今 敏 未完の作家のマンガ作品

宮本 裕子

『セラフィム 2億6661万3336の翼 《増補復刻版》』より
©押井守・今 敏
発行:復刊ドットコム

マンガ家としての今 敏

今 敏は、『パーフェクトブルー』(1998年・日本)や『千年女優』(2002年)、『パプリカ』(2006年)といった作品で虚実の混淆する世界観をアニメーション独特の表現で展開したアニメーション監督として知られている。一方、彼の創作活動はマンガから始まっている。1984年に『虜-とりこ-』で、講談社『週刊ヤングマガジン』主催のちばてつや賞、優秀新人賞を受賞。1985年に同賞の佳作を受賞した『カーヴ』でマンガ誌デビューを果たす。1990年には自身初の長編マンガ『海帰線』を連載し、1991年には大友克洋による実写映画『ワールドアパートメントホラー』のマンガ化を担当した。マンガの仕事を通じて大友が監督するアニメーション作品の現場での仕事も行うようになり、『パーフェクトブルー』で監督デビューして以降、アニメーション監督として特異な存在感を放つ制作者となった。

以下に確認するように、マンガとアニメーションというメディア的な横断を経てもなお、今 敏作品にはテーマと表現の点で共通するものが見られる。しかしもう一方で、今 敏のマンガ家からアニメーション制作者へのキャリアの変遷過程には、大友や押井守の存在が介在してもいる。今 敏は、大友のマンガ作品にアシスタントとして参加しただけでなく、『AKIRA』(1988年)から彼のアニメーション制作現場に参加している。また、大友のアニメーション現場と同時期に、『機動警察パトレイバー 2 the Movie』(1993年)で押井の現場にも参加し、さらには1995年から1996年まで、押井と共作で『セラフィム 2億6661万3336の翼』(以下『セラフィム』と略記)というマンガ作品を『アニメージュ』(徳間書店)誌上で連載している。大友は『AKIRA』で、押井は「パトレイバー」シリーズのみならず『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』(1995年)によっても、それぞれ世界的に名を知られるようになった制作者である。つまり、1980年代から1990年代にかけて、日本の商業用アニメーションが他と区別されるような視覚的な特徴とテーマにより認識される契機を生み出した制作者2人と今 敏は仕事をしていることになるのだが、それはアニメーション作品だけでなく、マンガ作品にもまたがっているのである。

『今 敏 MANGA選集 1 カーヴ [ワイド版・生原稿ver.] CURVE and Other Stories』
©Kon Satoshi / Kon Kyoko(KON’STONE)
発行:復刊ドットコム

今 敏と大友克洋、押井守

日本のマンガの歴史には手塚治虫以前と以後があるだけでなく、大友以前と以後があると言われるように、1980年代から1990年代におけるマンガを、大友の影響なしに考えることはおそらく不可能である。今 敏のマンガも、大友の圧倒的な影響の下に位置付けられるだろう。デフォルメを控えたキャラクター・デザイン、映画のコンテになりうるような緻密なコマ割りの一方での自在な視点、漫符のような記号を使わずキャラクターの表情やポーズで心情や状況を示す巧みな絵、カメラ・レンズを通したような空間の描き方とシャッターで捉えられた一瞬かのような動きのあるポーズと空気感。こうした記号的な表現を避けた巧妙なマンガ的表現が、大友以後のマンガ家としての今 敏の作品にも共通している。

他方、今 敏のマンガ作品に見られる背景には、大友の『AKIRA』や『童夢』(1980〜1981年)に特徴的な、ディテールに富んだ近代建築を主とした空間の描写とは異なるものが見られる。長編デビュー作である『海帰線』は海辺の町を舞台にしており、高層ビル群は見られない。連載誌の休刊に伴い未完となった今 敏のマンガ『OPUS』(1995〜1996年)は、マンガ家が自分の描いたマンガの世界に入ってしまうメタフィクションだが、途中で真っ白な空間が描かれることもあり、そこでは背景が簡略化されている。当然のことながら、このような大友作品と今 敏作品の背景的な差異は、物語の舞台設定によるものであり、それはテーマの差異から来るものでもある。もう一方で、大友作品においては、建築物を背景にした空間の中、キャラクターが小さく配されるような、見開きを使ったスーパー・ロング・ショットによる見せ方がとりわけ印象的だが、今 敏はこうしたコマ割りを基本的には用いない。それでも、大きくないコマの中で緻密に建築が描写されてはいる。他方、その際、背景の描線はやや煩雑に見えもする。背景の絵で引かれる線のシャープさの印象の点でも違いがあり、大友作の方が直線的で硬質な印象を、今 敏作の方はそれに比して緩やかな印象を与える。

『OPUS 《完全版》』より
©今 敏
発行:復刊ドットコム

こうした背景のディテールの差は、アシスタントの数から来るものとして考えることができるかもしれない。大友のマンガ制作現場がどの程度の規模だったかは分からないが、大友は1970年代の終わりにデビューした時、すでに注目を集めていたマンガ家である。『童夢』や『AKIRA』の時点では相当の数を動員し、精密な線をアシスタントに引かせていた可能性は低くない。他方、今 敏のマンガの現場では、あまりアシスタントが使われていなかったことが本人や関係者からの話から推察される1。今 敏自身の現場での少人数制作の一方で、大友のマンガの現場に今 敏が入っていたとすれば、大友作品における緻密な背景描写に今 敏が仕事の上で貢献した可能性はある。

他の制作者の現場における今 敏の重要な仕事としてもう一方でしばしば語られるのは、押井のアニメーション現場でのレイアウトである。押井の『機動警察パトレイバー 2 the Movie』は、カメラ・レンズを想定した画面作りに注力したアニメーション作品としてよく知られており、その際に各カットの設計図を作るレイアウトという作業工程を重視したことでもまた有名である。同作におけるレイアウトとその工程と重要性については、書籍『Methods――押井守「パトレイバー2」演出ノート』(角川書店、1994年)で詳述されている。今 敏は、同書の中で、『AKIRA』のアニメーションを手伝った経験がレイアウトの仕事に生きたという旨の発言をしている。大友の影響が色濃く残る時代にマンガ家としてデビューした今 敏は、大友のマンガとアニメーションの現場の双方を経験し、それを押井の現場で生かすことにより、日本の商業アニメーションのレイアウトにもある種の画期をもたらしたのである。

『新装版 海帰線』
発行:講談社

『セラフィム』における押井的なものと今 敏的なもの

このように、今 敏のキャリアとその仕事による影響は、マンガとアニメーションにまたがり、ジグザグに進行するのだが、押井との仕事はアニメーションにとどまらずマンガにまで及んでいる。押井に、「全てのコマが完成されている」を言わしめた画力により、作画担当として指名されながら、「決定的に相容れなくなった」2ことによって未完となったのが、二人の共作『セラフィム』である。同作は当然ながらというべきか、押井と今 敏の特徴の双方が見られる点で興味深い。

舞台は21世紀初頭、「天使病(セラフィム)」という「人々を激烈な幻覚とともに死に導く奇病」3が蔓延したパンデミック後の世界が舞台である。多くの国家はこの病の蔓延の中で破綻し、難民が溢れ、国境を閉ざした先進国と武装難民との衝突や国境付近による戦争が頻発しており、世界は「防疫線」で分断されている。この奇病の原因と治療法の究明のために、WHOに任命された「審問官(マギ)」が、防疫線を超えた先のユーラシアの深奥部に派遣されるという物語である。

「審問官(マギ)」の構成メンバーはガスパル、メルキオル、バルタザルと名付けられた2人の男性と1匹の犬である。ガスパル、メルキオル、バルタザルから成る「マギ」は、聖書の東方の三賢者(三博士)に由来する。この設定のみならず、冒頭から端々に聖書の引用がある。こうした引用は『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』にも見られるように、押井作品の特徴の一つと言えるだろう。「審問官(マギ)」のメンバーを構成する犬の種類はバセット・ハウンドで、これも押井作品を印付ける。よく知られるように押井の愛犬がこの犬種で、『イノセンス』(2004年)では主人公バトーの愛犬として登場している。また、「天使病(セラフィム)」が鳥の病とされるという設定から、鳥が印象的に描かれてもいる。鳥というモチーフも、「パトレイバー」シリーズの劇場版などに見られる押井守的な印である。なお、「天使病(セラフィム)」は症状が進行すると、背中が羽のように変形していく病でもある。

他にも、戦闘機やヘリコプター、戦艦など、軍事に関わるテクノロジーの描写も押井的な趣味を反映しているだろう。何よりもこの軍事的な描写を必要とするような、国家間の緊張関係やパンデミック下における国際保健事業と政治の関係、難民問題など、社会・政治的な設定の緻密さが、「パトレイバー」シリーズや押井の実写作品などにも通じるものがある。

『セラフィム』の企画段階で世界観を設定したのが押井であったことを考えれば、こうした押井作品としての特徴は当然のものである。他方、実際の作業に入った後は今 敏との共同作業で作品制作が進められた。しかし、この制作体制によって、「作品の進め方や役割分担等の点で、両者の間に齟齬が生まれ、途中休載や押井のクレジット変更といった事態を経て、物語はあえなく中断に至った」4のである。『セラフィム』は第1回から第16回まで連載され、未完となっているが、12回までのクレジットは「マンガ/今 敏 原作/押井守」、第13回から第16回までは「今 敏 原案/押井守」となっている。

このクレジットの変更を知らなくとも、おそらく今 敏作品に親しんでいる読者には、第13回を境とした作品の変化が感じ取られるはずである。第13回以降には、突如として現れる幻覚が描写されている。「審問官(マギ)」の一員であるメルキオルは「天使病(セラフィム)」に罹患しており、その症状として幻覚を見る。それは目を開けたまま見る夢のようなものである。メルキオルは天国へ続く階段のようなものを登り、その先にある扉を開けると、おそらくは物語における現実世界とは異なる時間軸の出来事が展開される。メルキオルの妻らしき人物がベッドの上で赤ん坊を抱いている部屋に慌ててメルキオルが入って来る。妻は赤ん坊を出産したばかりで、メルキオルは出産に立ち会えなかった様子である。このシーンはメルキオルの赴任先の国のようで、妻は異国での子育てに対する不安を吐露する。すると部屋に突如として鳥の群れが飛来する。その直後、メルキオルが妻を見ると、その姿が「審問官(マギ)」に同行している少女セラの姿に変化している。セラが抱えている赤ん坊には、さきほどまでは見られなかった翼が背中に生えている。メルキオルは驚くが、現実世界で額に触れるセラによって、メルキオルは正気を取り戻す。こうした幻覚と現実が移行過程を経ず突如として切り替わる表現は、今 敏のアニメーションにも見られる特徴である。それはマンガではコマ割りで、アニメーションではショットのマッチ・アクションによる接続の中でなされるだろう。

さらにここでは、幻覚において描かれるモチーフについても注目したい。メルキオルが見る幻覚の中で描かれるのは、父と母と子という、3人家族の姿である。そして、子どもに「天使病(セラフィム)」の兆候が見られるという不吉さである。1995年の大友克洋総監督によるオムニバスアニメーション映画『MEMORIES』の中の一作、『彼女の想いで』において、今 敏は脚本を担当しているのだが、同作の中でも主人公は失われた自らの家族との団らんを幻視する。『セラフィム』においても『彼女の想いで』においても、子どもは女児である。『セラフィム』は未完に終わったが、家族とそれが危機に瀕する状況を幻視するという展開は、以後に今 敏が携わったアニメーション作品に引き継がれているかもしれない。もう一方、マンガ作品に遡ると、『海帰線』のなかにも、新生児のようなものを主人公が抱える場面を見つけることができる。『海帰線』はリゾート開発と土着の信仰の間で揺れる海辺の町を舞台にした作品である。町の神社には「海人(うみびと)の卵」と呼ばれるものが祀られている。これは海人からの預かりものとされているのだが、これを巡って開発側と町側の間に生まれる葛藤から生じる騒動が繰り広げられる。物語の終盤では、この海人の卵がかえり、主人公が海人の胎児のようなものを両手に抱える場面があるのだ。『海帰線』、『MEMORIES』にみられるような出生や家族のイメージを考えると、『セラフィム』の後半部分は今 敏的なモチーフの系譜に位置づけられる部分がある。実際に、第13回以降はそれまでのガンアクションや軍事的な意匠はなりを潜めている。

『セラフィム 2億6661万3336の翼 《増補復刻版》』より
©押井守・今 敏
発行:復刊ドットコム

未完の今 敏

このように『セラフィム』を見ると、今 敏的な印は、マンガ作品からアニメーションにまで、変遷しながら連なるものとして考えることができるかもしれない。実際、虚実を混淆させる表現のインパクトから後景化しがちであるが、核家族的なものとその失敗やズレは、今 敏のアニメーションの中に変奏されるモチーフでもある。『セラフィム』は未完ではあるが、その後のアニメーション作品で未消化の要素が昇華されていると言えるとすれば、その未完の性質は、連続の方へと開かれてもいるだろう。

実際に、今 敏の仕事にはマンガ作品も含めると未完のものがいくつかある。先に触れた通り『OPUS』も掲載誌の都合により未完であり、亡くなる直前まで作業していたとされるアニメーション映画『夢みる機械』も、今のところ未完の遺作となっている。未完という性質をより敷衍して考えてみれば、アニメーション作品においても、物語内の矛盾を完全に解消するよりは、矛盾の共存する状態を維持する状態で終わらせ、観客を煙に巻くようなところがあり、それは物語の完結の印象を薄くするものでもあった。しかし、その印象は必ずしもネガティブなものではない。未完であることこそが今 敏作を特徴づけるとすれば、それ自体が重要なものとなるだろう。未完であることこそが、人々に今 敏の作品について語らせる要因となるのだし、後続の制作者があらゆる形でその仕事を継承しているのである。未完であることが、今 敏の作品を存続させもするのだ。

今 敏のマンガ作品について論じるためには、本稿の内容では到底不十分であり、アニメーション作品と接続した形での議論の余地は広大に残されている。未完の空白を埋めるかのように、今後も私たちは今 敏の作品について語り続けることだろう。

拙著、『今 敏 未完のアニメーション』(青土社、2026年)は、今 敏のアニメーション作品にのみ焦点化した論考である。本稿で指摘した核家族的なものとその失敗やズレというモチーフについても触れているだけでなく、『セラフィム』とは「病」というモチーフで結びつきうる主張も含まれている。今 敏の未完の性質を語り継ぐ営為の一部として、機会があれば一読されたい。しかし、何よりも今後の今 敏研究を待望するためにも書かれた本である。今 敏の仕事を受けて書かれたものや創造されたものがこれからも増えることで、今 敏の仕事が様々な形で継がれていくことを今は期待したい。

脚注

1 今 敏は、『海帰線』のあとがきで、「多くのアシスタントを動員して、時間と質を買うという大量生産の方法論は私には取ることができませんでした」と記述している(今 敏『新装版 海帰線』、講談社、2011年、219頁)。また、アニメーターの本田雄は「なかなか今さんのおメガネにかなうアシスタントもいなかっただろうし、そうすると単独作業でつまらないみたいで」と回想している(『セラフィム 2億6661万3336の翼』初回限定盤付属 今 敏追悼ブックレット『KON’S MEMORIAL』)。
2  パスカル=アレックス・ヴァンサンによるフランスのドキュメンタリー映画『今 敏—夢見る人』(2021年、原題 Satoshi Kon: l’illusionniste)内での押井の発言。
3 押井守・今 敏『2億6661万3336の翼』徳間書店、2011年、巻頭折込ページ
4 同前、231頁

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