門倉 紫麻
「女性同士の連帯」を表す言葉「シスターフッド」。これまでもマンガに描かれ続けて来た重要なテーマだが、社会にこの言葉が浸透したことで、一つのジャンルとして注目を集め、多くの読者に力を与えています。本連載は、シスターフッドを描くマンガ家に、作品誕生の経緯や、作中での描き方について聞くとともに、これまで興味を持ち影響を受けてきた作品や作家について聞くことで、シスターフッド作品の流れを見る、という試み。第1回には、『恋じゃねえから』(講談社、2021~2024年)で中年女性二人がともに闘う姿を描いた、渡辺ペコが登場。家族と恋愛への疑い、闘う「相手」、強固ではないけれど豊かな関係性……などシスターフッドと「その先」への考えをたっぷりとうかがいました。

――シスターフッド作品は、読む者に実質的な力を与えている、という体感があるのですが、『恋じゃねえから』はまさにそういった作品でした。読んだときにいただいた何かに立ち向かう力が、身体の中に残り続けているのを感じます。
渡辺 ありがとうございます。嬉しいお言葉です。
――『恋じゃねえから』は、中学時代の親友同士だった茜と紫が40歳になり、ある出来事によって再会し、ともに闘う物語です。
ある出来事とは二人が中学時代に通っていた塾の講師で現在は彫刻家である今井が、中学時代の紫によく似た「少女像」を個展で展示したこと。中学時代、今井と「恋」をしていた紫は、自分の裸が無断でモチーフにされ、公にされたことに傷つき、茜とともに抗議しますが、今井とその妻でマネージャーの紅子は二人を退けます。「芸術」であれば許されるのか、そもそも中学生と大人の間に「恋」は成立するのか――とさまざまな問いを投げかけながら、茜と紫のシスターフッドが描かれていきます。
この作品を描いた経緯については、「結婚とは何か」を描いた前作『1122(いいふうふ)』(講談社、2016~2020年)の連載中に「次は中年の女性を描きたい」という気持ちが湧いてきた、とおっしゃっていましたね。「いわゆる『シスターフッド』、女性同士の連帯を描けるといいなあと」思った、と1。
渡辺 私自身もまさに中年女性であるので、中年女性のロールモデルや物語がもっと欲しいと思っていましたし、もっとあるべきなんじゃないかという感覚もありました。それと、私が「家族」と「恋愛」に対して疑いを強く抱いている、ということも、シスターフッドを描こうとした主な理由としてあったと思います。

――般的に、家族や恋愛はよいものだとされていますが、それを疑う、ということでしょうか。
渡辺 そうですね。特に恋愛に関しては疑いというより、自分のつくる物語のなかでは重要なものではない、と現時点での結論が出つつあって。恋人同士や家族ではない強いつながりを描こうとすると友愛的な関係を描くことになるというか……自分の描きたいものを探していくと一度はシスターフッドに行き着く、ということだったように思います。
――行き着く、というのはわかる気がします。今の社会で生きていると、我々読者も恋愛関係や家族関係で理不尽なことを体験したり見聞きしたりして、それとは違う物語に惹かれざるを得ない状況にある、と感じます。
――『恋じゃねえから』でのシスターフッドの描かれ方はアグレッシブで、そこがとても好きです。茜は紫に静かに寄り添う人、というより、一緒に怒り一緒に闘ってくれる人として描かれています。今井たちに像の撤去を受け入れてもらえず慰謝料を渡された二人は、個展会場に行ってハンマーで物理的に少女像を破壊する、という行動に出ます。

渡辺 「力を持って抗う」「つくったものを壊す」というイメージは割と最初からありました。ある意味で暴力への加担ですが、現実では難しいことだからこそ描いたのかなと思います。茜のようにアクションを起こす以外にも、もちろんいろいろな闘い方がありますよね。でもフィクションでならやってしまえるというか、せっかくなのでこの形を提示したいなと思いました。あとは単純に、私の「壊したい!」という願望もあったと思います(笑)。
――像が「ガシャ」と破壊されるのを見たとき、ものすごく気持ちがよかったです。二人は「やったったね」と喜び合いますが、それを見て「そうだよ、私もやってやんよ!」という勇ましい気持ちになりました。現実には難しいことを描いて、そこに読み手が気持ちよさを感じるのは、とてもエンターテインメントですね。この巻(3巻)以降さらに「次どうなるの?」とドキドキし続けることになりました。意識的にエンタメとして描こうとしていらしたのでしょうか。
渡辺 そうですね。長くマンガ家をやっているうちに素直にエンターテイメントとしてのマンガに憧れの気持ちを持てるようになったというか、もうちょっとエンタメ度を上げたい、フィクション度を上げたい、という欲求が出てきた気がします。もともとマンガはエンターテインメントだと思ってきましたし、読むのも大好きですし、自分が関われていることをすごく誇りに思ってはいたんです。でも自分にはエンタメを描くことはできないんだろうなとも思っていたというか……それが変わってきた、ということですかね。
――実際にエンタメ度を上げて描いてみていかがでしたか。
渡辺 やっぱり難しかったです。頭の中ではもっとジャーン!って感じなんですけど、私が描くとどうしてもしょぼしょぼしたものになってしまう(笑)。こうして試行錯誤しているうちに、技術が磨かれていくかもしれないと思っているところです。
少女像はもっと思い切り壊してもよかったなと今は感じるんですが、描いているときは難しかったんですよね。彫刻家の方に取材をさせていただいたときに、恐る恐る「もし自分のつくったものが何か強い恨みや意図のある人に壊されたら、どうでしょう……?」と聞いてみたら、その仮定の質問をされただけですごくショックを受けていらして。それがお一人だけではなかった。マンガも作品ではあるんですが、美術作品はコピーができずそれ一つしかない。人生や自分自身をかけて作品をつくっていらっしゃることの重さを感じました。なので、茜たちが壊す場面を描くときには「本当にいいのかな?」という気持ちもありました。それが私の弱さなのかなと思います。
――『恋じゃねえから』で描かれるシスターフッドで、アグレッシブさに加えてもう一つ好きだったのが、一度失われて再構築される、という部分です。中学時代の茜は、紫の切実な助けを求める声を無視してしまい友情は失われますが、26年を経た今、「今度は一人にしないからね」と宣言します。今回は茜がそれを受け入れてくれましたが、もし相手が受け入れてくれなかったとしても、自分が踏み出すことはいつでもできるのだ、と希望を感じました。
渡辺 ありがとうございます。その理念みたいなものも、やはりおまじないというか「そうであってほしい」という私の憧れだと思います。ただ自分も48歳になってみて、実際に「そうかもしれない」と思える経験も多少はするようになって。これは歳を重ねたことの醍醐味というかご褒美だなと思います。もちろん取り返しのつかないこともあるし、許してはいけないこともある。でも時間を経ることで、その人自身や誰かとの関係性が回復することがあるのではと思います。

――今回あらためて『恋じゃねえから』を読み返して気になったのが、加害者である今井の妻・紅子のことです。当初は今井を擁護していますが、後に息子のましろが性被害にあったことで、今井が紫にしたことが何だったかを理解する。そして茜のように寄り添ってくれる友人がいる紫を「うらやましい」と感じ、それを茜に伝えます。
最終的に紅子は、家族に吸収されるというか、今井とましろの三人で家族をやり直しますが、彼女にも寄り添ってくれる友人ができるのだろうか、などと気になってしまって……。もちろん必ずそうした関係を築く必要があるとは思わないのですが、「うらやましい」と言った彼女のその後を考えてしまいます。

渡辺 私も、誰もがいい関係を得られるわけではないことが、常に気になっていて。一方で、そもそもそうした関係から離れたところにいる人は「うらやましい」と感じるのだろうか、とも思うんです。「家族に吸収される」という表現がいいなと思ったのですが、家族の修復や再構築はいいことでもあるし、紅子のような人は「今いる環境がいいのだ」と考える気もするんです。「うらやましい」というセリフを書いたのは、私が紅子にそう思ってほしかったからかもしれません。ただ、どんな関係性も変容していくものだと思うので、ましろが大きくなったら、今井と別れて別の関係性を見つけるかもしれない。そういうことがあってもいいなと、今お話を聞いて思いました。
――確かにそうですね。私自身も今はシスターフッドに強く惹かれていますが、違う関係に惹かれる日が来るかもしれません。
渡辺 今、特定の関係に強く引き付けられていることも尊いと思いますし、人生のどこかで今度は吸収される喜びを感じるかもしれない。どちらも人生の楽しみの一つ、という気がします。
――少し話がずれますが……先ほどから友人や友情という言葉を使っているのですが、「女性同士の友情」と「シスターフッド」は、違う概念なのか、同じように使っていいのか迷うところがあります。渡辺さんはどうお考えですか?
渡辺 私もお聞きしたいかもしれないです(笑)。いろんなバリエーションがあるはずなんですけれど、友情よりシスターフッドのほうが「助け合う」要素が強い気はしますよね。
――私もそのイメージです。「助け合う!」と拳に力が入ります。
渡辺 気合いというか……覚悟が混じる気がしますよね。「共闘」みたいな。そういう要素を私のマンガに入れたい気持ちもありました。
――「共闘」というとき、闘う相手は何であると考えていますか?
渡辺 『恋じゃねえから』での相手は具体的に今井であったり、性加害の象徴である少女像ではあるんですが……私の個人的な考えであって定義ではないのですが、女性を商品化したり、ミューズ化して持ち上げたりすることで「対等な人間」として見ないことに対して、「それは誠実な姿勢ではない」と抗議する気持ちがあります。その事実が、作品とか才能とかでごまかされてはいけないという、私の信念みたいなものが『恋じゃねえから』にも出ていると思います。今井は、そうした闘う相手をキャラクターとして具現化したものですね。

――「対等な人間」として見られないことと闘っている、というのはとてもしっくりきます。
渡辺 私も、決して糾弾する側にいるわけではないんです。マンガを描いたり、こうしてインタビューで自分の意見を言う場をいただいたりする側にいる。何かをつくる人が持つ「傲慢さ」や「暴力性」に自覚的であらねばならぬ、という自分への警告でもあります。今自分がいるエンタメとかメディアの世界、今井のいる美術の世界では性加害などの暴力が起こりやすいですし、起こってきた事実がある。そしてそれを、私も含めた主に年長者たちがなあなあにする、なかったことにする癖、振り返らない癖があることも覚えていきたいと思いますし、この癖も、闘う相手の一つだと思います。
――2025年2月発売の完結巻・6巻の帯に「時を経て共闘するシスターフッド」とあります。このタイミングで帯にシスターフッドという言葉を使ったのは、なぜだったのでしょう。
渡辺 どうだったかな……担当さんのほうが覚えていらっしゃると思います。
担当編集 連載が始まった頃はシスターフッドと大きくうたうと「こういう作品なんだ」と受け取り手の方たちの解釈を狭めてしまうかもしれないですね、というお話をした記憶があります。時期が来るのを少し待ちましょうか、と。完結のタイミングで、もうこれは堂々と言いたいと思いペコさんにご提案したところ、スッと受け入れてくださった……ということだったと思います。
渡辺 そうでしたね!
――今なら受け取り手にもスッと伝わるはず、という感覚があったのでしょうか。
担当編集 私にはありました。小説や映画にもシスターフッドをテーマにしたものが増えている感覚もありましたし、『恋じゃねえから』はそれを代表する作品になる!と思っていたので。
渡辺 ありがとうございます(笑)。私も増えているという感覚はありましたし、むしろ私は後続というかちょっと遅いかも?と思っていました。
――いま後続とおっしゃったのですが……この企画では、作家さんがどういったものに触れ、影響を受け、シスターフッドを扱う作品を描くようになったのか、その源流を探るという一面があります。渡辺さんの場合は、どんな作品がそれにあたりますか?
渡辺 影響というとすぐには浮かばないのですが……韓国映画の『お嬢さん』(パク・チャヌク監督、2016年)はすごく好きでした。
――特にどういったところがお好きですか?
渡辺 長い映画なんですが、そのなかで主人公二人の関係が変遷するんです。彼女たちのお互いに抱く感情や信頼も変わるし、観ている人が彼女たちの関係性に対して抱く感情も変わる。「この関係性はとっても素敵だね」とひとことでは言えない、いろんな含みがあって。どこをどう見せるかがすごく計算されているんですよね。そのひっくり返される感じもすごくおもしろかったです。耽美でエロティックな雰囲気が通底している作品ですが、痛快さがあった。それが『恋じゃねえから』と直接結びついたかはわからないんですが、自分の描くものにも痛快さがほしいと思って、大きなアクションを入れたのかもしれません。
――確かにシスターフッド作品には痛快さを求めてしまいます。
渡辺 韓国映画では『ユンヒへ』(イム・デヒョン監督、2019年)もすごく好きです。こちらは静かなトーンの映画で、レズビアンの女性二人の長い時間軸を描いています。一時期とても強いつながりがあった二人が、今は日本と韓国で別々に暮らしている。強い恋心がずっと続いていたというわけではないと思うのですが、今も相手のことを思いやったり、今の自分への影響を考えたりしていて。そういうところは、茜と紫の関係を描くのに影響を受けていると思います。
もう一つ、韓国映画で『私の少女』(チョン・ジュリ監督、2014年)も好きです。こちらも恋愛をしている女性二人の話ですが、共闘の話でもある。恋愛をしていると、シスターフッドではないんですかね……? いや「どっちか」とは限らないですよね。恋をしていたらシスターフッドでなくなるわけではない。『ユンヒへ』にも『私の少女』にも、恋とシスターフッドの両方があると思います。
――韓国映画や韓国文学にはシスターフッドやフェミニズムを扱った素敵な作品がたくさんありますよね。恥ずかしながら今挙げていただいた3作品とも観ていないので、必ず観ます。
――マンガでは、何かお好きなものや影響を受けたものはありますか?
渡辺 あまり人のマンガを読めなくなっているのですが……谷口菜津子さんのマンガが大好きでよく読んでいます。たくさん魅力を感じる部分はあるんですが、特に関係性の軽やかさに惹かれます。谷口さんには、恋愛も家族も、友人関係も、同じマンションに住むことになった人たちのつながりも、全部をフラットに、豊かに描いている気がするんですよね。
――2025年にドラマ化されて話題になった『じゃあ、あんたが作ってみろよ』(ぶんか社、2023年~)では結婚を前にした男女に焦点を当てていましたが、『まめとむぎ』(双葉社、2024年~)では食堂を経営する女性二人、『ふきよせレジデンス』(KADOKAWA、2022~2023年)ではマンションの住人同士、といろいろな関係が描かれていますね。
渡辺 私は家族とか恋愛とか一つひとつを一旦否定してから新しいものを提示する、みたいになりがちなんです。でも谷口さんは、全部を「ありだよね」とおもしろく描ける軽やかさがあって。人類がちょっと成長していった「その先」にはそういう世界があるのかな、と思えるというか……既にあるのかもしれないんですが、それが日常になる世界があるのかなと思えます。
――「その先」の世界には、シスターフッドも含む、いろいろな関係性が当たり前のようにある、と。
渡辺 谷口さんの描く世界はユートピアのようでもあるんですが、すごくリアルでもありますよね。名付けなくてもいいような関係も描かれているのが素敵で。例えば元恋人の友達と、とかいろんな方向でのやりとりが生まれたりする。それは登場人物たちが「自分は自分」とちゃんと自分を引き受けて、境界を持っているからのように私には見えます。
――先ほど「人のマンガがあまり読めない」とおっしゃったのですが、それはいつ頃からですか?
渡辺 デビューして5年目くらいからでしょうか。デビュー後しばらくは、たくさん読んでいたし、マンガ家さんにお会いするとすごく嬉しい、みたいなミーハーな状態でいられたんですよ。でも、だんだん自分は観客じゃなくて打席に立たなきゃいけないんだという当たり前のことに気づいていって。ほかのマンガ家さんとその作品のことを、眩しく感じるようになってしまいました。特に同世代の方の作品は、影響を受けるのが怖くて読めなくなったんですよね。今もそれはあるんですが、オンタイムじゃなくしばらく寝かせたら読める、というくらいにはなりました。
――なるほど、そういうことだったのですね。子どもの頃に読んでいて、印象深いマンガはありますか?
渡辺 子どもの頃、私が選んで読んでいた雑誌には、決まったパターンの女の子と男の子の組み合わせの恋愛マンガが多く載っていて。それがすごく好きだったので影響も受けていると思います。なので……どちらかというとその影響を剥がすことに必死だったかもしれませんね。ただ当時もきっと、私が意識していなかっただけで、女の子同士の友情を描いた少女マンガはたくさんあったはずですよね……読み逃しているものが多いと思います。
――恋愛マンガの影響をまずは剥すことが必要だった、というのはとても興味深いですし、よくわかります。マンガだけの影響ではないですが、私は大人になってからも「恋愛するのは当たり前」だという思い込みが強くて、「してもしなくてもどちらでもいいのだ」と心底思えるまでにとても時間がかかりました。
渡辺 恋愛することを選ぶのももちろんいいんですが、一度その思い込みから離れて、自分の力でするかしないかを選びたいですよね。私もその思い込みが強かったから、しつこく疑って、剥す作業をしてきた気がします。振り返ってみると、『1122』でも、その前の『にこたま』(講談社、2009~2013年)でも「疑ってるぞ!」ということをしつこく描いていますね(笑)。それをしてからじゃないと『恋じゃねえから』にいけなかったのだと思います。
――完結巻が出て1年経ちましたが、シスターフッドについては一旦描き終えた感覚ですか? それともまた新たに見えたものがあるのでしょうか。
渡辺 まだ本当に一部だけを描いた感じですね。女性同士の関係は、もっといろいろと描けると思います。それと、最近よく考えるのが、強いつながりを持てない人がいても、いいのではないか、ということなんです。強い関係性は物語になりやすくて、それこそシスターフッドもその一つで、私もそれを描いたわけですが……強いつながりがない人も幸福に生きられるということを信じたい気持ちがあります。
――先ほども「誰もがいい関係を得られるわけではないことが、常に気になっていて」とおっしゃっていましたね。
渡辺 そうですね。そのときそのときで、その人にとって大事な関係や場を、飛び石のようにつないで生きていく人生もまた、いいように思うんです。それはもしかしたら「一人」ということかもしれないですが、そこにも豊かなものがある気がします。ずっと人間関係の話をしてきて、私自身もそれに生かされている部分がすごくあるんですが……。
――そんな渡辺さんが「一人」を描く、というのがとてもいいですね。
渡辺 一番大事なのは、自分自身との関係なのかなと。死ぬまで100%一緒にいるのは自分なので。自分との付き合い方を考えたり、試行錯誤するような物語も考えてみたりしています。
――ものすごく読みたいです。今日お話をうかがって、私は「シスターフッドってすごく勇気づけられるから!とにかく読んで!」と力が入り過ぎていたというか、一方向だけを向いていたと気づきました。第1回で渡辺さんに「強い結びつきではないところにも豊かなものがある」という視点をいただけて、とてもよかったです。
渡辺 私のなかでもまだ「ほかにもあるかもしれないね」という段階ではあるんですけれど……でもきっと、あると思っています。
脚注
渡辺 ペコ
札幌市出身。2004年『透明少女』(集英社)でデビュー。代表作の『にこたま』(講談社、2010~2013年)、『1122(いいふうふ)』(講談社、2017~2020年)は実写ドラマ化され話題に。その他の著書に『東京膜』(集英社、2005年)、『ラウンダバウト』(集英社、2009年)、『おふろどうぞ』(太田出版、2016年)など。2026年7月現在、『モーニング・ツー』にて『1122 五代夫婦の場合』(講談社)を連載中。
※インタビュー日:2026年1月14日
※URLは2026年7月14日にリンクを確認済み