マンガ特別座談会 飯田一史×西原麻里×三輪健太朗 創作の倫理と戦争へのアプローチ[前編]

構成:竹見 洋一郎
写真:小澤 塁

左から、三輪健太朗氏、飯田一史氏、西原麻里氏

イベント化する出版

——2025年のマンガの市場の変化について、出版ジャーナリストの立場で飯田さんから概況をお話いただけますか。

飯田 従来は、デジタルメディアの売り上げが伸び、紙媒体の減少分を補って全体として成長しているという説明がされていました。ところが2025年についていえば、出版科学研究所の推計では電子版はまだ前年比で3%くらい伸びていますが、紙媒体の落ち込みが激しく、ついに全体で前年割れしています
マンガは電子コミックの売上が全体の7割以上を占めるに至りました。
かつて小書店は回転率の高い雑誌やコミックなどで日銭を回してきました。ところがそのマンガ雑誌とコミックスの売上が年々落ち込んでいます。書店数が減るとはすなわち売り場の数が減ることであり、するとリアル書店全体で市中に流通させられる冊数が減って出版社の売上も減る。この負のスパイラルが回ることによって、特に子どもがマンガ雑誌、ひいてはマンガ全般をかつてのように当たり前に、また熱心には読まなくなってきています。どうやって下の世代の読者を流入させるかは大きな課題です。

飯田氏

——西原さんや三輪さんは大学で学生と接していますが、彼らが最近どのようにマンガを買っているのかで変化を感じられることはありますか。

西原 私が在籍しているのは「現代文化表現学科」というポピュラーカルチャーを総合的に学ぶ学科で、オタクであることを自認している学生が多いです。私が担当しているマンガのゼミの学生もマンガに限らず幅広くポピュラーカルチャーに関心を持っているので、単行本を買うときには地元の書店のほか、アニメイトに行くことが多いようですね。紀伊國屋書店のような大型書店で買うことはあまりないようですし、独立系書店はあまり縁がないかもしれません。ネットでも購入しているようですが、アプリや電子書籍で読む学生が増えたので、そもそもそんなに点数を買っていなさそうな気がします。気に入ったマンガの単行本を買う場合、特典付きや限定版かどうかも大事なポイントのようなので、そうした商品をよく取り扱っているアニメイトに行く。そして、本を買うことと同時に、ほかのグッズ類をチェックしたりイベントに参加したりしている。だから、アニメイトが総合デパートのような、マンガを買ってグッズも買ってくじを引いて……みたいな感じです。三輪さんの大学の学生さんとは、購入経路が違うのではないでしょうか。

三輪 今まで学生にそこまで細かく聞いたことがなかったので、西原さんに教えられた思いです。でも授業などを通して感じる機会が多いのは、やはり電子で買う利便性が確実に上がっていることですね。例えばゼミの授業中に誰かが名前を挙げた作品を、Kindleで購入してその場で読んでコメントする院生なんかもいたりします。
一方で2025年は、『乙嫁語り』(2008年〜)などで知られる森薫が、これまで作品を刊行してきたKADOKAWAから離れ、新たに立ち上げたマンガ出版社「雪割草」に移ることを発表したのも話題になりましたね。もともと森の担当編集者だった大場渉が代表を務める出版社ですが、電子は扱わず、紙のマンガに特化して経営していく方針だそうです。小規模な出版社で編集者と組みつつ、自分のマンガをセルフプロデユースしていきたいという意志を感じます。もちろんこれは、森薫自身が商業的にも成功した作家だからこそ実現に移せたことではあると思いますが、もう少し広く俯瞰してみてみても、紙の本が売れないといわれる一方で、紙の本にこだわってつくりたいという人は一貫して多く存在するとも感じます。例えばオリジナル作品限定の同人誌即売会であるコミティアは、40年以上の歴史を持ちますが、商業出版の世界では電子の売り上げが伸び始めた2010年代になってから、以前よりもさらに参加サークル数が増大し、コロナ禍を挟んで現在も、定数を越えて抽選漏れするサークルが多く発生するという活況ぶりを耳にします。2025年に話題になったマンガ作品のなかにも、田舎の高校生が紙の「ZINE(ジン)」をつくるという内容の『RIOT』(塚田ゆうた、2024年〜)などがありました。市場全体の動向はそれとして、逆に紙へのフェティッシュな欲求は根強いと感じる機会が多いですね。

飯田 小規模なサークルでつくるマンガは、古くは肉筆回覧誌、その後も「コミックマーケット」(以下、コミケ)などを中心に昔から連綿とありますよね。
最近の傾向としては「自分たちがつくりたいものをつくって読んでもらいたい(流通させたい)」という想いから活動しているのみならず、「つくって売る」場への参加自体がイベント化している。同人誌、ZINEに限らず商業出版物においても、つくり手・買い手ともに出版物の売買に体験性を求めるようになっています。にぎわい、熱気、コミュニケーション、時限性のある場で売り買いしたい。これは逆に言うと作品の賞味期限が短くなるということでもあり、「定番を長く売る」のが難しくなっています。
また、小規模・独立といえば本屋のほうでもいわゆる独立系書店が増えていますが、独立系書店はトーハンや日販(日本出版販売)など大きな取次と契約していないところが大半です。すると、マンガ雑誌を実質的に扱えません。コミックス単行本の仕入れも買い切りになることが多いため、巻数の多い現役の人気タイトルの仕入れを積極的にする店は少ない。例えば『ONE PIECE』(尾田栄一郎、1997年~)を買い切りで仕入れたとして、ぽつぽつと途中の巻を買われて歯抜けの状態で棚に刺さっていると見栄えも悪いし、かといって常に全巻揃えようとすると管理が煩雑になりますし、棚の面積を食い過ぎる。
これは言い換えると、独立系書店では町の本屋やコンビニが中心になって支えてきた、習慣的かつ広範なマンガの読書・購買を代替できない、ということです。大人はマンガ雑誌の代わりにマンガアプリやウェブマンガで読んだり買ったりすればいいし、そういうものがあると知っているけれど、子どもはそうはいきません。
逆に言えば独立系書店は「このマンガがすごい!」などの賞をとる、巻数が多くないタイプの作品は仕入れやすい。だから独立系書店ではそういうタイトルばかり並んでいるわけです。

——「このマンガがすごい!」を始めとしたマンガ関係の賞は、この10年くらいで増えていますね。イベント化して盛り上げるキッカケをつくりたい思惑があると。

飯田 独立系書店に限らずマンガを扱っている書店と出版社はみんなそうだと思います。マンガが電子書籍ではよく売れている理由のひとつは、セールを頻繁にやっていることにありますが、セールも小さなイベントですよね。紙の本は再販契約によって定価販売しなければならず、基本的にはセールができないのですが、電子書籍は「今だけポイント100%還元!」といったキャンペーン施策で顧客を誘引できます。

同人誌の変化

西原 コミケのお話が出ましたが、2025年で50周年ですね。「コミックマーケット準備会」によって組織や運営のあり方が常にアップデートされ、それによって今まで続けられたことがまずはすごいことだと思います。コミケという同人文化の空間があったからこそ、80年代に印刷業者による同人誌即売会も生まれ、「コミティア」(主催:コミティア実行委員会)や「コミックシティ」(主催:赤ブーブー通信社)といったイベントも発展していった。現在は全国でさまざまな同人イベントが開催されているほかオンラインイベントもあるので、同人誌というメディアを知る機会が増えたように感じます。私が2025年に行ったものだと、下北沢でフェミニズムやクィアをテーマとするZINEのフェス「NOISY ZINE & BOOK」(主催:FRAGEN)がありました。東京では身近にそういうイベントがあるので大学生も参加しやすくなったし、SNSで情報を知る機会も増えました。こだわりのある本に触れて、「自分もつくってみたい」とか「発信したい・関心を持ってくれる人に届けたい」という気持ちが生まれ、実際につくってみる。そうしたエコシステムが生まれつつあるように思います。
ちなみに2025年は夏と冬にコミケに行きましたが、今までのコミケの、男性向けと女性向け、という枠組みがかなり変わってきたなと観察しています。コミケの企業ブースは、15年くらい前はアニメイトや女性向けのBLCDをつくっている企画会社も出していたと思うのですが、今は女性向けのみを扱う企業のブースがほぼなくなって、男性向けのゲームや海外(特に中国系)のソーシャルゲームが目立っていました。近年は同人イベント自体が増え、おそらくBLや二次創作はそれを主題とする同人イベントのほうに出る感じで、イベントのテーマや区分が細分化してきている印象を受けました。

西原氏

——同人誌が活況という一方で、同人誌を出版していた印刷会社の廃業のニュースもありました。どんな背景があるのでしょうか。

飯田 やはり原価の急上昇に売上が追いついてこないからではないでしょうか。紙材やインク代も人件費も、インフレが止まらない。印刷に限らず、出版倉庫でも経営者やスタッフの高齢化、事業継承者不足、設備を維持・更新するための投資資金不足による撤退・廃業が相次いでいます。本屋と出版社、作家は「儲からなくてもやりたい」人がたくさんいますが、印刷、製本、倉庫、物流はそうはいきません。どこも人手不足が蔓延していますし、採算が取れなければ事業から手を引かざるをえない。モノとしてのマンガの生産・流通を支える基盤が揺らいでいます。

西原 原材料などの影響で、紙のマンガ自体も値上がりしていますね。作家の印税にも反映されているとよいのですが。

——森薫さんが出版社を立ち上げた話も、利益や販売ルートを確保したい意識もあるのでしょうか。

三輪 個別の事情はそれぞれにあるでしょうから、一概にはなんとも言えないところですが、もともと作家の出版社に対する関係には──これは文芸の世界でも同じでしょうけど、マンガの世界でもまた──いろいろなメリットとデメリットがともに存在しているわけですよね。そうしたなかで、作家には流通の段階まで自身でコントロールして作品を届けたいという欲求が、潜在的には多かれ少なかれあるのだと思います。ただ作品そのものに費やしたいエネルギーとの兼ね合いもありますから、実際に自前で出版自体をやる作家はそうそう出ない。ただ、これまで一般的だった大手の出版社を通すシステムに対して、それこそコスト上昇など状況が変わってきているなかで、いっそ自分で乗り出してみようという風に別の可能性を考える人が出てきやすい状況は生まれつつあるのかもしれません。

飯田 リイド社はさいとう・プロダクションの出版部門が分社化して立ち上げた会社ですし、ほかにも作家が自ら制作会社や出版社、編プロをつくるケースとしてはスタジオ・ゼロやコアミックスなどが過去にもありますよね。そもそも日本の近代マンガの創始者の1人と言っていい北澤楽天からしてそうですが、「マンガ家兼起業家」は昔から一定います。
もっとも、そうした存在はジャンルの勃興期や変革期に台頭してくることが多く、ビジネスモデルが安定している時代には出てきづらい。
近年は過去最高水準の市場規模とはいえ変革期ではあるものの、韓国の作家と比べても日本では自ら関連ビジネスも掌握する作家がまだまだ少な過ぎる気はします。

生成AIと創作

——作品のつくられ方として、AIとの関係は今どうなっているのでしょうか。

西原 例えばイラストやマンガを描いた人が自分の創作物をSNSで公開したとしても、生成AIの学習に使わせないようにする、または生成AIによる制作を禁止する話は、生成AIが話題になった頃からずっとありました。一方で創作する側においては、今や生成AIがないと何かを生み出すことは難しい……とまでは言いませんが、生成AIのおかげで作業コストは減るので、その便利さを享受すること、つまり生成AIをうまく活用することを目指す取り組みもなされています。マンガと生成AIの活用については研究の場での議論も盛んですし、実際にSNSを見れば生成AIを使ったたくさんのイラストが流れてきます。現在は、どこまでを作者のオリジナルの「創作」とみなせるかに対するさまざまな考え方が出ている状況だと思います。

三輪 今日は『はじめてのAIマンガのつくり方』(けいすけ、宝島社、2025年)という本を持ってきました。もちろんネット上にもこういうハウツー情報は山ほど流れているわけですが、早くも書籍化までされているのが興味深いと思って。著者も本のなかで「AIで全部つくるのには限界がある」と吐露しているように、今の時点ではAIはツールとして得意なことと不得意なことにギャップがあります。この『はじめてのAIマンガのつくり方』も、基本的に複雑なコマ割りは最初から諦めるという前提ですね。ただ数カ月くらいで状況が変わりうるので、まだなんとも言えないことも多い。
私の担当しているいくつかの授業では、学生にマンガを描かせています。学生が自分でコマ割りをしてみるという、実技系の科目なんです。とはいえ芸術系の大学ではないので、クオリティの高いものを描くことを目指すよりは、実際に手を動かしてみることで気づきを得られれば、といったコンセプトの科目です。その授業のひとつで、最近、実験的にAIを使って4コママンガを描いてもらうという試みをしたのですが、ちょっとしたブレインストーミング的に、キーワードやアイデア出しをAIにさせる使い方は有効だったし、実際プロのなかでもそういう使い方をしている人は増えつつあるのではないかという気がします。
一つおもしろいのは、AIにアイデアを出してもらって自分で4コママンガを描くのと、アイデアも自分で一から思いついて描くのとでは、それぞれ完成したときの感覚に違いがあるかどうかを学生に聞いてみると、AIを使ったほうは自分の作品だという感覚はないとの答えでした。当たり前といえば当たり前のことのようですが、でも例えば友人や編集者との会話から得たアイデアを使って描いた作品なら自分の作品だと感じられる人も多いと思うんです。アイデアをもらったあと自分なりにそこにアレンジを加えたり、絵を自分で描いたりしていても、AIを使用すると自分の作品だと感じられないという人が多いわけです。もちろん、4コママンガというのがアイデアがとりわけ重視されるジャンルだからという事情も大きいとは思いますが、ともあれ今のAIをツールとして使用する際の人間の向き合い方は、まだまだ馴染んでいないのだなという印象をもった出来事でした。

『はじめてのAIマンガのつくり方』表紙

飯田 2024年の状況について2025年に調査して同年末に刊行された韓国の『2025ウェブトゥーン産業実態調査』(文化体育観光部・韓国コンテンツ振興院(KOCCA)、2025年12月29日発行)では、作家のAI活用経験の割合は33.2%で、内訳は
・世界観やキャラクターの設定、資料調査、などの事前企画・ストーリー構想段階(53.3%)
・シナリオを視覚的なコンテに変換するコンテ作業段階の補助(44.0%)
・作画の負担を減らすために背景の自動生成やレファレンス収集といった背景の制作・配置・補正(31.0%)
・下塗りの自動化など作画(彩色・底色・陰影・効果)段階の時短作業(29.2%)
・ポーズの参考や線画の補正などの作画(デッサン・線画)段階(27.4%)
となっています。
ただこれはあくまで「活用経験」の割合であって、いつも使っている割合ではありません。クリエイターの声としては、キャラクターの感情表現や演出の連続性を保つのが難しく、メインの作画作業はAIに代替できない、と書かれています。
最近も日本のウェブトゥーン制作会社の人から話を聞きましたが、技術にキャッチアップするためにいろいろと試してみてはいるものの「人間が直す手間がかかる」「狙ったとおりに生成させるまでに時間がかかる」等々で結局、時間的にもコスト的にも「効率化」にはならない、と。画像生成AIに対するクリエイターの忌避・嫌悪・反発の問題をさておいたとしても、今のところ採用したほうがいいと言えるレベルではない、とのことでした。
AIで思い出しましたが、『コロコロコミック』2026年1月号の曽山一寿『でんぢゃらすじーさん』では、作者がAIにネタ出しさせたものをそのままマンガにしてみたものの、意味がわからないしクソつまらないということをツッコミ込みでギャグにしていました。ギャグマンガだからできる「遊び」ですが、ようは「使えない」と。
もっとも、STUDIO ZOONが制作したエロマンガ『妻よ、僕の恋人になってくれませんか』(mamaya、2025年~)が生成AI使用作品ながら「コミックシーモア」のカテゴリーのなかで1位になったことで話題になりました。言い方が難しいですが、ジャンルによっては「実用性」さえあれば、AIかどうかを読む側もそれほど気にしないのかもしれません。

西原 物語のジャンルとしてある程度パターンが決まっているものについては、生成AIは活用しやすい気がします。例えばBLの「カップリング」も、ヒットしそうなものの傾向や流行を学習させて、データベース消費的な感じで組み合わせるものが出てきているだろうと思います。ただ、飯田さんがおっしゃったとおりストーリー自体の方向性や世界観はやはり重要なポイントで、作者自身が全体を統括しなければならないと思います。もちろん絵柄のこともありますし。唯一無二の物語を生むことはまだ難しいでしょうね。

三輪 ギャグマンガの例が挙がりましたが、ギャグはもともとメタな、楽屋オチ的なものと親和性が高いので、AIを使う制作手法自体をネタとして扱うという方向性は、先ほど言及した私の授業でもいくつか見られました。それはそれでおもしろくはありますが、あくまで変化球なので、どうしたってマンガ制作の主流、本流にはなりえませんよね。

——生成AIは、その成り立ちからすれば二次創作との相性がよさそうです。コミケでAIを活用した作品をビジネス的に展開する発想を持つ人は現れないのでしょうか。

西原 それはむしろ、一番反発されるところかもしれません。確かにSNSを見れば、生成AIを利用したファンアートが非常にたくさん流れてきます。しかし、二次創作か一次創作(オリジナル)かに限らず、描き(書き)手自身の「原作」や創作への思いを大切にするからこそ成立するのがコミケやコミティアといったイベントです。上手いか下手か、流行に乗っているかどうかといったことではなく、自分でつくることや自分の思いを本の形にすることが大事なのではないかと。二次創作の場合、それが「原作」へのリスペクトにもなるのではないでしょうか。ですから、生成AIを使ってやってみました……みたいな発想は避けるべき。そういう意識は参加者にも共有されていると思います。

トレパクの作者と感情

——オリジナリティと創作に関連して、マンガ家・イラストレーターの江口寿史氏による「中央線文化祭2025」の告知ビジュアルは近しいトピックかもしれません。ルミネ荻窪に貼られたポスターが、Instagramに流れてきた女性の画像をトレースしたものであったことが社会的に話題になりました。この件についてはいかがでしょうか。

三輪 先ほどの話題でもありましたが、コミティアやコミケなどの同人誌文化においてAIが反発を招くのは、自分たちで手づくりすることに熱意を注ぐという姿勢を、参加者が共有している前提があるからでしょう。でもマンガの歴史のなかでは、1人の作者が自分の手ですべてをつくらない制作スタイルも、合作などの素朴なレベルも含めて当然あったわけです。先ほど、生成AIにアイデア出しをさせてマンガを描いてみたときに、自分の作品だという感覚が持てなかったという学生の感想を紹介しましたが、一方で、外部から出てきたものを自分が操作し、アレンジし、まとめて仕上げるといった作業自体にも理屈のうえでは創作性がないわけではありません。
私がずっと関心を持っているのは、マンガと他のメディアを比較しながら考えるアプローチです。例えば有名な分業制のマンガプロダクションとしては、さいとう・たかをとそのスタジオがあります。彼は自分を映画監督になぞらえたりもしているので、仮にほとんどの絵をアシスタントが描いていたとしても、自分は映画で言えば監督の立場にあるから、自分の作品だという言い方が可能になるわけです。もっと言ってしまえば、それこそ実写映画は、機械のカメラで撮影しているのですから、監督がイメージを一から自分でつくっているわけではない。写真もしかり、さまざまな既存の要素からの選択の結果として生まれた作品に作家性を認めるジャンルは、いくらでもあるんですね。そう考えたときに、単純に手づくりかどうかとか、1人で描いているかどうかという基準で、マンガ作品として認められるかどうかは判断できないはずです。
そのうえで、既存の絵や写真からトレースを行うという手法は、AIを使うことと同じような反発を、どうしても感情的なところで招きがちな手法になってしまっているというのが現状だという気がします。本来、生成AI的なものとトレースは、手法として全く違う性質のものなので、これらを並べて、トレースの手法が用いられた江口寿史のイラストを「AIみたいなものだ」と言うのは完全な暴論です。しかし世の中の感情的な反発の根っこには、「結局自分で描いてないのか」という感覚がある気がします。その意味で、世の中での騒がれ方としてはAI問題と通じるものがありますね。

三輪氏

西原 2000年代後半のことですが、商業BL作家さんが海外のハイブランドの広告をトレースして、作品の扉絵などに使っていたことが発覚した出来事を思い出しました。2ちゃんねるで証拠探しが起きて炎上し、作家さんは活動をしばらく休業することに。今回の件と同じ構造でした。

飯田 逆に言うと、私が知る限りでも、少なくとも2000年代以降、何度もトレパクだと騒がれてネットで炎上してきた事例があるのにどうして……と思いました。今回の江口さんの件は不特定多数の人目に触れる広告案件ですよね。広告の場合は描き手個人の責任だけではなく、クライアント側のイメージにも飛び火しますから、余計にまずかった。
仮に「法的には問題ない」と言えたとしても、法律とはまた別に、発注する企業や自治体からすると「あれはトレースらしい」「パクリイラストを使っている」などと言われて評判を下げるリスクなんか背負いたくないですよね。ですから「仕事のしかた」として疑問符がつきました。

三輪 例えば最近出版された『フリースタイル67 特集:江口寿史がしたこと』(フリースタイル、2026年)などは、もともと江口自身がこれまでの仕事でも深く関わってきた出版社の発行物なので、どうしても自己弁護的なニュアンスが入ったものと捉えられざるをえないのですが、まさに飯田さんがおっしゃったように、トーンとして「法的には必ずしも権利の侵害とはいえない」という類の釈明になりがちなんですよね。確かに法的なレベルでは、「元の写真を自分の線でイラストに置き換えているのだから問題ない」とのロジックが成り立つ場面も多いとは思うのですが(そしてそれを確認することももちろん大事ですが)、しかし世の中からどう見られるかは違うレイヤーの話です。だから、「創作性(クリエイティビティ)があるかどうか」が一方では法的なレベルで争点になりつつ、しかし他方では広く世の中の人がどう感じるかという道義的なレベルでの受け止められ方となり、その間に大きな乖離が生まれてしまった。さらに、イラストレーションやマンガというジャンルを芸術として見たときに、美学的なレベルで「創作性があるかどうか」という判断も当然個々の表現に対して出てくるわけで、その点で熱心なファンたちのなかにも失望を抱く人が少なくなかったと思われます。

『フリースタイル67 特集:江口寿史がしたこと』表紙

西原 特に江口さんはポップでおしゃれなイラストが人気で、その発想力も含めセンスのいい作家だと認識されていたと思いますし、ミュージシャンとのコラボレーションなどジャンルを越えて活躍されていた。だからこそ「センスがある人だと思ったら既存のものを使っていただけだった。思っていたよりもクリエイティビティの幅が狭かった」という、ファンにとって裏切られた気持ちや失望があるのかなと。

三輪 もともと江口寿史は、元ネタがはっきりとわかるかたちで、サンプリング的にパロディをマンガ作品のなかで描いてきた作家だという経緯もあります。トレースの手法はその延長といえてしまう面もありつつ、でもはっきり誰にでもわかるような元ネタを使っているのか、それとも誰も知らない写真から元ネタを拾ってきたのかでは、クリエイティビティがあるかどうかについての世間のジャッジは大きく左右されるでしょう。今回の事件で直接争点になったのはイラストレーションの仕事でしたが、この場が「マンガ」の座談会であることに引きつけていうなら、マンガにおいてもやはり、「どこに創作性があるのか」という問いは様々なレベルで検討されるべきもので、単に法的にセーフかアウトかとか、道義的に許されるかどうかといったことだけではないはずです。私のようにマンガを理論的に研究している人間にとっても考えさせられるところの多い事件でした。

PRの前線に立つ編集者

——次に、時代の倫理観に接触する問題として話題になった「マンガワン」の話をお願いします。未成年者への性加害で罰金刑を受けたマンガ家が、別名義で新連載の原作者として再起用されてコンプライアンスの問題となりました。

飯田 いろいろな切り口があると思いますが、私が考えたいと思ったのは「マンガワン」が事件発覚前に「編集部や作家の裏側を見せます」という売り方、PRをしていた、ということの意味と今後への影響です。
「マンガワン」編集部は、2024年1月からYouTubeチャンネル上で編集部員や連載作家にフォーカスし、ドキュメンタリーテイストの動画を「ウラ漫」と題してシリーズ化して多数配信してきました(問題発覚後にすべて削除)。読者やマンガ家に「マンガワン」というブランドを認知してもらい、選んでもらうための戦略として、所属する編集者や連載作家にフォーカスしてきた。実際それが功を奏し、「マンガワン」に持ち込みするマンガ家の数は比較的増えたと聞いています。しかし、「編集部の裏側を映します」と言っていたのに実際にはそこに映っていない、とんでもない暗部があったことが露呈したのが今回の事件でした。

三輪 私はYouTubeを普段見る習慣がないので詳しく追えていないのですが、確かに検索すると、今は「マンガワン」に限らず、いろいろな編集部がYouTubeをしています。どういうセルフプロデュースを意識しているのでしょうか。

飯田 仕事場に密着し、描いているマンガ家や編集者を掘り下げて撮っていけば、おのずとその編集部、媒体のカラーが見えてきますよね。
マンガ家と編集部、マンガと読者のどちらにおいても、相性・マッチングが重要ですから、それを伝える場として機能している。
かつてはマンガ雑誌自体を読めば自明でしたが、今では「LINEマンガ」や「ピッコマ」、「めちゃコミック」や「コミックシーモア」、あるいはKindleを入り口にマンガを読む/買うほうが主流になっている。すると読むときにどこの会社のどの雑誌に載っているかを意識しない。編集部ごとのカラー、ブランド、個性はかつて以上にわかりにくくなっています。
だから動画で伝える意味がある。多くのマンガ家志望や新人マンガ家は、どこに持ち込んだら自分の作品に合っているのかあまりわからないものですが、編集者が動画やSNSを通じて「自分はこういう作品を担当し、こういうスタンス、考え方で作家と接しています」と示すことで、作家側が自分との相性を事前に判断しやすくなっています。

西原 YouTubeの番組などのおかげで、編集者のイメージが大きく変わってきたように思います。編集者といえば、かつてはアイデア出しや影の原作的な立ち回りをやっていて、ほとんど表に名前を出さない黒子の存在であることが多かった。今は編集者の姿が見えるようになり、彼らのキャラクターが前に出るようになったと思います。しかも20代後半と若い人もいて、「こんなヒット作を手掛けているうえに、いろいろな作品を掛け持ちしている」と、ヒーロー的な存在にもなっている。YouTubeなどのSNSを通じて、マンガのつくり手側として編集者になれる、なりたいと思わせる演出をされているようです。

三輪 かつても楽屋裏を見せるタイプのギャグマンガだと、編集者が実名で出てくることはあったし、個別の事例でスター編集者がフィーチャーされることもしばしばありました。しかし逆に言うと、今では特別なスター編集者でなくても、いろいろな人が編集部のメンバーとして日常的にYouTubeなどのメディアに出てくる状況が加速しているわけですね。「マンガワン」はそうした傾向を促進してきた場だったと。

飯田 被害の話や小学館のコンプライアンス意識・体制といった話とはまた別の観点で、YouTube時代のマンガ編集部の「見せ方」に、今回の事件は影響があると思います。
「マンガワン」のチャンネルには事件を起こした作家の担当編集者――被害者との示談に介入し、被害者が提示した条件を突っぱねたことが発覚し、SNS上で猛批判された人物――も何度も登場していました。しかし、動画視聴者はまさかそんな問題人物だとは知るよしもなかったはずです。
この一件を通じて、やや大げさに言えば「裏側を見せる」「編集者や作家個人の仕事ぶりや内面に迫る」式のマンガ編集部やウェブトゥーン制作会社のYouTubeが、総じてウソくさく見えるようになってしまった。
「ドキュメンタリーはウソをつく」「『密着取材』にも演出があり、映っていない闇がある」というのは常識といえば常識ですが、マンガ編集者の語りやオモテに見えている性格に対して、読者・視聴者側が素直に感情移入しづらくなったことは間違いない。結局、受け手に「親しみやすさ」を感じてもらうための「演出」だったんだな、と思わせてしまったわけですから。
おそらく「マンガワン」編集部が「ウラ漫」を始めた理由のひとつには、数々の作家とのトラブルを通じて「小学館のマンガ編集者」に対する悪いイメージが広がっていたことをどうにかしたかったから、ということもあったと思います。しかし、自らその手法を半永久的に機能しなくさせてしまった。

[飯田一史氏のトピック解題]

1 マンガ市場ついに前年比割れ
出版科学研究所の発表によれば、2025年の紙と電子を合わせたコミック市場は前年比1.7%減の6,925億円。2024年までは7年連続で過去最高を更新してきたが、ついにマイナスに転じた。紙のコミックス(単行本)とコミック誌を合わせた推定販売金額が前年比14.0%減の1,652億円、電子コミックが2.9%増の5,273億円。コミック市場のシェアは紙が23.9%、電子が76.1%。ただし電子コミックも年々伸び率が鈍化してきている。

2 マンガワン問題とも絡むマンガ編集部YouTube問題
小学館「マンガワン」編集部がYouTubeでマンガ編集者・編集部や連載作家にフォーカスするドキュメンタリーテイストのシリーズ「ウラ漫」は2024年1月に始まり、その後、講談社の『ヤングマガジン』編集部の「ヤンマガ日常ch」が追随。ほかにもウェブトゥーン制作を手がけるナンバーナインの「ナンナイNOW」などがある。ウラ漫出演者だった豆野文俊や千代田修平は小学館から「めちゃコミック」を運営するアムタスに転職し、同社のYouTubeチャンネル「めちゃコン」にも出演している。
マンガ制作の裏側、編集者やマンガ家の人となり、考え、想いを伝えることでブランドの認知や愛着を高める狙いがあるが、ウラ漫に出演していた編集者が、マンガ家が性暴力事件を起こしたあとも連載再開や変名での執筆への協力、被害者との示談に介入するなど数々の問題行動をしていたことが発覚した。

飯田一史(いいだ・いちし)
ライター、ジャーナリスト、独立研究者。グロービス経営大学院経営学修士課程修了(MBA)。著書に『「若者の読書離れ」というウソ』(平凡社、2023年)、『ウェブ小説30年史』(講談社、2022年)、『いま、子どもの本が売れる理由』(筑摩書房、2020年)、『マンガ雑誌は死んだ。で、どうなるの?』(星海社、2018年)など。 インプレス総合研究所『電子書籍ビジネス調査報告書2024』執筆陣 。マンガ関係の共著に藤田和日郎『読者ハ読ムナ(笑)』(小学館、2016年)、週刊少年ジャンプ編集部『描きたい!!を信じる——少年ジャンプがどうしても伝えたいマンガの描き方』(2021年)など。共著論文にIida Ichishi and Scott Ma. 2025. “Japanese Web Novels: Media History, Platform, and Narrative,” Special issue on “Methodologies,” Jacqueline Berndt ed., Mechademia: Second Arc, 17 (2), 2025 がある。

西原麻里氏のトピック解題]

コミックマーケット50周年
1975年12月に始まった、同人誌を通じたマンガファン同士のコミュニケーションの場「コミックマーケット」。マンガ創作(一次創作/二次創作)やマンガ批評だけでなく、小説、アニメ、映画、ゲーム、音楽といった隣接領域やコスプレイヤーとそのファンも柔軟に取り込み、現在まで続いている。さまざまな表現手法やテーマを自在に生み出す同人文化は、商業マンガ文化を支えるものとして今や欠かせない存在である。その自由な文化を支えるのが、綿密な計画に基づいてコミケを運営するコミックマーケット準備会と、その場を守り育ててきたファンたちである。コミケを始めとする同人文化の存在は、多様な表現や言説を尊重することともつながっているといえるだろう。

西原麻里(にしはら・まり)
マンガ研究、メディア文化研究、ジェンダー・セクシュアリティ研究。跡見学園女子大学文学部現代文化表現学科准教授。同志社大学大学院社会学研究科メディア学専攻博士後期課程単位取得退学、博士(メディア学)。BL(ボーイズラブ)をはじめとする女性向けマンガとメディア文化を研究し、物語表現と文化の形成をメディアの特徴や仕組みから考えたり、メディア表現を通じてジェンダーや性の規範の問題にアプローチしたりしている。著書に『BLマンガの表現史——少年愛からボーイズラブジャンルへ』(青弓社、2025年)、『マンガ文化55のキーワード』(竹内オサムと共編著、ミネルヴァ書房、2016年)、『BLの教科書』(堀あきこ・守如子編著、有斐閣、2020年)など。

三輪健太朗氏のトピック解題]

マンガと創作性(クリエイティビティ)をめぐる問題
2025年10月、江口寿史が手がけた「中央線文化祭2025」のポスター用イラストについて、江口がネット上で入手した女性の写真を元にして無断で描いたものであったという経緯がソーシャルメディア上で明らかにされ、問題化した。江口の過去作品についても、参照元の画像を特定した上でそれらは「トレパク(他人に権利のある画像をトレースしてパクる=盗む行為)」であると非難する書き込みが相次ぎ、「炎上」に発展。法的なレベルでも、道義的なレベルでも、美学的なレベルでも、整理して検証されるべき論点が複合的に見出される問題だが、いずれのレベルにおいても、マンガやイラストにとっての創作性(クリエイティビティ)の根拠はどこに求められるべきか、という古くからの問いが改めて顕在化した事態であったといえる。その問いはまた、あくまでも全く別の文脈においてではあるが、「生成AI」などの近年のテクノロジーがやはり喚起しているものでもあろう。

三輪健太朗(みわ・けんたろう)
マンガ研究者。1986年生まれ、長野県松本市出身。学習院大学大学院人文科学研究科身体表象文化学専攻で博士(表象文化学)の学位を取得後、2019年より跡見学園女子大学文学部現代文化表現学科専任講師。著書に『マンガと映画 コマと時間の理論』(NTT出版、2014年)など。

※インタビュー日:2026年3月31日
※URLは2026年8月24日にリンクを確認済み

本記事は[後編]に続きます(2026年9月中旬頃公開予定)。

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