マンガと地域おこし 第7回 産官学のトライアングルが完成 熊本大学文学部附属国際マンガ学教育研究センター

中野 晴行

連載目次

お話をうかがった熊本大学文学部附属国際マンガ学教育研究センター兼務教員の池川佳宏准教授

本連載の第2回にも取り上げた熊本県はマンガによる地域活性化への取り組みが盛んな自治体である。地元からは『ONE PIECE』(1997年~)の尾田栄一郎(熊本市出身)や、コミックマーケット元代表の故・米沢嘉博(熊本市出身)など著名なマンガ関係者を数多く輩出。球磨郡湯前町の湯前まんが美術館-那須良輔記念館-(1992年~)、菊陽町図書館の少女雑誌の部屋(2003年~)、合志(こうし)マンガミュージアム(2017年~)とそれぞれに特色のある三つのマンガ関連施設があるのも特徴だ。

2016年4月に熊本地方を襲った「熊本地震」の際には、地震直後に、『ONE PIECE』と熊本県が連携した「ONE PIECE 熊本復興プロジェクト」が立ち上がった。2018年には、復興のシンボルとして、熊本県庁プロムナードにルフィ像を設置。2019年度からは、〈麦わらの一味「ヒノ国」復興編〉として、県内9市町村に麦わらの一味の仲間の像を4年がかりで設置するなどしている。

熊本県庁前に設置されたルフィ像
熊本空港を出てすぐにも「ONE PIECE 熊本復興プロジェクト」のパネルがある

そんなマンガ県熊本に2022年、新たな拠点が生まれた。熊本大学文学部附属国際マンガ学教育研究センターである。熊本大学と言えば、文豪・夏目漱石や、NHK朝の連続テレビ小説『ばけばけ』(2025年後期)のモデル・小泉八雲が教鞭をとった旧制第五高等学校を前身にもつ伝統ある国立大学。そこに誕生した新拠点が、マンガ県をどう発展させようとしているのか、同センター兼務教員の池川佳宏准教授にうかがった。

マンガを価値づけする研究拠点

僕が来る以前からお話ししますと、2019年に熊本大学文学部のなかに「現代文化資源学コース」というものができました。簡単に言うと、「広く現代の文化を資源として研究しよう」というコースです。熊本周辺の民俗学的なもの、例えば山鹿灯籠とか、手毬唄とか、千波山のたぬき伝説、地元の地蔵信仰などに加えて、現代の人たちが受けとめている文化も一緒に取り込んで研究する。そのなかにマンガ研究も含まれています。これは国立大学としては初めての試みです。2019年には日本マンガ学会の大会が熊本大学で開催されて、実質的なお披露目となりました。

 

2021年には地域の町おこしのための「くまもとマンガ協議会」が発足します。協議会の構成員は、熊本大学と熊本日日新聞社(熊日)と熊本県、熊本市、合志市、湯前町など県内の自治体。さらに地元銀行などの企業、NPO法人熊本マンガミュージアムプロジェクト(クママン)などです。わかりやすく言うと、大学の学長と熊日の社長さん、会長さんがタッグを組み、自治体や企業、クママンがバックアップする。例えばワンピース像の場合は、県が集英社との交渉窓口になり、熊日はそれを宣伝します。熊本大学はその価値づけや意義を明確にする、といった具合です。

 

熊本大学文学部附属国際マンガ学教育研究センターの設立は2022年で、くまもとマンガ協議会も含めた大学研究拠点という位置づけです。僕が着任したのがこのときになります。

梶原一騎幻の作品にスポットを当てる

センター設立とともに学内にある五高記念館で開催されたのが「梶原一騎が描いた五高生―あゝ五高 武夫原頭に草萌えて―」展(2023年7月28日~9月25日/五高記念館)。『巨人の星』(作画:川崎のぼる/1966~1971年)、『あしたのジョー』(原作:高森朝雄/作画:ちばてつや/1968~1973年)などの原作者・梶原一騎は、東京都台東区生まれだが、父方の祖父は阿蘇郡高森の出身で、ルーツは熊本にある。1978年に梶原は昭和初期の旧制五高を舞台にした群像劇『あゝ五高 武夫原頭に草萌えて』(作画:影丸譲也)を『週刊漫画アクション』で連載。展示はこの作品にスポットを当てた内容だった。

熊本大学がマンガを取り上げるなかで、熊本の地域と梶原一騎がどう密接に関係しているのか、を学術研究的なアプローチで展示しました。梶原さんの著作権を管理している御子息の高森城さんの許諾を受け、後に蔦屋書店熊本三年坂店での巡回展で行われたトークイベントにも出ていただきました。実は、本作には単行本に収録されてない幻の第1話というのがあります。本編が始まる前に、梶原一騎と影丸譲也が熊本に取材旅行する、というエピソードなんですよ。この第1話がおもしろいのは、心の故郷・熊本に対する梶原の思いが本人の言葉として語られてることなんですね。作家研究には重要なはずですが、どの梶原一騎研究本を読んでもこのことは書かれていない。スキャンダラスな話ばかりで、作品内容を基にどういうアイデンティティを持って作家活動をしていたかを語っている人が少ないのです。僕らがやりたかったのはそこなんです。

 

実は、一高(東京大学)や三高(京都大学)を含め旧制高校の校舎が大学の施設として現存してるところはほとんどないのです。五高の場合は、現存する上に記念館という形で公開されているので、そこを展示会場にしました。展示会場自体が聖地巡礼スポットになっているわけです。展示会場では熊本大学に残っている旧制五高生を撮った写真とマンガに描かれたものの比較検証も加えています。例えば、下駄が違うんです。マンガのなかで描かれている下駄は旧制一高や三高と同じ高下駄ですが、五高は肥後下駄なので歯が低いんです。人物も筋肉隆々に描かれているけど、写真で見る五高生はある種のモラトリアム的な時期を過ごしていたエリートですから、かなり華奢なんですよ。さらに、研究者としての僕の見せどころだったのは、梶原一騎はなぜ熊本にこだわりがあったのかという話です。高森城さんにうかがったところ、『巨人の星』に登場する熊本出身のライバル・左門豊作は梶原自身だと言うのですね。自分を投影させてるんじゃないかって。

 

もう一歩、メディア研究的なところに話を広げてみると、掲載誌の『週刊漫画アクション』というのは、『子連れ狼』(作画:小島剛夕/1970~1976年)などの原作者・小池一夫のテリトリーなわけですよ。ライバルのテリトリーに梶原が初めて乗り込むという形になっているんですね。雑誌研究としてはここがおもしろい。しかも、70年代後半の『週刊漫画アクション』は、長谷川法世の『博多っ子純情』(1976~1983年)や矢口高雄の『マタギ』(1975~1976年)、はるき悦巳の『じゃり子チエ』(1978~1997年)といった地方を舞台にしたマンガを多く載せていた。その雑誌に、あえて熊本が舞台のマンガで挑戦する――そういう構図だったのではないか。「マガジンの佐藤紅緑になってくれ」と言われ功績を残した梶原が、『少年倶楽部』に一高志望生を書いた佐藤紅緑に対して、アイデンティティのために『週刊漫画アクション』で五高をテーマに書く。メディア研究的なことも含めて、この作品がどういう位置づけなのかを分析したわけです。

たしかに、マンガ家や原作者が地元出身者かどうかだけを見るのではなく、地元への思いや作品への影響にまで踏み込んでいくと、さらに親近感がわき、理解も深まっていく。大学がマンガによる地域活性化に関わる大きな理由がここにあると感じた。

『あゝ五高 武夫原頭に草萌えて』
「梶原一騎が描いた五高生―あゝ五高 武夫原頭に草萌えて―」展 会場パネル

自治体や地域に専門家としてサポート

さらに、池川氏たちが関わっているのは、マンガの専門家として自治体や地域の活動にアドバイスや協力を行うことだという。つまり、「マンガを活用した地域活性化をしたいが何をすればいいかがわからない。マンガを集めようにも伝手がない」という場合にお手伝いをしようというのだ。

例えば廃校になった小学校をコミュニティの場としてマンガを使って再生できないか、といった自治体や地域からの相談に、くまもとマンガ協議会の一員として我々が協力しているのです。棚が一つでマンガ本100冊ぐらいの小規模なものから、数万冊を揃えてたくさんの人が来れるようにしたいという大規模なものまでさまざまですが、地域コミュニティの場をあまりお金かけずにつくりたいといった相談がたくさんあるのです。マンガ本の寄贈といったお話はもちろんですが、どういうマンガを置けば人が来てくれて、滞留してくれて、お金も落ちるのかまで、月に一度くまもとマンガ協議会の場で自治体の方と協議しているんです。

 

寄贈するマンガ本は、熊本マンガミュージアムプロジェクトが運営していた「森野倉庫(現在は閉鎖)」というところに全国から寄贈されて、保管されていたものがあります。僕らはその中からまずアーカイブとして残す「正本」をより分けました。一方で、ダブっているものは別の活用法を考える必要がある。人気作であればあるほどダブってくるわけです。例えば何セットも寄贈いただいた『ドラゴンボール』(1984~1995年)を活用してもらうためにどうすればいいのか。この場合は、子どもの利用者が多いコミュニティに贈る、海外の方が来る場所に置く、という選択肢があります。一方で、大人の利用者が多いコミュニティなら、職業もののマンガを寄贈するという選択肢があります。僕らはそのなかから専門家の目で利用者のニーズにあったマンガを選ぶわけです。こうしたことが大学の役割としてあります。相談に来ていただくのは熊本県以外からでもいいのですけど、いまは「九州のニーズを満たす」というスタンスで動いています。地域おこしという考え方が根底にありますから、全国規模というのはちょっと違うと思うんです。実は、全国規模でやろうとすると本の送料がものすごくかかる、という問題もあるんですよ。

 

成功事例としては、合志マンガミュージアムがあります。地域活性化というだけでも、大きな成功ですね。あそこまで大きくなくても、個人所有の空き家を小さなマンガ図書館にした事例もあります。玉名市の「たまな創生館」という施設は、ご自宅を改装して地域コミュニティの場に開放したい、という依頼に協力して生まれました。現在は、地元の人達がくつろいだり、喫茶スペースでマンガが読めるような場所になっています。その他に、マンガの展示企画やイベントの相談にも乗っています。

マンガ雑誌のアーカイブを

取材のためにうかがった熊本大学文学部附属国際マンガ学教育研究センターで驚かされたのは雑誌の収蔵が充実していることだ。まさに「マンガ雑誌の壁」ができているのだ。

センターの書棚には、少女マンガ誌など雑誌資料も充実している

マンガは雑誌連載を単行本化したものが最終形態と考えられている。したがって、単行本が重視されて雑誌まで収蔵している施設は少ない。一方で、先の『あゝ五高 武夫原頭に草萌えて』の単行本に第1話が収録されていなかったように、単行本だけでは見過ごされてしまう部分も大きい。初出当時の社会情勢や流行といった作品誕生の背景にあるものは雑誌をみないことにはわからない。

ここで池川氏がおもしろいものを見せてくれた。雑誌を収納するための特別な段ボールケースだ。これもまた池川氏が商品開発し、大学が実用新案を出願したものだという。

文学部で商品開発してる例が少ないせいで、おもしろいことやってる、と注目していただいてます。雑誌用のケースは中に仕切り板があって雑誌が倒れない工夫があり、B5判の中綴じのマンガ雑誌が月2回刊なら1年分サイズで、中綴じの週刊誌なら半年分。もともとクママンが開発した単行本用の段ボールケースがあり、新書判だと30冊が入ります。これぐらいなら女性の図書館員でも楽に運べる重さです。1箱が30冊なら全体でおよそ何冊あるかも可視化されます。7段積めば、7×7×30=1,470冊。ざっくりと目測で数量計算できるから、収蔵管理面で利便性がある。雑誌ケースはこれを発展させたもので、中綴じの雑誌は、図書館では製本した合本で管理されていることが多いですけど、製本すると背にある情報が全部消えますよね。編集長の名前とか発行年月日とか。この段ボールなら見えますから、段違いで使いやすくなるんですよ。詰めたものを積んでおけば、畳一畳分で『ビッグコミック』が30年分管理できます。僕が発案者として、熊本大学が実用新案を出願しました。今のところ、問題は値段です。五箱セットで送料込みで2万円ぐらいになってしまいます。これをいかにコストダウンするかが課題です。便利なのは皆さんわかるので、一部の大学など研究機関からは買っていただいてますが、もう少し安くしたいですね。

 

ここからは僕個人の夢かもしれませんが、雑誌のアーカイブをつくりたいと考えているんです。例えば、熊本市と熊本大学のジョイントで、マンガ雑誌のアーカイブ施設ができないかな、と。お手本は、京都市と京都精華大学がジョイントして生まれた京都国際マンガミュージアムです。あそこまで立派な建物じゃなくても、どこか一室でもいいので雑誌のアーカイブ施設がほしい。なぜかというと、僕らは学生たちに、単行本ではなく初出で調査しなさい、と指導しているからです。手塚治虫研究で初出を見てないのは絶対ダメだ、と。研究者として、全集を読んだだけでわかった気になってはいけないと思います。ところが、「その雑誌はどこにあるんですか」と質問されたときに、東京や京都ならなんとかなるかもしれないけど、九州ではなかなか難しいのです。あるていどのマンガ史を俯瞰できる雑誌資料を置ける施設をつくりたい。そして、研究資料的なアーカイブにするだけではなく、収蔵雑誌を地域活性化にも結びつけたいのです。「地域の人にとってもいい施設ですよ」と打ち出した上で、研究施設としても使えるとよいと思います。

 

当センターにはクママン所蔵のものも含めてざっと2万冊くらいのマンガ雑誌があります。これを学術的に活用しつつ、市民サービスにも活用できるようにしたいというのが願いです。僕は、もともと編集者として雑誌をつくったり売ったりする側だったので、雑誌を資料として見るおもしろさが身についているんです。今は、そのおもしろさを学生に教えています。次は、それを学生だけじゃなく、市民のみなさんにも知ってもらいたい。さらに、「熊本に行けばおもしろいことがあるぞ」と全国の人たちに知ってもらえることが地域活性化の原動力になると思っています。

中綴じ雑誌を収納するための段ボールケース

産官学のトライアングルが揃って、マンガによる地域活性がテイクオフした熊本は今、こう宣言しているに違いない。「マンガ王に俺はなる!」。

『ONE PIECE』の初回が掲載された『週刊少年ジャンプ』1997年34号

池川 佳宏(いけがわ・よしひろ)
熊本大学文学部附属国際マンガ学教育研究センター兼務教員、熊本大学大学院人文社会科学研究部(文学系)准教授。1975年、静岡県浜松市生まれ。学習院大学文学部哲学科卒業。出版社、IT企業勤務を経て2010年度からメディア芸術分野の文化庁事業に参加し、メディア芸術データベース(開発版)のマンガ分野コーディネーターとなる(2018年10月まで)。被災後の川崎市市民ミュージアムでの所蔵データベース主任を担当した後、2022年より熊本大学文学部附属国際マンガ学教育研究センター特定事業研究員を経て、2023年に現職。

※インタビュー日:2025年8月27日
※URLは2025年11月18日にリンクを確認済み

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