竹内 美帆
マンガ研究、美術教育に携わる竹内美帆氏が、日本のマンガ教育の現在を大学教員へのインタビューで紹介するシリーズ。今回は東京工芸大学芸術学部を取材します。写真、映像、デザイン、インタラクティブメディア、アニメーション、ゲーム、そしてマンガといったメディア芸術を専門に学べる学部として特異な存在の東京工芸大学。同大学のマンガ学科で2016年より教鞭をとる評論家で教授の伊藤剛氏と、同氏の授業を受けたマンガ学科の卒業生で、今はキャラクターイラストの科目を助教として担当するマンガ家のヨゲンメ氏に話を聞きました。
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東京工芸大学にマンガ学科が設立されたのは2007年。関東エリアでは初の専門学科の設立であった。沿革をたどれば、現在のコニカミノルタ株式会社となる小西本店が、小西写真専門学校を1923年に設立したことから始まった本大学では、映像やデザインを加えた芸術学部が90年代に開設。文化庁のメディア芸術祭(1997年開始)や文化芸術基本法(2001年制定)とほぼ同時期である1998年には、大学院にメディアアート専攻も誕生。ファイン・アートの領域ではなく、写真や映像など複製芸術のみを扱い、現在ではアニメーションやゲーム、インタラクティブメディアなども含めた「メディア芸術」に特化した芸術系大学である点と、早い時期からマンガ学科を設立している点で特色がある。
――東京工芸大学のマンガ学科における「マンガ」は、何を範囲として含めていますか。
伊藤 おおむねストーリーマンガを指していますが、風刺マンガ(カートゥーン)も含めています。2012年ぐらいからは、いわゆるキャラクターイラストを志向する受験生が増えています。キャラクターイラストというカテゴリは学科創立当初にはなかったんですね。最近の比率でいうと、全体の3~4割くらいがイラスト志向ですね。
例年70人程度の学生が入学しますが、入学時のコース専攻ではイラストをやりたい学生もマンガをやりたい学生も分かれずに一緒なのが本学科の特徴です。京都精華大学や京都芸術大学では学科やコース専攻が入学時から分かれていますが、うちは分けていないんです。演習授業でも、イラスト・ストーリーマンガの双方を履修します。
――授業は具体的にはどのようなものをやられているのでしょうか。
伊藤 自分の作品を制作するというのがまずベースにあります。ストーリーマンガの授業では、入学するとまず実際にマンガを描くところから開始します。1年生でいきなり描いてもらいます。
作画の基本的な技術を一通り学んでから、さあマンガを描きましょう、っていうのではうまくいかないんです。マンガは、一つひとつの技術の習得は相対的に軽いんですよ。一方、それら技術一つひとつを組み合わせて、全体のバランスを見ながら総合することがマンガの創作では最も重要なので。ひとまとまりのマンガを描きながら技術を習得してもらうというのが最適なんですね。
――1年生のうちからどんどんマンガを描いていくんですね。
伊藤 制作演習という、ひたすら自分のマンガを描く授業があります。それとは別に、ストーリー演習とかマンガ基礎演習といった、個別の作画の技術などを演習形式で学んでいく形の授業があります。また、学生一人ひとりがオリジナルのキャラをつくり、グループをつくってそのメンバーが描いたキャラのグループを登場人物とするマンガを描く……というグループワークもやっています。1年生からいきなりマンガを描くは描くのですが、ステップは踏んでいるわけですね。学生にもよりますが、3年の制作になってあらためて自分の作品を描くというふうに意識が変わる人もいますね。
ヨゲンメ ただ、課題以外でもマンガ制作に没頭している学生はたくさんいますね。出版社に投稿している学生も多いですし、一年生の時点で担当編集者がついている、なんてこともあります。
――授業の制作ではデジタルで描くかアナログで描くかは指定しているのですか。
ヨゲンメ 私の場合、1年生のうち前期の授業ではデジタルとアナログは指定していないです。後期の授業ではCLIP STUDIO PAINTというデジタルのソフトの習得に重きをおいていますが、まずはキャラクターデザインとキャラクターイラストの基本的な技法を学んでもらいたいので、1年生のうちはデジタルとアナログは同列に考えています。
伊藤 学外の方からは、私はマンガ批評や研究だけを教えていると思われるようですが、学部ではストーリーマンガの実作を主に担当しています。ストーリーマンガをみなさん描いているんです。2年生では基礎演習を担当していて、便宜上「コマわり」と呼んでいますが、それを使ってストーリーを構築・演出をしていく基本になると思われることを、演習でじっくりやっています。一般にマンガは「絵かシナリオか」と考えられがちですけれども、その間の「コマの連続と並置でどう語るか」がいかに重要かということと、そこにはどういう技術があるのか、ということを実習で取り上げています。短いシナリオを渡してそれを1ページから4ページぐらいのネームに起こすことをほぼ毎回やっています。
一つ例をあげると、学生さんは「回想シーン」を好んで使おうとします。でも、それが「回想シーン」ですよと読者が了解できるような仕組み、約束ごとはわかっていないことが多い。漠然と過去っぽいことが描かれていることを指して、みんな「回想」と呼んでしまうんだけど、登場人物が過去の出来事についてほかの登場人物に対して語っているものもあるでしょう。これは「回想」じゃないですよね。このようなことを整理して、では登場人物の記憶を示す「回想」とはどういうものなのか。あるコマから先は「物語内の過去の記憶」で、さらにあるコマから先は「物語内の現在」であると示すルールはこうですよみたいな話をします。
――1時間の中でマンガの1ページが完成するんですか。
伊藤 一回の演習で2~4ページを描いてもらっています。演習は2コマ続きです。前半がもっぱら解説で、後半で実際に描いてもらって。できるだけ家に持ち帰らないスタイルです。それぞれの授業の課題がほかにもたくさんあってたいへんですからね。学生さんには「この授業は予備校みたいなもんだと思って」と言っています。それこそ、コマで物語を物語ることというのは、感情や認識の形式化なんですよ。「マンガとは感情の形式化である」とスローガン化してもいい。だとすると私の授業は、共通テストの国語の選択肢だけ読んで正解出せるぐらいのチート技ではあるよって言っています。半分嘘なんですけどね(笑)。
――カリキュラムのなかには、実作系だけでなく、マンガ史やマンガ理論など理論系の授業もありますね。このような理論系の授業については、学生はどのように受け取っているのでしょうか。
伊藤 一般に、マンガを描きたくて来ている学生たちには、いわゆる理論系の授業への関心は持たれにくいですね。ただそれも時代につれて変化してきています。私はマンガ史も担当していますが、授業コメントなどを見ていると、明らかにここ数年反応が変わってきているのは確かです。これはいろんな要因が考えられるでしょうが、マンガの社会的プレゼンスの向上があると考えています。新入生向けのガイダンス的な授業で、マンガ学科で学ぶ心構えみたいなことをいうのですが、「マンガ家として成功するともう世界的文化人ですよ」っていう話はしています。例えば、『進撃の巨人』の連載が終わった諫山創のところに、『ニューヨーク・タイムズ』のインタビュアーが来ました、と。「君たち成功すると『ニューヨーク・タイムズ』に答えることになるかもしれないよ」と言っています。しかも作品を深く読み込んだ人が来る、と。マンガ作品が高く評価されるっていうのはそういうことだし、マンガが「この世界」に対する優れた解釈だと見なされているということです。であれば、マンガ家は物事をよく考え、自分と自分の表現について深く理解している人物だろうと期待されるということです。それこそ、いきなり「あなたはパレスチナについてどう考えますか」等と聞かれる可能性だって高い。そういういう話を最近はしています。
――もうマンガ家になることがゴールではなく、その先を考えなければならない。文化的社会人としての自覚を持つというか。
伊藤 その先までいける人は日本代表クラスなので、そんなにいないわけですけど、マンガ家やマンガの社会的なプレゼンスが上がるってそういうことなんですよ。「僕はおもしろいマンガを描くために、読者のことだけを考えてただひたすら頑張っていて、それ以外のことは考えられません」という態度では、許してもらえない場面がいろいろある。
もう一つ学生に言っているのは、みなさんは、マンガ学科を卒業してマンガ家に首尾よくなったとすると、「あなたはマンガの大学を出たんだからマンガ全般について詳しいでしょ」と思われる。それは一生ついて回るよ、と。
――伊藤先生は大英博物館でのマンガ展1にも関わっていらっしゃいましたが、大英博物館でマンガの展示が行われることに象徴されるように、世界的にマンガの文化的価値が認められてきていることとも連続している話ですよね。
伊藤 裏を返すと、これまでの30~40年間は、ストーリーマンガを描いているマンガ家にとってすごく幸福な時間だったと思うんです。ただひたすら読者をエンターテインすることを考えて、さらに自分の表現を追求していけばよかった。ほかのジャンルで考えれば、そんな環境は恵まれていたと思うんですよ。それは日本語圏にほぼ限定されていて、世代的にも均質な、それでいて肥沃な市場があったからですよね。例えば現代美術なら、出資者を募るとか、他者に対してプレゼンしたり、常に他者に向けて言葉を発していかなきゃいけない。マンガは、ものすごく幸せな状態にあったんだけど、残念ながら時代が変化しましたので皆さん教養をつけましょうね、という話はしています。
――ここ数十年で、マンガ研究だったり、マンガの展覧会だったりが短いスパンで急成長して広まっていったという背景があり、大学でマンガを教えることの内実もすごく変化することになったのではないかと思いますが、どうお考えですか。
伊藤 今、マンガ学部やマンガ学科自体が世代交代の時期に来ていると思うんですね。京都精華大学でも学長を務めた竹宮惠子さんがお辞めになったり、いろんな方が定年を迎えられる一方、元学生の方が教員になられています。本学科も、ヨゲンメ先生に代表されるように、新しい人が入ってきている。新しい世代の先生と、かつての人と何が大きく違うかというと、自分が学生のときに大学にマンガ学部・学科がすでに「あった」世代と、存在していなかった世代なわけですよ。
一方、マンガ学科に対する世間的なイメージもだいぶ変わってきています。例えば、10年前に入試広報活動で高校訪問に行っても、先方の進路指導の先生はたいがい塩対応ですよ。あまりにも反応が悪いので、事務方にも「マンガ学科は高校訪問やっても効果ないから行きません」って言うくらいだった(笑)。マンガやアニメを学びたい学生に対して、進路指導の先生から「ちゃんとした美大へ行きなさい」という指導が入るというのも聞いていて。肌感覚ではあるんですが、そういったことが、2016~17年ぐらいを境に、なぜか急に感じなくなったんですよ。
脚注
伊藤 剛(いとう・ごう)
マンガ評論家、鉱物愛好家、東京工芸大学マンガ学科教授。1967年、名古屋市生まれ。名古屋大学理学部地球科学科岩石学鉱床学講座卒業。日本マンガ学会会員。NTTデータ退社後、浦沢直樹のアシスタント、マンガ家活動を経て文筆の道に入る。著書に『マンガは変わる “マンガ語り”から“マンガ論”へ』(青土社、2007年)、『マンガを読む。』(青土社、2008年)、『鉱物コレクション入門』(共著、築地書館、2008年)、『テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ』(星海社、2014年)など。現在は執筆活動も継続しつつ、大学教員として多くのマンガ家を世に送り出している。
ヨゲンメ
マンガ家、東京工芸大学芸術学部マンガ学科助教。1990年、福井県生まれ。東京工芸大学マンガ学科卒業後、マンガ作品を商業誌に連載し現在に至る。オリジナルのマンガ作品として『キミと死体とボクの解答』(マッグガーデン、2013~2014年)、『稲川さんの恋と怪談』(KADOKAWA、2018年)、『ガレキ!-造形乙女の放課後-』(小学館、2023~2024年)を執筆。バンダイナムコエンターテインメントを原作としたコミカライズ作品『GOD EATER-side by side-』(KADOKAWA、2015~2016年)も手掛ける。
information
東京工芸大学芸術学部マンガ学科
https://www.t-kougei.ac.jp/gakubu/arts/manga/
中野キャンパス 東京都中野区本町2-9-5
※インタビュー日:2024年7月24日
※URLは2024年12月6日にリンクを確認済み