久保田晃弘 芸術と技術の100年対談 第8回 細井美裕が残したい音

塚田 優

写真:栗原 論

連載目次

左から、久保田晃弘氏、細井美裕氏

残したくなるサウンドインスタレーションのために

久保田 この連載は、アートとテクノロジーが100年後の世界をどれぐらい想像できるのかというテーマで、いろいろな方とお話させてもらっているのですが、細井さんの《余白史》(2024年)ほどこのシリーズにふさわしい作品はないんじゃないかと思いました。まず初めに、この作品を制作した背景や、やりたかったことを教えてください。

細井 東京都が行っている「花と光のムーブメント」というイベントの一環で、日比谷公園にアート作品が展示されることになりました。すでに永山祐子さんと大巻伸嗣さんの参加が決まっていて、その二人の作品をつなぐサウンドアートとして、キュレーターの山峰潤也さんに声をかけてもらいました。

私はサイトスペシフィックな作品づくりを好んでいるので、制作にあたってまず公園のリサーチを行いました。その過程で、この日比谷公園では長い歴史のなかでいろんなことがあり、かつ今も変わろうとしているというイメージを持ちました。でもその一方で、皇居や省庁と隣接していて、そこもおもしろいなと思いました。

公園という場所は、戦時中は遺体の安置所になっていたり、現代は災害時の避難場所でもあります。つまり都市の空白としての機能があるんですね。そうしたことは情報としては残されていますが、じゃあその変化し続けるという空間にフォーカスして、アーカイブできないかなと考えたのがこの《余白史》という作品になります。

久保田 美術作品というと、どうしても視覚的、物質的なものが多くなってしまいがちですが、今回は音という、まさに余白のメディアが公園にフィットしたように思います。

細井 ありがとうございます。自分でもちょっとびっくりしたのですが、本当にいろいろな「音」がある。時間帯でも違うし、リサーチをしていると毎日違う音が聞こえます。近隣で働いている人の通路でもあるし、休日は子どもたちが遊びに来ている。

それと今回の作品は、私の《Lenna》(2019年)という作品がNTTインターコミュニケーション・センター[ICC]の「オープン・スペース2021 ニュー・フラットランド」で展示された際の久保田先生とのトークからも影響を受けています。このトークでは、システム図とかフォーマットとか、主にテクニカルな話をしていましたが、最後に久保田先生が、技術的な側面ももちろん大事だけど、それ以上に重要なのは、誰かがその作品を残したくならないといけないというような話をしてくれたんです。

そのコメントは具体的にどのように反映されていたかというと、《余白史》では私も含めて15人の、私とは異なる世界の見方をしている友人たちに録音してもらっていて、頼むときに、超主観的な録音をしてほしいと話をしました。というのも、まず私が聞きたくなる音源じゃないと少なくとも残らないなって思ったからです。

ただその一方で、客観的な録音も行いました。今回は小野測器さんという計測を専門としている会社のチームに入ってもらい、300m×500mをグリットに切って配置し、30人で同時に収録したり、人間の可聴域をはるかに超える、1ヘルツから100キロヘルツまで収録できる機材で録音を行いました。

久保田 それはすごくおもしろいですね。ICCのトークのときに話したかったのは、残したいという欲望と、人間が気づいてないものを気づかせる手段としての技術の相乗作用の重要性でした。だから今回細井さんが、個人の主観で録音すると同時に、客観的な同時多点収録や、可聴域外の音を録ったことは、僕もとても興味があります。

細井美裕《Lenna》2019年
撮影:木奥惠三
写真提供:NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]
山口情報芸術センター[YCAM]
scopic measure #16
細井美裕《Lenna》
撮影:谷康弘
写真提供:山口情報芸術センター[YCAM]

技術と表現の狭間で

久保田 同時多点収録にはiPhoneを使用されたそうですが、庵野秀明さんが映画の撮影にiPhoneやiPadを積極的に取り入れたように、身近で手軽なツールの活用は、逆に新たな創作の可能性を拓いてくれそうですね。

細井 おっしゃる通りです。私は技術的にかなり進んだ現場にいることが多いのですが、でもそれは研究開発現場だったり、先輩の作家さんがいたりするからなんです。だからいざ自分の新作をやるとなったときは、環境を0から構築しなくちゃいけない。そうなるとどんどん初動が遅れて、お金や機材の問題で自分がつくりたいときにすぐつくれないんです。

でも一通りいろんな機材で制作をして、ハイテクな現場でしかできないことと、常に大事にすべきことがわかってきたので、最近は「技術がコンセプトになったら良くない」とよく大学の授業などで話しています。なぜなら1年後にその技術は更新されているかもしれないし、そうなったときにも耐えられるコンセプトがないと、残すといっても、その機材を残すことでしか作品を残せなくなっちゃう。なのでiPhoneでも、機材が目的になっていなければやれることはもっとあると思います。

《余白史》も性能の良いスピーカーを入れればリッチな音はつくれたと思いますが、公園のスピーカーを使っています。それによって今この瞬間の公園の音に、過去の公園の音を、公園として聞かせることになるので、公園が持っている機材でやることに意味があるんですね。そういった判断が最近できるようになりました。

久保田 メディアアートはよく、最先端の技術を使った芸術と語られがちですが、それこそ大いなる誤解ですよね。もちろんそれが新たな可能性を発見することも、ごくまれにはあるかもしれませんが、先端であればあるほど、その技術は保守的な概念や使用法に根ざしがちです。安価で中庸なものごとのなかにこそ、未知の可能性が潜んでいる。だからiPhoneのようなカジュアルでアノニマスな日用品を、それを提供する側が想像しなかったやり方で使用するほうがずっとおもしろい。

音の収録についても同じで、最近の32ビットフロート録音の普及で、レベル合わせをせずに手軽に収録できるようになりました。これはカメラがオートフォーカス、自動露出になって、敷居がぐっと低くなったことと似ています。こうした技術の低価格化や日常化によって、録音だけでなく、音響空間や時間に対する認識も変わっていくのではないでしょうか。

細井 そうなっていくとおもしろいですね。ちなみに《余白史》のインストールはエンジニアの伊藤隆之さんと調整したのですが、一度公園のスピーカーをEQして、特性をフラットにしてみたんです。でもそうすると普通のスピーカーから出ている音になってしまって、違和感がありました。やりたかった演出にならない気がしたので、低域があまり出ず、高域が強いもとのEQに結局戻したんです。制作を通じ、スピーカーというメディアについても考えさせられました。

久保田 それは興味深い話ですね。以前大学で、自作スピーカーのワークショップ行った際、市販のスピーカーのように、どんな音楽でもそこそこ再生できるフラットで万能なものを目指すのではなく、固有の癖があるものほど、おもしろい使い方ができるという話をしました。スピーカーをある種の楽器だと思えば、自分がつくったスピーカーの癖に合わせて音をつくることもできる。そうすることで、原音再生のような、既製のオーディオ用スピーカーのイメージを超えていくというか、解体していくのが楽しい。音のメディア性(mediarity)は、まだまだ解放できるはずなんです。

《余白史》で使用された公園内のスピーカー
園内の各所には集音のためのマイクも設置されていた

記録された音の持つ情報

久保田 今朝集合時間の前に、細井さんの作品をフィールドレコーディングしてみました1。その場所の環境音と作品のスピーカーの音が混ざって、不思議な音場になりますね。

細井 そうですね。今回15人に録音をお願いしたら、全部おもしろかったんです。被るものもあるかと思ったんですが、フォーカスするところが全然違っていました。だから久保田先生が私の作品を録った音源にも、必ず先生の視線ならぬ「聴線」が入ってるはずです。

しかもそれは物理的に指向性の話じゃなくて、どこを録りたいと思い、その録音をいつ始め、いつ切ったかっていうタイミングにも先生の判断が入っている。だから今回の作品はいろんな場所でやってみたいなと思ったし、もうちょっとフォーマットとして体系化していきたいなとも思いました。

久保田 なるほど、それは写真論でいうヴァナキュラー写真2のようなものかもしれません。そうしたローカルで口語的な音についても、改めて議論することができそうですね。

細井 写真や映像、計測データなどアーカイブの方法はいろいろありますが、音だって3秒聞いただけで得られる情報量がすごいあるんです。3秒写真を見ただけじゃ、その写真の裏側はわからなかったりするけど、音は現象に近いというか、身体的に本当だと思える要素がある。私にはその確信があって、もうちょっとみんなで共有できる言語にしたいんですが、そうすると良さがなくなるんじゃないかとも思います。

久保田 でも、そうした共通言語ができると、あっという間にパワーゲームになっちゃうかもしれませんね。それはむしろ訛りや方言のようなものなので、ゆっくりじっくりと、大切に考えていきたいということでしょうか。

細井 そうですね。まだ楽しみたい(笑)。

久保田氏がレコーディング用に準備したマイク

アーカイブされた過去の音を聴くこと

細井 私はボイジャーのゴールデンレコード3が大好きなんです。あれにはアーカイブを通じて自分たちを知るという側面がある気がしていて、私は自分の作品についても、どういった部分を残したいのかを考えるのが好きなんです。《余白史》もゴールデンレコードを意識した作品で、そうやって信じて、やってみようということで、音源は東京都の公共施設にアーカイブされる予定です。

アーカイブの形式としては、単純に音ファイルを納品するだけでは、残ると思えない。なので図書館や資料館の所蔵方法を意識したり、冊子をつくろうと計画しています。例えば録音した人のプロフィールだったり、録音日時、場所などが記載されたものがわかるような。そのあたりはデジタルアーカイブにも詳しいキュレーターの山峰さんと、同じくキュレーターチームの須藤菜々美さんにアドバイスをいただいています。

久保田 遺体安置所になってしまった戦時中の日比谷公園の音はどうだったんだろう、と今さら思っても、もう手遅れですし、それだけでなく、誰がその音を残そうかと思ったのか、ということも合わせて記録しておきたい。

細井 そうです。日比谷公園についても、過去の映像資料に音があるんじゃないかと思って都に問い合わせたんですけど、全部クラシックの音楽がついているそうです。でも今は音響の解析も進んでいて、今回同時多点収録と日比谷公会堂のIR収録に参加いただいた株式会社Sound Oneの石田康二さんという日本騒音制御工学会の会長もされていた方に聞いたのですが、非可聴域の音データの蓄積から、森や動植物の健康状態を知り得ることが、最近になって明らかになったそうです。

だから将来、例えば100年後とかは今よりもっと解析が進むから、《余白史》も公園の生態系を記録したものとして参照されるかもしれない。そういうものとして音を録っていくのはすごく良いなと思うんです。

久保田 科学や技術の一つの役割は、人間の日常的な想像力を超えることにあります。ボイジャーも、地球以外の生命や知性に読まれることを想定する、という設問自体がおもしろい。そこに唯一の正解はないので、例えば今再びゴールデンレコードのようなものをつくるとしたら、私たちは一体何をつくれるのか。そこには、その時々の社会や政治の状況や、人間観が反映されますし、客観的でニュートラルなものは決してつくれない。

細井 大学の課題として出したらおもしろそうですね。それでふと思い出したんですけど、今回の録音で小学生ぐらいの子どもたちがミサイルの話をずっとしている音源がありました。多分ニュースとかでミサイルの話を聞いたのかと思うのですが、心が痛くなりました。

久保田 その場では違和感がなくても、別の状況や文脈で聞き直すと、違った感情や意味が浮かび上がってくることも多い。そこにこそ録っておく、聞き直すことの意味があるのかもしれません。聴く人によって異なるフォーカスがあって、アーカイブにはそれを引きずり出すエージェンシーがある。必ずしも、つくった人の意図みたいなものに縛られない。100年後といわなくても、たった10年後でも、今現在の音を聴き直したらおもしろいと思うんです。

「残したい」という気持ちとその先にあるもの

久保田 インタラクションも音と同様に残りづらいものですが、故三上晴子さんは、インタラクションこそが、自分の作品のコアだとずっと言い続けていました。そこで彼女の《Eye-Tracking Informatics》に残された鑑賞者の視線データのアーカイブを使って、インタラクションを鑑賞したり分析しようとしています4

細井 私も三上さんの作品はすごく好きです。でもその一方で、最近はインタラクティブと呼ばれるものがあまりにも広く使われていて、そのなかに取り込まれてしまったりとか、私のなかですごく好きだった視点がブレているようにも感じます。インタラクティブという言葉の意味がどんどん変わっていってしまうことは悲しい。

久保田 どの言葉もそうだと思いますが、言葉の意味や使われ方は時代とともに常に変化していきます。コンピュータのGUI(グラフィカルユーザインタフェース)のデザインや、今ではUX(ユーザーエクスペリエンス)と呼ばれているものも、確かにインタラクションの一種ではありますが、当時はそういうことを考えていたわけではない。そもそも鑑賞者や体験者はユーザーではありません。だからこそ、なるべくアーカイブを残して、継続的に議論を継承したり深めていかなければなりません。今日の細井さんとの対話を通じて「音を残したいという気持ちはいつ発生するのか?」ということを、改めて考えさせられました。

スマートフォンにカメラが搭載されたことで、多くの人がカジュアルに写真を撮ることができるようになりました。以前は、何かを残そうと思ってから写真を撮ることが多かったと思いますが、今ではほぼ無意識というか反射的に写真を撮ってから、あとでそれをどうするか考えることも多い。でも同じようにスマートフォンで記録できる音については、まだそういう状況にはなっていません。だから音に限らず、視覚以外の感覚や知覚が、技術の展開とともに今後どういうふうに社会のなかで、認識され、記録され、再現されていくのかが気になります。

細井 私は、誰かの「残したさ」って優劣がつけられないと思っているんですよね。自分の知らない人が写っている写真でも、所有してる人が「この写真なんか無性に残したくて」と言われると考えちゃうじゃないですか。

久保田 なるほど、確かにそうですね。だからこそ細井さんには、残したいっていう欲望がどこで生まれるのかを今後も音を通じて探求していってほしいと思います。

細井 そうですね。当分の課題にしたいと思います。でもその結果、10年後とかに「残さなくてもいいじゃん」と言っているかもしれません(笑)。

脚注

1 久保田氏が録音した音の一例。https://freesound.org/s/737999/
2 いわゆる表現として作家が撮影した写真ではない、無名の職人や、素人の撮影した写真のこと。従来は写真史や写真批評の対象外となっていたが、ジェフリー・バッチェンらの仕事を通じて、写真の現象的側面やそれぞれのコミュニティにおける鑑賞者の欲望を反映したものとして、多くの関心を集めるようになった。
3 1977年にアメリカが打ち上げたボイジャー探査機に搭載されたレコード。地球外の知的生命体や、未来の人類が見つけ、解読することを期待し、地球の生命/文化を伝える音や画像が収められている。
4 久保田氏らによる三上晴子に関する記事が、過去のカレントコンテンツに掲載されている。多摩美術大学アートアーカイヴセンター三上晴子アーカイヴ(久保田 晃弘・石山 星亜良)「多摩美術大学における三上晴子アーカイヴの取り組み」2022年10月14日、https://mediag.bunka.go.jp/article/article-20431/

細井 美裕(ほそい・みゆ)
1993年生まれ。サウンドアーティスト。マルチチャンネル音響を用いたサウンドインスタレーションや屋外インスタレーション、舞台作品など、空間の認識や状況を変容させる音に焦点を当てた作品制作を行う。これまでに長野県立美術館、NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]、山口情報芸術センター[YCAM]、愛知県芸術劇場、国際音響学会、羽田空港などで発表。
https://miyuhosoi.com/

久保田 晃弘(くぼた・あきひろ)
1960年生まれ。多摩美術大学美術学部情報デザイン学科メディア芸術コース教授/国際交流センター長。アーティスト。東京大学大学院工学系研究科船舶工学専攻博士課程修了、工学博士。数値流体力学、人工物工学に関する研究を経て、1998年より多摩美術大学にて教員を務める。芸術衛星1号機の「ARTSAT1:INVADER」でアルス・エレクトロニカ 2015 ハイブリッド・アート部門優秀賞をチーム受賞。「ARTSATプロジェクト」の成果で、第66回芸術選奨の文部科学大臣賞(メディア芸術部門)を受賞。著書に『遙かなる他者のためのデザイン 久保田晃弘の思索と実装』(ビー・エヌ・エヌ新社、2017年)、共著に『メディアアート原論』(フィルムアート社、2018年)ほか。

information
Park×Art 日比谷から始まる新しい公園のかたち Playground Becomes Dark Slowly
日時:2024年4月27日(土)~5月12日(日)9:00~22:00
会場:日比谷公園
アーティスト:大巻伸嗣、永山祐子、細井美裕
https://www.tokyo-park.or.jp/special/2024art_hibiyapark/

※インタビュー日:2024年5月2日
※URLは2024年8月28日にリンクを確認済み

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