メディア芸術における「学びと教育」――エコシステムの構築、メディア特性からの気づき

これまでMAGMA sessionsではアーカイブの活用という観点から展示やNFT、オンライン展示など、利活用についての議論を重ねてきました。今回はより広い観点からのテーマとして、メディア芸術の各分野で「教育」「学び」を軸に活躍されている方々をお招きして、セッションを行いました。
ゲストは、立命館大学映像学部講師の井上明人さん、東京藝術大学大学院映像研究科アニメーション専攻助教の面髙さやかさん、山口情報芸術センター(以下、YCAM)社会連携担当の菅沼聖さんです。
それぞれの活動のご紹介から、学びや教育に対するご意見を伺います。(ファシリテーター:山内康裕)

各分野での活動内容

井上 ゲーム研究者として、「ゲームとは何か」を中心に考えながら、ゲームのアーカイブや、ゲームを応用した社会的課題の解決に関わるプロジェクトなどにも取り組んでいます。東日本大震災の後にリリースした『#denkimeter』では、家の電気メーターの数値を入力するだけで、楽しみながら節電ができる仕組みをゲーム化しました。メディア芸術は、情報を伝える仕組みとして、極めて有効なものだと思っています。

ゲーミフィケーションは、ゲームとは関係のない社会的な活動や分野に、考え方などの面でゲーム的な要素を取り入れることを指します。例えば、仕事や勉強を頑張るきっかけとして、ゲーム要素を利用することも挙げられます。

個人的な興味としては、社会的な論点の見え方が変わる仕組みを作れることが、面白さにつながると感じています。社会とゲームを関わらせるアプローチを実践している人は他にも多くいますが、一緒にプロジェクトを進めていると「社会」や「教育」の面が強くなりすぎてしまい、説教臭いなと思ってしまうことが往々にしてあります。好き嫌いの問題ではありますが、面白いと思って取り組んでいることが、実は勉強にもつながっている、という体験につなげたいと考えています。

面髙 東京藝術大学大学院映像研究科や静岡文化芸術大学デザイン学科でアニメーション教育に携わりながら、個人でもアニメーション制作をしています。メディア芸術連携促進事業として開催されている「アニメーションブートキャンプ」では、産学で連携しながら、アニメーション業界を目指す若者や学生に向けての人材育成プログラムを実施しています。

大学や事業以外でも、児童・家族や中高生を対象に、粘土やモールなどを使って「動き」のデザインを考えるプログラムなど、さまざまなアニメーションワークショップを開催しています。

個人の創作活動としては、ストップモーションのアニメーションを制作しています。作品を作り続けることが教育にもつながっていると実感しているので、教育と制作の場を今後はさらに行き来できればと思います。

最初は声をかけていただいて教育の場に足を踏み入れましたが、教育や学びとして、自分から与えた小さな刺激が波紋のように広がって戻ってくるのは、楽しいものだと感じています。人に何かを伝えるには自分の中を整理する必要があるので、自分がどのようにアニメーションを捉えているのかを見つめるきっかけにもなりました。学生やワークショップを受けている全員がクリエイターになるわけではありませんが、「動き」は、学びの過程で見落としがちな側面でもあると思うので、新しい視点として伝えていきたいです。

菅沼 「YCAM」で、メディアアート制作で得た知見を教育や地域などさまざまな領域に社会応用を試みるプロジェクトの企画を担当しています。YCAM(Yamaguchi Center for Arts and Media)は、その名の通り、メディアアートを専門とした、山口市立の複合文化施設です。2003年にオープンし、館内には劇場や図書館、映画館、スタジオなどを備えています。

施設では、市民や各分野の専門家たちと積極的にコラボレーションしながら、調査や実験からアウトプットまで、総合的かつ長期的な活動を展開しています。

メディアテクノロジーの応用可能性の探求を軸に、アートや教育、地域の活動につなげています。例えば教育面では、メディアリテラシーをテーマにオリジナルのワークショップを開発しています。オリジナルで制作したワイヤレススピーカーを使って音空間の構成・作曲を体験できる「walking around surround」や、視線解析装置を用いて、「人の視線」への気づきを共有できる「Eye2Eye」などのプログラムを実施してきています。

近年ではバイオテクノロジーをテーマとしたリサーチプロジェクトも行っています。「森のDNA図鑑」という教育プログラムでは、子どもたちと森に行き、周りの植物の名前を、DNA解析を用いて塩基配列から同定していく作業を行いました。

さらにこの際に開発したオリジナルのウェブアプリケーションの仕組みを応用することで、山口市の教育委員会との連携につながり、「360°図鑑」が開発されました。これまでであれば「壁新聞にまとめる」みたいな形で、アナログで取り組んできた地域学習を、オンラインでのマッピングでできる仕組みです。タブレット端末を活用した授業開発プロジェクトの一環として、山口市内のモデル校から活用が始まり、来年度には山口市内の小学校32校での実施を目指しています。

「創造性のエコシステム」「学びのエコシステム」の構築

菅沼 「森のDNA図鑑」から「360°図鑑」が生まれたように、多岐に渡る方々とコラボレーションして事業が開発されていく「創造性のエコシステム」について、僕はよく考えています。例えばもともとはダンサーのために作ったモーションキャプションツールが、発達障害などを扱う当事者研究の研究者をコラボレーターとして迎えた際に、パーソナルスペースの研究につながったこともあります。

強調したいのは、創造性の中心には「人」という不確実な存在があることです。コンピュータは正しく情報をコピーし伝達するのは優れていますが、間違えることは得意ではありません。アイデアや技術は、人を介してどんどん違う創造性に流転し、応用(誤用)されていきます。そんなクリエイションサイクルを、YCAMがデザインできないかと考えています。

井上 非常に俯瞰した議論をされているなと感じました。ゲームの場合には、設計によっては、ゲームそのものを作るものがいくつかあります。有名な例だと、『Minecraft』はその一つです。

プレイヤーの中でたまっていく「ゲーム空間自体を組み替えたい」という欲望から、新しいゲームが生まれることがよくあります。革新的な変わったゲームは「こういうゲームを作ってみたい」というちょっとした思いから生まれることも多いです。創造性のエコシステムにつながっていく話だと思っています。オンラインゲームだと、ユーザーが作ったものをゲームの中に取り入れる仕組みが考えられているものもあります。

国内のおもしろいインディーゲームを海外に向けて発信していく「Bitsummit」や短時間でゲームを制作するイベントの「GameJam」、教育や社会問題等をテーマとした「Serious Game Jam」など、主体性と創造性が連関していく仕組みが、ゲーム業界でも、どんどん発生してきています。そうした「創造性のエコシステム」をどのように作っていくのかを、意識として考えている人も業界に多くいます。菅沼さんのお話を伺って、分野が違っても共通した見方をしているのだなと感じました。

菅沼 ゲームはコミュニケーションテクノロジーの最先端を進んでいますよね。現実世界では難しくても、仮想世界なら「大きな石を百人で持ち上げる」みたいなこともできます。

ゲームの優れている点は、参加者のモチベーションを保ち、達成感を与え、「小さな社会」のような手触りを感じさせることで、「また遊びたい」「また学びたい」と思わせるループが作れること。それは「学びのエコシステム」になると思っています。

※ゲストによるプレゼンテーションは動画をご覧ください

「学び」の入口を低くする「low floor」の考え方

菅沼 学校でよく使われているプログラミングツール「Scratch」の設計理念のもとになっている理論を提唱した教育研究者シーモア・パパートは、学びにおいて「low floor(低い床)」と「high ceiling(高い天井)」が大事だと話しています。つまり、誰にでも始められるけれども、「もっと挑戦したい」人が楽しめる高い機能も持っている、そうした学びの環境が優れているという話で、個人的に強く共感しています。

先ほどお話にあった、真面目すぎる、啓蒙的すぎると説教臭くなり、誰も寄り付かなくなるという点に関しては、ゲームやマンガ、アニメは「low floor」の役割を非常に果たしていると感じます。子供たちがとっつきやすく、モチベーションも持続しやすいのではないでしょうか。

山内 アニメーションを作るのは個人ワークに近いと思いますが、ゲーム分野との違いや、アニメーション制作そのものの特徴はありますか。

面髙 アニメーションや映像は、作り上げたものを提供する一方的なメディアではあると思います。映像や音が全て備わっている状態で提供するので、情報量も多いですし、見る方にとっては遊ぶ余地は少ないのかもしれません。ただ、どう感じてもらうかは千差万別。作り手としては、語りすぎないようにする注意は必要なのかなと思います。ある意味での危険性を孕んでいるメディアだと感じます。

井上 最近、『ハックス!』というマンガを読みました。高校生が自分たちでアニメーションを作る部活を立ち上げて、アニメーション制作を始める話で。いろいろな分野でそうしたクリエイターを目指す話はありますが、10代の子が実際にアニメーションを作ってみようとすると、どのように始まり、どのような点で苦労をすると思いますか?

面髙 「low floor」の話がありましたが、アニメーションを作ってみる敷居は低くなってきていると思います。フィルムで映像を作っていた時代と比べると、今はスマホがあれば無料のアプリで始めることができますから。

ただ、専門的にやっていくときに壁にぶつかりやすいと感じます。アニメーションは、企画を立てて脚本を書いて、絵も描かなければいけないなど、やることがたくさんある。そう考えると、さらにもう一歩踏み出すことをサポートできるような教育のサービスがあるといいなと思います。

菅沼 学びの点で言えば、今の時代はインターネットによって、豊かに広がっていますよね。そういう意味で、フォーマル(公教育)で行われているものと、インフォーマルな場で行われているもののバランスが大事。学校教育では、メディアテクノロジーやリテラシーの分野でも、最新のものがなかなか扱えず、いまだにネチケットの話までしかできていない現場もあります。公教育で手の届かないことを、地域の文化施設として違った角度から補完することが、YCAMではできているのかなという自負があります。

そうした観点で、学びの機会損失がないように、いろいろな場所、いろいろな場面で、学びのプログラムが提供されるようなプラットフォーム作りに、民間だけではなく社会全体で力を入れられると、社会が押し上げられるような気もしますね。

※詳細な議論は動画をご覧ください

分野連携による「学びと教育」の可能性の高まり

山内 マンガやアニメ、ゲームなどの各分野同士が連携していくことで、「学びと教育」の可能性が広がるのではないかと僕は思っているのですが、この点についてはいかがですか。

菅沼 メディアごとに特性があるので、その都度やりたい目的に合わせてコラボレーションをしていくことになると思います。

そして連携していくとなると、新しい取り組みの話にもなると思います。YCAMでも挑戦し、うまくいかなかったこともありますが、そうした新しい取り組みの際の失敗を受け止められる社会構造や、評価の構造が必要になると感じます。来場者数が少なくても社会的な価値があることも、もちろんありますし。コラボレーションに潜む失敗のリスクや実験の可能性を、摘まないような仕組みづくりが大切ではないでしょうか。

山内 コンテンツを使うと、人が多く来るだろうという期待値もありますよね。

面髙 マンガ・アニメ・ゲームとひとまとまりで耳にすることが最近は多いですよね。何か一つのものを、それぞれのメディアで展開する際には、多くの人が携わるので、一つの世界観や統一したものを作る意識がないと、成功につながりにくいのかなと思うところはあります。アプローチや人に与える影響も、メディアによって大きく異なると思うので。

井上 特定のIPを横展開していく例がある一方で、お話を聞きながら考えていたのは、同じ風景や論点が論じられているアニメ・マンガ・ゲーム作品がいくつもあるということ。例えばコロナや震災、戦争の話は、いろいろなアプローチで「体験」できるものになっています。これらを通じて、メディア間の表現の違いを考えてもらう教育もできるのでは、と思います。

ゲームの場合、例えば『This War of Mine』では、戦争状況を市民として生き延びる話、『My Child Lebensborn』は、第二次世界大戦後、ナチスなき後の北欧での差別の話を取り扱っています。戦争を扱ったゲームでは、侵略する側と防衛する側、それぞれ違った視点からのゲームが多くあります。ある意味、加害者側からの物語をプレイする。マンガやアニメだと、戦争を遂行する軍事担当者の視点はぐっと少なくなるように思います。

教育的に、加害者側のリアリティを体験させることへの可否はあると思いますが、両方のリアリティをスイッチしながら体験できるのは、多面的な教育という意味では重要ではないでしょうか。各メディアの特性に応じて切り替えながら、こうした体験を与えられると良いのではないかと感じています。

山内 追体験に際しての距離感は、それぞれのメディアによって異なりますからね。

菅沼 そうしたワークショップをぜひ作りたいですね。メディアの特性を俯瞰的に理解しておくに越したことはないので。フィルターバブルという言葉もありますが、使用しているメディアの特性に引っ張られてしまう自分の嗜好性も理解しておくべきですね。これで一つ、コンテンツが作れそうだなと思いました。

学校教育でも、メディアリテラシーが重要だとは言いつつも、先生がそのメディアのユーザーではないことから、子どもの方が詳しいなんてことよく起こります。子どもたちはこれから、そうした社会をサバイブしていかなければいけないので、そのサポートを誰がするのかという側面もありますね。

山内 セッション終了にあたり、最後に一言感想をいただければと思います。

井上 今日はクリエイター教育と学校教育、それぞれのお話がありましたが、クリエイター教育に関しては、クリエイターの視点にならないとわからないこと、例えばゲームの場合はプログラミングの都合や設計の問題もあるわけで、そのあたりは、もう少し深掘りできたらなと思いました。クリエイター教育が、どこまでクリティカルに必要になるのかを含めて、細かい議論が必要だと感じます。

面髙 YCAMのお話を伺って、純粋に、近くに住んでいる子どもたちは本当に羨ましいなと感じました。ゲーム分野のお話では、ゲームって、思っていたよりもっと社会につながりやすいものだなと。電気メーターのお話で改めて思ったのが、スマホで写真を撮ったりすることも含めて、みなさん、「日々を記録すること」が好きですよね。そこから見えてくるものがあるなと、可能性を感じました。映像研究科の中でもゲームのコースがあり、そこでもアニメーションとゲーム分野の連携を考えているので、大変勉強になりました。

菅沼 「学び」にもグラデーションがあると、今日のお話で感じました。100人に一人の天才を見つけて育てていく機関なのか、裾野を広げてベースを広げていく機関なのかをYCAMでも議論してきましたが、YCAMは後者です。前者を育てるのは、YCAMだけでは難しい。その部分のフォローも含め、いろいろな社会が、学びの機会を提供していける、学びの豊かに散りばめられた社会が必要だなと。公教育だけではなく、それが社会全体の設計として存在するのが理想だと改めて感じました。

山内 四分野の教育・学びの連携できる余地は強くあるように感じました。分野横断ができることで、クリエーションにも生き、そこから教育にもつながっていくと思います。本日はありがとうございました。

※詳細の議論は動画をご覧ください

登壇者プロフィール(敬称略)
井上 明人
立命館大学 映像学部 講師
ゲーム研究者。現在、立命館大学講師。慶應義塾大学政策・メディア研究科修士課程修了後、国際大学GLOCOM助教、関西大学特任准教授などを経て現職。ゲームという経験が何なのかを論じる『中心をもたない、現象としてのゲームについて』を連載中。また、ゲームのアーカイブやデータベースに関わるプロジェクトに関わっている。単著に『ゲーミフィケーション』(NHK出版,2012)。開発したゲームとしては、震災時にリリースした節電ゲーム『#denkimeter』(CEDEC AWARD ゲームデザイン部門優秀賞受賞)、の他に『ビジュアルノベル版 Wikipedia 地方病(日本住血吸虫症)』など。

面髙 さやか
東京藝術大学大学院映像研究科アニメーション専攻助教
奈良生まれ、アニメーション制作、アニメーション教育分野で活動。大阪芸術大学大学院芸術制作研究科動態表現領域(映画・映像)修了、東京藝術大学大学院映像研究科アニメーション専攻助教。

菅沼 聖
山口情報芸術センター 社会連携担当
山口情報芸術センター[YCAM]で研究機関、自治体、企業などとの共創事業を担当。YCAMがメディアアートのクリエイションで得た知見を応用し、多様なコラボレーターと共に社会に新たな価値を創出する共創の枠組みづくりに取り組む。2019~2020年文化庁在外研修にてAalto Media Lab 学習環境デザイングループ客員研究員。2021年~ソニーコンピュータサイエンス研究所 Superception Lab 非常勤リサーチャー。光村図書 美術教科書(中・高)編集委員。


山内 康裕
MAGMA sessions 総合ディレクター、一般社団法人マンガナイト代表理事
1979年生まれ。法政大学イノベーションマネジメント研究科修了(MBA in accounting)。2009年、マンガを介したコミュニケーションを生み出すユニット「マンガナイト」を結成し、2020年に法人化し「マンガと学び」の普及推進事業や拠点営業(日本財団助成)、展示事業等を展開。マンガを領域とした企画会社 レインボーバード合同会社代表社員、さいとう・たかを劇画文化財団理事長、これも学習マンガだ!事務局長、東京工芸大学芸術学部マンガ学科非常勤講師他を務める。共著に『『ONE PIECE』に学ぶ最強ビジネスチームの作り方』(集英社)など。

※URLは2023年2月17日にリンクを確認済み

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