音を造形する サウンドアートの現在形 「evala 現われる場 消滅する像」座談会[前編]

坂本 のどか

写真:中川 周

《ebb tide》2024年
撮影:丸尾隆一
写真提供:NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]

「See by Your Ears」とは別の、evala作品を表す言葉

久保田 今回の展覧会タイトル「現われる場 消滅する像」は畠中さんが提示したのですか。

畠中 そうです。タイトルを決めるにあたって、evalaさんの作品を説明するときによく使われる「立体音響」や「音像」といった言葉について改めて考えたのですが、2チャンネルのステレオだって立体音響ですし、音像でもあります。そこでもう少し作品にフォーカスした言葉を探りたいと思いました。それ以上にevalaさんの作品は、音響云々よりも、体験そのものが重要な気がしていました。もちろん、ご自身の活動のテーマにしている「See by Your Ears」はevalaさんの作品を明確に表していますし、今回の展覧会においても、そのテーマが前提となっているのですが、より大きな視点で作品が表象しているものを言葉で表せないかと考えて行き着いたのが、このタイトルです。

展覧会を体験した人からは、よく「逆じゃないの?」と言われるんです。「耳で視る」のだから、「消滅する場 現われる像」なんじゃないかと。でも、evalaさんの作品を体験するとわかるんですが、あのほぼ真っ暗な場所で、音によって空間(site)が立ち現れることで、いわゆる視覚(sight)が消えて、それによって聴くことの想像力(image)が喚起されるんです。

evala どんな作品かを話すとき、フィールドレコーディングを使うというと「サウンドスケープ系ね」と言われ、立体音響を使うというと「音像がすごいやつね」と言われ、いずれに対しても違和感を感じながら、それ以上の説明がなかなか難しかったのです。目で見ることとは違う、もう一つ別の見ることとしての「See by Your Ears」をテーマにしていますが、作品体験まで捉えたような別の言葉を、僕もずっと探していました。畠中さんからタイトルを提案されたときは「これ!」と歓喜しました。

evala氏

畠中 英題(Emerging Site / Disappearing Sight)も私の方でつくってみて、デイヴィッド・トゥープさんにも英語で意図が伝わるかどうか確認してもらいました。英題は「site」と「sight」で韻を踏んでいるのですが、我ながらよくできたタイトルだと思っています。

すずえり 展覧会全体を通して、作品同士の音の干渉が全然ないように感じてびっくりしたのですが、インタビューを拝見したら、実はそうでもないのですね。

evala はい、実はほかの作品の音も聞こえているんです。二重カーテンなどである程度の遮音はもちろんしていますが、劇場や音楽スタジオではないのでどうしても音は漏れてしまいます。音の干渉込みで、聞こえているんだけど聞こえていないように感じる展覧会を全体としてつくっていきました。

すずえり氏

山の頂上で重力から解放される《ebb tide》

久保田 会期中のトーク宇都宮泰さんが「《ebb tide》は山の尾根で体験すると山が消える」と言っていたので、僕も今日試してみました。

畠中 特に頂上は取り合いになりますね(笑)。溝にはまっちゃう人が多いけど、はまらない方がいいんですよね。

evala 柔らかいウレタンの上で聞いてもらうことがポイントです。僕はずっと、硬い床から離れたかったんです。ブニュブニュした感じの、非現実を感じるところに立って体験してみたい、もっと言えばアイソレーションタンクのように、重力フリーのなかで体験したらどうなるんだろう?という興味がありました。重力からも解放されたような、音だけしか感じないような状態をつくりたかったのです。

久保田 普段はあまり意識することはありませんが、私たちは常に、周囲の反響音を聞きながら空間を認識しているのだと思います。展示室の床に広がる反響音から離れるように、ウレタンの山に登ると、そこを構成するウレタン素材が音を吸収し、空間は無響室に近い状態へと変わっていきます。壁も見えない暗闇のなかで、そこに現れたのは音像というよりも、むしろ、無限に広がるオープンスペースを満たす音のメディウムでした。まるで音が宙吊りになって漂っているような、不思議な音響体験が生まれたように感じました。

evala おっしゃる通りです。

すずえり ザリザリとした触感を感じるというか、定位が移動しても、移動したというよりはテクスチャーを撫でているような感じがしました。ほかの作品もですが、音に触れられそうな感じがして、ちょっと不思議な感覚でした。

畠中 気持ちがいいけど、寝ることはないんですよね(寝ているお客さんは多いようですが)。突然トタン屋根にひょうが降ってきたような音がしたりするじゃないですか。寝てても起こされちゃう。

すずえり ヒーリングには絶対にならないですよね。

畠中 そう。アンビエントかな、ニューエイジかなと思ってもそうじゃない。「あれっぽい」となかなか言えないんです。

《ebb tide》2024年
撮影:丸尾隆一
写真提供:NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]

像も位置も定まらない構造物

畠中 一般的に、ステレオなどでつくる疑似的な音像は、ピアノはここ、ギターはそこ、ドラムは真ん中でといったことを、左右のスピーカーのバランスをコントロールして操作しています。つまり現実空間を擬似的に再現しているわけです。evalaさんはそういった擬似操作とは全然違うことをしているので、音像や定位という言葉で語るのはやはり違うと思います。定位させるのではなく、むしろ定まらない。楽器をどこに配置するかという意味の音像ではなく、evalaさんが行っているのは音自体の造形というか、音による構造物があって、しかもそれが常に変動しているようなイメージです。

久保田 そう思います。僕がインゴルドのテキスト1を事前に共有したのも、evalaさんの《ebb tide》を体験して、この部分を思い起こしたからです。

呼吸する生体は、メディウムの潮流に巻き込まれる存在である。したがって、私は風が身体化されるのではなく、身体が「風に包まれる」と表現するほうが適切だと考えた。さらに、風について言えることは、音にも当てはまるのではないだろうか。(中略)それは、帆を上げ波間に浮かぶ船のように、あるいは、もっと適切に言えば、空に揚がる凧のように、身体を音の「中へ」と送り出すことなのだ。

その前にインゴルドは「音も光も、私たちが存在し、その中を移動する「メディウム」の流れそのものであり、単なる表面の属性ではない」とも書いています。《ebb tide》の体験ではまさにこの、風のように流動するメディウムとしての音の中に身を投げ出すような感覚――それが体験できたことがとても印象的でした。

久保田氏

フィールドを歩いて聞く《Sprout “fizz”》

久保田 ステレオというシステムは、本来「動かずに聴く」ことを前提としています。モニタースピーカーには正しい設置位置があり、それを聴くための最適な場所、いわゆるスイートスポットが想定されている。しかし――これは宇都宮さんとのトークで語られていたことですが――上下や前後の空間感覚は、頭部伝達関数や耳介による散乱効果といったパッシブな要因よりも、むしろ聴き手自身が頭や耳を動かすという能動的な行為によって強く感知されるものです。

その身体運動と感覚処理の相互作用を、新しいかたちで体験させてくれたのが《Sprout “fizz”》ではないかと思います。音というメディウムに全身を委ねる《ebb tide》とは対照的に、《Sprout “fizz”》では、壁や床に無数に配置されたスピーカーの間を自らの身体で彷徨いながら、一つひとつのスピーカーに耳を近づけて音を聴きたくなる。あの展示空間では、音を「受け取る」だけでなく、「探しに行く」という身体的な衝動が自然に湧き上がってきます。そして、あのスピーカーたち、すべて形が異なっていましたよね。

evala そうです。形を少しずつ変えながら3Dプリンタでつくったもので、同じものは一つとしてありません。形状によって音も変わるので、一つひとつのスピーカーはもはや異なる音源と化しています。そういった意味でも、従来の、ステレオの延長のマルチチャンネルシステムとしてはあり得ないことをしているんです。

久保田 その違いに気づいた瞬間から、一つひとつのスピーカーに耳を近づけて聴いてみたくなるのかもしれません。スピーカーの前でじっと聴く、あるいは耳とともに動くヘッドホンやイヤホンでの聴取とは異なる、音との関わり方。そこには、聴くという行為の多様性や重層性をあらためて思い起こさせる体験がありました。《Sprout “fizz”》は、まさにそうした「聴くことの開かれ」を体現した作品だったように思います。

畠中 ステレオやサラウンドというのは、左右に二つの耳を持つ人間の聞こえ方を前提に、それに近づけたり、あるいはもっとダイナミックにするための技術なのだと思うんです。だから、5.1とか22.2などさまざまなチャンネル数のサラウンドシステムがありますが、いくら増やしても、極端に言えば左右の耳で聴くことを前提にする限り、ステレオの延長なのではないかという言い方もできる。対してevalaさんのマルチチャンネルは、そうしたステレオの延長ではないことは可能か、ということを体験と併せることで追求しようとする。そのことこそが重要だと思います。

《Sprout “fizz”》2024年
撮影:丸尾隆一
写真提供:NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]

See by Your Earsへの分岐点《大きな耳をもったキツネ》

畠中 《ebb tide》と《Sprout “fizz”》が対の関係にある一方で、《ebb tide》と無響室の《大きな耳をもったキツネ》にも別の対の関係があります。体験として対極的な関係にある作品が複数展示されているのが、今回の展覧会の特徴と言ってもいいかもしれません。

《大きな耳をもったキツネ》は「See by Your Ears」の活動に先立って、無響室での展示を想定して制作された作品で、半ばコミッションワークのようなものです。2013年以来、今回で5回目の展示になります。京都で鈴木昭男さんに音の場所を教えてもらいながら、evalaさんがフィールドレコーディングし、それを素材に立体音響作品をつくりあげました。それが《大きな耳をもったキツネ》の最初の4作品です。「立体化した鈴木昭男」と言うと何か変ですが、ともあれ鑑賞者は鈴木さんが自分の周りを、まるで空中を飛び回りながら演奏してるような音響体験ができます。

evala 先日いらした鈴木昭男ファンの方からは、「これ、本当に鈴木さんの演奏ですか?」と詰め寄られました(笑)。録音した音をそのまま使うということではなく、二人の共同作品みたいなものです。小人になって巨大な楽器の中に入り込んでいるような場面や、鈴木さんが100人ぐらいいるように感じる場面もあります。

ちなみに、無響室でも床から離れてもらいたかったので、足の下にも一枚座布団を敷いています。硬い接地面は椅子の座面だけです。本当はもっと宙吊りのような、無重力な感じにしたいんですけど。

畠中 座面はどうしても必要ですから、接地面が椅子の座面だけというのは、一つの理想的なかたちではありますよね。

evalaさんはこの制作をきっかけに移動型の無響室の作品《hearing things #Metronome》を制作し、そこから「See by Your Ears」の活動を始めます。《大きな耳をもったキツネ》はいわば、「See by Your Ears」の活動の原点と言える作品です。この作品は、サウンドアートといわれるジャンルの中でも、ほかに類を見ないものだと思います。そのままサウンドアートの文脈でもエポックな作品と言えるのではないかと思います。

畠中氏

リアリズムではなくシュルレアリスム《Inter-Scape “slit”》

畠中 通常の立体音響作品は、リアリズムを求めるようなところがあると思いますが、evalaさんはそうではなく、現実的な聞こえ方を拡張していく。それは、ハイパーリアルでもあるし、シュルレアリスムと言ってもいいかもしれません。

evala ティム・インゴルドが「サウンドスケープはランドスケープの概念をモデルとしているため、私たちが生きる世界の「表面」に重点を置いている。しかし、音も光も、私たちが存在し、そのなかを移動する「メディウム」の流れそのものであり、単なる表面の属性ではない」と、サウンドスケープの表面性に対して疑問を投げかけていますが、フィールドレコーディングも同様に、ある一つの場所の表面を写し取る行為と思われがちです。《Inter-Scape “slit”》はフィールドレコーディングを素材とした作品ですが、僕がこの作品で何をしているかというと、時間も場所も異なる音をごちゃ混ぜにしているんです。なので、生態系に詳しい人が体験すると、それは「あり得ない世界だ」ということになる。北欧の鳥と中東の虫の鳴き声が同時に聞こえたり、日本海の潮騒と地中海の浅瀬のチャプチャプとした波の音が一緒に聞こえたりするからです。

僕は世界の表面を写し取るのではなく、タグづけできないもの、名付け得ないものをつくりたいと思っています。だからこの地球にありそうで、でも、どこにもない非現実な場を生みだそうとしたのが《Inter-Scape “slit”》なんです。

視覚のようにわかりやすく感じ取ることはできませんが、滝の音を天地逆にしたりもしています。どこかで聞いたことのある音を素材に、それを聞いたことのないかたちへとつくり変える。それが新たな没入感を生むのだと思います。

すずえり この作品の光の使い方、すごくおもしろいですよね。場面の変わり目や、波が打ち寄せるような瞬間にストロボのような光が焚かれて。光からも、音が持つテクスチャーに近いものを感じました。

《Inter-Scape “slit”》
撮影:丸尾隆一
写真提供:NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]

視覚と聴覚の差異を際立たせる《Score of Presence》

久保田 《Score of Presence》は、視覚と聴覚という異なる知覚モードのコントラストを際立たせる作品です。壁に設置された6枚の絵は、それぞれが明確に独立したオブジェクトとして視覚的に認識されます。しかし、そこから発せられる音は、空間の中で混ざり合い、もはや個別には分離できない。見ることと聴くことの感覚的距離、あるいは知覚の仕組みそのものを問いかけてくるような作品でした。

evala この作品は、絵として見えているものが実はスピーカーなんです。あの後ろに特殊な振動子のようなものが付いていて。2009年に、大日本印刷が紙の全面から音が出せる技術を開発して、しゃべるポスターというコピーで売り出したのですが、当時その技術を使って何かつくれないかと相談を受けました。そのときはあまり興味をそそられなかったのですが、しばらくたってこの作品につながりました。一見すると平面作品の展示のように見えますが、実はそこに、目に見えない音が重なっているんです。

すずえり しゃべるポスター、気になります(笑)。あの平面から音が出ていたんですね。絵は音のビジュアライゼーションですか。

evala そうです。僕はレコーディングのためにプログラムも書くのですが、自作の3D音響のアナライザーを使って、空間音響の軌道データや解析データをビジュアライズしています。ただ、絵の音と鳴っている音は別です。同じ音を鳴らす展示をしたこともありますが、音は展覧会ごとに考えていて、今回もまた新たなものにしています。

《Score of Presence》2019年
撮影:丸尾隆一
写真提供:NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]
左から、畠中氏、すずえり氏、evala氏、久保田氏

脚注

1 Tim Ingold, “Against Soundscape,” in Angus Carlyle (ed.), Autumn Leaves: Sound and the Environment in Artistic Practice, Double Entendre, Paris, 2007, pp. 10-13. 本稿内のインゴルドのテキストの引用はすべて、久保田氏による試訳。

evala
音楽家、サウンドアーティスト。新たな聴覚体験を創出するプロジェクト「See by Your Ears」主宰。立体音響システムを駆使し、独自の“空間的作曲”によって先鋭的な作品を国内外で発表。2020年、完全な暗闇の中で体験する音だけの映画、インヴィジブル・シネマ『Sea, See, She – まだ見ぬ君へ』を世界初上映し、第24回文化庁メディア芸術祭アート部門優秀賞受賞。2021年、空間音響アルバム『聴象発景 in Rittor Base ‒ HPL ver』がアルス・エレクトロニカ2021デジタル・アート&サウンド・アート部門にてオノラリー・メンションを受賞。近作に、世界遺産・薬師寺を舞台にした《Alaya Crossing》(2022年)、《Inter-Scape 22》(東京都庭園美術館、2022年)、《Haze》(十和田市現代美術館、2020年)、ソニーの波面合成技術を用いた576ch音響インスタレーション《Acoustic Vessel “Odyssey”》(SXSW、オースティン、2018年)、無響室でのインスタレーション《Our Muse》(国立アジア文化殿堂[ACC]、光州、2018年)、《大きな耳をもったキツネ》(ICC、2013・2014・2023年/Sonar+D、バルセロナ、2017年)など。また、公共空間、舞台、映画などにおいて、先端テクノロジーを用いた独創的なサウンド・プロデュースを手掛けている。大阪芸術大学音楽学科・客員教授。
https://evala.jp
https://seebyyourears.jp

鈴木 英倫子(すずえり)
サウンドアーティスト。東京都を拠点に活動。鈴木英倫子の名前でも活動を行う。音の取り扱いとDIYによる自由をテーマに、自作楽器や装置による展示、演奏を国内外で行う。道具や楽器のインタラクションと身体、通信のレイテンシーと即興性などから立ち上がるずれに興味をもち、そこから想起される詩と物語性を問う。
https://suzueri.org/

information
evala 現われる場 消滅する像
会期:2024年12月14日(土)〜2025年3月9日(日)
休館日:月曜日
会場:NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]ギャラリーA、B
入場料:一般1,000円、大学生800円
https://www.ntticc.or.jp/ja/exhibitions/2024/evala-emerging-site-disappearing-sight/

※インタビュー日:2025年3月7日
※URLは2025年5月15日にリンクを確認済み

音を造形する サウンドアートの現在形 「evala 現われる場 消滅する像」座談会[後編]

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