坂本 のどか
協力:洋ナシ
写真:栗原 論
主に2023年冬から2024年秋にかけての、ゲーム分野とメディアアート分野の動向を振り返る座談会。アーティスト、研究、教育などの立場でこれらの分野に関わる有識者3名が挙げたトピックスについて議論していきます。前編では、小さなインディーゲームのヒット作から始まり、ゲーム内写真やAIによる創作、ゲームを用いたアート表現などさまざまなトピックについて話されました。
土佐 僕はゲームはまったくしないのですが、谷口さんは?
谷口 まずいなと思いつつ、実は僕もあまりしないんです。最近ゲームの仕事が増えて、インディーゲームの審査を依頼されたり、大学でゲームアートについての授業も行っているんですが、結構焦ります(笑)。ニュースや記事は常にチェックしているのですがいざ自分でプレイするとなると……。
土佐 時間がかかるのでしょうか。
谷口 そうでもないんです。今、短時間で遊べる小さなゲームをつくる文化があって、15分程度でプレイし終わるものもあります。単にゲームをやるルーチンが生活のなかにはまっていないだけですね。
近藤 そうなんです。今年大きな話題になった『8番出口』(KOTAKE CREATE、2023年)は、ごく小規模なインディーゲームです。通路を進むか戻るかを選ぶ、それだけを繰り返すゲームなのですが、今年はこの作品以外にも『Buckshot Roulette』(Mike Klubnika、2024年)1など、短いリテレーションを繰り返す数百円のゲームが注目を集めました。どの作品も大作のなかではごく一部でしかないようなシーンや行為を一つのゲーム体験に広げています。『8番出口』の舞台は地下鉄の通路。大作ゲームなら何百分の一、何千分の一かの見過ごされていく背景に注目を促すのです。今、特に大作ゲームは巨大化・肥大化しどんどん消費されていくものになっていますが、そこで消費されていく小さなものに目を向けさせるのが、こういった作品の特徴の一つだと思います。
ただ皮肉なことに、こうした作品にはパロディがたくさんつくられてしまいます。パロディや模倣は新しい作品を生むきっかけでもありますし、新しいシーンをつくる重要な行為だとも思う反面、パロディによって個別の作品の価値が薄まってしまう面もあります。消費されがちな小さなものに目を向けているはずの作品が、結局同じように大量消費されてしまう。今の時代を象徴するありようだなと感じています。
土佐 『8番出口』はXに「ここがすごい!」と切り抜き動画が上がっていて、その投稿がものすごい数リポストがされていたので知っていました。SNSを通して広まった作品でもあるのでしょうか。
近藤 そうだと思います。今、ゲームは遊ぶものであると同時にYouTubeや動画配信で見るものでもある。場面を切り抜いてシェアするというのも一つの遊び方です。『8番出口』はゲーム全体が小規模なので、その分切り抜きでも伝わる力が強かったのだと思います。
谷口 同じ『8番出口』をプレイしていても、YouTuberによって反応が違うから、同じ歌を別の人がカバーしているかのようなバリエーションがどんどん生まれていくんですよね。そういった楽しみもあったのではないかと思います。
土佐 一人ひとり違う楽しみ方を共有することができるんですね。
近藤 そうですね。ゲームは本来一人ひとり違う体験が得られるものですが、今すごくそれが可視化されています。そのことにとても意識的だったのが『ELDEN RING SHADOW OF THE ERDTREE』(フロム・ソフトウェア、2024年)です。2022年に発売された『ELDEN RING』2と同じ舞台で展開する新たな物語で、『8番出口』とは対照的な大作のヒット作です。とても難易度の高いRPGゲームで、プレイしていると本当にあっという間に死にます。難しいものをプレイする様子を見せ合うことが作品を広めていきました。
おもしろいポイントはたくさんあるのですが、その一つはジェンダーについてさまざまな含みを持つストーリー設定です。例えばこの世界では女王に戦士である王が嫁ぐという構図が多くあり、アイテムのなかに王の嫁入り道具として裁縫針があったりします。DLC(追加のダウンロードコンテンツ)ではさらにその世界観が深掘りされ、同性愛について語られています。また男性の登場人物が自らを純化させるために自身の女性的な側面を切り捨てるというエピソードがあるのですが、その行為は作中で非難を浴びます。マッチョイズムに傾倒していくようなその行為を間違ったものとして描いていることが興味深かったです。
難易度の高さもこの作品の重要なポイントです。2,800万人いるプレイヤーのうち、クリアしたのは3、4割といわれています。1,500万人近くが挫折しているわけですが、それがゲームとして問題かというとそうではありません。高難易度の作品はその達成感が価値として語られることがよくありますが、私は挫折や失敗を含めてプレイ体験だと思うのです。この作品はその難易度によってそのことを示してくれているのではないかと思っています。
谷口 プレイしたことはないのですが、どのあたりでたくさんプレイヤーが死んでいるか、どこでよく失敗しているかといった痕跡が見えるモードがあると聞いたことがあります。失敗を可視化して共有しているようなところもあり、興味深いです。
近藤 世界の多重性みたいなものが表現されていますよね。一つの基盤となる世界がありつつも、そこでたくさんのプレイヤーが違う体験をして生きていることが直感的に表現されている。ゲームがプレイするものであると同時に見るものであるという状況を意識して、積極的に取り組んでいる作品だと思います。
近藤 この作品は虐殺についての話でもあるのですが、職務に従順に、命令に従うという選択の結果に虐殺が発生していました。ゲームの本編では主人公は神様から与えられた使命を持って進んでいくのですが、そのうちに使命を疑い始めて、プレイヤーはそのまま使命に従うか逆らうか、選択を迫られます。「選択」という行為はゲームならではのものですが、逆らうという選択の対比関係に従順さと虐殺がある。非常に興味深いつくりだと思いました。
谷口 プレイすることそのものが悲劇につながるといったメタ的な視点を持ったゲームは時々ありますね。「ドラゴンクエスト」シリーズや「ファイナルファンタジー」シリーズのような日本型のRPGは、ストーリーが進むと決まってどこかで世界が崩壊してしまうのですが、以前、アーティストの山形一生3さんと話したとき、彼はそもそも勇者が冒険に出なければ世界は崩壊しないと指摘していたことが印象に残っています。ゲームは、ゲームをプレイすることで悲劇が繰り返されてしまう。『Far Cry4』(ユービーアイソフト、2014年)4というシューティングゲームでは、プレイヤーが冒頭の場面で何もせずにじっと待っていると、一切敵と戦うことなく、プレイ開始15分でクリアできてしまうルートがあったりします。
近藤 飛浩隆さんの短編小説集『ラギッド・ガール 廃園の天使II』(早川書房、2010年)にも似たような問題意識で書かれた作品がありました。小説も読み進めることで人が死んだりするのはどうなんだろうという。私自身、ゲームをプレイしながら思うことがあります。
谷口 僕が注視しているゲームの動向の一つにゲーム内写真(in-game photography)というものがあります。マルコ・デ・ムティスというスイスのフォトミュージアムのキュレーターもここ数年研究対象としているのですが、彼が今年企画した展覧会に連動して始めたのが「THE PHOTOGRAPHER’S GUIDE TO LOS SANTOS」というウェブサイトです。『グランド・セフト・オートV』(ロックスター・ノース、2013年)5というオープンワールドのアクションゲームに出てくる架空の町ロス・サントスで写真を撮ることについて、過去の作品やマニュアルなどをまとめています。『グランド・セフト・オートV』はとても自由度が高く、発売から10年以上経った今もプレイヤーが多くいるゲームです。
土佐 写真を撮るというのは、つまりはスクリーンショットでしょうか。
谷口 例えばこのゲームでは、ゲーム内の登場人物がスマートフォンを使って写真を撮ることができるんです。スマホの画面越しに見ているという演出で、画面が写真として保存されます。スクリーンショットと同じ行為でありながら違うこととして表現されていて、とても倒錯的な状況が生まれています。そもそもこれは写真といえるのか。写真の進化の歴史とつなげて考えてみると、もはや写真とはいえないようなものにも思えるし、写真の歴史を真面目にさかのぼると、むしろゲーム内写真こそが完全なデジタル写真だと思えるところもあります。
土佐 撮る人のうまいヘタや、味わいなどもあるわけですか。
谷口 あると思います。撮影者もさまざまで、ゲームプレイの延長線上として撮っているゲームファンもいれば、プロの写真家が実際に写真を撮るのと同じような目線で撮っていたり、現代美術の作家がメタ的な視点を持って撮っていたりもします。多摩美の卒業生のたかはし遼平という作家は、ゲーム内の植物の植生を調べ、独自の分類による植物図鑑をつくっていて、「THE PHOTOGRAPHER’S GUIDE TO LOS SANTOS」でも紹介されています。
近藤 今やリリースされるゲームのほとんどに「フォトモード」として写真を撮る機能が付いていますね。ゲームによっては被写界深度やズームの調整、ライティングやポーズを変えることまでできます。
土佐 写真というのはあくまでも見ることを切り取る行為ですよね。風景に関与しないのがカメラマンというものだと思うのですが。
谷口 不思議ですよね。写真って本来はシャッターボタンを押した瞬間にすべてのパラメーターが決定するもので、だから「決定的瞬間」を捉える行為だったわけですが、ゲーム内のフォトモードって一度時間を止めて撮ったりするんです。時間を止めていろいろな設定をして、決まったらボタンを押して写真を撮る。
近藤 ゲーム内でアクションを起こすと何かしらリアクションが返ってくるものですが、フォトモードを起動している間はそれが一切なくなります。ゲーム性が消え去り、完全に一方的に見るだけの存在になるのです。そのことがどんな意味を持つのか、自分も撮っていて気になるところです。
土佐 ゲーム空間は現実とは違って、すべてが意図を持ってつくられた空間なので、自分はナチュラルに撮っているつもりでも、何か決められたものを撮っているのかもしれないですね。
近藤 そうですね。ゲームの世界は当然ながら現実とは全く異なる世界です。『グランド・セフト・オートⅤ』は犯罪が多発する都市ですし、私が写真を撮りまくっていたのは『アサシン クリード オリジンズ』(ユービーアイソフト、2017年〜)6という古代エジプトを舞台にしたゲームシリーズでした。撮っているとだんだん自分の視線が気になってきます。私がそこで行うのはエジプトの人々をずっと撮り続けたり、犯罪が多発する都市で写真を撮ったりといった神様の視点から見続けるような行為です。自分の視線に植民地主義やダークツーリズム的なものに似た欲求があることに気づいて怖くなることがあります。そもそも自分の中に撮りたい欲望があったのか、あるいはフォトモードによって喚起されたのか……。
谷口 シンディ・ポレンバが『ポケモンスナップ』(ハル研究所、1999年)7について語った論文があります8。ゲーム内写真について書かれたかなり初期の論文ですが、『ポケモンスナップ』は島に住んでいるポケモンをトロッコに乗りながら写真に収めていくゲームで、ポケモンが大きく写っていたりたくさん写っていたりすると高得点がもらえる。その構造が、動物をハンティングするという搾取や収奪的な行為と写真を撮る行為とをものすごくわかりやすく重ね合わせてしまっている例なんじゃないかと彼女は書いているのです。
近藤 そもそも「ポケモン」シリーズはヤバいゲームだという指摘は結構ありますよね。一方で『ウムランギジェネレーション』(ORIGAME DIGITAL、2020年)9というゲームは、写真を撮る欲望を喚起させることを逆手に取った批評的なゲームです。主人公が写真家で、軍に占領された町で写真を撮り続けるのですが、徐々にその行為の意味が浮かび上がってくる。写真を撮るという行為やその意味を捉え直し、そこにある政治性や社会性を考えさせる作品です。ある潮流に対して批評的な作品が出てくるのはやはりすごくおもしろいですし、大事なことだと思います。
近藤 つくられた世界の中で写真を撮ることについて話してきましたが、対して、「都市にひそむ見えないミエナイモノ展」(2023年12月15日~2024年3月24日、SusHi Tech Square)に出展されていた《About Their Distance》(2023年)は聖地巡礼に関する映像作品です。ハンガリー出身アーティストのセマーン・ペトラさんによる、現実の風景にアニメーションのキャラクターを重ねて、ナレーションによって進行していく映像です。時間と移動がテーマになっていて、そこでは聖地から聖地に移動していくときの感覚というものが語られる。現実世界にはないようなレイヤーの重なりや、アニメのフレームなど、それらが現実の風景と重なることによって一つの世界につながる、あるいは現実と物語の隙間というものに入り込んでいけるその可能性について、映像のつくりとナレーションの両側面で語っていくのです。
時間性や隙間、移動というのはゲームにおいてもとても重要なものです。例えばゲームには時折過去を回想する場面が出てきますが、過去をプレイヤーが操作することがあります。今という時間軸のなかで過去をつくるという不思議な時間のあり方が生まれ、そこに時間と時間の隙間みたいなものが生じるわけですが、そういった時間の交錯性は実はクイア理論においても生じるもので、セマーンさん自身もクイア理論と本作とを結びつけています。例えばアイデンティティ自体が近現代的なもので、それを過去に当てはめて論じるだとか、あるいは過去のデータがほとんどないものを想像するだとか、クイアな過去を探求するには過去を生成的に考える必要が生じることがあるわけです。その感覚がゲームにおける時間性と重なると思っています。
谷口 実はセマーンさんが日本で初めて展示したのは、僕が共同キュレーションで参加した展覧会「多層世界の歩き方」(2022年、NTTインターコミュニケーション・センター[ICC])でした。セマーンさんの作品はメディア論的な観点から見てもおもしろいです。セマーンさんは作中で駅や電車の移動中の風景を多用するのですが、そこには必然的に、手前の風景と奥の風景が違う速度で動くといういわゆるパララックス的な風景の変化が起きます。これがアニメで多用されるマルチプレーンの撮影台のことを意識させるのですが、そこからさらに、撮影台におけるレイヤー同士の隙間の存在とその空間性への言及があったりします。そのように手法とテーマが重層的に絡み合った作品になっています。
電車というモチーフもメディア論的に映像史とつながりが深い。最初期の映画が『ラ・シオタ駅への列車の到着』(1896年)という鉄道を撮ったものというのはよく知られていますが、レフ・マノビッチも『ニューメディアの言語』(2001年)で鉄道の窓をフィルムのコマと重ね合わせていますし、僕が個人的に大好きなのは、世界で初めてつくられたGIFアニメが鉄道模型のGIFアニメだったというエピソードです10。歴史の要所要所で映像と鉄道は交錯しているのです。
土佐 今年、「シャッターゴルフの世界展」(2024年1月19日~31日、ニュー新橋ビル、ラジオセンター)という展覧会を開催しました。僕は武蔵小山に住んでいるのですが、夜はシャッター街になるんです。全部鉄板なので、マグネットシートで丸い円盤をつくって投げたらベタッとついた。スタッフたちと一緒にシャッターをゴルフ場に見立てて遊んでいたんです。「しんばし×アキバ カコ↓イマ↑ミライ展」出展のオファーをもらって、ニュー新橋ビルにも秋葉原のラジオセンターにもシャッター街があることに気づきました。ただ、単にシャッターゴルフの展示をしてもおもしろくない。そこで、シャッターゴルフにまつわるエピソードをChatGPTにつくってもらうことにしました。どうやってできたか、誰の発案かなど、見事にストーリーをつくってくれるわけです。ただ、AIを使ってみての感想は「あっという間に飽きる」。知り合いのプロダクトデザイナーが、AIが出すアイデアに対する印象を「マスピ感」と表現していてうまいことを言うなと思いました。AIがつくったコンテンツはどれもマスターピースに見えるというのです。一瞬おもしろく感じるけど、「なんか知ってるぞ」と感じて、何度も見るほどおもしろくはない。それがAIのクリエーションの宿命なのかなと思いました。
谷口 大量にいろんなものをAIで生成して、終わった途端に飽きちゃったと。おもしろいですね。実感がとてもいい。
土佐 ロゴのイラストなんかも「ディズニーっぽいレトロなデザインで」というとつくってくれるんですよね。さすがにそのままは使えなかったので、ちょっとアレンジしましたが。
近藤 シャッターゴルフ、都市への介入の仕方としておもしろいですね。今は皆都市に対してとても行儀がいい。怒られるか怒られないかのギリギリのラインを攻めるのは大事なことだと思います。
谷口 ストリートスポーツっぽいですよね。
土佐 そうなんです。誰かに見つかったらすぐに逃げられるようにコースなどは全部ガムテープを貼ってつくるんです。バーッと貼って、陣地をつくって遊ぶ。いろんな遊び方ができると思うので、フォーマットだけ提示して細かなルールは遊ぶ人が考えてくださいというスタンスです。でも誰もやってくれないですね(笑)。その点、やはりPCやスマホ、ゲーム機などのプラットフォームがしっかりあるゲームはいいなと思いました。
近藤 土佐さんの大学の後輩にあたるアーティスト、藤嶋咲子さんは、絵画作品などをつくるかたわら、作品にゲームを取り入れています。個展「WRONG HERO」(2024年10月19日~27日、9s Gallery by TRiCERA)は、ジェンダーによる意識の差やその捉え方について、RPGゲームを通して考えさせるものでした。プレイヤーはある村を訪れた女性の旅人で、モンスターを倒して子どもを助ける。その村の人は皆、女性は家にいるもの、男性は外で戦うものというとても保守的な意識を持っていて、旅人が女性で、さらにモンスターを倒したということに村人は動揺します。おもしろかったのは男性の村人の反応です。戦うという役割を女性に取られて、自分たちの存在意義がなくなるといったコメントが出てくる。役割に依存することで保たれていた男性の強さと、隠れていた弱さが描かれているのです。
ゲーム作品以外にも、作家がネットで集めているという、ジェンダーに関して嫌な思いをしたエピソードについてのコメントが展示されていましたが、男性のコメントを集めるのが難しかったそうです。ジェンダーに関する男性の発言のしづらさはゲーム作品にも強く反映されていると感じました。
男性学というジャンルも近年少しずつ広まっていますが、男性らしさというものとどう向き合っていくのか、今一つの課題になっている気がします。男性作家によるフェミニズムを扱う作品も最近増えていますが、なかには極端に自罰的な作品というものも少なくありません。そうではなく皆で歩んでいくには何が必要なのか、何がそれを阻んでいるのかここ数年考えていましたが、藤嶋さんの作品はその素地を提示してくれたと思いますし、こうした作品が媒体としてゲームを選択しているということが興味深かったです。
また「WRONG HERO」には3DCG版の展示もあり、よりリアリティのある見た目の登場人物たちと会話することができるのですが、リアリティを持った途端、保守的な男性たちがより実態を持った存在として感じられて、緊張感からなんと声をかけていいのかわからなくなってしまうのです。ただ、その戸惑いが実は大事なのではないかと思いました。
谷口 ゲームにはしばしば競争や戦いが織り込まれていて、そこに男性性というのも紐付きがちです。UnityにはUnity AssetStoreという、ゲームを制作するための素材=アセットを販売・購入できるストアがあって、そこで既製のデータを買ってゲーム制作に使うことができるのですが、銃やナイフなど、武器がとにかくとても多い。
土佐 僕はそこが引っかかってゲームができないんです。なぜ戦うのだろうと。
谷口 ただそれを批評的に問い直すようなインディーゲームなども出てきていますし、世の中ではジェンダーについてもさまざまな議論がなされています。そういった流れがある一方で、ロシアとウクライナの戦争が始まった直後、ウクライナでは18歳以上の男性の出国を制限しました。要は兵士が必要だからですよね。戦争が始まった途端にそういったことが現実として起こるのがすごく怖いなと思いました。またその頃、Unity AssetStoreで特定の素材を買うと支払額の一部がウクライナ支援の寄付になるというキャンペーンがありました。おそらく有志で素材の制作者がそれに参加して、さまざまな素材がそのキャンペーンの対象になっていたんですが、なかには小銃の3Dモデルや原子爆弾の爆発の素材などもあり、バーチャルなものが、イメージの類似と現実への実質的な効果によって現実の戦争と妙な関係性でつながってしまう違和感を感じたりしました。
近藤 ゲームは何かを倒すことが目的になりやすく、争いに簡単にくっついてしまう。反差別的なテーマを持ったゲームでも、結局プレイヤーの強さが価値になってしまうこともある。能力主義的な考え方にはゲームが密接に関わっているのではないかと論じる研究もあり、難しい問題だと思います。
ガザの虐殺にゲーム内で抗議するような作品や、イスラエルの兵士からの銃撃を逃れながら町に反戦のグラフィティを描く『Palestine Skating Game』(2024年)11など、現実の争いへの抵抗を示すゲームも少しずつ出てきています。そういった流れが今後どうなっていくかも注目したいですね。
脚注
[近藤銀河氏のトピック解題]
1 『8番出口』:小規模ゲームの拡散
本作は定価わずか500円前後でプレイ時間は1時間程度という極小規模なゲームながら、DL数100万本を突破する売上を叩き出した。狭隘な地下鉄通路を延々と歩き続ける見た目は、空虚な都市空間を舞台にするホラーインターネットロアのBackroomを思わせるところがある。本作自体もミーム的な広がり方をしていたかもしれない。プレイ動画の切り抜きよる拡散はもちろん、多量の模倣作が短期間で現れたのもそうだ。
2 『ELDEN RING SHADOW OF THE ERDTREE』:躍進を続けるフロムソフトウェア
2024年の各種ゲームアワードでは『アストロボット』『メタファー:リファンタジオ』『FINAL FANTASY VII REBIRTH』など数多くの日本産ゲームが入賞を果たした。本作もそうした作品の一つだが、賞レースに乗りにくいダウンロードコンテンツであったことは特異だった。それだけ支持の強い作品だったのだ。開発会社のフロムソフトウェアはアワードの常連となっている。これからの展開も楽しみだ。
3 セマーン・ペトラ《About their distance》「都市にひそむミエナイモノ展」2023年12月15日(金)~2024年3月10日(日)、SusHi Tech Square:都市の間隙とサブカルチャー
ハンガリー出身のアーティストであるセマーン・ペトラは映像やインスタレーション、ゲームといった媒体を用いて、自身と架空の世界そして都市空間の関わり方を時にクィアな観点から描いてきた。本作が展示されたSusHi Tech Squareは欧米圏からのサイバーな日本というイメージを引き受けつつ発信するような施設だ。展示をみるとゲームとアートの接点を探るような作品も少なくない。今後の展開に注目したい。
4 藤嶋咲子個展「WRONG HERO」2024年10月19日(土)~27日(日)、9s Gallery by TRiCERA:アートとゲームとジェンダー
藤嶋咲子はバーチャルな空間を絵画として描くと同時に、メタバース上の空間でデモを行うパフォーマンスを行ってきていた。そんな藤嶋による「WRONG HERO」はジェンダーをめぐる2Dゲーム、それをベースにした3Dゲーム、そしてキャラクターの絵画作品とジェンダー差別の体験にまつわる映像作品からなるインスタレーションであった。ゲームとアートの境界でジェンダーが扱われることはとても興味深い。
5 90年代~00年代調の3Dグラフィック:様式になりゆく記憶
PS1やPS2の時代を想起させる、粗いポリゴンに低解像度テクスチャというスタイルのゲームが盛んになっている。PS2のグラフィックに写真を変換するアプリがSNS上で話題にもなったこともあった。それはもはや古いものではなく一つの様式になったのだ。またこの様式は特定のゲームと結びつくこともある。特にホラー分野では『サイレントヒル2』(2001年)がオマージュされてきたが、そのリメイク版が発売されたのも2024年だった。
近藤 銀河(こんどう・ぎんが)
アーティスト、美術史家、パンセクシュアル。1992年生まれ。中学の頃にME/CFSという病気を発症、以降車いすで生活。主に現代から見てレズビアン的と見える西洋美術の研究するかたわら、ゲームエンジンやCGを用いセクシュアリティをテーマにした作品を発表する。ライターとして雑誌『現代思想』『SFマガジン』『文藝』、書籍『『シン・エヴァンゲリオン』を読み解く』(河出書房新社、2021年)、『われらはすでに共にある──反トランス差別ブックレット』(現代書館、2023年)、『SF作家はこう考える──反創作世界の最前線をたずねて』(Kaguya Books、2024年)など寄稿多数。単著に『フェミニスト、ゲームやってる』(晶文社、2024年)。
[谷口暁彦氏のトピック解題]
1 ウェブサイト「THE PHOTOGRAPHER’S GUIDE TO LOS SANTOS」:ゲーム内写真の実践と批評
『グランド・セフト・オートV』(2013年)というオープンワールドゲームを舞台にした、ゲーム内写真(in-game photography)の実践と批評のプロジェクト。写真撮影のノウハウや、スクリプトなどを介した改造方法、どのような視点でゲーム内を撮影するかといったツアーガイドなどがまとめられている。キュレターのマルコ・デ・ムティスとIULM大学准教授のマテオ・ビタンティが企画。
https://gta5.photography/artworks
2 ファンタジーコンソール:小さなゲームエンジン
PICO-8という、ドット絵によるレトロなゲームエンジンを開発したジョセフ・ホワイトが提唱した概念。ファンタジーのように、過去に実在していない古いコンピュータやゲーム機を想像し、それをエミュレーションしたゲームエンジンだ。解像度や色数が制限されるからこそ独特な魅力を生み出している。最近登場した「Bitsy」「Decker」などのゲームエンジンもファンタジーコンソールの一種といえる。
3 3Dプリンタ「A1 mini」:安価かつ高性能で人気
2023年秋にBambu Labから発売された小型で安価な3Dプリンタ。Bambu Labは、民生用3Dプリンタとして初めて実用的な多色印刷システム「AMS」や、高度なキャリブレーションによる高速で高精度な印刷を可能にし、これまでの民生用3Dプリンタとは一線を画す性能を実現している。特にこの「A1 mini」は、3万円ほどの価格、コンパクトで動作も静かで、家電製品のように家庭に置ける入門機として高い人気を博している。
4 プリント基板の普及:キーボード自作の影響
近年、パソコンのキーボードを自作することが流行し、個人でプリント基板を制作するノウハウがインターネット上で広く共有されるようになった。キースイッチは基板上に直接実装されるため、オリジナルのレイアウトのキーボードをつくるということはオリジナルの基板をつくることなのだ。中国深圳の基板製造メーカー、JLCPCBなど、小ロットで低価格の基板製造サービスの普及もプリント基板の自作を後押ししている。
5 橋本麦による記事「Making of “Kindolphin”」2024年5月6日:消えゆく表現
group_inouとAC部のミュージックビデオ作品『HAPPENING』のウェブアプリ「Kindolphin」の制作を行った橋本麦によるメイキング記事。前半ではKindolphinの制作について紹介しているが、後半は一転してモーショングラフィック、インタラクティブ広告などについての自分史の語りになっていく。ある時代の表現が失われたり忘れられつつある現在のリアリティを感じる。
https://baku89.com/making-of/kindolphin
谷口 暁彦(たにぐち・あきひこ)
メディアアーティスト、多摩美術大学准教授。メディアアート、ネットアート、映像、彫刻など、さまざまな形態で作品を発表している。主な展覧会に「[インターネット アート これから]──ポスト・インターネットのリアリティ」(NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]、2012年)、「SeMA Biennale Mediacity Seoul 2016」(ソウル市立美術館、2016年)、個展に「滲み出る板」(GALLERY MIDORI.SO、東京、2015年)、「超・いま・ここ」(CALM & PUNK GALLERY、東京、2017年)など。企画展「イン・ア・ゲームスケープ:ヴィデオ・ゲームの風景、リアリティ、物語、自我」(ICC、2018~2019年)にて共同キュレ―ターを務める。
[土佐信道氏のトピック解題]
1 「しんばし×アキバ カコ↓イマ↑ミライ展関連企画 シャッターゴルフの世界展」2024年1月19日(金)~31日(日)、ニュー新橋ビル3階、ラジオセンター1階:ChatGPTを活用した展覧会
明和電機考案による新型スポーツ。日本に増えつつあるシャッター街を巨大な鉄板でできたゴルフのコースと見立て、磁石の円盤を投げてコースを回る。途中、「ブロッカー」とよぶ電動の邪魔をする装着をよけつつゴールを目指す。展覧会ではニュー新橋ビル3階および秋葉原のラジオセンターのシャッター街にシャッターゴルフ場をつくった。このシャッターゴルフの創始者の物語やロゴマークなどの創作は、ChatGPTを活用して行われた。
2 ChatGPT:人間らしい対話ができる生成AI
ChatGPTは、人工知能(AI)を活用した会話型プログラム。自然な文章で質問に答え、アイデアを提案し、学習や仕事をサポート。文章作成、情報提供、問題解決など多彩な用途に対応。教育やビジネス、趣味の領域で利用可能。自然言語処理技術により、複雑な話題にも対応し、人間らしい対話を実現。簡単に利用でき、幅広いニーズに応えるツールとして注目される。最新情報や専門性を要する場合はインターネット検索が必要。多くの場面で役立つ、便利で革新的な存在。
3 「SUSHI BEAT」:楽器のようなおもしろさをもつ、音楽の再生メディア
寿司型電子楽器。本体は上部グラフィカルな「ネタ」、音の出る回路の「オト」、回路を収める「シャリ」からできている。ネタを押すと録音された音声がループし、異なるネタを押すことでDJプレイができる。ミュージシャンとのコラボモデルも多数。
4 「明和電機ナンセンスマシーン展 in 沖縄」2024年7月13日(土)~9月16日(月・祝)、沖縄県立博物館・美術館(おきみゅー):これまでの活動を展観した展覧会
2024年の夏、沖縄県立博物館美術館で開催された明和電機の大規模展覧会。展示では社長・土佐信道の中学時代の絵画から始まり、「魚器シリーズ」「ツクバシーズ」「EDELWEISSシリーズ」「ボイスメカニクスシリーズ」などのナンセンスマシーンを年代ごとに展示、また近年取り組んでいる「トイ」「コンテナ」という新しいプロジェクトも展示。まさに過去、現在、未来にわたる「生きながらにしての大回顧展」といえる展覧会。
5 《UME BOX》:スーツケースサイズのコンテナ二つに収めたライブセット
明和電機社長の一人全国ツアーのために開発されたコンテナ収納型ライブセット。ドラム、ベース、ギター、ピアニカというバンドのような自動楽器、ダンスロボット、指パッチンモクギョ、そしてキャラクター「サバオ」などをスーツケースほどのサイズのコンテナ二つにコンパクトに収納。このUME BOXがあればどこでも明和電機のパフォーマンスを披露できる。ツアーではこのUME BOXを軽自動車に詰め込み、社長一人で運搬から楽器設営、PA、照明、撤収などを行い、47都道府県をまわる。
土佐 信道(とさ・のぶみち)
明和電機代表取締役社長。1967年、兵庫県生まれ。1992年、筑波大学大学院芸術研究科修士課程修了。1993年に兄・正道とともに芸術ユニット「明和電機」を結成し、代表取締役副社長に就任。さまざまなナンセンスマシーンを開発しライブや展覧会など、国内外で広く発表する。2001年、前社長・正道の定年退職に伴い代表取締役社長に就任。2009年、音符の形の電子楽器「オタマトーン」の商品開発。2022年、「明和電機ミュージックマシーン店」を秋葉原にオープン。2023年には明和電機としてデビュー30周年を迎えた。
※インタビュー日:2024年12月4日
※URLは2025年2月27日にリンクを確認済み
>メディアアート+ゲーム特別座談会 近藤銀河×谷口暁彦×土佐信道(明和電機) ゲームから考えるジェンダーと広がりつつある「自作」の幅[後編]