ユー・スギョン
フランス・ストラスブール国立大学図書館(Bibliothèque national et universitaire de Strasbourg)にて、2023年3月17日(金)から6月25日(日)まで「『現実』のコミック、新しい形のジャーナリズム?(La bande dessinée du réel, une nouvelle forme de journalisme?)」展が開催されました。「現実」をベースにし、ジャーナリズムとしても機能するコミック・マンガの役割に注目し、35作品が解説とともに取り上げられた展示の様子をレポートします。
個々の作品やジャンルによって違いはあるが、すべてのコミック・マンガは何らかの形である程度現実とつながっている。コミック・マンガから影響を受ける読者が多いのはもちろんのこと、実話や実存の人物からインスピレーションを得た作品がしばしば話題になるほか、作品のなかで描かれた技術や出来事が実現されることもある。このように、コミック・マンガと現実は切っても切れない関係にあるといえる。
本稿で紹介する「『現実』のコミック1 、新しい形のジャーナリズム?(La bande dessinée du réel, une nouvelle forme de journalisme?)」展(以下、「『現実』のコミック」展)は、この「現実」と「コミック・マンガ」の関係に注目した少し珍しいテーマの展覧会である。1990年代以降、主にフランス語圏では、自伝的要素やドキュメンタリー性のある作品などの誕生により、コミックの形式とテーマの多様性において大きな変化が起こった。本展ではこれらの作品を「現実のコミック(la bande dessinée du réel)」2 と称して一つのジャンルにしている。この「現実のコミック」に注目すべく、世界中で発表されたコミック・マンガ35作品がそれぞれの章に分けられ、解説とともに紹介された。
六つの章で構成された本展の第1章、「創始の物語、グループをつくる(Récits fondateurs, faire école)」は、「現実のコミック」やそれを描く作家に大きな影響を与えた、先駆的といえる作品と作家の紹介から始まる。最初に注目するのは、「自伝的かつ主観的な方法で現実を捉えた」という二つの作品。アメリカのコミック作家、アート・スピーゲルマン(Art Spiegelman)の『マウス(Maus: A Survivor’s Tale)』(1986年:第1巻、1992年:第2巻、1996年:完全版)3 と、日本のマンガ家・中沢啓治の『はだしのゲン』(1973~1987年)である。ピューリッツァー賞を受賞した唯一のコミックとしても知られる『マウス』は、インタビュー形式で構成されており、ある意味で作品の制作過程が物語の一部になっている。本展では、その特徴が『マウス』によりジャーナリズム的な側面を与えているとし、この作品は「単なる直線的な話ではなく、調査であり、ルポルタージュであり、コミックの形で記録されたもの」として評価している。
『マウス』と並んで紹介された『はだしのゲン』は、1978年、アメリカで翻訳出版されるなど、世界各国で読まれている。フランスでは1983年に初めて出版されて以来、いくつかのバージョンで発行されたという。「ゲンは私の心をとらえた」というアート・スピーゲルマンのコメントとともに、実際の原画(B4)より大きいサイズで印刷され、作品の迫力がよく伝わる形で展示された。この2作のほかに、個人の経験を織り込んだフィクションで知られているフランスの女性作家、シャンタル・モンテリエ(Chantal Montellier)も「現実のコミック」の先駆者として挙げられた。さらに、1990年代、取材を基に描いた『パレスチナ(Palestine)』などの作品でジャーナリズムとしてのコミックの可能性を確認してくれたジョー・サッコ(Joe Sacco)や、フランス語圏における大ヒット作の一つであるマルジャン・サトラピ(Marjane Satrapi)の『ペルセポリス(Persepolis)』(2000年:第1巻、2004年:第2巻)、写真と絵のコラージュが独特なエマニュエル・ギベール(Emmanuel Guilbert)の『フォトグラフ(Le Photographe)』(2003年)が紹介された。
次に続く第2章、「証言、歴史のための個人の人生談(Témoignages, parcours individuels au service de l’Histoire)」では、2000年代以降、フランスのコミックや文学の世界で人気を博しているという自伝的な作品に注目する。作家個人の経験をベースにしたこれらの作品は、読者が文化や伝統、歴史的な事件などを理解するためのツールとしても機能する一方、作者の心を浄化させる効果もあると本展では指摘する。その代表的な例として挙げられているのがココ(Coco)の『また描き続ける(Dessiner encore)』(2021年)である。ココはシャルリー・エブド事件を現場で体験したコミック作家で、『また描き続ける』は事件後、苦しみのなかでも、生きていくために努力する彼女の人生を描いたもの。本展では、『シャルリー・エブド(Charlie Hebdo)』などの新聞とともに本作の複製原画が展示された。
アスペルガー症候群であることを公表している作家、ジュリー・ダシェ(Julie Dachez)がストーリーを書いた『見えない違い(La différence invisible)』(2016年)や、てんかんを持つ兄との関わりを描いたダヴィッド・ベー(David B.)の『大発作(L’Ascension du Haut Mal)』(1996年)のように、病気や障害による経験をテーマにした作品も見られた。ほかにも、シリア人の父とフランス人の母を持ち、中東とフランスで成長した経験をコミックにしたリアド・サトゥフ(Riad Sattouf)『未来のアラブ人(L’Arabe du futur)』(2014年)や、北朝鮮の平壌での滞在経験をコミカルに描いたギィ・ドゥリール(Guy Delisle)の『平壌(Pyongyang)』(2003年)などが並んだ。
第3章、「調査、物語を掘り下げる(Investigations, fouiller l’histoire)」では、コミック制作における取材と調査に焦点を当てる。「コミック作家は歴史学者の仕事とジャーナリズムの交差点に立つ」という説明とともに、数々の「調査コミック(La bande dessinée d’investigation)=調査した内容をベースに描かれるコミック」が展示された。出展作品の一つである『我らが幼少時代の愛しき国(Cher pays de notre enfance)』(2015年)は、作画担当のエティエンヌ・ダヴォドー(Étienne Davodeau)と原作担当のブノワ・コロンバ(Benoît Collombat)がフランス第5共和政時代のことを調査する過程をコミックにしたものである。このように、作者たちが主人公になりコミックのなかに登場する作品がある一方で、作者が作中に登場しない作品も本展では紹介されている。イネス・レロ(Inès Léraud)とピエール・ヴァン・オヴ(Pierre Van Hove)の『緑藻(Algues vertes)』(2019年)がその一つの例である。フランスのブルターニュ地方で問題になっている緑藻の異常な増殖とその原因を分析する内容の本作は、医者、検事、農民、記者、政治家、研究者などの視点から物語が展開する。この二つの作品以外にも、本章ではチェチェン紛争など、ロシアの現実を描いたイゴルト(Igort)の『ロシア・ノート(Les cahiers russes)』(2012年)などが展示された。
第4章、「現場からのルポルタージュ(Reportages, sur le terrain)」では、現地に赴くジャーナリストのように時には危険を冒しながらも情報を集めて時事的な作品制作に取り組むコミック作家と彼らの作品に注目する。最もジャーナリズムに近い形のコミック作品を集めたとも言える本章で紹介された作家のなかには、作品制作のあいだ「オフィシャルなジャーナリスト」として扱われ、取材を行った人もいるという。その代表的な例として、2012年に行われたフランスの前大統領、フランソワ・オランド(François Hollande)の選挙運動に同行し、間近で取材した内容をコミックにしたマチュー・サパン(Mathieu Sapin)の『大統領選挙運動(Campagne présidentielle)』(2012年)が展示された。似たような形式の作品として、エマニュエル・ルパージュ(Emmanuel Lepage)のフランス領南方・南極地域旅行記『荒涼たる島々への旅(Voyage aux Îles de la Désolation)』(2011年)も紹介された。
もう一つの出展作である『神々のファンタジー(La fantaisie des Dieux)』(2014年)は、ルワンダのジェノサイドをテーマにしている。1994年、当事件を取材したフランスのジャーナリスト、パトリック・ド・サン゠テグジュペリ(Patrick de Saint-Exupéry)が2013年、コミック作家のイポリット(Hippolyte)とルワンダに行って当時の記憶をたどりながら生存者の証言を集めて制作した作品である。第4章のコラムではこれらの作品を、社会によりコミットしているという意味で「ジャーナリズムとコミックのハイブリットジャンル」と名付けているのが目立った。
第5章、「肖像、他者との出会い(Portraits, à la rencontre de l’autre)」は、個人の人生をもとに描かれたコミックをテーマにしている。本展の説明によると、個人の人生を語るストーリーは、社会、経済、歴史、文化のような大きい話ともしばしばつながる。例えば、出展作品の『アキムのオデッセイ(L’Odyssée d’Hakim)』(2018年)は、シリア難民アキムが戦争で荒廃した国を逃れ、フランスに到着するまでの過程を描いている。彼の経験を通して、読者は移住過程の難しさや難民に対する差別などを垣間見ることができる。作者のファビアン・トゥルメ(Fabien Toulmé)は、この作品の制作のために、主人公のモデルになったアキムに2年間に及ぶインタビューを行ったという。一方で、マエル(Maël)が作画した、『幽霊(Revenants)』(2013年)は、映画監督のオリヴィエ・モレル(Olivier Morel)とイラク戦争から帰還した退役軍人にインタビューを行い、その内容をコミックにしたもの。モレルが同テーマで制作した映画『血を流す魂(L’Âme en sang)』(2010年)で語りきれなかった内容を入れたものとなっている。ストレスやアルコール中毒、自殺などの問題に直面しながらトラウマと戦う退役軍人たちの話を通して、「世の中に正当な戦争などない」というメッセージを伝えてくれる。
なかには、『意地っ張り(Tête de mule)』(2020年)で女性のレジスタンスを描いたエティエンヌ・ジャンドラン(Étienne Gendrin)のように、当該人物が亡くなっているため直接インタビューできず、周辺人物や資料の調査に頼りながら作品制作に取り組んだケースもある。このように、個人の人生を取り上げた作品が多様なアプローチで描かれた経緯ともに展示された。
第6章、「現実のためのフィクション(Fictions, au service du réel)」では実話からインスピレーションを受けて制作されたフィクションのコミック作品が目を引く。本章で展示された作品の一つであり、映画としても制作された『オルセー河岸(Quai d’Orsay)』(2010年)は、原作を担当したアベル・ランザック(Abel Lanzac=アントナン・ボードリー〔Antonin Baudry〕のペンネーム)が外交官として働いていたときの経験がベースになったもの。実際の外務大臣、ドミニク・ド・ヴィルパン(Dominique de Villepin)4をモデルにした登場人物や、イラクをモデルにした王国など、フィクションでありながらも、現実に近い要素が散りばめられており、読者の想像力を刺激する。もう一つの出展作品、エマ・シュビアコ(Emma Subiaco)の『ストリップショー(Strip-Tease)』(2018年)も、どこまでが実話なのか公表されていないものの、作者の実体験を交えて制作されたコミック作品である。建築家の主人公、カミーユが彼氏の浮気を目撃したことをきっかけにストリップクラブのダンサーになる過程がフェミニズム的な視点から描かれている。
本展では、実際の出来事にフィクションの要素を加えることを「秩序と意味を与える」行為とし、そうすることでかえって現実味が増し、読者にとってわかりやすい作品になる部分があると説明している。
本展の開催に連動し、多数の関連イベントも企画された。『ペルセポリス』や『オルセー河岸』のような、コミックを原作に制作された映画の上映会や、フランスのコミック作家による座談会などである。本展では『はだしのゲン』以外の日本マンガ作品は出展されなかったが、欧州日本学研究所(Centre Européen d’Etudes Japonaises d’Alsace)の協力で、日本マンガ・アニメ関連のイベントも開催された。アニメ映画バージョン『はだしのゲン』(1983年)や、『火垂るの墓』(1988年)の上映会、「現実のマンガ(Le Manga du réel)」というタイトルの講演が行われた。
現実をベースにしたコミック・マンガ作品は数えきれないほどあるが、それらの作品を一つのジャンルとして見るという試みはこれまであまりされてこなかった。そういった意味で、「『現実』のコミック」展のアプローチは非常に新鮮だといえる。多少曖昧で抽象的な章の分け方からもうかがえるように、一つの作品が自伝的かつ取材をベースにしているなど、複数のサブジャンルの特性を持っている場合もあり、明確に分類できないことも印象的である。不完全な部分はあるものの、本展で取り上げられた「現実のコミック・マンガ」の特徴は今後このジャンルを分析していくうえで考慮すべきポイントになるだろう。
本展の説明によると、フランスではますます多くのジャーナリストたちが自身の報告書やアンケート調査、インタビューなどを発表するツールとしてコミックを選んでいるという。「第9の芸術」と呼ばれるほど、コミックへのリスペクトがあるヨーロッパのコミック強国、フランスらしい現象である。展示のタイトルにもあるように、フランスでコミックが新しい形のジャーナリズムとして広く認められる日が来ることも、そう遠くはないのかもしれない。
脚注
information
「『現実』のコミック、新しい形のジャーナリズム?(La bande dessinée du réel, une nouvelle forme de journalisme?)」展
開催期間:2023年3月17日(金)~6月25日(日)
会場:フランス・ストラスブール国立大学図書館(Bibliothèque national et universitaire de Strasbourg)
料金:無料 ※ガイドツアーは3ユーロ(大人)、1ユーロ(18歳以下)
主催:ストラスブール国立大学図書館
https://www.bnu.fr/fr/services-et-collections/nos-publications/catalogue-la-bd-du-reel-une-nouvelle-forme-de-journalisme
※URLは2023年8月3日にリンクを確認済み