター[YCAM]、2023年3月11日〜6月25日)は、技術そのものを問う展示でした。インドネシアが日本に統治されていた短い期間の間に起きた変化について、またそれが現在に至るまで影響を及ぼし続けていることが精細に扱われています。ここで扱われていたメディアは稲作という技術です。具体的には稲の品種改良の話で、冷害や風害に強くインドネシアの地形に適した、かつ収穫高が高い一方農薬への依存度も高い品種、つまりは植民地統治に適した品種を当時の日本政府がつくり、インドネシアではその種だけを扱うようにしていったのだそうです。

技術というと道具さえあれば誰にでも扱える、脱政治的で平等なもののように思えますが、科学技術的な合理性には植民地主義的な傾向があるかもしれないこと、そしてそこからいかに脱却できるかを、この展示は問うています。メディアテクノロジーといったときに、ニューメディアだけではなく技術そのものを問うことも必要なのではないでしょうか。「恵比寿映像祭2023」(東京都写真美術館ほか、2023年2月3日~19日)のテーマ「テクノロジー?」にも共通した視点があったように、この2年ほどではそういった検討もされてきたように思います。

高橋 最近、技術哲学の本が結構出て、それは大きい出来事だと思っています。メディアアートでは80〜90年代にはオーディオビジュアル、その後はネットワークが取り沙汰されてきましたが、必ずしもそれらにとらわれる必要はない。メディアアートという名前もそれゆえでしょうし、人々の媒(なかだち)となって何かを伝えることでいえば、技術もメディアとして機能する。技術も、稲も、何らかの思想なりを伝える媒体になったわけですよね。そういう意味ではメディアアートに回収できる部分もあるのではないかと思います。

伊村 遺伝子工学が進んだ背景には、まさに80年代、90年代のコンピュータ技術の進展があります。クリスタ・ソムラーとロラン・ミニョノーが発表した《インタラクティブ・プラント・グローイング》(1992年)や《A-volve》(1994年)に見られるような仮想生物、人工生命というテーマもそうした背景との関係から出てきたものですが、作品が発表された当時はインタラクティブな要素に注目が集まっていたように思います。研究的な背景とあわせて捉えることで、改めて考えられるところがあると思います。

既存のシステムを問い直す

伊村 「六本木クロッシング2022展:往来オーライ!」(森美術館、2022年12月1日~2023年3月26日)出展作のやんツー《永続的な一過性》は、さまざまなシステムついて考えさせる示唆に富む作品でした。個人的に印象的だったのは、キャプションの解説がすべてQRコードだったことです。一般的にキャプションは、美術館側が作品の解説を掲示するために制作するものですが、キャプションをQRコードで運用すれば、原理的にいつでも書き換え可能になるわけです。また、美術館の掲示に外部からアクセスする可能性を示唆することでもあります。

高橋 これまで会期中に作品がアップデートされることはあっても、キャプションが変わることはありませんでしたからね。書き換え可能になったその先には、鑑賞者一人ひとりに対して解説がカスタマイズされるといったこともありうるのかもしれません。

畠中 一方で、キャプションは絶対に完成しない、一過性のものでもあります。作品自体の価値や見方は状況によって変化しますし、あるいは古いキャプションに現在においては不適切な表現が含まれる場合には、何かしらの対応を考えなければいけない。

「永続的な一過性」は、陳列物を自動的に入れ替えているだけでありながら、コンテクストによってさまざまな読み取り方ができる作品ですが、ある意味では実際の美術館も同じです。作中には美術作品と何の変哲もない段ボール箱などが併置されていましたが、極論すれば、美術館もさまざまな作品が収蔵されていて、あらゆる収蔵品がフラットに扱われ、キュレーション次第で組み合わされ置かれるだけとも言えるのです。

高橋 キュレーションは結局のところ収蔵品の並べ替えであることを端的に示していましたね。それをロボットが自動的にやってくれる。ならばキュレーションのAI化もありうる。観客の反応や滞在時間、作品の人気度などのパラメーターを参照すれば人間より精巧なキュレーションができるのかもしれません。

きりとり メディアアートからは少し逸れますが、キャプションの書き換えのお話につなげると、「女性と抽象」(東京国立近代美術館、2023年9月20日~12月3日)のキュレーションでは、既存のキャプションをいかに手直しするべきかも重要な企図として挙げられていました2。テクノロジーによってキャプションが無限のバリエーションを持つことも可能になるかもしれない一方で、固定化したものを然るべきときに変える動きもあります。

伊村 2022年にはデコロナイゼーション(脱植民地化)の動きのなかで、大英博物館がそのコレクションについて、植民地から搾取し収集されたものであることを説明するキャプションを加えて話題になりました。コレクションの問い直しはここ数年続く動きではありますが、既存のキャプションを残したまま新たな補足を加えることで異なる読み方を提示していくやり方は、この1年でも多く見受けられました3

きりとり氏

リアルとバーチャルのはざまへと誘う、キュレーションの妙

きりとり キュレーションのAI化のお話が出たところですが、「多層世界とリアリティのよりどころ」(インターコミュニケーション・センター[ICC]、2022年12月17日~2023年3月5日)は、特に、トータル・リフューザルによる作品《How to Disappear》と、佐藤瞭太郎による《Interchange》、この2作品を一つの展覧会で取り上げた点が優れていたと思います。前者はバトルゲームのプレイ動画を素材に、脱走兵に光を当てた映像作品です。対して後者は、ゲームエンジンを題材にした映像作品。複数のアバターがさまざまな挙動をするのですが、アセットの切り替えによって、例えば兵士だったものがウサギにコロッと変わる。兵をキーワードに虚実混交する主体の非同一性を扱う作品でした。

今、TOKYO NODEやSusHi Tech Tokyoといった、テクノロジーに焦点を当てたスペースも新たにできていますが、技術の新たな動向を追うだけでも大変です。そんななか、世界規模でしかるべき作品をピックアップし、そしてまた相互呼応する若い作家もしっかり取り上げている。そこに優れたキュレーションと広い作家のリサーチを感じました。

畠中 ありがとうございます。「多層世界」をテーマにしたシリーズものの企画展の、最終回にあたる企画でした。コロナ禍で僕らはリアリティがどう変化していくかの問いを抱えていたわけですが、二項対立で考えがちなリアルとバーチャルの間には、本当はグラデーションがあるのではないか、そのなかの居心地のいいところに身を置いて、自分の生きやすい場所を選ぶことができていいのではないかと思うようになったのです。そういう意味では、きりとりさんが挙げた2作品にも、それぞれにグラデーションがあります。

《How to Disappear》で素材となったゲームの世界では、戦うことが目的化されているので、戦わざるをえない。でも現実の戦争では逃げることができて、逃げることで戦闘状態を変えられるのです。もちろん、リアルな戦争の方が残酷なことは明らかなのですが、でもこの作品を通すと、リアルな戦争のなかにある種の希望が見出せる。

佐藤の作品は、アバターの考え方でいうと、さきほどの「許家維+張碩尹+鄭先喻 浪のしたにも都のさぶらふぞ」ともつながるところがあります。誰かの代替ではないアバターが現れていて、なかには何も入ってない。何も入っていないけれど、外見が兵士なら兵士の物語が見え、ウサギに変わったらウサギとしての物語がスタートしてしまう。僕らが何によって主体を感じているかというと、結局は外見が持つ記号性なのです。

「多層世界とリアリティのよりどころ」展会場風景より
トータル・リフューザル《How to Disappear》2020年
撮影:木奥恵三
写真提供:NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]
佐藤瞭太郎《Dummy Life (#1–24)》2022年
撮影:木奥恵三
写真提供:NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]

脚注

1 「ICC キッズ・プログラム」インターコミュニケーション・センター[ICC]、2006年7月22日~8月20日、https://www.ntticc.or.jp/ja/exhibitions/2006/icc-kids-program/
2 福島夏子「東京国立近代美術館はなぜ「女性と抽象」展を開催するのか。コレクションにおける女性の作家の再発見とジェンダーバランスについて担当者に聞く」Tokyo Art Beat、2023年10月20日、https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/women-and-abstraction-interview-202310
3 村田麻里子「欧州で進むミュージアムの「脱植民地化」」『中央公論』第137巻、第10号、2023年、164~171ページを参照。

[伊村靖子氏のトピック解題]

1 「NACT View 02 築地のはら ねずみっけ」2023年1月12日~5月29日、国立新美術館
国立新美術館のパブリックスペースを会場とした小企画「NACT View」の第2弾として開催された。乃木坂駅からの連絡通路やカフェ・スペースに映し出されるねずみのコミカルな動きをトリガーに、いつもとは違う美術館への動線が立ち現われる。鑑賞者が美術館を探検しながらスマートフォンで鑑賞するARアニメーションの他、建築の特徴を生かしたプロジェクション・マッピングにより、美術館に流れる時間を作品に取り込んだ。

2 やんツー《永続的な一過性》2022年、「六本木クロッシング2022展:往来オーライ!」森美術館、2022年12月1日~2023年3月26日
自律搬送ロボットが多様なオブジェのなかから一つを選択して運び、展示・撤去を繰り返すインスタレーション。あらゆるものを「輸送する」という地平において等価に扱う物流システムをシミュレーションすると同時に、展示行為になぞらえた作品である。美術館制度に限らず、日常生活に浸透するメディア技術を想起させ、グローバル資本主義下の監視や検閲、規格化・均質化といった問題への問いとしても機能している。

3 小宮知久個展「SEIRÊNES」theca(コ本や honkbooks内)、2022年4月29日~5月8日
小宮はアルゴリズムを構築し、演奏家の声を検出しながら楽譜を生成し、楽譜と歌い手が相互に影響し合うシステムを作曲に取り込んできた。今回は展覧会の形式をとり、コンサートの記録映像による映像作品のほか、その音声を含めた会場の音と人工音声による自動演奏をリアルタイムに処理して新たな楽譜を生成させ、再帰的に演奏、生成させる作品を発表した。演奏家不在ながら、ポストヒューマン的な身体を想起させる展覧会であった。

4 「《infinity~mirage》プロジェクト」黒部市美術館、魚津埋没林博物館ほか、2023年4月24日~2024年3月15日頃
山下麻衣+小林直人「蜃気楼か。」(黒部市美術館、2021年)で発表した《infinity~mirage》を再制作するプロジェクト。富山湾に発生する下位蜃気楼により、黒部市生地海岸の護岸堤に設置された「m」の文字が反転し「∞」に見える現象を作品として発表した。長期にわたる観察は、蜃気楼についての定説を覆すだけでなく、不確かさと向き合うことを示唆している。配信により、現象に立ち会う意識がどのように変容するかも注目される。

5 「[言語と美術コレクション 河原温]データベース」多摩美術大学、2023年3月31日公開、https://www.tamabi.ac.jp/tosho/collection/onkawara/db/
河原温の書籍、CD、カタログに基づいてメタデータを採録し、構築したデータベース。その特徴は、メニュー項目とデータ項目の設計にある。河原は、電報で自身の生存を発信し続ける《I Am Still Alive》などの作品を手掛けたが、メニュー項目からこれらの作品シリーズを特定して閲覧できる他、電報にあたる要素を作家自身の行為の痕跡を示す資料と捉え、書籍から1点ずつ引用して1レコードとして扱っている。作家活動の解釈としてデータベースの概念を応用した点に特徴がある。

伊村 靖子(いむら・やすこ)
国立新美術館学芸課情報資料室長・主任研究員。1979年生まれ。情報科学芸術大学大学院[IAMAS]准教授を経て、2022年より現職。『虚像の時代 東野芳明美術批評選』(河出書房新社、2013年)共編、「「色彩と空間」展から大阪万博まで――60年代美術と建築の接地面」『現代思想』(第48巻、第3号、2020年)のほか、2022年に「国立新美術館所蔵資料に見る1970年代の美術――Do it! わたしの日常が美術になる」「連続講座:美術館を考える」(国立新美術館)の企画を担当。

[きりとりめでる氏のトピック解題]

1 「許家維+張碩尹+鄭先喻 浪のしたにも都のさぶらふぞ」YCAM、2023年6月3日~9月3日
台湾を拠点にそれぞれ活躍してきた許家維、張碩尹、鄭先喻の3人が協働制作した新作展。人形劇の映像、CGアニメーション、VRHMDを着用した演者によるライブパフォーマンスからなる作品。台湾と日本の人形劇(人形浄瑠璃と布袋戯)、製糖業で発展した土地(門司と虎尾)が、伝統と現代の表現(人形劇とVR)を通して交差する。

2 「The Flavour of Power─紛争、政治、倫理、歴史を通して食をどう捉えるか?」YCAM、2023年3月11日〜6月25日
山口情報芸術センター[YCAM]が実施する研究開発プロジェクト「食と倫理リサーチ・プロジェクト」でインドネシアを中心に活動する8名の研究者やアーティストによるユニット「バクダパン・フード・スタディ・グループ」と調査を実施した成果展。バグダパンの新作《Along the Archival Grain》(2023年)は太平洋戦争中の日本統治下でのインドネシアの稲作とその功労者の磯栄吉にフォーカスした。

3 「多層世界とリアリティのよりどころ」ICC、2022年12月17日~2023年3月5日
XRが実装され、リアルとバーチャルが混交する世界のリアリティのあり方、アクチュアルなものを多角的に探る意欲的な作品が並んだ。出展作家は内田聖良、柴田まお、たかはし遼平、谷口暁彦、藤原麻里菜、NOIZ(会場設計)。キュレーションは畠中実、谷口暁彦、キュレトリアル・チームは指吸保子と鹿島田知也。

4 「Viva Video! 久保田成子展」新潟県立近代美術館、2021年3月20日~6月6日ほか
2015年の没後初となる大規模個展。2017年にニューヨークに設立された久保田成子ヴィデオ・アート財団によって、映像と彫刻を組み合わせた「ヴィデオ彫刻」が復元された成果が多分に発揮された。作品だけでなく、「Red, White, Yellow, and Black」などコレクティブとしての久保田の活動資料も充実していた。

5 「My First Digital Data はじめてのデジタル」3331 Arts Chiyoda、2022年10月29日~30日/「死蔵データGP 2022–2023」2022年6月18日~2023年3月25日
前者は「初めてのデジカメ」というテーマで発掘された写真展。NFTで販売され、ネットで閲覧できた。後者は2023年現在9名の「カタルシスの岸辺」によるプロジェクト。2022年からYouTube番組「死蔵データグランプリ」を配信し、「死蔵データGP 2022–2023 決勝戦 ROUND2」(YAU STUDIO、2022年3月25日)はその決勝戦。死蔵データとは「誰に見せる予定もない、自分しかその存在を知らないデータ」のこと。「拾いものではなく、自分自身が生成」を条件にデータを募集・精査した。

きりとり めでる
批評家。1989年生まれ。デジタル写真論の視点を中心に研究、企画、執筆を⾏っている。著書に『インスタグラムと現代視覚⽂化論 レフ・マノヴィッチのカルチュラル・アナリティクスをめぐって』(共編著、BNN新社、2018年)がある。2022年に『写真批評』の編集委員、「T3 Photo Festival Tokyo 2022」のゲストキュレーターを務めた。『artscape』の月評担当。2024年には美術批評同人誌『パンのパン4(下)』と佐々木友輔による『ネット映画小史』を発行予定。最近の論考は「コンテンポラリー・アートの場としての長谷川白紙と過剰な装飾――アヴァンギャルドでキッチュ」(『ユリイカ』2023年12月号)など。

高橋裕行氏のトピック解題]

1 「Syn:身体感覚の新たな地平 by Rhizomatiks × ELEVENPLAY」2023年10月6日~11月12日、TOKYO NODE
ライゾマティクスとELEVENPLAYの長年にわたるコラボレーションがもたらした最高の到達点。仮想と現実、存在と非存在、生命と人工物、過去と未来、一人称と三人称、舞台と客席、そのボーダーを扱う。VR、AR技術に対して、単純に肯定するでも否定するでもなく、生の身体との対比において、その危うさを表現した部分が印象的であった。

2 レフ・マノヴィッチ『ニューメディアの言語』文庫化
2001年に出版され、日本では2013年に翻訳が刊行されたが、その後、なかなか入手できない状態が続いていた。「デジタル」や「インタラクティブ」であることがメディアアートの特徴なの「ではない」という常識を覆すような主張は刺激的であると同時に、映画史の知見、プログラマーとしての経験が生かされたもので十分説得的でもある。今後、文庫化されたことで基本文献としての共有知化が進むことが期待される。

3 生成AIの隆盛
2023年は生成AIの年といえよう。3月にOpenAIからGPT-4がリリースされ、その後も、文章ばかりでなく、画像や動画の生成に発展しつつある。新しい技術が生まれたとき、芸術家は新しい技術で古い芸術を模倣するか、新しい技術で新しい芸術をつくるか、選択を迫られる。AIの発明は、生成AIの発明は、写真の発明と並ぶ芸術史上の出来事となるか。

4 岩井俊雄ディレクション「メディアアート・スタディーズ 2023:眼と遊ぶ」CCBT、2023年7月7日~8月20日
展覧会タイトルのとおり、岩井のこれまでのメディアアートの制作に関する知見を形式知として取り出し、誰もが理解でき、かつ応用可能な形(まさにシビックテクノロジー)にしようとする意図がうかがわれた。「スタディーズ」と複数形になっていることからも、今後のシリーズ化も期待される。映画誕生以前の映像装置や玩具を実際に手に取り、目で見られる状態で展示し、工作コーナーは夏休みの子どもたちにも人気であった。

5 『坂本龍一のメディア・パフォーマンス マス・メディアの中の芸術家像』
1985年のつくば万博の最終日、万博会場のぽっかりが丘にそびえ立つソニーの2,000インチの巨大テレビ、ジャンボトロンを使って「TV WAR」という「メディア・パフォーマンス」が行われた。ウォークマンの開発責任者でもあったソニーの黒木靖夫はジャンボトロンを「壊してもいいから、二度と再現できないパフォーマンスをやってください」と坂本龍一と浅田彰に依頼したそうである。輝かしい未来を示すべき万博という場で「戦争とメディア」というテーマを扱えた背景にはそんな事情があったのだ。

高橋 裕行(たかはし・ひろゆき)
メディアアート研究。1975年生まれ。慶応義塾大学環境情報学部卒業、岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー[IAMAS]ラボ科卒業。東京芸術大学美術学部先端芸術表現科助手を経て、現在、多摩美術大学非常勤講師。創造性、テクノロジー、社会の接点をテーマに活動している。主な企画展に「あそびイノベーション展」(北九州イノベーションギャラリー、2020年)、「動き出す色の世界」(SKIPシティ映像ミュージアム、2008年)、「影のイマジネーション~星降る夜の魔法使い~」展(同、2009年)、著作に『コミュニケーションのデザイン史 人類の根源から未来を学ぶ』(フィルムアート社、2015年)などがある。

畠中 実(はたなか・みのる)
NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]主任学芸員。1968年生まれ。1996年のNTTインターコミュニケーション・センター[ICC]開館準備より同館に携わる。主な企画には「サウンド・アート――音というメディア」(2000年)、「ローリー・アンダーソン 時間の記録」(2005年)、「サイレント・ダイアローグ――見えないコミュニケーション」(2007年)、「みえないちから」(2010年)、「アート+コム/ライゾマティクスリサーチ」(2017年)、「坂本龍一 with 高谷史郎|設置音楽2 IS YOUR TIME」(2017年)など。また、ダムタイプ、八谷和彦、磯崎新、ジョン・ウッド&ポール・ハリソンといった作家の個展企画も行っている。その他、コンサートなど音楽系イベントの企画も多数行う。

※インタビュー日:2023年10月28日
※URLは2024年2月29日にリンクを確認済み

メディアアート特別座談会 伊村靖子×きりとりめでる×高橋裕行 生成AIによって変わる作品とデジタルデータの行方[後編]

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