過剰な反復と微細な差異――悪役令嬢転生ジャンルをひも解く きりとりめでる×遠藤麻衣×白江幸司[中編]

塚田 優

写真:北浦 敦子

左から、遠藤麻衣氏、白江幸司氏、きりとりめでる氏

少女マンガと悪役令嬢

遠藤 先ほどヒロイン像について話しましたが、「転生もの」という点でも少女マンガから「悪役令嬢もの」への展開について考えています。『美少女戦士セーラームーン』(武内直子、『なかよし』、1992~1997年)の月野うさぎは月のプリンセスの生まれ変わりです。1976年に連載を開始して今も続いている『王家の紋章』(細川智栄子あんど芙~みん、1976年~)は古代エジプトにタイムスリップします。別世界で特別な地位や魔法を得る設定においても、少女マンガとの連続性が見て取れます1

表象の点からいうと、アルフォンス・ミュシャ的な装飾性の共通点もあります。大塚英志が『ミュシャから少女まんがへ 幻の画家・一条成美と明治のアール・ヌーヴォー』(KADOKAWA、2019年)のなかで、明治時代の文学運動によって個人の内面が表現できるようになったときに選ばれたのが、アール・ヌーヴォー様式の女性像や髪による曲線表現だったと指摘しています。内面の解放が「みだれ髪」だという指摘です。『セーラームーン』もそうですが、少女マンガでは魔力を発揮するときに髪が異常に伸びたり、乱れたりする表現が使われます。それは外から与えられる力ではなく、自分の内側にある力の解放としてフェミニズム的に解釈できるものです。

「悪役令嬢もの」においても、ミュシャ的なスタイルがかなり多用されています。ただ、「みだれ髪」は、『母が契約結婚しました』(作画:Choo Hyeyeon、原作:Siya、ウェブトゥーン、2022年〜)を例に挙げることができますが、他にはあまり思い浮かびません。フルカラーになった分、髪色のバリエーションに特徴が見出せそうですが……2。それよりも「悪役令嬢もの」の一番の特徴ではないか、と私は思うのですが、人物の背後からの後光、光輪の表現がかなり多い。これまで例に挙げた作品で、光輪表現がないものはないです。光輪もミュシャ的な様式の特徴ですので、比較して考えてみたいのですが、日本の少女マンガにおけるミュシャ的なみだれ髪が、内なる力の解放だったとすると、「悪役令嬢もの」のウェブトゥーンに見られるミュシャ的な光輪は権威、つまり外から与えられた力をそれぞれ象徴しているといえるでしょう。

きりとり 確かに、男性主人公の光輪表現はずばり王位継承と結びついていたり、女性主人公の光輪表現は神からの寵愛や自身の能力を証明した末の世論の後押し、または主人公に対する大衆の称賛を表しているものがありそうです3。光輪は他者にどう見られているかが重視される現代の情動労働的な社会、価値観を反映している気もします。

遠藤 そこで考えてみたいのは、階級の問題です。「悪役令嬢もの」は貴族や皇族間の覇権争いが、物語の土台としてあることが多く、主人公はそのうえで政治手腕や経営手腕を発揮し、覇権を握ることが重要な目的となります。

私は、そういった階級に自覚的なフィクションを実践したいと思い、2025年の5月~6月に「ギャラリスト葵と悪役令嬢レイラの華麗なる人生やり直し契約」というグループ展をTAV GALLERYで企画しました。同展は、アートワールドという階級社会で生き残れなかった、無名のギャラリスト葵が、中世ヨーロッパのサロンを牛耳るも、魔女狩り的に処刑をされた悪役令嬢レイラの力を借りて、死に戻り、アートワールドで再びやり直すという設定で開催されました。この設定の延長として、私は会期中に「中身は貴族令嬢のギャラリスト葵」として在廊し、令嬢言葉で接客を行いました。おもしろかったのは、令嬢言葉で接客していると、属性に限らず、いろんな方が令嬢言葉で返してくれたり、SNSでもそういった言葉遣いをしてくれる人がいたことです。すごく和やかで平和な雰囲気の交流が生まれました。この現象をウーマンリブにちなんで、「令嬢リブ」と名付けて楽しみました。

遠藤麻衣《ギャラリスト葵と悪役令嬢レイラの華麗なる人生やり直し契約》2025年

きりとり 本展では少女マンガを絵画へと翻案する宮野かおりなど直球の作家だけでなく、「悪役令嬢もの」と一見無関係な作品も並ぶのですが、久松知子の描く「松屋」や「まつたけ」が転生前の女性主人公が生きる現代社会の細部に、馬嘉豪の映像作品に登場する粘土を纏い決闘する二人が転生後の世界にみえるなど、「悪役令嬢もの」というフレームが作品の現代性を豊かにする率直なおもしろさがありました。遠藤さんの映像作品《ギャラリスト葵と悪役令嬢レイラの華麗なる人生やり直し契約》は、東アジア圏で老若男女問わず流行している勧善懲悪ドラマのショート動画と悪役令嬢ものの縦スクロールマンガどちらもが持つ情動への煽りの演出を混然一体にまとめあげ、形式・内容の両面から現代の文化と経済が何を価値としているかを鋳造したような快作だと思いました。悪役令嬢を展覧会名に冠することになった経緯などぜひおうかがいしたいです。

遠藤 TAV GALLERYのギャラリストの佐藤栄祐さんとは、過去作より新作が求められがちなギャラリーの状況を問いたいと話していて、作品を「転生」してみせる意図もありました。また、ギャラリスト葵の中身に悪役令嬢レイラが同居するという設定は、具体的には『悪役令嬢の中の人 ~断罪された転生者のため嘘つきヒロインに復讐いたします~』(原作:まきぶろ、作画:白梅ナズナ、キャラクターデザイン:紫真依、一迅社、2021年〜)の、悪役令嬢レミリアの中身に、レミリア自身と転生した人物エミの二人の人格が混在しているという設定を参照しています。おもしろかったのは、中身は公爵令嬢の現代ギャラリストを演じるなかで、実際にいくつかの作品の売買が成立したことです。

きりとり 遠藤さんが企画から考えていた階級とフィクションということでいえば、1930年代の世界恐慌時代にハリウッドでつくられた貴族社会の映画についてスタンリー・カヴェルは「貴族」を、他人の貧しさを自分の問題ではないという立場を取れる人として位置づけているのですが4、現代の「悪役令嬢」はレイラのように葵を見捨てないわけですよね。なんだったら、作品売上に貢献している。フィクションにおける貴族位への仮託といいますか、そういった歴史の変遷のなかで「悪役令嬢もの」を考えるのもおもしろいのではないかと思っています。

物語における敵対性の在り処

白江 おそらく日韓のどちらにおいても、「悪役令嬢」や「悪女」というワード自体が牽引した面もあって、悪は「コミュニティに対し孤立したり周囲からの理解を得られないこと」に射程が広がったし、「悪人と見なされているが実は……」と筋立てを準備していった。主体性をエンパワメントしたり、周囲との摩擦をどう物語で扱うかといった問いが早期に入っていたんでしょうね。ただ、他方で、その悪は露悪性の誇示にも転じやすい。きりとりさんは先ほど「生きのびるための抵抗の手段やケアされるべき状態」として忘却に触れましたが、これらは10年代以降、急速に鬱やストレス障害と関連する表象になって育っていった。ゾンビジャンルやポストアポカリプス系作品のグローバルな流行もそれらと表裏一体だと思います。悪女/悪役令嬢ものにおいて、世界と主人公の齟齬による孤独が、鬱やストレス障害を思わせる境遇、そして新たな適応や治癒が起きる局面が重要だという指摘は中島伽耶子も指摘していますが5、ここでは強烈なショックと別の社会秩序や行動指針への適応がセットになっています。「世界が無法なのだから私刑で構わない」「近代的人権がないのだから、視野を近親者で留める」といった主張が暗に陽に頻繁に付きまとうし、ソフトポルノ性や残虐性はここでは連続的に展開していますね。新たな行動指針は行き詰まった状況の解決や復讐もありますが、ここには没入のドライブの凄みと危うさが同時にあるため、簡単に棄却できない興味深いものとなっています。復讐の主題がしばしば見られますが、そうした露悪的な攻撃性や残虐性、敵対性の主題にも、鬱やストレスなどが裏面に潜む両義性があります。

そこでウェブトゥーン作品では、露悪性が階級社会の産物として物語に入っている場合が多い印象です。典型的には『悪女は今日も楽しい』(作画:stew.J、文:SWE、原作:Niniyang、ウェブトゥーン、2021年~)とか『Retry ~再び最強の神仙へ~』(作画:大行道動漫、原作:十里剣神、ウェブトゥーン、2019年~)では、富と地位を持っている主人公が他人の尊厳を無視して暴力を振るうとか奴隷を購入するといった場面が際立っている。そういうきつさを、日本のウェブ小説ではなんだかんだいって「あまりの悪人だったので殺すのは正解でした!」とか「人生を救ってくれた奴隷も感謝してます!」というふうに無理やり正当化して着地させるんですが、ウェブトーンの場合、着地させないでそのまま進むので困惑することがあります。資産や地位、権力を手にすれば許される、という身も蓋もない側面が出やすいんですね。

遠藤 そうですね。左派目線で読むと、もの足りなさがあるのは事実です。というのも「悪役令嬢もの」では階級社会や王制は維持されたままのケースがほとんどで、革命の物語がほぼないんですね。革命は、主人公によって未然に防がれるか、リベラルな法改正によって、皇族たちを脅かすことなく市民に権利が開かれていく物語が主流です。

きりとり 同意です。皇族が脅かされないということでは、芸術家へのパトロネージを梃子に王家と貴族社会に対する革命を目指した悪役令嬢ものの『影の皇妃』(作画:kinlip、原作:hayul、ウェブトゥーン、2018~2019年)も、婚約者である皇太子が実は民衆と手を取ろうとしていることがわかったために王制打倒への気持ちが揺らぎ、明治維新のような準革命の形が匂わされて終わってしまいました。こういった、物語を漂白的なさわやかさに留めた幕切れは、悪役令嬢ものブーム以降でマリー・アントワネットに憑依転生してしまった現代女性が主人公となった『悪役令嬢に転生したはずがマリー・アントワネットでした』(小出よしと、『月刊コミックフラッパー』、2020~2022年)でも描かれました。

階級社会を維持し、またそれに自覚的な作品としては、『なんちゃってシンデレラ』シリーズ(汐邑雛、イラスト:武村ゆみこ、KADOKAWA、2016年~)が特異的だと思っています。同シリーズの主人公は公爵令嬢で、生まれて間もなく王太子と結婚しています。その後、現代社会を生きていた前世の記憶を思い出した瞬間から物語は始まるのですが、物語の途中でその王家も国家全体も、世界でほぼ唯一真正となった主人公の血筋を守るためにつくられ、機能していることが判明します。王家も高位貴族も、主人公のDNAを残すためだけに一国のリソースを使い、他国との戦争も辞さない。主人公は現代的な自意識を持っているので、戦争の引き金である自分に疑念を抱きながらも話はどんどん進んでいきます。悪役令嬢もの的な描写は皆無ですが、戦争の開戦を自分でも決断している点では、主人公は確実に悪役性を持つところがおもしろいと思っています。権力者の孤独を描き続けている作品で、原作小説はそういった葛藤を描きながら進んでいくのですが、コミカライズでは、国家の謎が解明された物語の序盤で終わります。

これらに対して『没落令嬢の悪党賛歌』(原作:もちもち物質、マンガ:柳ゆうと、キャラクター原案:ペペロン、マガジンハウス、2025年~)のように、国家転覆をコミカルに描いた作品はありますが、革命の成就に関しては『捨てた犬に噛まれた時』(kimda、KAKAO WEBTOON Studio、ウェブトゥーン、2023年~)で珍しく中心的に描かれていると思います。現在連載中なので最終的にどうなるかはわからないのですが、一言でネタバレも含めて説明すると、公爵位を得た女性主人公が、平民を愛した故に自作自演的に王家と貴族社会を己も含めて滅ぼそうとする話です。

遠藤氏、きりとり氏

白江 主人公において平民との関係は、ロマンスの対象や主従の特別な絆、恩と感謝のサイクルのようなものとしてしか現れない傾向は、日韓で大きく違わないでしょうね。日本では明治政府成立と殖産興業が近代化の堅固な規範となっているため、これを踏襲するバイアスが根深いと思います。私の目には、上位貴族の後援を背景に商売を興す自営業もののフィクションは、明治から大正にかけて出現した政商――つまり、政治家や官僚と癒着した企業グループ――が、御用商人から財閥に至る過程をフィクションで再演しているように見えます。

また、政治体制とは別に、子孫繁栄と家柄の保持が暗に底流をなしている作品も多い。ロマンスであれば結婚やカップル成立によってハッピーエンドにするジャンルの規則がそれに該当します。子どもが生まれて主人公が老後を迎えて、人生を締めくくるといった規範性をファンタジー的な神話で正当化させる手続きが支配的で、男性向け作品でいうと『無職転生』や『異世界のんびり農家』(内藤騎之介、KADOKAWA、2017年~)もそのなかに収まっています。他方、「森に棲む魔女」のジャンルが少女小説や少女マンガなどで連綿と蓄積があるんですが、そこでは生殖によらない疑似家族をつくる主題がしばしば垣間見えます。最近だと例えば『東の森の魔女の庭』(越田うめ、『ウィングス』、2019年~)では老齢の魔女が拾った赤子や動物、魔物といっしょに暮らしていて、こういうのは「結婚・出産・育児による家族の再生産」の秩序との距離で自分は把握しています。疑似家族や動物とわきゃわきゃ暮らすのは犬猫もののエッセイマンガの増大や動物動画の人気とも相関的で、エンタメにおける対応ジャンルといえるし、現在では描きやすい。その一方、老いをどう描くかという課題を軟着陸させやすい枠組みとして「老いた魔女」のイメージが活気づいているように見えますね。『転生王女と天才令嬢の魔法革命』(鴉ぴえろ、「小説家になろう」、2019~2020年)の結末で主人公の存在が変わることは、セクシャル・マイノリティの立場による家族再生産への別の答えなんだろうなと思います。こういうのは『転生したらスライムだった件』(伏瀬、「小説家になろう」、2013~2015年)から『蜘蛛ですが、なにか?』(馬場翁、「小説家になろう」、2015~2022年)へと引き継がれた、魔物への転生によるジェンダー秩序の動揺の延長線上にあります。

こうした試みと比べると、貴族令嬢もののジャンルはそれだけで家族の再生産や家柄の序列に強力にひもづけられているバイアスはあり、なかなか家族的秩序を逃れられない面もあります。『なんちゃってシンデレラ』の王家も「お家騒動」であって、政体の変化の問いにはならない。革命や政体の変容ではなく、現在のエンタメでよく見られるのは、隣国が攻めてきて戦争が起きるパターンです。そういう意味でも、民主化を実現した作品は本当に少ない。

遠藤 一方で、悪役令嬢ものは、冒頭から家族との断絶を引き受ける物語も多い印象です。『悪女ですが追放先で幸せに暮らします』(作画:Stardust、脚色:hound、原作:JAYA、ウェブトゥーン、2025年〜)のような、家族に騙されて罪を背負わされ、流刑地で領主宣言をするケースもありますよね。

白江 ただそれも問題含みで、広大な原生林とか荒野があって主人公たちが開発することが許されているといったふうに無人のフロンティアが用意されたり、未開拓地域に行けば現地の住民に何かの恩を売ることができて、あっさりと歓迎され融和が進むといった展開もよく起きるんですね。無人の未開地や歓迎する先住民のもとでの統治というのは植民地主義をごまかすカバーストーリーによく使われた神話なので、それがフィクションとして再生産されているようにも見えてしまう。実際には日本が関与してきたセトラー・コロニアリズム(入植者植民地主義)やその言説と比較するといいのかもしれません。

ロマンスでこれにわかりやすく対応するのは、アメリカの大衆小説における白人女性が褐色イケメンとか現地の王族に求婚される系統で、これは「砂漠ロマンス」などといわれます6。「先住民とのロマンス」は近代において根深く、美談にされてしまったポカホンタス神話は、支配者側に対して理解を示す美的対象にされてしまった例でしょうね。この男女の立場を逆転させると、女性主人公が異国の王族と結婚する型になります。現地の王族と婚姻を結んで貴種の地位を得るロマンスは主人公の男女を問わずよくあるのですが、この種の同化はしばしば現地体制の代弁者となる道筋でもあります。男性主人公であれば辺境伯に着任して軍事的地位を得たり、女性主人公であれば「砂漠の薔薇」と称えられたシリア前大統領の妻のような存在になりえてしまう。一見してフェミニズム親和的な主張をしていても、フェモナショナリズム――フェミニズムと排外的ナショナリズムが結合した状態――のリスクが付きまとうことがあります。現状ではそうした作品読解は生まれていませんが、いずれ現れると思います。

「砂漠ロマンス」はその後ハーレクイン・ロマンスのなかでサブジャンルを形成し、わかりやすい指標として褐色イケメンが登場します。少女マンガなどにも導入されましたが、不遇な主人公が褐色の隣国王子に見初められる型の作品は、『ずたぼろ令嬢は姉の元婚約者に溺愛される』(とびらの、「小説家になろう」、2019~2020年)や『小国の侯爵令嬢は敵国にて覚醒する』(守雨、「小説家になろう」、2021~2022年)など現在も多いですね。異国で美しかったり野性的だったりする住民や新たな家族を得るのですが、新たな居場所に、観光地に向けるような「自然」や「野生」のイメージを投影し、統治者の立場に近づくという操作が加わりやすい。

きりとり 敵対的な地域というモチーフから展開すると、韓国のウェブトゥーンでは主人公からみて北方に魔物がいたり、そこと戦っていたり、実は魔物とは人であったり、という設定がしばしばあります。そういった土地に女性主人公が嫁ぐ「北方もの」というサブジャンルに多い構造です7。それを読むと、どうしても朝鮮半島の分断とその歴史的背景を考えます。そのなかには登場人物がセトラー・コロニアリズムと国家の起源の結びつきに気づき、民族や異種族の和解が中心となる作品もあります。だから財閥令嬢がある日突然北朝鮮に行ってしまうという設定で話題になった韓国ドラマ『愛の不時着』(2019~2020年)も、同時代的には「悪役令嬢もの」の文脈で捉えることができる作例です。逆に、明治天皇について多木浩二が書いた『天皇の肖像』(岩波書店、1988年)は悪役令嬢もので度々描かれる皇太子の育成と重なって読めたりします。

遠藤 日朝韓の政治史から生まれるフィクションとしての「悪役令嬢もの」でいうと、パク・チャヌクの映画『お嬢さん』(2016年)も入ると思います。2000年代の紙媒体のマンガですが、『らぶきょん~LOVE in 景福宮』(パク・ソヒ、『Wink』、2002〜2011年)も、この系譜に位置づけていいかもしれません。物語は、もしも韓国が日本に占領されなかったら、現代も王室がまだ存在している、という架空の設定で、女子高生である主人公が皇太子と婚約するというものです。90年代の超人気マンガ『花より男子』(神尾葉子、『マーガレット』、1992〜2004年)の影響を指摘されていて、『花男』では、財閥の御曹司と超貧乏の主人公という設定が、『らぶきょん』では皇太子と一般女性の組み合わせへと展開しています。ここで思い出したいのは、『花男』が人気を博した90年代は、雅子さまが徳仁皇太子に見初められ成婚となる様子を国中で見守っていた時代であったことです。皇室の成婚と、道明寺司と牧野つくしの恋愛という同時代性の先に、韓国であり得たかもしれない現在という形で、皇室のロマンスがフィクションになる。時代背景とともにこれらのマンガを現在の悪役令嬢の系譜として位置づけることで考察できることも多そうです。

北方ものでいうと、『クリスタルお嬢様は男の子』(原作:JeonEona、作画:nonon、ウェブトゥーン、2023〜2024年)がありますが、このような文脈で捉えるともっと深く読み込めそうだと思いました。また、南北分断の物語でいうと、『波の泡沫』(絵、文:ラテ、ウェブトゥーン、2023〜2024年)があります。この物語は南北に分かれて起きた戦争が背景になっています。北部側の権力者の娘である主人公は、南部の権力者の息子である男性と恋に落ちるけれども、両国の均衡を維持するために、その彼によって主人公は魔女のレッテルを貼られて殺されてしまう。こうした設定は、現実世界の北朝鮮と韓国の関係を想起させます。

白江 韓国の場合はドラマや映画も含めこうしたポリティカル・フィクションの蓄積が大きいのでしょうね。それと比較すると、日本では魔王や魔族、魔物に転生し、そこで承認され立身出世を実現することによって「善悪と正義の相対化」をイージーに行う傾向が目立ちます。そうすることでコンフリクトを早々と解消してしまうわけです。王子である婚約者から婚約破棄を突きつけられ、そのあとで第一王子や隣国の皇太子と出会う物語は、そのロマンス版に当たります。『葬送のフリーレン』(原作:山田鐘人、作画:アベツカサ、『週刊少年サンデー』、2020年~)における魔族描写は、言葉を交わすこともできず、共生があり得ないものなのですが、それは魔族との共生を描くユートピア類型の流行のあとで裏返したケースであり、この二つはコインの裏表なのだと思います。主人公を受け入れてくれる優しい隣人と、残虐に蹂躙するモンスターのような他者のイメージ、が反転可能な二極になっている。ただ、これは単に愛憎のそれぞれの激化とギャップを強調する手法の行き着く先でしかないので、今後はより多元的で豊かな描写が必要になってくるでしょう。

白江氏

遠藤 優しさと残虐さの反転可能性が一つの物語になっているものでいうと、『君の全てを奪いたい』(絵・文:SAM、ウェブトゥーン、2020年〜)を思い出しました。ギリシャ神話を彷彿とする残虐なメーデイアと心優しいプシュケーが、互いの中身を入れ替えながら、イアロスという絶対的な権力者を滅ぼそうとする物語です。プシュケーが優しい人格者なのは、権力者たちが彼女の聖性を管理しやすい状態にするための抑圧で、メーデイアの残虐性によって、プシュケーは解き放たれていくんです。

白江 残虐性の追求はウェブ小説では蓄積されていったのですが、それはアンダーグラウンドな創作で願望充足性を高めていくときに、ポルノグラフィーが生まれるのと同様に復讐や残虐行動のモチーフが競われていったという経緯があるのでしょうね。『オーバーロード』(丸山くがね、「Arcadia」、2010年~)で主人公が超位魔法を使って数万人虐殺するとか、『私は戦うダンジョンマスター』(もちもち物質、「小説家になろう」、2016年)で地球を滅ぼされた主人公が、失ったものを復元するために転移先の世界の全人類を殺戮するといった展開が起きる。先ほどきりとりさんが挙げていた、同じ原作者による『没落令嬢の悪党賛歌』の国家転覆も復讐と残虐行動が先行していて、政治的理念の次元はほぼ欠落している。フランス革命を素材としつつも残虐行為の見せ方しか興味のなさそうな『みつばものがたり』(七沢またり、「小説家になろう」、2017年~)も同様です。こういう路線は、デスゲーム作品の残虐描写の傾向と比較されるものなんでしょう。殺戮規模の拡大はウェブトゥーンにもあって、『俺は大魔導士だ!』(文:deca spell、作画:MIRO、ウェブトゥーン、2020~2022年)では原子力発電所を数基月面で稼働させて魔法を放っていたりする。

こういう日韓の主題蓄積の背景にあるのは、英語圏のストラテジーゲーム(Strategy video game)とか文明シミュレーションゲームと呼ばれるジャンルです。代表的なものでは『シヴィライゼーション』シリーズ(マイクロプローズ、1991年~)とか最近では『Old World』(Mohawk Games、2022年)などあって、そのサブジャンルとして4X(フォーエックス)というものがあります。これはeXplore(探検)、eXpand(拡張)、eXploit(開発)、eXterminate(殲滅)の四つの性質を備えた作品を指すのですが、こういったウォーシミュレーションゲームや軍事行動のモデルが先行しているんですね。

経済開発、軍事行動、資源採掘などをリソース管理において統合的に扱うゲームジャンルなのですが、こうした潮流はフィクション以外ではマネジメントやジャレド・ダイアモンドの著作などグローバルヒストリー論、進化心理学のポピュラー啓蒙書などが対応形態でもあり、しばしばウェブ小説ではこうした文献が参照されていました。あとはミリタリー系の知ですね。ファンタジー作品は外交や軍事を描き出すと、「戦記小説」に接近する面もありますから。ウォーシミュレーションはゲームにおける対応物です。『銀河英雄伝説』が藤崎竜によってマンガ化された(集英社、2016年~)のも、こうしたフィクションの情勢に対する応答なのでしょう。

国家規模でのリソース管理をもう少し規模を狭めたものが領地経営ゲームになり、『公爵令嬢の嗜み』(澪亜、「小説家になろう」、2015~2017年)や『戦国小町苦労譚』(夾竹桃、「小説家になろう」、2013年~)をはじめとする領地経営系の作品の参照元になっていると自分は推定しています。きりとりさんが先ほどウェブトゥーン作品の特徴として「学園よりも社交界や会社経営が中心になる」と言っていましたが、日本の場合にもこうしたかたちで相似的な枠組みがあり、これらは、ちょうど自らの力でキャリアアップし地位向上を目指すリーン・イン・フェミニズムを反映する潮流なのだと思います。

ただその一方で、そうした利益と開発の戦略的思考の優位に対して反感や違和感も高まりやすいため、しばしば主人公をそうした思考から解放させようとする力も働きます。『乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…』(山口悟、一迅社、2015年~)や『自称悪役令嬢な婚約者の観察記録。』(しき、アルファポリス、2017年~)のように腹黒皇太子と天然ヒロインの真逆のカップルで作品を展開させたり、『転生した大聖女は、聖女であることをひた隠す』(十夜、「小説家になろう」、2019年~)のように主人公を天然ボケのようにする処理が生じがちになります。『転生したらスライムだった件』の主人公が周囲から好意を集める愛されヒロイン類型に寄せられていることも示唆的ですが、人間離れしたスケールや資源管理を考えるストレスを処理するために、メンタルコンディションが悪化した主人公だとか、あるいはスキルなどにアウトソーシングしてストレスから解放された主人公といった類型がここで目立つようになります。

こうしてみると一方でリソース管理と残虐行動を可能にする思考と、他方でそれらから解放された呑気なキャラクターが、ともに同じシステムから派生して、二極をつくっているようなところがあります。女性作家はあまり生まれませんでしたが、ダンジョンマスター系の作品も、非人間的な呑気さとリソース管理プレイを複合させた系統です。

きりとり 現在、「のんきさ方面」の悪役令嬢ものがアニメ化されている傾向にありますよね。確かに「悪役令嬢もの」は読んでて辛くなるような熾烈な物語も多いです。そういった時勢のなかで『悪役令嬢転生おじさん』(上山道郎、『月刊ヤングキングアワーズGH』、2020年~)のように、家族を持つ心優しい役職付き公務員男性の余裕や優しさの物語も「悪役令嬢もの」のなかでスポットがあたっていいと思うのですが、私は『リセッティング・レディ』(脚色:白雨、作画:太空、原作:茶書鎭、ウェブトゥーン、2022年〜)や異世界をどうにも愛せない主人公の『悪女を殺して』(マンガ:Haegi、原作:Your April、ウェブトゥーン、2019~2020年)のような、限界の中での生のなかの優しさや苛烈さにもスポットを当て続けたいです。

物語の終わり方に関しては、例えば150話ずっと主人公が大変で、最後の1話で結婚して子が生まれて終わることに腑の落ちなさがあることもあるのですが、その一方で最後の数話は終わらせるための方法で、そこに行くまでの多岐にわたるプロセスが重要なのだろうと私は認識しています。だからこそ、先ほど遠藤さんがお話されたシャドーフェミニズム的な視点で見ることはとても大事だと思っています。

脚注

1 ほかにも『ふしぎ遊戯』(渡瀬悠宇、『少女コミック』、1992~1996年)、『ぼくの地球を守って』(日渡早紀、『花とゆめ』1986~1994年)、『魔法騎士レイアース』(CLAMP、『なかよし』、1993~1996年)など。また、『犬夜叉』(高橋留美子、『週刊少年サンデー』、1996~2008年)のような少年誌に掲載されたマンガであるものの、前述した作品らと物語のプロットを共有するものもある。
2 髪色の例として、黒髪に象徴性を持たせるものがある。『悪女ですが追放先で幸せに暮らします』(作画:Stardust、脚色:hound、原作:JAYA、ウェブトゥーン、2025年〜)では、邪悪な魔力を大量に吸い込むことによって赤髪から黒髪へと変化、『お求めいただいた暴君陛下の悪女です』(原作:天壱、作画:SORAJIMA、編集:STRAIGHT EDGE、ウェブトゥーン、2022年〜)では、高貴な力を隠すために、シルバーブロンドの地毛を黒く染める。みだれ髪的な表現としては、『母が契約結婚しました』(作画:Choo Hyeyeon、原作:Siya、ウェブトゥーン、2022年〜)で、リリカやリリカの母親の感情的な高まりを表現する際に見られるほか、『君の全てを奪いたい』(絵・文:SAM、ウェブトゥーン、2020年〜)で、メーデイアとプシュケーの入れ替わりや、両者が死の淵から生還するなど魔力が発揮される際に見られる。しかし、縦スクロールの画面構成上では、水平的な広がりをみせるみだれ髪の表現は難しそう。
3 例えば、『脇役悪女なので愛さないでください』(作画:Kang yu、作家:iitaesan、原作:MUSO、ウェブトゥーン、2024年〜)15話の光輪表象は明確に、主人公に対する大衆の眼差しの質を示している。
4 スタンリー・カヴェル『幸福の追求 ハリウッドの再婚喜劇』石原陽一郎訳、法政大学出版局、2022年。
5 中島伽耶子『悪役令嬢と生存戦略』2025年、11~17ページ。
6 尾崎俊介『ハーレクイン・ロマンス 恋愛小説から読むアメリカ』平凡社、2019年。
7 険しい雪山を治める高位貴族や大公や王族と主人公のラブロマンス。『その脇役王子、私がいただきます』(Hwang Do Tol、作画:ジョンソ、ウェブトゥーン、2020年)や『北部公爵を誘惑します』(原作:zusiha、脚本:gachunga、作画:Stardustvia、ウェブトゥーン、2022~2024年)、『悪女は二度生きる』(story webtoon (PEACHBERRY, gaekkun)、原作:Mint、ウェブトゥーン、2020~2025年)など。

きりとり めでる
批評家。1989年生まれ。デジタル写真論の視点を中心に研究、企画、執筆を⾏っている。著書に『インスタグラムと現代視覚⽂化論 レフ・マノヴィッチのカルチュラル・アナリティクスをめぐって』(共編著、ビー・エヌ・エヌ新社、2018年)がある。2022年に「T3 Photo Festival Tokyo 2022」のゲストキュレーターを務めた。最近の論考には「コンテンポラリー・アートの場としての長谷川白紙と過剰な装飾――アヴァンギャルドでキッチュ」(『ユリイカ』2023年12月号)など。

遠藤 麻衣(えんどう・まい)
アーティスト、俳優。コラボレーションやパフォーマンスを通して身体の政治性を探究するアーティスト。クィア・フェミニスト理論における「受動性」や「失敗」をパフォーマンスや映像で実践し、人間/非人間らの関係性を再創造している。近年は、ニューヨークにおける非制度的タイムベースド・アートをアーカイブするFranklin Furnaceのゲストリサーチャーとして調査を行ったほか、日本のストリップショー文化を再解釈し、踊り子の宇佐美なつとともに《オメガとアルファのリチュアル》(「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか」国立西洋美術館、2024年)を発表。2018年より丸山美佳と『Multiple Spirits(マルスピ)』を刊行。

白江 幸司(しらえ・こうじ)
批評家。1980年生まれ。筑波大学比較文化学類卒業。映像と美術、文学をめぐるメディアエコロジーとポピュラー文化表象、ポストモダン論を対象とした批評・研究活動を行っている。論考に「ノベルゲームの世紀転換期――「ノベルゲームのファンタスマゴリア」解題に代えて」(『Ghost Letters 02』2024年)、「波打ち際のラクー゠ラバルト――トラウマと存在-類型論」(『リミトロフ』5号、2023年)、「ノベルゲームのファンタスマゴリア――『魔女こいにっき』における行為と竜」(『新島夕トリビュート』2022年)、「フレドリック・ジェイムソンの種子――『ポストモダニズム』を読むための覚書」(『現代思想』2021年6月号)など。

※インタビュー日:2025年11月10日
※URLは2026年2月16日にリンクを確認済み

過剰な反復と微細な差異――悪役令嬢転生ジャンルをひも解く きりとりめでる×遠藤麻衣×白江幸司[前編]
過剰な反復と微細な差異――悪役令嬢転生ジャンルをひも解く きりとりめでる×遠藤麻衣×白江幸司[後編]

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