岩崎 宏俊
実写映像をトレースした画を連ねる「ロトスコープ」。1910年代に発案されて以来、現代のアニメーション作品にも用いられる手法です。そんなロトスコープについて研究する岩崎宏俊氏が、その語源を探ります。
本稿は、アニメーションの技法の一つであるロトスコープの語源について、筆者が行ったリサーチと、その結果についてのレポートである。さて、早々にレポートと銘打ってはみたが、アニメーション研究のなかでもロトスコープの名称由来に絞った本稿はさすがの筆者もマニアック過ぎると不安であるため、堅苦しいレポートの体裁をとるつもりはない。読者の皆様にはエッセイでも読むつもりで気軽に読んでいただきたい。ただ、筆者もロトスコープ研究の端くれとして、ロトスコープという技法そのものについても知っていただけたら嬉しい。そこで、まずはロトスコープについて簡単に説明した後で、リサーチと結果を順を追って話していきたい。ロトスコープのことは知っているので結果だけ知りたいという方は、一番下のまとめまでスキップしていただければと思う。
ロトスコープとは、1915年にマックス・フライシャーによって考案された実写映像をベースにして主にトレースすることでアニメーションを作成する技法のことである。1915年といえば、アメリカでアニメーションの産業化が本格化しはじめた時期だ。ここにロトスコープ開発の理由がある。というのも、当時のアニメーターの技術は現代に比べるとまだまだ未熟だったのである。そこでマックスが考えたのが、実写映像をトレースすれば、誰でも簡単にリアリティのある動きを得ることができるという非常に合理的なアイデアだった。
マックスは早速、兄弟たちと映写機を改造してフィルムを一コマずつ投影しトレースすることができる装置、すなわちロトスコープを開発する。1917年に特許を取得。1919年にはロトスコープを用いた初のアニメーション作品『インク壺の外へ』が公開され、これまでにない画期的な技法として話題を集めた。フライシャースタジオが所有していたロトスコープの特許の独占権の期限が切れると、ほかのスタジオでも利用が始まり、例えばディズニーでは1937年に『白雪姫』でロトスコープを使用している。
その後のロトスコープの利用は多岐にわたり、ラルフ・バクシなどロトスコープを用いた主要な作家が現れたり1 、ボブ・サビストンによってデジタル版ソフトウェアのロトショップが開発されたりした。より詳しいロトスコープの変遷については、MACC内の記事「変容するロトスコープ」を参照していただくか、拙論2 を参照していただくとして、問題は、ロトスコープがその発明から1世紀を過ぎた現在に至るまで、商業的なアニメーションの分野でもエクスペリメンタルなアニメーションの分野でも使用され、一般的な用語として定着しているにもかかわらず、その名前の由来がはっきりしていないということである。
例えば、「ロトスコープと名付けた」や「ロトスコープと呼ばれる」などのフレーズには頻繁に出くわすものの、肝心の語源についてはまったくと言っていいほど言及されないのだ。まるで誰も疑問にすら思っていないかのように。
一番の謎は、そもそもマックス・フライシャーが申請したロトスコープの特許の申請書にロトスコープという名前が一文字も出てこないにもかかわらず、呼称はロトスコープとして定着していることだ。申請書の見出しに書かれているのは「Method of Producing Moving-Picture Cartoons(動画マンガの制作方法)」である3 。この申請書はロトスコープの図版とテキストで構成されていて、「私、マックス・フライシャーは、アメリカ合衆国国民であり」という自己紹介から始まり、「私は、新しく改良された動画マンガの制作方法を発明した」と表明される4 。その後は、従来のアニメーション制作と比べた際のロトスコープの新規性や、具体的な装置の説明が続く。また、細馬宏通が指摘するように5 、ロトスコープの持つメタモルフォーゼやグロテスクさなどのロトスコープの特性や運用方法なども明記されているが、最終的に特許として主張するもののなかにロトスコープというフレーズは一度も現れない。
どこにも語源の正確な情報がないとは言え、これまでの調査のなかからいくつか目ぼしいものを挙げてみよう。まず、「Rotoscope」を「roto」と「scope」に分けるところから始めたい。「scope」は「見る」、もしくは「映写機」などを意味していてほかの光学玩具や光学機器の名称にもよく用いられている。問題となるのは「roto」の部分だ。ここの由来がわからない。まず、思い浮かぶのが「回転」を意味する「roto」だ。ロトスコープはもともと映写機を改造してつくられた装置であり、トレース時と上映時におけるフィルムの回転、もしくは投影に関する直訳が語源ではないかと予想できる。ネーミングの理由としてはシンプルだが、それゆえに可能性があると言えるかもしれない。
もう一つはリサーチの過程で見かけたロトスコープ・プロジェクターなどの同名の光学機器の存在である。これは、マックスが発明したロトスコープの前後において散見される。例えば、W.C. Hughes & Co.というロンドンに拠点を置き、マジックランタンなどを主に製造した会社が1898年から販売を始めたPHOTO-ROTOSCOPEという名前のシネマトグラフがある6 。ほかにも筆者が見つけたもののなかには、マックスのロトスコープの後につくられ、Roto-Scopeと名付けられた目を検査する装置などもあった。年代も違えばそれぞれの用途や目的も異なるのに同じ名前が付いている。これはどういうことなのか。もしかしたら、ロトスコープという名前は特に珍しいものではなく、一般的な用語として広く使用されていたのではないか? もしそうであるなら、マックスが提出した特許申請書にロトスコープの名前がないのも商標登録しなかったのも頷けるのであるが……。
予想はできるが確かな証拠はなく、筆者は制作を理由にして語源のリサーチからは離れてしまっていた(申し遅れたが、筆者は研究者である前に映像作家としてロトスコープを用いた制作を行っている)。そんな折、再び重い腰を上げるきっかけになったのが、映像ジャーナリストの大口孝之さんとの会話であった。大口さんは、「Rotoscope」の「roto」について、輪転式グラビア印刷(凹版印刷)「Rotogravure」の「roto」の可能性があるのではないかと仰られたのだ7 。筆者にとってこれは盲点だった。というのもマックス・フライシャーはアニメーションを制作する前にブルックリンのデイリー・イーグル社で働いていたのだが、そこの新聞用の写真製版にはこのグラビア印刷が使用されており、なおかつマックスはその技術を習得していたからである。この会話でスイッチが入った筆者は、リサーチを再開する決心をする。だが、問題もあった。改めて調べるにしても、おそらくこれ以上の情報は実際に渡米するなどしなければ手に入りそうになかったのである。だが、ちょうど世界はパンデミックで身動きがとれない状況にあった。そこで閃いた。いっそのこと直接聞いてしまおう、と。
現在のフライシャースタジオは、アニメーションの制作は行っておらず、ベティ・ブープなどフライシャースタジオが生み出した一部のキャラクターのライセンスなどを管理しているだけである。スタジオ後期の衰退や買収問題などから、いったいどのくらい資料が残っているかはわからなかったし、そもそも返事をもらえるかどうかもわからなかったが、淡い期待を込めてメールを送った。すると、なんと翌日には返事が来たのである。メールには「誰か答えられる人がいないか確認してみますね」とある。こんなことなら、何で最初から直接聞かなかったのだろうと反省しつつ、ウキウキした気分で数日を過ごした。そして回答が寄せられた。
メールには端的に「いろいろと聞いてみたのですが、ネットで見つかる以上の情報はありませんでした」と書かれていた。まさかの回答に一瞬言葉を失う。一応、先方も多少の見解を述べてくれたが、それはこちらの予想や調査の範疇を超えるものではなく、筆者の再リサーチはあっという間に振り出しに戻ってしまったのだった。
フライシャースタジオの歴史担当者でもわからないのであれば、いよいよ本格的にお手上げではないかと思ったものの、後追メールで希望がつながることになる。何とフライシャー研究の第一人者であるレイ・ポインター氏を紹介してくれるというのだ。予想外の展開の連続に目眩を覚えつつも、筆者は急いで同氏とコンタクトを取ることにした。
レイ・ポインター氏には、これまでの経緯と、筆者が語源候補として考える三つの説(回転、グラビア印刷、ロトスコープ・プロジェクター)などを伝え、氏の見解が知りたいとお願いした。突然のコンタクトにもかかわらず、レイ・ポインター氏は懇切丁寧に応じてくれたし、非常に示唆に富んだ意見と資料の共有までしてくださった。この場を借りて氏には感謝申し上げたい。だが、結論から言えば、残念ながら氏の見解もまた「はっきりしたことはわからない」というものだった。
結論だけ見れば、再リサーチの結果もまた「よくわからないことがわかった」という、何とも煮え切らない結果になってしまった。だが今回はフライシャースタジオやレイ・ポインター氏の協力の元に出た答えであるので、多少の進展はみられるだろう(と思いたい)。一つ大きな収穫があったとすれば、こちらが予想した三つの説とレイ・ポインター氏の見解がほぼ同じだったことだ。もちろん、あくまでもこれらは予想の範囲を出ないので本当はすべて異なる可能性もある。だが、これまでで最も信憑性の高いロトスコープの語源候補であるとも言えるのではないだろうか。そこで、以下に筆者とレイ・ポインター氏の見解を擦り合わせた、ロトスコープの語源として予想される三つの説をまとめて本稿の結論としたい。
《ロトスコープ(Rotoscope)の語源として予想される三つの説》
①回転を意味する「roto」に由来する説
トレースするために使用されるフィルムの「回転(=roto)」と「見ること(=scope)」に関連する直訳か、もしくは、トレースするために使用されるフィルムの「回転(=roto)」と、それを見るために「投影すること(=scope)」に関連する直訳とする説。
②グラビア印刷「Rotogravure」に由来する説
輪転式グラビア印刷(凹版印刷)「Rotogravure」の「roto」に由来するという説。マックス・フライシャーがブルックリンのデイリー・イーグル社で働いていた頃、新聞用の写真製版にこのグラビア印刷が使われており、マックスはその技術を習得していた。また、製版の行程とフィルムのイメージを紙に写し取るロトスコープのプロセスの類似性を指摘することもできる。
③「ロトスコープ・プロジェクター」に由来する説
当時、ロトスコープという言葉自体が既に一般的な用語として使用されており、それを技法の名前にしたという説8
。それゆえ、マックス・フライシャーの提出した特許申請書にはロトスコープという名前が一文字も出てこず、代わりに「Method of Producing Moving-Picture Cartoons(動画マンガの制作方法)」と明記されていたのではないか。
以上が、現時点でロトスコープの語源として考えられる三つの説である。大口孝之さんの予想する②グラビア印刷「Rotogravure」に関しては、レイ・ポインター氏も信憑性がある説明に思えると指摘しつつ、「ロトスコープ・プロジェクターの存在が、この言葉を一般的な形で紹介した可能性もある」と続けている。個人的にも、やはりマックスがロトスコープの名前を特許の申請書に含めなかったことの証左として、③「ロトスコープ・プロジェクター」が何らかの形で関わっているのではないかと思う。だが、結局のところ本当の語源が何なのかを指し示すには、あまりにも情報が不確定であると言わざるを得ない。レイ・ポインター氏は、このような状況に関して、19世紀後半から20世紀前半の当時の社会を踏まえて、筆者へ宛てた返事のなかで次のように述べている。
このようなことについて絶対的に断言をすることを難しくしている原因の一つは、出来事が並行して起こり、同時に別々の人が似たようなアイデアを思いついていたり、同じような表現をつくり出したりしているからである。アニメーションの技術として「ロトスコープ」を使用するということは、過去に異議を唱えられていないので、この名称は商標名なのにもかかわらず「Kleenex(クリネックス)」がティッシュのことを指すのに使われるのと同じように、一般的な用語として使われるようになったと考えることができるだろう。
写真や映画が発明された時期と同様に、ロトスコープが開発された時期もまた同時多発的に同じようなアイデアや表現がつくり出されていた時代である。もし本当にロトスコープがクリネックスと同じように一般化していたとしたら、その語源を断定するのは難しいだろう。筆者としても、今回のリサーチで確証が得られるのではないかと期待していただけに、藪の深さをより知ることになるとは思わなかった。
改めて、ここまで読んでいただいた皆様には、期待に添えない結果になってしまったと思うが、どうか温かい目で見ていただけたら幸いである。現在、筆者は制作のほうを中心とした活動を行っているため、語源に関するリサーチはここでまたひと区切りとするつもりである。いつの日かリサーチを再開するかもしれないが、もし本稿を読み調査をしてみたいと思われた方がいるのであればぜひ調査の継続をお願いしたいし、確証が得られた際にはぜひ一報をお寄せいただきたい。また、本稿を読んでロトスコープに多少なりとも興味を持ってくれたら、これ以上の喜びはない。
脚注
※URLは2023年8月18日にリンクを確認済み