竹内 美帆
マンガ研究、美術教育に携わる竹内美帆氏が、日本のマンガ教育の現在を大学教員へのインタビューで紹介するシリーズ。今回はマンガを教育に早くから位置づけ、2026年には新たにキャラクターデザイン学科を設立する京都精華大学を取材します。マンガ学部の設置に関わり、現在は学校法人京都精華大学の理事長もつとめる吉村和真氏と、同大学の卒業生で、現在キャラクターデザインコースを教える小川剛氏に話を聞きました。
連載目次

――京都精華大学といえば、マンガ学科をはじめにつくった、そして現在でも日本で唯一のマンガ学部を有する大学ですが、どのような経緯でマンガ学部が設立されたか教えていただけますか。
吉村 京都精華大学は、もともと1968年に京都精華短期大学として開学しています。建学理念は「自由自治」「人間尊重」の二つです。最初は英語英文科と美術科からでしたが、「人文」と「芸術」の二つを一緒に持っていることが、単なる芸大でも文系の大学でもない、京都精華大学の最大の特徴となります。それは頭の中や机上だけでなく、自らの表現行為を通じて、他者や世間に働きかけ、社会や世界、人間を変えていくことが志向されていたことの表れといえます。
こちらの絵は、マンガ家・こうの史代さんへ個人的に依頼して2021年に描いていただいた「自由の学び舎」というタイトルの水彩画で、うちの大学の理念を象徴するような作品です。実際に大学内の風景を描いてもらっているのですが、『夕凪の街』(2003年)や『この世界の片隅に』(2007~2009年)など、こうのさんの作品の登場人物たちが、もしもあの戦争がなかったら、大学で好きなことを自由に学んでいたら……という理想郷のような場所として描かれています。

大学の沿革に話を戻しますが、1973年に美術科デザインコースのなかにマンガクラスができたのが、マンガ教育のはじまりです。ただ、この段階では、マンガというのはいわゆる政治風刺マンガとか、あとはイラストに近いものがイメージされていたわけです。しかし、1980年代には手塚治虫先生にも講演してもらっていて、ストーリーマンガも視野に入れたマンガの教育がようやく始まる兆しがありました。
1979年に短期大学から4年制の大学へと移行するのですが、そこから結構時間が経った2000年に芸術学部マンガ学科を設置しました。そこで、カートゥーンコースとストーリーマンガコースの二つをつくることになったのです。そのカリキュラムを構築する際に、実技系の科目だけではなくて理論系、しかも京都精華大学が大切にしてきたリベラルアーツの科目も体系化する必要が出てきました。そこで新たに、学問や研究の対象としてのマンガが持つ可能性や課題を考えていくための場所や人材がいるだろうということで、2001年に表現研究機構が設立されました。そこでは文字とマンガと映像の三つの研究所が併設されましたが、その一つであるマンガ文化研究所に僕が着任するのです。
――そこでマンガ学部の設立や日本マンガ学会の設立にご尽力されるわけですね。
吉村 着任した直後、僕が業務として最初に着手したことは、マンガ学会をつくることでしたが、そこに至るまでにさまざまな経緯というか苦労もありました。着任する前年の2000年5月に、立命館大学で「学術的まんが研究シンポジウム─内と外との対話─」を開催しました。ジャクリーヌ・ベルントさん(現・ストックホルム大学教授)と僕が主体になって企画しましたが、ちょうどその年、京都精華大にマンガ学科ができた年だったのです。だから牧野圭一さん(のちに京都精華大学マンガ学部初代学部長)なども一緒になって、マンガ学会というものをつくるためには何が必要なのか、皆さんはどういう思いがあるかを、2日間にわたるシンポジウムの最後のセッションでやったのです。そのときにかなりいろいろな意見が出ましたが、当時は「マンガ学会なんかいらない」という声も多かったですね。「マンガに学会は似つかわしくない」と。
――マンガ領域に関わる人からも、そういう意見があったのですか。
吉村 そうです。それは、マンガが何か体制側に取り込まれるのではないかとか、マンガの活力が失われるのではないかとか、そもそもマンガを研究するというのが評論との区別も含めてよくわからないとか、いろいろな意見がありました。けれども、そういう意見を交わすためにも学会は有用だということと、その立命館でのシンポジウムで初めて、著名なマンガの評論家たちも一堂に会していろいろな議論をしたときに、とても熱がこもっていたのです。いろんな意見もありますが、その熱自体がすごく大切だということを多くの人が感じてくれたようです。結果的に、あの場に立ち会い、その熱が持続した雰囲気にも後押しされるなかで、2001年4月にマンガ文化研究所に僕が着任して、7月には日本マンガ学会の設立大会を実施しました。
――すごいスピードですね!
吉村 3カ月で、文字通りブルドーザーのように働いたんですよ(笑)。僕がマンガ学会の理事就任をお願いするときに、マンガ評論家の村上知彦さんや米澤嘉博さんからは「問われるのはマンガではなく学会の方だというくらいの気概で臨むべき」と言われました。既存のアカデミズムが、どうやらもう硬直化して、おもしろくない。アカデミズムの必要性や有用性を根本的に問い直すためには、むしろマンガの側からそうした現状を変えていくんだという意志が、日本マンガ学会の設立趣意書でも表明されています。

とにかくマンガを研究対象にするとか大学で教育するとか、それを本質的に考えようとするときには、それが当たり前ではないという背景やそれを乗り越えようとする出発点があった事実をちゃんと覚えておかなければならない。実はそれはマンガ学会だけでなく、京都精華大学のマンガ学部をつくる上でも意識しておかなければならないことでした。
――吉村さんは、2006年11月の京都国際マンガミュージアムの設立にも大きく携わられていますね。
吉村 順に説明すると、マンガを研究する人たちの交流の場として学会をつくりました。そして研究をするためには先行研究を整理していく必要がありますが、そのための資料はまだまだ体系的に収集されていなかった。ではそういう場所をつくるために、マンガ研究のための資料館みたいなものを最初はイメージしていたのです。2003年に京都国際マンガミュージアムの基本構想を書いたのですが、マンガだからやはり展示部門が必要だとか、これからマンガ学部をつくっていこうとするならば、描く人たちの活躍の場をどうやって広げるかとか、社会とつなぐための道筋とか産学連携の機能を持たせようとか、そういう観点を盛り込みました。今日は時間も限られるので、もうマンガミュージアムの成り立ちには踏み込みませんが、いろいろな紆余曲折がありながら、京都市と京都精華大学の共同事業としてオープンしました。2006年4月にマンガ学部が開設していますが、文科省への届け出が必要なので2004年には手続きをしていたはずで、つまりこの頃は、マンガ学部とマンガミュージアムの仕事が同時並行的に進んでいたことになりますね。
――さまざまな思いをのせたマンガミュージアムの設立、マンガ学部の開設だったわけですね。その2006年に、マンガ学部(マンガ学科・マンガプロデュース学科・アニメーション学科)が開設されますね。マンガ学科とマンガプロデュース学科を分けた背景とは何でしたか。
吉村 マンガを描くクリエイターを目指す人を育てる学科がマンガ学科だとすれば、マンガプロデュース学科では、編集者とか原作者とか評論家とか、マンガ家ではない、周辺のクリエーションに関わる人たちを育てることをイメージしていました。ところがそれは絶対数もそれほど多いわけでもないし、就職先のことでもちょっと出詰まってしまったわけですね。それでマンガプロデュース学科は2013年度からマンガ学科内のコースになり、残念ながら2017年にはそのコースも募集停止しました。ところが、これは今日の後半に話そうと思いますが、これからの新しい学部改変にもこのマンガプロデュースに本来期待された要素が関わってくることになります。
――小川さんは、いつ頃京都精華大学に入学されたのでしょうか? その頃のお話を学生の視点から教えてください。
小川 僕はちょうど2000年のマンガ学科ができた年に、一期生として入学しました。その時はカートゥーンコースに在籍していました。自分が大学を受けるときに、絵を描きたいから芸大を受験しようと考えていました。その時、京都精華大学が「とにかくたくさん絵を描きます」といううたい文句を出していて。そのときはまだ美術学科デザインコースのマンガクラスだったので、「大学でマンガって、大丈夫?」という感覚もありました。でも、デザインも名前についているから、就活時には問題ないかなと。そしたら、僕が入学する年にマンガ学科になってしまって(笑)。だけれども、もう受験対策もしているし、そのままカートゥーンコースを受けたのです。マンガはもちろん好きでしたしシンパシーはありましたが、マンガを学ぶというより絵がうまくなりたい気持ちのほうが強かったです。
――ファインアートというか、絵画ではなくて、イラストに近いものを描きたかったということですか。
小川 高校は理系だったので、芸術系大学を受けるとなったときに、専門性の高い洋画、日本画、彫刻といった分野が選べなかったんです。カートゥーンのことはあまりわかっていないまま、カリキュラムで基礎をしっかりやる、とにかく絵をたくさん描かされるという、入ってから力を伸ばせる点に親和性を感じて選びました。
――学生時代はどのような授業を受けましたか。
小川 一コマの風刺マンガとかユーモアイラストを主に学んでいました。「ペン(マンガ)は剣よりも強しだから弱者の立場を大切に誇張と省略で本質を突け」みたいなことを言われたり、とにかくクロッキーをいっぱいしよう!と夏休みに500枚描いたり、毎日動物園に行って絵を描いたり……。一方、当時ストーリーマンガコースとカートゥーンコースは同じ建物にあって、時々ストーリーマンガの方をのぞきに行ったりすると、花形だな〜って感じがありました。実際に竹宮惠子さんが授業をしているんですよね。「本当にマンガ教育をしているな」というのは肌で感じていましたね。開放感がある教室も特徴的だったので、取材もたくさん来ていました。
吉村 ストーリーマンガコースの実習室はつくりが大きいうえ壁がないのですよ。そういう開放的で自由な雰囲気も含めて、カートゥーンと空気感が違っていました。

――そうした環境のなかで学びながら、小川さんは卒業した後に新しく設立された京都国際マンガミュージアムで働かれました。そのあたりの経緯を教えてください。
小川 学部を卒業して大学院の修士課程に入りましたが、その頃から時々、マンガでイベントをやるときに似顔絵の出張に行ったり、マンガの作画教室を公民館や図書館で行ったりといったことを、ちょこちょこやらせてもらっていたんです。そうしたら、上田修三さん(京都国際マンガミュージアム初代事務局長)から「小川くん、マンガミュージアムというのができるから、手伝う?」と言われて。最初はてっきりマンガの資料を運ぶ雑用係みたいなものを想像していたのですが、聞けばどうやらスタッフとして働かせてもらえるようで、ぜひぜひ、と言ってお受けしました。
吉村 マンガミュージアムのオープニングスタッフに、京都精華大の学生が3人入ってくれました。その一人に、当時ワークショップを担当していた久保直子さん(現・比治山大学短期大学部美術科講師)もいました。マンガ学科で学んだ技術をどうやって生かすか、教育の実践の場がマンガミュージアムですから、まさしくそれを体現できるような人たちが最初からいてくれたことは貴重でしたね。
――確かに、マンガ学科や学部があったとしても、「マンガ家になれなかったら就職はどうするの?」となってしまいますものね。
吉村 その責任をすごく感じていました。「マンガ学部に行って就職できるの?」とか、「マンガ学会って大丈夫?」としばしば言われてきたので、それが頭に焼き付いているんですよ。「大丈夫です」と言うからには何か実績をつくらなければという焦りもあったと思います。なので、学生たちの就職先をつくりたかったことも、マンガミュージアムを設立した一つの動機でもあります。うーん、話しながら思ったけれども、何だか経営者みたいで、理事長になったのが不思議ではないような気がしてきました(笑)。
小川 学生だった立場から、マンガミュージアムで働いた経験を振り返れば、僕にとってマンガミュージアムは、もう1個学校にいったような感覚なんです。実作の経験しかしていない立場の人間が、研究者に会うわけですよ。いろんなことを見事に言葉で説明してくれたり、描かないのにすごくマンガのことに詳しかったりと、初めての人種に会う感じだった。ミュージアムなので毎月のようにイベントでゲストが来て、さまざまなテーマで講演会があるのですが、その都度、知らないことをたくさん学ぶことができて、そういうのはすごくおもしろかったですし、楽しかったなと。
吉村 僕にとってもその時期はいろんな情報や知識をインプットしまくりました。常駐のスタッフだけでなく、月に1回、研究顧問としてマンガ研究者・収集家の清水勲さんと現代マンガ図書館館長の内記稔夫さんと評論家の呉智英さんの御三方に来てもらい、M(えむ)研と呼ばれる会議を開いていました。これがとにかく密度が濃かった。その3人が、それぞれの専門からいろいろなアドバイスをくれるわけですよ。時に熱く、時に厳しく。こんなに恵まれた時間はなかったと今にしてみたらわかるよね。同じ初期メンバーだった伊藤遊さん(京都精華大学国際マンガ研究センター教授)や倉持佳代子さん(京都国際マンガミュージアム学芸員)たちともよく思い出話をするんですが、あのころはちょっとすごかったと。
――ではやはり、実作者と研究者の交流が、実際にミュージアムの中でも行われていたのですね。
吉村 はい。それが最初に言った「人文」と「芸術」という京都精華大学の理念を表しているわけですよ。人文の方に寄っているのだけれども芸術にも関心を持っている僕らと、芸術に足場を置きながら人文のことを仕事としてインプットしなければいけなかった皆さんが一緒になることで、初めて生まれるおもしろいことがたくさんあったと思いますね。
小川 僕は当時肩書きとしては「ワークショップ企画担当」だったのですが、これも今だから言えることかもしれないのですが、スタッフの名刺のデザインを僕が全部担当した際に、自分は「研究員」とは名乗れなかった。「職員」と書いても微妙なので、勝手に「ワークショップ企画担当」と書いたんです。ミュージアムなので、マンガというものをいろいろな角度で来る人に説明しないといけない。そのときに、自分はつくり手の立場が根っこにあるので、その立場を生かして作画のワークショップをつくったり、展示をつくったりをちょっとずつ試していったというか。自分にできることをやっていこうという意識でした。
吉村 適材適所で、いいチームワークでした。大体、大きなプロジェクトがあるとき、初期メンバーはその目標に向かってみんなが一丸となる分、人間関係も密度が濃いわけですよ。でも、組織というのは時間が経てば制度化されていくので、初期メンバーが10年、20年と過ぎるなかで緩やかに減っていくときにどうするのかが課題になります。その意味で京都精華大学においては、マンガの教育や研究の流れが2周目か3周目かに入っていると個人的には思います。そこが他のマンガを扱う教育現場や研究機関と比べておもしろいところだろうし、難しいところでもあると思います。

――小川さんはその後、2021年に京都精華大学マンガ学部キャラクターデザインコースの教員として着任されるわけですね。京都国際マンガミュージアムでスタッフとして働かれてから、京都精華大学の教員になるまでのお話を教えてください。
小川 2013年度までマンガミュージアムで働いて、その年の4月に熊本の崇城大学へ移りました。そこには芸術学部デザイン学科の中にマンガ表現コースが新設され、そこへ着任したわけです。もちろんマンガミュージアムのお仕事もすごく楽しかったし、やりがいもあったので悩んだんですけれど。結果的には、新しい場所でマンガ教育を立ち上げるということ、そして新しいマンガミュージアム(合志マンガミュージアムにつながる)の構想が熊本にあったことも決め手となりました。
吉村 小川さんの前にも、京都国際マンガミュージアムの研究員をしていた表智之さん(北九州市漫画ミュージアム専門研究員)に、北九州市に新しいマンガミュージアムができるということで、そちらに異動してもらいました。信頼できるスタッフを外部に手放してしまうことについては、内部から「何を考えているんだ!」とよく言われたけれども、僕としては、その人が仕事をしっかりやってくれ、いずれその成果をこちらにも還元してくれると信頼しているから、自信をもって送り出しているわけです。
――京都精華大やマンガミュージアムのノウハウを他の施設へ伝えていく役割ですか。
吉村 そうです。どうせ人間一人ではたかが知れているから、マンガの教育、研究、文化を支えるためのネットワークをつくれたらと考えていました。
――小川さんは崇城大学ではどのような教育に携わっておられたのでしょうか。
小川 崇城大学はデザイン学科40人のうち、10~15人くらいのマンガに興味のある学生を受け入れていたので、本当に手厚く、丁寧に指導できました。マンガ表現コースといっても縦割りになっておらず、常にデザイン、美術の全体が見渡せるとてもいい環境でした。僕にとってもう一つ良かった点は、デザインの中に放り込まれたことで、デザインのことをちゃんと学べたことでした。マンガ表現を写真や文字、ロゴマークなど情報を伝える手段として捉え、デザインを構成する要素として一緒に考えることができましたし、さらに熊本の地域×デザインというキーワードで授業をつくっておられる先生がいて、それが僕にとってはめちゃくちゃおもしろかったです。
吉村 小川さんのためのようなカリキュラムだな。
小川 そうなんです。だから、デザイン思考とは何ぞやとか、地域の課題や魅力をデザイン的なアプローチでどのように収集し、どのように改善しうるのかを、授業をしながら、横で専門の先生がいらっしゃるのでその話を聞きながら学べる状態だった。地域資源としてデザインがどう関わり、役立っているのかとか、ノウハウや蓄積がすごくあって。その応用としてマンガに何ができるんだろうって、考えながら、学生と一緒にプロジェクトを走らせることができたんです。とてもいい環境でした。
――ではすごく充実した学びの時間にもなったのですね。
小川 崇城大学に行って、またひとつ大学に行かせてもらったなと思いました。そして振り返ったら、マンガミュージアムで働いた経験もそうだったな、と。
よく精華に戻ってきてくれたと言われるのですが、実はキャラクターデザインコースに入ったことは、戻ってきたという感覚はないんです。たしかに母校ですし知っている人もいて支えていただいていますが、学生でいた頃と比べたら違う大学でした。キャラクターデザインには、自分の興味関心もあるし、可能性は感じていますが、わからないこととかまだ見えていない部分もいっぱいあると感じています。

吉村 和真(よしむら・かずま)
京都精華大学マンガ学部教授、学校法人京都精華大学理事長。1971年、福岡県生まれ。2001年に京都精華大学入職。専門は思想史・マンガ研究。「マンガを読む」という行為が日常になるまでの歴史と、その行為が人間の思想や価値観にもたらす影響を多面的に研究している。近年は、これまでの研究成果を社会還元すべく、省庁の各種委員や自治体のアドバイザーを務めるほか、産官学連携や執筆・講演活動を積極的に展開中。かつても現在も、毎日の食事のようにマンガを読んでいる。
小川 剛(おがわ・つよし)
京都精華大学マンガ学部キャラクターデザインコース准教授。マンガの学芸員としてマンガの制作過程に迫る展覧会やイベントに関心があり、展覧会企画や文化施設設立に携わる。教育面では、国内外にて体験型ワークショップやマンガ文化のレクチャーに登壇。また「マンガ表現×デザイン」をキーワードに企業・自治体から依頼を受け、イラストレーションやキャラクターデザイン、パッケージデザイン等も制作する。
information
京都精華大学 マンガ学部
https://www.kyoto-seika.ac.jp/edu/manga/
京都市左京区岩倉木野町137
※インタビュー日:2025年7月24日
※URLは2026年1月7日にリンクを確認済み