不破 了三
作曲家やプロデューサーとして、アニメ・ゲーム・CM・ドラマ・映画に数多くの楽曲を提供してきた菅野よう子氏。前編でお届けしたのは、幼少期から作曲を始め、導かれるように音楽業界へ足を踏み入れ、ゲームやCMに楽曲提供をするようになったこと。続いて、仕事をともにしてきた映像作家とのエピソード、次世代クリエイターへの思いなどについても語り下ろしていただきました。
連載目次
――90年代半ばに差しかかると、いよいよアニメ作品との関わりが出てきますね。
菅野 いくつかアニメソングの作編曲はやっていましたが、サウンドトラックをお引き受けしたのは、『マクロスプラス』(1994~1995年)からになります。やっぱり私のCM音楽を聴いた方からのお声掛けだったと思います。全部が全部、そういうつながりなんです。以前の仕事がどなたかの耳にとまって、次の仕事につながっていく……その繰り返しです。『マクロスプラス』の場合、まずは、バーチャルアイドルであるシャロン・アップルのコンサート用の歌を発注されました。アイドルだけどバーチャルな存在で、しかも兵器でもあって、聴く人を幻惑する力がある……とか、いくつかの設定をもらって、「よーし、音楽兵器つくっちゃうぞ!」とウキウキしてつくり始めました。対極にある、音楽プロデューサーのミュンのための素朴な音楽と合わせて、5曲くらいを最初につくりましたね。
なので、いわゆる普通の劇伴づくりのような、M-1、M-2といった細かな音楽メニューをもらったり、フィルムの秒数に合わせて作曲したりするような作業は、このときはしていないです。男性の主人公二人が空中戦するときの音楽とか、○○さんのテーマとか、そういうつくり方でした。
――『マクロスプラス』の音楽は、バーチャルアイドルのためのハウス、テクノサウンドや、アンビエント、宗教音楽、民俗音楽まで取り込んだ劇伴、山根麻以さんを招いたバンドによるセッション、イスラエル・フィルハーモニック・オーケストラによるシンフォニーまで広範囲にわたっていて、これを一人の音楽家が手掛けていることに誰もが驚かされたんですが……。
菅野 いえ、別に誰にもそうしてくださいとは言われてないんですよ(笑)。飛行機で雲の上に出て、耳がキーンとしているときに聴こえてきそうな音楽といったら、やっぱりブルガリアン・コーラスでしょ、とか、戦闘機の大空中戦だったらフルオーケストラでこういうサウンドでしょ、とか、乾いた砂漠だったらそれは枯れた生ギターでしょ、とか。私の経験と体感とイメージで勝手に見繕ったらこうなったということで。ジャンルを指定されて、○○風にしてくださいなんていう指示は一切ありませんでした。
そういうふうにジャンルが広くてすごいって皆さんから言われるんですけど、逆にジャンルを指示されたり、規定されたりしたら、私はサウンドトラックは書けないですね。雲の上に出たあの耳キーンの感覚とか、幻惑する音楽兵器の低音ドンドン、リバーブどっぷりの感じなんかを、全部オーケストラでやってくださいとか、ジャズにしてほしいとか、最初から決められていたらできないと思う。感覚がそうならないので、どうしていいかわからないんです。もちろん、予算の範囲内の話ではあるけど、世の中にこれだけいろんな表現手段があるんだから、何を使ってもいいんだったら、それはもう自分の感じた感覚により近いものにしたいですよね。
オーケストラ用のスコアを書く経験も『マクロスプラス』のときが初めてです。初めてがイスラエル・フィルって、無茶ですよね。わからないし勉強もしてないから、例えば「この楽器って何人いるんですか?」とスタジオの人に一から聞いていました。初めてホールで録音したときは、想像してた音と全然違いました。弦楽器をもっと増やさないと管楽器に負けちゃうとか、コンサートのような決まった楽器配置にしなくてもいいとか、そういうことは後々わかってくるんですけど。スタジオ録音と同じようなつもりだと、ホールでは全然聴こえなかったんです。本当、今思えば無茶苦茶ですよね(笑)。
なので、出来上がった音楽も、フィルムと上手く溶け合っているとは思っていなかったですね。というか、申し訳ないことにフィルムの側がダメだと思っていました。自分の頭の中にある雲の上の感覚に比べて映像がショボすぎるとか、作曲するときに思い浮かべてた戦闘機のスピード感に比べて遅すぎるとか、こんな顔のバーチャルアイドルに幻惑されるかーいとか。楽しみにしていた完成試写会でもすごいショックで、スタッフの方にひどいことを言っちゃったんですよね。全然アニメとか見たことなかったので、何にもわかっていなかったんです。『マクロスプラス』の戦闘機シーンって、アニメ作画史上最高峰と言われたりしているんですよね? それなのに「遅っ!」とか思っちゃってました。もう本当にごめんなさい(笑)。想像をふくらませすぎるのもダメですね。それを何回も繰り返して曲をつくってきたので、自分の頭の中で想像してたものほうが、ずっと大きくなっちゃってる感覚でした。
――続いて、菅野さんにとっても大きなブレイクの機会となる、アニメ『カウボーイビバップ』(1998~1999年)の音楽を担当されますが。
菅野 まだ『カウボーイビバップ』って名前も決まっていないし、キャラクターもストーリーもほとんどない企画書の段階で発注を受けて。まずは音楽だけ先につくってみて、とも言われてなかったかもしれないんですけど、もう勝手に曲をつくり始めちゃってましたね。渡辺信一郎監督から「ジャズにしたい」というキーワードだけは出ていたんですけど、私にはジャズがまったくピンと来なくて。だって、ジャズで売れたって聞いたことないし、学生のときのあのビアガーデンのバンドでもジャズなんて1曲もやってないし、CM音楽でもジャズ風の発注なんて全然なかったし。ジャズが真ん中を張ってるってイメージがないんですよ。そんなの絶対売れないし誰も観ないと思っていました。だから監督が言ってるジャズがどういうものかも、特に確かめもしませんでした。さっきのCMの話じゃないですけど、「社長がああ言ってるから」みたいに、監督が言うからには、一応ジャズっぽいのも考えておこうかな……くらいの感じでつくり始めました。
結局は、伝説的なジャズのレコーディングエンジニアであるルディ・ヴァン・ゲルダーさんにレコーディングに参加してもらいました。彼に参加を要請したのも私の判断です。私の判断というか、日本のスタジオのエンジニアさんに「ジャズといえば、ルディ・ヴァン・ゲルダーっていうすごい人がいるよ」って教えてもらって、よっしゃ!ってすぐに電話しちゃって。実は本当にものすごい巨匠だったんだとわかるのは、全部録音が終わった後なんですけどね(笑)。それでも引き受けてくださったのは本当に奇跡です。今の私だったら絶対無理って言います。今でも、何でやってくれたのかわかりません。
本当に感性の若いおじいさまで、私なんかよりずっと可能性が未来に開けているような、すごいエンジニアでした。躊躇なく自分の世界観にガーンと持っていくんですよ。「これは夢のなかにいるような曲だから」と一言言っただけで、とてつもないリバーブをかけて、「こんな感じ?」なんて確認も一切なしで振り切るんです。リハーサルをしていても、ちょっと聴いたところで「これ以上やるとフレッシュじゃなくなるから、もういい」って演奏を止めさせて、勝手にコンソールをコチョコチョ変えてるんです。なのに、次の本番のときはもうばっちり決まるわけですよ。ちらっと聴いてこういう曲だなと思ったら、彼なりの解釈でバッと音をつくってすぐにキメちゃう。そういうプロ中のプロといえるエンジニアには何人か出会っています。エンニオ・モリコーネ1の片腕だったイタリアの人、北欧のスタジオにいた人、ルディもそうです。みんな70、80過ぎのおじいちゃんなのに、とにかく感性が瑞々しいんです。本当に素晴らしい経験でしたね。
レコーディングでは、ニュージャージー州のルディさんのスタジオにも行きましたけど、もうヘッドホンも触らせてくれないんです。自分のモニターの音量のつまみも触らせてくれない。「Don’t Touch!」って怒られちゃう。森の中にあるスタジオなので、湿気が入るからすぐに扉を締めろ!とか、いつも怒ってる(笑)。子どもみたいな感性のまま、音楽をつくるのが大好きすぎてオタクになっちゃったような人で、本当に素晴らしかった。2016年に亡くなりましたけど、『カウボーイビバップ』のサントラが、ルディさんの晩年の代表作の一つになれたのは、本当に幸せなことです。作品に込めた私なりのジャズの要素となると、主題曲「Tank!」に象徴されるようなシートベルツの曲というよりも、むしろこっちですね。シートベルツはむしろファンク寄りなので。
――さまざまな映像作品のサウンドトラックを手掛けるうえで、それぞれの監督さんとの意思の疎通が仕事上の大きなポイントになると思いますが、印象深い監督さんや、思い出深いやりとりなどはありますか?
菅野 皆さん本当にそれぞれやり方も違うし、私に求めることも違うし、ちょっと変でおもしろいし。でもやっぱり思いが強くて、一筋縄ではいかない。そして、「やりやすい人」なんて一人もいないですね(笑)。『ブレンパワード』(1998年)、『∀ガンダム』(1999~2000年)の富野由悠季監督は、とにかく言葉を尽くして説明してくださるんですが、最初は何をおっしゃっているのか本当にわからなくて。言葉に言葉で返していったら、ちょっとコミュニケーションがとれないなと思って。そんなに言葉で弾幕張らなくても大丈夫だよって、何だか息子を見ている母親のような気持ちで接していました。作品のなかでもセリフでの説明が多いので、音楽を入れる隙間ないんです。なので、それに抗わないで包む方向で考えようと、音楽のアプローチも少し変えました。
富野さんの作品でほかと違うことがあるとすると、これまで話してきたような、私の体感やリアルな想像力はやや控えめにして、ファンタジー要素を強めにして音楽をつくっていたような感覚です。どの監督も、その考えに近づこうと同じような目線になってみたりして一体化を試みるんですけど、富野さんのように放射するものが強い方は、こちらも一緒に揺れてしまうんですよね。なので、そういう現実から離れて、いかにファンタジーで一時の休息を得るか。やや私の体感を切って、少しファンタジーの方に逃がす……そういう感覚でつくっていました。
――『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』(2002~2003年)などでご一緒された神山健治監督や、『マクロスプラス』や『創聖のアクエリオン』(2005年)、『マクロスF』(2008年)などの河森正治監督はいかがでしょうか?
菅野 神山監督は、情緒的なことを決しておっしゃらないので、これがまた全然わからない人なんです(笑)。もちろんそのような側面もあるんでしょうけど、あえて表現されないのか、打ち合わせでも全然出てこない。私のような、好きー!とか、すげぇー!とか、ギャー!みたいな部分がほぼない。だから、私は私で哲学的な問答に入ろうと思って取り組みましたね。神山さん風に一回理性で全部計算した後で、情緒の深みに入って、無意識のほうまで到達するような。いやむしろ情緒はスキップして、理性と無意識だけを使うような音楽のつくり方をしました。富野さんとは対照的ですね。富野さんは、言葉で自分のやりたいことを何とか伝えようとしてくれるんだけど、その後ろ側に個人の情緒がべっとり付いてくる感じ。神山さんは、まず理性がポンッとあって情緒がスカッと抜けてて、でもその奥の無意識にはすごく豊穣とした世界がある感じですね。
河森さんもまた違っていて、あの方は無意識が強めですね。あとはケレン味がすごく好きで、お祭りとかハレの場とかに高揚したい、興奮したい欲求があるような。そういう体感ですよね。だから体感と無意識強めで、理性はあまり使わないつくり方でしたね。あと「マクロス」シリーズの場合、歌が物語のキーになるので、歌の発注も多いですし、役割も重要なので意識しますよね。その場合、劇中の設定として、この歌は誰が作詞・作曲してるのかを想定しながらつくります。ランカちゃんのために作詞家・作曲家がつくった歌だとか、シェリルさんが若いとき失恋してつくったとか、シェリルさんが15歳ぐらいでデビューしてて、その頃はきっとちょっとエロいR&Bが流行ってたからこんな感じ……とか、勝手に裏設定を考えてね。だから私がつくるんじゃなくて、作中の作曲者になりきってつくる。それはそれですごく楽しいんです(笑)。
――『マクロスF』に関しては、作品的にも音楽的にも、端的に言って「ヒットした」という事実がありますね。これは菅野さん的には、狙いどおりというところがあるんでしょうか。
菅野 いえ『マクロスF』は、もう脚本の1ページ目を見ただけで、これは絶対売れると思いましたよ。どこにそれを感じたのかは上手く説明できないんですけど、瞬間的にそう感じました。脚本を全部読んで、これはいけそうと思う作品は時々ありましたけど、1ページ目からそんなふうに感じることはそうそうありません。私が音楽を担当していなくても絶対にヒットしたと思いますよ。
ランカちゃんが歌う劇中歌「星間飛行」では、作詞家の松本隆さんに歌詞を依頼しました。私の判断です。作曲もできるアーティストに成長しているシェリルさんとの違いを強調する必要もあるし、アイドルのデビュー曲ですし、まだまだ周りの大人が彼女をどう売り出すかをしっかり考えてプロデュースしてるわけです。なので、大人の男性から見た理想の少女像みたいなものを、よくわからないうちに演じさせられている、プロの大人たちに料理されているアイドルのリアリティが必要なんですよ。その詞は私には書けない。「じゃあ誰? 女の子に対してのファンタジーをずっと持ち続けていられる繊細でフレッシュな感性を持った人?」と考えたとき、松本隆さんしかいないと思ったわけです。今の若手の作詞家の人で、それができる人を思いつかないんですよね。「星間飛行」のヒットは、その目論見が間違ってなかったからだと思いますよ。
――作詞を松本隆さんに依頼するとか、伝説のエンジニアさんを訪ねてアメリカに飛ぶとか、先ほどからのお話でも、菅野さんのお仕事は作曲家という範疇を超えた、作品の音楽面を統括するプロデューサー、音楽監督のような形になっていると思うんですが、ご自身もそういう仕事の形を望まれているということでしょうか。
菅野 そうですね。そのほうが好きです。CM音楽を始めた頃からそうなんですけど、CMで認知が広がって、商品が売れて、みんながドリンクを飲んでくれる……そういう目標に向かうことが好きなんであって、その音楽をつくること自体が目的ではないんですよ。だから作曲とか編曲というより、それにまつわる状況をコントロールするのが好きですし、燃えますね。
――ところで、多くの菅野さんの作品に作詞やボーカルで参加されているGabriela Robin(ガブリエラ・ロビン)さんとは、いったい何者なのでしょう?
菅野 誰なんでしょうね?(笑)。もともと文学系に行きたかったんで小説を書いたりもしていましたし、全然自信はないけど、なんか自分で詞も書いちゃった……みたいなことが増えてきて。歌のほうは、それこそ『マクロスプラス』のバーチャルアイドルのときが最初ですね。Origaと出会うまでは、なかなか自分が思い描くように歌ってくれるボーカリストがいなくて、で、仕方なくという感じですね。
――菅野さんご自身による歌声というと、東京電力のCMソング「いちじよじ」(1995年)も忘れがたいですが……。
菅野 あれは本当に子どもの頃と一緒です。最初にお話しした、感情を表現するのに音楽が一番楽だった頃の私の歌。それがまさにあんな感じです(笑)。
――「Meow on the Bridge」では、菅野さんの作品の楽譜販売をされていますが、これはどういう思いで始められたことなのでしょうか?
菅野 特に深い意味はないんですけど、私自身、ブラスバンドをやっていたときに、「あのかっこいい曲の譜面がないなぁ」と思っていたので。一度録音したものだから譜面はあるし、自分自身も、賛美歌でも何でも、譜面を見ていろんな音楽を知ったので、今は譜面を見て演奏する人はあんまりいないのかもしれないけど、何となく出してもいいかなって思ったんです。コロンビアとかニューヨークとか、私の知らないところで、何だかニセ・シートベルツのようなバンドが曲を演奏してる動画を時々見たりします。そうやって世界のみんながコピーしてくれるのは嬉しいなと思いますよ。間違ったものを勝手に演奏されるよりは、正しい譜面でやってくれたほうがずっといいんで。いや別に間違ってても、それはそれでおもしろいんですけどね(笑)。
――子どもの頃の話でも結構なんですけども、菅野さんが目標としてきたような先輩音楽家、憧れの先輩クリエイターのような方はいらっしゃいますか?
菅野 私、本当にほかの方の音楽を知らないし聴いていなくて、あんまりいないんですよね。音楽じゃないんですけど、手塚治虫さんのマンガ『火の鳥』(1954~1988年)は、子どもの頃からすごく好きなんです。ほかの手塚作品は全然読んでいないんですけど、『火の鳥』だけは全部読んだことがあって。もう、時空まで超えちゃう物語のスケールとか、禁断の領域をアーティスティックに描けるセンスとか、業とか宗教感とかプリミティブな感じまで、全方位に深い表現力で物語をつくれちゃう、こんなすごい日本人の人がいたんだと思って。
あと、私、ダイビングが好きでよく海に潜ったりするんですけど、変な魚とかいっぱいいるじゃないですか。透明なやつとか、すごい色のとか、口だけこんなデカいのとか、造形のおかしいやつ。だから、こんなに自由で規格外の海の生き物をつくれる神様ってすごいなぁって、潜るたびに思いますね。自分の範囲の狭さを思い知るというか、「全然かなわないっ!」っていつも思ってます。憧れの先輩クリエイター=神様ですね。どっちも音楽じゃなくてごめんなさい(笑)。
――ものすごく根本的なお話になりますが、菅野さんは、どんな音楽が一番好きなんですか?
菅野 最初のお話に戻っちゃいますけど、日本語(言語)の解像度って粗いので、例えばこんなの……って言っちゃうと、もう全然実際イメージしているものと違ってきちゃうんですよね……無理矢理言うとしたら、なんかこう、「許し」が入っている音楽、でしょうか。存在していてもいいよ……っていう気持ちが含まれている。何事に対してもね。また神様目線のような話になりますけど、どんな豪勢なものにも、どんな小さなゴミみたいなものにも、「それでいいんだよ」と言っているような。否定とか拒絶ではなくて、どこかに必ず許容と肯定が入っている、そういう感じの音世界が好きですかね。なんだそれ?(笑)。
音楽に限らず、映画でも、食べ物でも、何でもそうなんですけどね。神様って許してるじゃないですか、すべてを。そういう感じがやっぱり好きなんでしょうね。子どもの頃の賛美歌への憧れもそうですけど、自分が至れない境地への願望のようなものがあって。美しいものを美しいっていうのは簡単ですが、簡単には認めがたいものも含めて、すべてそのままでいいよっていう気持ちがちゃんと含まれていてほしいな、と。
――同年代・同世代感、仲間感を持っているような音楽家さんなどは、いらっしゃいますか?
菅野 大島ミチル2さんとはメル友ですし、澤野弘之3さんは対談させてもらったりもしていますけど、そもそも同業の作曲家同士って一緒に仕事をしないので、あんまり会わないんですよね。以前は日本作曲家協会とか、CM音楽仲間も年に数回集まっていましたが、最近は新型コロナウイルスの影響でできなくなっちゃっていますし。私自身、作曲家の方々とお友達になるのは全然ウェルカムです。
――最近の若手がつくる音楽に対して、何か自分たちのものとは変わってきていると感じる点などはありますか?
菅野 あ、素晴らしいと思いますよ。実際、何でも好きです。例えばボカロ作品もすごいと思うし。何ていうか、体感から来ているものと違う、ある種の感情の解像度がすごく高いなって感じます。虚無感とか、怒りとか、葛藤とか、すごく細やかに表現するなと。自分も10代の頃ってそうだったので、もしあの頃、自宅のパソコンでこれだけできたら、楽しかっただろうなと思わないこともないです。
例えば、ボーカロイドの初音ミクさんとかって、人間の常識的な歌唱法ではありえないような音の跳躍ができてしまうところがおもしろかったわけじゃないですか。こんなの誰も歌えないだろ?って狙ってつくる感じがあったり。でも、それを聴いて育った子たちのあいだでは、それが当たり前になっちゃったから、それまで開発されていなかった領域まで、今、若い子の歌の技術が爆上がりしていますよね。そういう変化というか進化は、すごいと思いますよ。
私たちは譜面で作品をつくっても、どう発表していいのかがまずハードルで。演奏もしてもらえなかったし、バンドや、ましてオケなんて雇えないし、デモテープをいろんなところに送りつけたりしても、どうせ誰も聴いてくれない。それがいきなり四畳半の部屋から動画で世界に発信できちゃうし、見つけてもらえるようになって。世界までの距離が近くなったのは、本当に素晴らしいことだし、そういう機会はどんどん使ったほうがいいと思いますよ。
――アニメやゲーム、映像音楽の世界の未来に対して、あるいはこれからの若い世代のクリエイターに対して、何か提言やアドバイスがいただければ……。
菅野 日本が経済的にあんまり元気がない状況が続いていますけど、それとエンタメってやっぱり結構リンクしてると思うんですよ。インドとか今すごいじゃないですか。ああいうのって、30年前の日本ならできたけど今はなかなかできないなっていうのは、やっぱ雰囲気としては感じますよね。お金がないっていうだけじゃなくて、やっちゃうぜ! いてこましたろか!みたいな元気がなくなっているのは、正直感じています。そういうところからははっちゃけたエンタメって、やっぱり生まれにくいんですよ。どんな国も勢いがあるときは、そういうものが出てくるし、なくなってくると沈んだ感じになるし、細かいこと気にしてつまんなくなるし。この元気のない状態が続いて、実際、クリエイターたちがつくる作品にお金をかけてもらえなくなることは、残念なことだと思いますよ。
日本人って、すごくファンタジックで霊的な民族なので、物語を紡ぐのが上手ですよね。歌舞伎の物語はおもしろすぎるし、複雑だし、ちょっと陽気だし、それでいてファンタジックで時空も超えちゃったり。この想像力の豊かさは、経済が落ち込んでも変わらないと思いたいんです。そのクリエイティビティにお金をかけられなくなったときに、それでもヘコまないで、みんなが作品をつくり続けていけるといいなとは思いますね。少なくともお上がお金出せばOKとか、そういう話ではないと思いますけど。
ネットでなんでも見聞きできる時代ですが、やっぱり外の世界に出ていろいろ経験したほうがいいと思います。私も旅は大好きだし、知らないところに行きたがるほうだし、オンラインミーティングなんか大嫌いだし。でも、それも残念だけどお金なかったら行けないわけで、それで仕方なくYouTubeを見るっていうことだと、目からの情報だけになっちゃう。すごくもったいないですよね。
――今日のキーワードでもあった「体感」の大切さでしょうか?
菅野 そうですね。とは言っても、近所の環境でもわかること、体験できることはいっぱいあるんですよ。私、田舎の出身なのでお盆のときにナスの牛、キュウリの馬を当たり前のようにつくっていたんですよね。でも、今よくよく考えるとすごく不思議じゃないですか。行きは早く駆けつけたいからキュウリの馬で、帰りはゆっくりしたいからナスの牛とか、外国の人から見たら謎すぎる風習ですよ(笑)。そういう決まりを一体誰が何でつくったのか知らないけど、昔からのしきたりとして一応やるなかで、ご先祖がいるっていう感覚を擦り込んでいく。その行動の経験があるとないとでは、例えば同じような意味を持つ大文字焼きの風習を見たときの納得感とか、体感的なフィット具合が違ってくると思うんですよね。私は最近、そういう抜きがたい日本人観みたいなものをよく感じるんです。でも、それは子どものときの「ナスの牛」経験がないと感じられないんだろうなって。だから小さいときには、なるべくいろんなところで、いろんなことして、いろんな遊びをしてほしいと思います。これを読んでる人は、もうとっくに大人なんでしょうけど(笑)。
結局、秘密は自分の中にしかないので、体感にしろ、情緒にしろ、理性にしろ、何でも感じて、何でも触って、なめたり、匂い嗅いだりとかして、そういう感覚をたくさん自分の中に溜めていくと、後でいろんな発注が来たときにも引き出せるよ……っていう感じですね。だから先生に怒られたとか、好きな人がいたけど失恋したとか、そういうものすべてが、後に引き出しになるから、残さず味わっとけ!と言いたいです。どんなクリエイターにも。
もうすぐ、音楽の仕事もみんな、「OK、Google、なんかいい曲つくっといて!」みたいになっちゃうはずなので、もう音楽をつくるのに基礎的な技術や知識は、それほど必要じゃなくなるはずです。そうなったときに、自分のバックヤードになるのが記憶とか経験とか、感情の部分だけになってくる。それだけが自分を形づくる何かであって、それがどんなに汚いものとか、望ましくないものとか、禁じ手であっても、その機微でしか、ほかの人との違いを示せなくなる。だからこそ、そのすべてをちゃんと味わっとけ……みたいなことですね。
――まさしく、「囁くのよ……私のゴーストが」という、『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』の名セリフにつながる感覚ですね。
菅野 そうかもしれないですね(笑)。経験は自分だけのものですからね。だからこそ、その幅が狭いままなのはもったいないと思うんです。心と体のバランスはやっぱりあって、知識や心の経験だけで、体の経験が伴ってないのはやっぱり良くないんですよ。聴いた話ですけど、海外の高山に登山するときに、5合目に到着したからすぐに8合目を目指そうとすると、地元のシェルパに「いや、まだ魂は登ってきてないから1日待て」って諭されるんだとか。要するに気圧や温度に体が慣れるまで待てってことなんでしょうけど、それを「体は到着しているけど、魂(実感・体感・気持ち)はまだ登っている途中だ」という、その感じ方。これ、めちゃくちゃ好きなんですよ。考えや感情が切り替わっていても、体感はまだついてきてない。そのズレの間にいろんなことを迷ったり、戻ったり、2、3歩下がったりする、その何か頼りない感じが、私たちの暮らしてる日々そのものじゃないですか。そのズレこそが、創作におけるイマジネーションの掘りどころっていうか。そういうことをちゃんと感じながら生きていきたいですね。
――本日は貴重なお話をありがとうございました。
脚注
菅野 よう子(かんの・ようこ)
作詞・作編曲家、音楽プロデューサー。映画、ドラマ、CM、アニメ、ゲーム音楽をはじめ、さまざまなアーティストへの楽曲提供、プロデュースワークを手掛ける。劇伴を手掛けたアニメの代表作は、『カウボーイビバップ』(1998年、第13回日本ゴールドディスク大賞)、『創聖のアクエリオン』(2005年、2008年度JASRAC賞銀賞)、『マクロスF』(2008年)、『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』(2002年)。映画では『海街diary』(2015年、第39回日本アカデミー賞優秀音楽賞)、テレビではNHK大河ドラマ『おんな城主直虎』(2017年)など。ほかに東日本大震災復興支援ソング「花は咲く」を作曲し、多数の別アレンジを制作。令和元年には、天皇陛下御即位奉祝曲「Ray of Water」を手掛け皇居前で天皇皇后両陛下に献奏。直近では、Netflix版『Cowboy Bebop』(2021年)、『舞妓さんちのまかないさん』(2023年)の音楽を制作。https://yokokanno.ch/
※インタビュー日:2023年8月20日
※URLは2023年9月14日にリンクを確認済み