寺農 織苑
「ゲームにまつわる展示会」というとどのようなものを思い浮かべるでしょうか。これまでの展示会から鑑みると、ゲーム機を紹介するもの、ゲームをプレイすることに主題を置いたもの、作品のアートワークを集めたもの、ゲームデザインに焦点を当てたものなど、さまざまな切り口がみられます。そのなかでこの記事では、自治体により運営されているミュージアムにおける、地域と暮らしに即したビデオゲーム展を取り上げ、現状と課題、そしてこれからを考えてみます。
筆者を中心とする北海道大学博物館学研究室は、2024年2月10日(土)から同年4月14日(日)まで北海道大学総合博物館[北海道札幌市/国大/総合/類似/1999]1を会場に、「GAME START Ⅱ これからのビデオゲーム展を考える」(以下、当該展示)を開催した。この展示の目的は2点ある。1点目はミュージアムのビデオゲーム展示の解説文に対する来館者のニーズを把握すること。2点目はミュージアムの展示観覧を通して、来館者がビデオゲームアーカイブに対して意識・行動変容を起こすようになるのかを明らかにすることである。この記事では、当該展示を振り返るとともに、ミュージアムはどのようにビデオゲームアーカイブに貢献できるのかを考えてみたい。
我が国のミュージアムではビデオゲームが展示されることがある。それは恒常的に鑑賞できる常設展の場合もあれば、時限的な企画展の場合もあるが、どちらかといえば企画展でビデオゲームが展示されることが多い。特に設立主体が市区町村立のミュージアムにおける、いわゆる「昔の暮らし」展でビデオゲームが展示される傾向にある2。「昔の暮らし」展は、小学3年生の社会科の教科書に対応した展示で、手作業を基本とした暮らしの道具とともに戦後に使われ始めた家電製品などの生活資料を用いた展示である3。
小学校3年生の社会科の学習指導要領には「身近な地域や市区町村の地理的環境、地域の安全を守るための諸活動や地域の産業と消費生活の様子、地域の様子の移り変わりについて、人々の生活との関連を踏まえて理解する」4と記されており、小学校3年生の段階でその地域について学ぶことが目標とされている。また「教科の内容に関係する専門家や関係諸機関等と円滑な連携・協働を図り、社会との関わりを意識して課題を追究したり解決したりする活動を充実させること」「博物館や資料館、図書館などの公共施設についても引き続き積極的に活用すること」と記されていることから5、ミュージアムは学校教育との積極的な連携が求められている。
「昔の暮らし」展は、その地域のことについて特化した内容であることが求められる。そうすることで学校での学習内容を補完し、具体的な地域の学びにつながるからである。こうした展示でビデオゲームが展示されることが多いが、ビデオゲームだけでなく高度経済成長期以降の大量生産品に付される解説文は製品紹介に留まるものも多く6、地域との関連は見出せない。この問題は、「昔の暮らし」展に限ったものではない。市区町村立ミュージアムなどのいわゆる地域博物館の役割は、地域の課題にミュージアムの諸機能を通して主体的に応えていくことである7。ミュージアムは、地域にまつわるモノ・コトを集め、地域に発信するとともに、後世に伝える機関であると同時に、地域住民が日常的に集い、活動し、発信する場、特に地域における社会教育・生涯教育、あるいはまちづくりの場としての役割も期待されている8。ただし、ミュージアムにできることは、住民に対してあくまでも郷土意識を育むような契機をつくることであり、ミュージアム活動が住民を一定の方向に誘導するのではなく、住民が地域課題をどのように受け入れてどのように発展させるかは住民次第である9。
したがって、ビデオゲームを展示することによってどのような地域社会課題を解決しようとしているのかを明確にしなければならない。ただ単にビデオゲームを展示し、製品紹介をするのであればミュージアムで展示する必要はない。特に税金によって運営されているミュージアムの展示がビデオゲームの製品紹介に留まっていれば、納税者に対するアカウンタビリティの確保もできない。
しかしながら、ミュージアムのビデオゲーム展示における地域課題とは何か。当該展示では、この課題を明らかにすることを試みた。そして、その課題を解決するためにミュージアムは何をすればよいのかを来館者に問うものであった。
当該展示の展示資料は9点のビデオゲーム本体と、それぞれのビデオゲームに対応するゲームソフト各3点である(写真1)。内訳は表1の通りである10。
展示資料は、当該展示が特異な事例として消化されないよう普遍化を試みたため、ミュージアムの所蔵率が高い上位9点とした。また、これらを年代順ではなく所蔵率順に展示することで、ミュージアムのビデオゲーム所蔵が偏っていることを示した。また、当該展示の特徴的な点は、それぞれのビデオゲーム本体、およびゲームソフトを一連の資料と捉え、3パターンの解説文を設けたことである。便宜上、解説パネルの左をAチーム、中をBチーム、右をCチームとする。それぞれのチームは、ビデオゲーム開発者、ビデオゲーム研究者、学芸員、ビデオゲーム愛好家、筆者の5名1組で構成されている。Aチームはミュージアムの解説文が読まれないことを前提に11 、各解説文を100文字以内とし、まずは読まれることを目指した。Bチームはビデオゲームの基礎情報を深掘りした内容とした。Cチームは基礎情報に加えチームメンバーのゲーム体験を加味した内容とした。3パターンの解説文を設け、来館者にアンケート調査をし、来館者がビデオゲーム展示の解説文に何を求めているのか、すなわちニーズ(=あるべき姿と現状とのギャップ12)がどこにあるのかを探ってみた(図1)。そして、来館者が展示観覧を通してビデオゲームアーカイブを認識し、ビデオゲームアーカイブに対して意識・行動変容を起こすことができるのか、すなわち展示が起こす社会的インパクトについても検討してみたい。
当該展示の目的が達成できたのかを測るために評価学の手法を取り入れた。評価とは「評価は、物事のメリット、値打ち、意義を体系的に明らかにすることである」と定義され13、データによる事実特定と価値判断から構成される14。ミュージアムにおける展示評価は1950年代頃に黎明期が認められ15、現在に至るまでさまざまな取り組みがなされてきた。ただし、評価学が本格的にミュージアムに導入されたのは2000年前後と言われており16、主にマーケティングとマネージメントに大別できる。前者は施設管理、服務監督、会計管理中心の運営から、それらを含めたうえで、さらに利用者満足や新しい利用者の創造といった対利用者戦略を重点的に行うもので、後者はミュージアムの合理的運営・行動の能力開発向上のために行う17。評価学がミュージアムに導入されて以来、ミュージアムにおける評価は後者、すなわちミュージアムという機関のマネージメントに関する評価が中心であった。この記事では、ビデオゲーム展示の解説文に対する来館者のニーズを把握する、展示観覧を通して来館者がビデオゲームアーカイブへ意識・行動変容を起こすようになるのかを明らかにすることが目的であるため、どちらかといえばマーケティングのための評価である。
評価学に基づいたミュージアムの評価で用いられているのはプログラム評価という手法である。「プログラム評価とは、社会調査手法を活用し、社会的介入プログラムの有効性を体系的に調査するものである。その評価は、プログラムを取り巻く政策的・組織的な文脈を考慮して行われるもので、社会状況を改善するための社会的活動の情報源となるものである」と定義される18。
当該展示では、展示という営みを社会的介入プログラムと捉え、プログラム評価の5階層に従って展示評価をした。プログラム評価の5階層は以下の表2で示される。
また、評価は形成的評価と総括的評価に大別でき、用途に応じて使い分けられる。形成的評価は、プログラムの実施途中に行い、プログラムの改善を目的とする。総括的評価は、プログラムの実施後に行い、事業の継続や拡大・縮小の判断、アカウンタビリティの確保を目的とする。当該展示における評価は、展示の成果を明らかにし、今後の展示に役立てることが目的であるため総括的評価に分類される。そして、当該展示ではニーズ評価を実施した。本来のニーズ評価は、これから実施するプログラムに対して行うものであり、既に終わったプログラムからニーズを把握することはニーズ評価とは言わない。しかし、ビデオゲーム展示が継続的に実施され、この記事の結果が活用されることを期待し、便宜上ニーズ評価と呼ぶ。
当該展示では、プログラムをどのように運営するとどのようなアウトカムがもたらされるのか、プログラムがどのように作用するのかといった理論をモデル化したロジックモデルを作成した。ロジックモデルの基本要素は、インプット、活動、アウトプット、アウトカムの四つからなり、以下の図2のように示される。
プログラムの実施者、今回でいえば展示担当者がコントロールできる範囲は、インプット、活動、アウトプットである。一方、プログラムが目指す変化・効果は「アウトカム」と呼ばれ、複数のレベルで表される。これら全体の理論構造をモデル化した図がロジックモデルである。ロジックモデルの基本形(図3)と当該展示におけるロジックモデルは次の通りである(図4)。
アンケート調査は2回実施した。1回目はアンケート調査票を会期中に来館者に手渡しし(n=271)、2回目はアンケート調査に回答した来館者のうち、メールアドレスの記入があった回答者に対し、メールで追加調査をした(n=71)。1回目を事前調査、2回目を事後調査と呼び、この記事に関連する箇所を抜粋して結果を示していく。これらの調査結果を通して、ビデオゲーム展示の解説文に対する来館者のニーズ把握、およびミュージアムの展示観覧を通して、来館者がビデオゲームアーカイブに対して意識・行動変容を起こすようになるのかを考えてみたい。
まず、ビデオゲーム展示の解説文に対する来館者のニーズから報告する。設問としては、①それぞれのビデオゲームに対する解説文のうちどれを読んだのかを回答したうえで、②どのチームの解説文が気に入ったのかの順で回答を得た。したがって、①でチェックが入っていない、すなわち読んでいない解説文に対して②でチェックが入っている場合は無効回答として処理した。また、この記事では複数回答を除いた単一回答のみの結果を報告する。まずは、単純集計の結果から見ていきたい(表3)。
単純な合計数を見るとCチームの解説文をお気に入りとする回答者が多い傾向にある。この結果が統計的に有意かどうかをCochran’s Q Testによって検定した。すると表4のようになった。
Cochran’s Q Testの結果、スーパーファミコン、ゲームボーイ、PlayStation、PlayStation2に有意差が認められ、ビデオゲームの解説文に対してニーズがあったことが示唆された。それでは有意差が認められた項目を具体的に見ていきたい。
まずは、有意差が認められた項目におけるペアごとの比較をBonferroni法による多重比較の結果を示す。
スーパーファミコンはA–C、B–C間に有意差が認められ、Aの解説文よりもCの解説文、Bの解説文よりもCの解説文をお気に入りとした回答者が有意に多かった。つまり、スーパーファミコンにおいてはCの解説文にニーズがあると評価できる。
ゲームボーイはA–B、B–C間に有意差が認められ、Bの解説文よりもAの解説文、Bの解説文よりもCの解説文をお気に入りとした回答者が有意に多かった。つまり、ゲームボーイにおいてはAとCの解説文にニーズがあると評価できる。
PlayStationはA–C、B–C間に有意差が認められ、Aの解説文よりもCの解説文、Bの解説文よりもCの解説文をお気に入りとした回答者が有意に多かった。つまり、PlayStationにおいてはCの解説文にニーズがあると評価できる。
PlayStation 2はA–C、B–C間に有意差が認められ、Aの解説文よりもBの解説文、Bの解説文よりもCの解説文をお気に入りとした回答者が有意に多かった。つまり、PlayStation2においてはCの解説文にニーズがあると評価できる。
以上の結果から言えることとして少なくとも有意差が認められたすべての項目において、Cの解説文をお気に入りとする回答が有意に多い。Cの解説文はビデオゲームの基礎情報に加えチームメンバーのゲーム体験を加味した内容である。したがって、回答者は他者のビデオゲーム体験について知りたいというニーズがあることを示唆している。これは、他者のビデオゲーム体験を知ることで自身のビデオゲーム体験を相対化させたいという欲求の現れであると考えられる。
一方でBの解説文は有意に選ばれない傾向にあった。Bの解説文はビデオゲームの基礎情報を深掘りした内容であったため、文章が少し長かった。ミュージアムの解説文はあまり読まれない傾向にあることは先行研究で明らかになっているため、先行研究通りの結果となった。また、Aの解説文は100文字以内、かつ解説パネルの順番として最初に来るためBの解説文よりも好まれる傾向にある。しかしながら、やはりCの解説文と比較するとAの解説文は好まれない。
以上から、少なくともビデオゲームを展示した場合の解説文は、展示する側(学芸員)や住民へのヒアリング調査を通しビデオゲーム体験を収集し、それを展示で示すことに解説文としてのニーズがあることが明らかとなった。
次に、来館者がビデオゲームアーカイブへ意識・行動変容を起こすようになるのかの結果を報告する。まずは展示観覧を通したビデオゲームアーカイブへの意識変容を確認するために、事前調査の「ビデオゲームは未来へ残していくべき文化だと思った」と事後調査の「改めてビデオゲームは未来へ残していくべき文化だと思いますか」における平均値と標準偏差を表9に示す。これらの設問には4段階評定尺度を用いた(4=そう思う、3=まあまあそう思う、2=あまりそう思うわない、1=そう思わない)。
対応のあるt検定を用いて展示観覧前後におけるビデオゲームアーカイブに対する意識変容の平均値の差を検定した結果、展示観覧を通してビデオゲームに対する意識変容に有意差は認められなかった(t(41)=.443, p=.660, d=-.068, 95%CI[-.132, .085])。
展示観覧前後におけるビデオゲームアーカイブに対する意識変容に有意な差は認められなかったが、事前調査の平均値(3.90)に対して事後調査の平均値(3.93)がわずかに高いため、展示観覧を通してビデオゲームアーカイブに対する意識変容が起こる可能性は示唆されるが、今回の検定では統計的に有意な差として現れなかった。
次に、展示観覧を通したビデオゲームアーカイブへの行動変容を確認するために、事前調査の「自分なりにビデオゲームアーカイブに貢献できると思った」と事後調査の「改めて自分なりに「ビデオゲームアーカイブ」に貢献できると思いますか」における平均値と標準偏差を表10に示す。これらの設問には4段階評定尺度を用いた(4=そう思う、3=まあまあそう思う、2=あまりそう思うわない、1=そう思わない)。
対応のあるt検定を用いて展示観覧前後におけるビデオゲームアーカイブに対する行動変容の平均値の差を検定した結果、展示観覧を通してビデオゲームに対する意識変容に有意差は認められなかった(t(40)=.902, p=.372, d=-.141, 95%CI[-.474, .181])。
展示観覧前後におけるビデオゲームアーカイブに対する行動変容に有意な差は認められなかったが、事前調査の平均値(2.78)に対して事後調査の平均値(2.93)がわずかに高いため、展示観覧を通してビデオゲームアーカイブに対する行動変容が起こる可能性は示唆されるが、今回の検定によって統計的に有意な差として現れなかった。
展示観覧を通してビデオゲームアーカイブに対する意識・行動変容が起こるのかどうかの検定結果からは統計的に有意な差は見られなかった。平均値がわずかに上昇していることから、展示という営みの影響があると考えられる。それでは事後調査の結果から、展示以外におけるビデオゲームアーカイブに対する意識・行動変容の原因も探ってみたい。
回答者42人のうち、事後調査でビデオゲームに対して何かしらの行動を取ったのは14人だった。行動には「インターネットや書籍などを用いてビデオゲームについて調べた」「ビデオゲームにまつわる情報を発信した」「ゲームの思い出を振り返った」「自宅に保管してあったビデオゲームで遊んだ」「動画配信サイトでビデオゲームにまつわる動画を観た」「その他」が含まれている。この記事では、意識・行動変容に関する「インターネットや書籍などを用いてビデオゲームについて調べた」「ビデオゲームにまつわる情報を発信した」を中心に見ていきたい。
「インターネットや書籍などを用いてビデオゲームについて調べた」と回答したのは14人だった。何について調べたのかを複数回答にて問うたところ「ビデオゲームの歴史」が11人、「ビデオゲームの展示」が2人、「ビデオゲームの研究」が5人、「ビデオゲームアーカイブ」が5人だった。そして、何を用いて調べたのかを複数回答にて問うたところ「SNSを閲覧した」が8人、「動画配信サイトで動画を観た」が10人、「ブログを読んだ」が5人、「その他Webページを閲覧した」が11人、「書籍・同人誌などの出版物を読んだ」が5人、「新聞記事を読んだ」が1人だった。また、調べたきっかけについて自由記述にて問うたところ10人が回答し、それぞれ以下の通りである。
◉元々レトロゲームの攻略やAC稼働情報を継続的に追っていた
◉自分は「ゲーム機大戦」という、ゲーム機の歴史を戦争形式で解説した動画を視聴することが好きであり、これをきっかけにゲーム機の各国の売上やシェアについて興味を持つようになりました。
◉子供の頃に遊んだビデオゲームが展示されており、改めて、どんな製品だったのか知りたくなったから。
◉ビデオゲームの歴史について知りたくなったから
◉ビデオゲームに関心があるため
◉日頃からビデオゲームに興味があるから
◉History of games
◉普段からビデオゲームをやっていたため、今やっているゲームに関して調べた
◉サブカルの保存について、海外ではどういうビジネススキームで行われているか気になった
次に「ビデオゲームにまつわる情報を発信した」と回答したのは3人だった。何について発信したのかを複数回答にて問うたところ「ビデオゲームの歴史」が2人、「ビデオゲームの展示」が1人、「ビデオゲームの研究」が1人、「ビデオゲームアーカイブ」が1人だ、「ビデオゲームの思い出」が2人、その他が1人だった。その他は「友人と会話した」との回答だった。そして、何を用いて発信したのかを複数回答にて問うたところ「SNSに投稿した」が3人、「動画配信をした」「自身のブログを執筆した」「その他のWebページで記事などを執筆した」「書籍・同人誌などの出版した」「新聞に投書した」はいなかった。また、調べたきっかけについて自由記述にて問うたところ3人が回答し、それぞれ以下の通りである。
◉ゲーム制作
◉小ネタなど、新たに発見したことを共有したり、周年など記念日を祝うことが多いです。
◉以前から発信している
以上から、調べたきっかけ、および発信したきっかけの自由記述回答を見ていると、もともとビデオゲームに関心がある人が来館した傾向がうかがえる。しかしながら、1人だけ調べたきっかけが「子供の頃に遊んだビデオゲームが展示されており、改めて、どんな製品だったのか知りたくなったから」と回答しており、展示観覧を原因とした行動変容であることが明確だった回答者がいた。ただし、他の回答者の意識・行動変容が展示観覧を原因として起こったのかどうかは今回のアンケート調査からは明らかにはできなかった。
結果として、当該展示ではビデオゲームの解説文のニーズは把握できたものの、ビデオゲームアーカイブに対して意識・行動変容を促すところまでは達成できなかったと判断できる。この原因として、ビデオゲームアーカイブは学術機関や専門機関が取り組むことであり、そうでない人々に何ができるのか、何をすればよいのかが判断できないからであると考えられる。当該展示における解説文のニーズ把握をしたところ、他者のビデオゲーム体験を知りたい回答者が有意に多かった。ビデオゲーム体験を残すことは学術機関でなくても可能であり、個々人が記録を残していくだけで蓄積されるものである。ビデオゲームだけがアーカイブされても、そのビデオゲームはどのように遊ばれたのかをアーカイブしなければ、100、200年後にさまざまなビデオゲームがどのように遊ばれていたのかを復元することができなくなってしまう。したがって、個々人という極めて狭い範囲のビデオゲーム体験を記録していくことこそが筆者のような一般人がビデオゲームアーカイブに貢献できることであり、ミュージアムで示す価値のある情報であると考える。
これまでのミュージアムにおけるビデオゲーム展示は、ビデオゲームの製品紹介に留まっており、何を伝えたいのかがつかみ取れないことが多かった。当該展示では、その原因をビデオゲーム展示の解説文に対する来館者のニーズが明らかではないという問題意識を持ちニーズを把握した。結果として、アンケート調査の回答者は他者のビデオゲーム体験を知り、自身のビデオゲーム体験を相対化したい傾向にあることが示唆された。そして個々人のビデオゲーム体験を収集していくことがビデオゲームアーカイブに寄与できると考えた。
ビデオゲームアーカイブには役割分担が必要であると考える。学術機関や専門機関は一次資料のアーカイブや学術研究を中心に実施し、ミュージアムは個々人のビデオゲーム体験を収集するといった分担が求められる。特に市区町村立ミュージアムは積極的にビデオゲーム研究をすることは難しい。それはその地域の歴史や民俗、自然などを通して地域社会課題を解決しなければならないからであり、ビデオゲームに特化して調査研究をするわけにはいかないからである。一方で学術機関・専門機関は個々人のビデオゲーム体験を収集することは難しい。それは一次資料の収集や資料を用いた研究、より充実したビデオゲームアーカイブのための研究などビデオゲームアーカイブのための理論を、実践を通して普遍化することが求められているからである。
ミュージアムにおいてはビデオゲームという資料をどのように捉えるかが重要である。例えば、歴史資料と捉えビデオゲームの歴史を展示する試みがあっても良い。また、ビデオゲームの技術に着目し半導体の発展を展示するのも良い。しかしながら、やはり専門的な知識が必要になってくるため、市区町村立ミュージアムでは難しいというのも事実である。そこで、ビデオゲームを民俗学における民具と捉えてみたい。民具を一言でいうと「我々の同胞が日常生活の必要から技術的に作り出した身辺卑近の道具」である19。そして民具を研究する学問が民具学であるが、単に民具そのものについて研究するのではなく、民具を通して文化や技術を明らかにしていくが目的であり、個々の民具を知ることは手段でしかない20。つまり、人々の日常生活が築いた文化を研究対象として、日本全体の深層を明らかにすることと解釈できる。個々人のビデオゲーム体験を収集することで、人々が日常生活のなかでどのようにビデオゲームと触れ合ってきたのかを体系化することで、我が国の娯楽におけるビデオゲームの深層を明らかにできると考える。こうした捉え方であれば、ミュージアムがビデオゲームアーカイブに貢献できると考える。
これからのビデオゲーム展示にはビデオゲームの製品紹介ではなく、個々人のビデオゲーム体験が求められ、それを収集することで来館者のニーズも満たすことができ、結果としてミュージアムはビデオゲームアーカイブに寄与できる。また、ビデオゲーム体験を収集することについては、ミュージアムにとってもう一つ大きな利点がある。ミュージアムがその地域でビデオゲーム体験を収集していき膨大な数になると、その地域特有のビデオゲーム体験が浮き彫りになる可能性がある。例えば、浦幌町立博物館では、新型コロナウイルス感染症が社会問題化したことで、地域の生活にどのような変化が起こったのかの記録となるような資料として「コロナ関係資料」を収集している。コロナ禍より前は、浦幌町の食堂にテイクアウト文化はなかったが、コロナ禍をきっかけに一気にテイクアウトが発達した。したがって、同じ「コロナな時代」でも都心と地方では異なる現象が起こる可能性がある21 。後の時代から現在を振り返ると、大量生産品によって全国的に画一化された製品が流通したというのは大きな特徴ではあるが、その時代の中においてそれらの製品がどのように消費されたのかについては、何らかの差異が認められる可能性は否定できない。その差異は地域なのか、それよりも狭い範囲で現れるのかは本格的な調査を経ることで明らかとなる。かなり綿密な調査をしなければならないため、大きなコストがかかることが予想されるが、ビデオゲーム体験に地域差があるとすれば、その地域の地域史の編纂につながるのである。そのためには、学術機関・専門機関とミュージアムが協力し双方のノウハウを生かすことが重要である。そうすることで、ビデオゲームアーカイブが充実し、ビデオゲームを文化として認識していくことにもつながっていくと推察できる。
現在の我が国の政策を見ていると、マンガやアニメ、ビデオゲームといったメディア芸術を文化としてアーカイブしていく動きが活発化している。それは、メディア芸術の創造発信拠点となるメディア芸術ナショナルセンターの設立が検討されていることからもうかがえる。
文化の学術的定義は難しいが、例えば高等教育においては「人類が思想・哲学・宗教などの精神的なものを土台として、幾多の社会の変容を包摂しながら構築してきた有形あるいは無形の成果や価値の相対」とされている22。加えて、「文化を芸術や教養層の知的営みに限定し、大衆文化や日常の文化的営みを文化のカテゴリーから除外してしまいがち」とも言われており22、文化を一面的なものではなく深く理解するためには、こうした先入観を捨てる必要がある。また、ヨハン・ホイジンガが「文化はその根源的段階においては遊びの性格をもち、遊びの形式と雰囲気の中で活動するのだ。文化と遊びのこの二者択一化の中では遊びは根源的であり、客観的にとらえうるし、具体的に規定される事実をさす」と述べているように24、あらゆる文化の根底には遊びがあることを示した。つまり、文化として除外されがちであった大衆文化や日常の文化的営みのなかから遊び、すなわちビデオゲームを除外してしまうことは、あらゆる文化を知ることができなくなってしまう。
しかしながら、当該展示で実施したアンケート調査の結果から、来館者のビデオゲームアーカイブへの意識・行動変容を促すことはできなかった。つまり、当該展示ではビデオゲームを文化としてアーカイブしていく機運を醸成できなかったといえる。また、一部の回答者には当該展示が目指したアウトカムが起こっているといえるが、それは全体的な傾向とはいえない。それは当該展示が小規模だったのか、それとも展示という営み自体が社会的インパクトをもたらすほど影響力がないのかについては検討していかなければならない。
最後に、この記事では当該展示で実施したアンケート調査の結果の一部しか出していない。例えばビデオゲーム展示の解説文に対する来館者のニーズについては、回答者の属性はこの記事では対象外とした。年齢などのその他の因子を用いたより詳細な分析結果については、筆者の博士論文となるため(2025年3月予定)、そちらを参照されたい。
脚注
※URLは2024年11月18日にリンクを確認済み