人間的なものの臨界を音楽と映像を通して感得させる――M WOODS成都の坂本龍一展「一音一時」

片岡 大右

「一音一時」開催中のM WOODS成都
写真提供:M WOODS MUSEUM

成都のローカル性を取り込んだ展示

2023年、中国四川省の省都、成都市の中心部にM WOODS(木木美術館)の新しい美術館がオープンした。このM WOODS成都(人民公園館)の最初の展覧会として開催されたのは、坂本龍一のインスタレーションを集成した「一音一時 SOUND AND TIME」展だ(2023年8月18日~2024年1月5日)。

2014年に北京の798芸術区に最初の館を竣工した独立・非営利の美術館M WOODSは、2019年には同じ北京の旧市街にM WOODS Art Community(木木芸術社区)を開き、このアートエリア内のM WOODS HUTONG(木木美術館 隆福寺館)ですでに坂本龍一展「観音聴時 SEING SOUND HEARING TIME」を開催していた(2021年3月15日~8月8日)。同展実現までの経緯については、坂本自身が自伝『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』(新潮社、2023年)で振り返っているほか、M WOODS側からの証言を、比較思想学者の劉争(リュウ・ジュン)氏による同館関係者へのインタビューのなかに読むことができる1

北京での展覧会を通して培った信頼関係のもと、坂本の生前から準備されていた第二の展覧会は、上記インタビューでM WOODS共同創設者の雷宛萤(レイ・ワンイン)氏およびM WOODS成都副館長・本展ディレクターの鄧盈盈(デン・インイン)氏が述べているように、北京での展示の単なる繰り返しではなく、成都のローカル性を取り込みつつ新たに再構成されたものだった。

坂本龍一+真鍋大度《センシング・ストリームズ2023―不可視、不可聴》2023年
写真提供:M WOODS MUSEUM

深い没入へと誘う 坂本龍一の音と空間

最初の部屋に置かれた《センシング・ストリームズ2023―不可視、不可聴》(真鍋大度との共作、2023年)は、2014年に札幌国際芸術祭の特別展示として最初に公開された作品2の成都バージョンで、現地の電磁波を収集し、映像と音声に変換することによって、都市生活がこの不可視・不可聴の波動なしでは維持されえないことを人々の意識に上らせる。ボタンを押すと変換のモードが変わり、左右にダイヤルを回すと周波数が変化するというインタラクティブ性が備わっているものの、そのことはかえって、そうした人間の意志的操作が及ぼすことができる力の小ささを思い知らさずにはいない。この作品が浮かび上がらせるのは、音楽的秩序の構築という人間的営みに先立つサウンドとノイズの世界だ。

坂本龍一+高谷史郎《async – drowning》2017年
写真提供:M WOODS MUSEUM

人間的な生は、人間ならざるものに支えられてしか維持されることができない。しかしまた、そうして人間的なものの限界をいかに自覚したところで、人間はその限界の外に広がる世界を多少とも自らの世界に近づけることによってしか生きていくことができない。坂本龍一は、最後から2番目のアルバムとなった『async』(2017年)の発売に際して、「SN/M比 50%」というメッセージを発した。没後刊行の福岡伸一との対談で述べているところによると、最初は「自然界の音」や「楽器以前の「もの」を擦ったり叩いたりして」出た音、すなわちS(サウンド)やN(ノイズ)を収集していた彼は、やがて「M、つまりミュージックが足りないということに気づいた」のだという(坂本龍一・福岡伸一『音楽と生命』集英社、2023年)。「一音一時」の第二の展示は、こうして成立した『async』の副産物であり、高谷史郎との共作になる《async – drowning》(2017年)だ。

同作では、『async』が部屋の四方に置かれた6台のスピーカー(5.1chを構成する)から再生されるなか、高谷による一連の映像が、音楽と同期することなくランダムに、8つのスクリーンに映し出される。坂本のピアノ、蔵書、ニューヨークの自宅スタジオのバルコニーの花など、鮮明だった事物の姿は、やがて右端または左端から始まるスキャニングによりその輪郭を失い、走査線の束へと解かれたのちにほかの映像に場所を譲っていく。ここで興味深いのは、坂本龍一がアルバム制作の過程で行った非人間的なものから人間的なものへの移行の操作を、高谷史郎が逆向きにたどり直しているように思われることだ。

人間的なものの外部に身をさらしつつ、その度合いを見極めつつ人間化するという一種の妥協――ここではこの言葉を、最も誠実な人間的営みの一つを意味するものとして理解されたい――の試みである『async』を最良の環境で響かせながら、《async – drowning》はこの妥協が決して非人間的なものとの緊張を解消しえないことを、展示室を訪れる者を深い没入へと誘い込みつつ感得させる。

この解消不能の緊張は、「一音一時」の全展示を貫くものだと言ってよい。

坂本龍一+高谷史郎《LIFE – fluid, invisible, inaudible…》2007/2023年
写真提供:M WOODS MUSEUM

坂本のインスタレーション分野における代表作であり、本展でも中核的な存在感を示す《LIFE – fluid, invisible, inaudible…》(高谷史郎との共作、2007/2023年)の脇の小さな部屋に置かれた《water state 1》(高谷史郎との共作、2013年)は、中国を含む東アジアの年間降水量のデータに基づく水の波紋を作品化し、成都の隣市である雅安の山から高谷により選ばれた石を配したインスタレーションで、馴致されざる自然環境の力を静謐な庭園のような演出によって深く印象付ける。やはりこの大規模作品の周囲に展示された『async』関連の2作は、アルバム制作時の坂本の日々を本人不在の一連の映像を通して浮かび上がらせる《async – volume》(Zakkubalanとの共作、2017年)にせよ、夢と覚醒の境域を漂う《async – first light》(アピチャッポン・ウィーラセタクンとの共作、2017年)にせよ、それぞれの仕方で、人間の意志的活動の外部の曖昧な広がりにかたちを与えようとしている。

坂本龍一+高谷史郎《water state 1》2013年
写真提供:M WOODS MUSEUM

人間的意志とそのような意志によっては統御されざるものとの関係をめぐる探究は、時間の問いとつながっている。すでに言及した高谷史郎との共作《LIFE – fluid, invisible, inaudible…》は、1999年のオペラ《LIFE》の継起的展開を解体し、宙吊りにされた複数の水槽に浮かんでは消える映像と楽曲の断片を組み合わせたものだ。同じ高谷と組んで、坂本は2021年に舞台作品《TIME》を発表しており、当初オランダの「ホランド・フェスティバル」で上演された同作は2024年3月から4月にかけて日本初上演が予定されているが、「一音一時」展では、この一種の音楽劇に基づく美しい作品《TIME-déluge》(高谷史郎との共作、2023年)を見ることができた。半屋外の展示空間では、成都の街のビル群を背景として、穏やかな水盤の上に大きなスクリーンが据えられている。人間の営みのいっさいを残酷に押し流してしまう洪水がハイスピードカメラによるスローモーション映像で映し出されるなか、2018年秋に死去した藤田流笛方十一世宗家、藤田六郎兵衛の笛の音が鳴り響く3。筆者は昼下がりと夜の2度にわたり本展を訪れたが、半露天に置かれたこの展示は、日中の光のもとにあるのと夜景のもとにあるのとで印象を異にしながらも、人間的意志の挫折という変わらぬ宿命を描き、奏でていた。

坂本龍一+高谷史郎《TIME-déluge》2023年
写真提供:M WOODS MUSEUM

『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』のなかで、坂本はこのインスタレーションの母体となった音楽劇をめぐり、「「TIME」というタイトルを掲げ、あえて時間の否定に挑戦してみた」と振り返っている。ここで考えられているのは、人間的意志の刻印を受けた時間、継起的な展開の果てに、一定の目的の成就へと人間を導いていく時間ということになるだろう。このような意味での時間は、「時間芸術」としての音楽の不可欠の条件となっており、坂本は初期から一貫して、このような時間の「幻想」的性格を自覚し、それに抗おうとしてきた。

しかし、Mに先立つSNにいかに耳を研ぎ澄ませようとも、坂本はMの完全な不在を――したがって人間的なものの完全な否定を――是とすることはなかった。同じように、彼は人間的時間のいっさいを解体しようと努めていたのではない。「一音一時」展の最後に置かれた《IS YOUR TIME》(2017/2023年)は、東日本大震災時の津波で海水に漬かったピアノを「自然によって調律された」ものと捉え、世界各地の地震のデータに基づきメロディーを奏でさせる作品で、《TIME-déluge》と同じく水の氾濫による人間的営みの解体を主題化していることはたしかだ。しかしこの作品は、一度は「もの」と化したピアノを再び――完全にではなくても――楽器としての役割に連れ戻す試みでもある。それにまた、タイトルが示唆するように、この作品は「あなたの時間」、つまりそれぞれに固有の状況のなかを生きる人間一人ひとりの時間を是認して、それを見る者、聴く者に、あらゆる困難にもかかわらず時間を生き抜くことを穏やかに促す。実際、本稿冒頭で触れたインタビューにおけるM WOODS成都副館長・鄧盈盈氏の証言によれば、この作品は「成都が地震を経験したことを知っていた坂本さんの配慮によって」、展覧会を締めくくる最後の展示作とされたのだという。

坂本龍一《IS YOUR TIME》2017/2023年
写真提供:M WOODS MUSEUM

インスタレーション創作に注いだ情熱

「あまりに好きすぎて、誰にも聴かせたくない」――坂本龍一は『async』発売時、このように語っていた。自分が作品に込めたものを他人が、たとえ自分のファンを称する人間であっても、果たして共有できるものなのかという問いは、北京の「観音聴時」展のタイトルのもととなった大森荘蔵との対談『音を視る、時を聴く――哲学講義』(朝日出版社、1982年、のちちくま学芸文庫、2007年)でも度々繰り返される、坂本の初期からの執拗な問いかけにほかならない。しかしこの相互理解への懐疑は、晩年の坂本においては作品を正当に受け止めてもらおうとする熱意をもたらし、そのための努力を惜しまない姿勢へと帰結したように思われる。

『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』において振り返られているように、坂本は『async』の「理想の聴取空間」を提供したい思いで展覧会「設置音楽」(ワタリウム美術館、2017年4月~5月)を企画し、その試みは半年ほどを経て、「設置音楽2」(NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]、2017年12月~2018年3月)によって引き継がれた。このようにインスタレーション創作が再活性化していなければ、中国での2度にわたる回顧展も、それに先立つ韓国・ソウルのアートスペース「piknic」での展覧会(「Ryuichi Sakamoto Exhibition: LIFE, LIFE」、2018年5月~10月)も、実現していなかっただろう。深い懐疑と絶望と裏腹に坂本が保ち続けてきた希望が、このような展開をもたらしたのだと言える。一連の回顧展を受け、日本でも2024年の年末から、東京都現代美術館において、展覧会「音を視る 時を聴く」が開催される予定だ(2024年12月21日~2025年3月30日)。

脚注

1 劉争(Liu Zheng)「没後初の坂本龍一展はどう実現したのか。中国・M WOODSの創設者らに思いを聞く【前編】」ARTnews 日本版、2024年1月29日、https://artnewsjapan.com/article/1972
劉争(Liu Zheng)「坂本龍一は菩薩のような存在──中国・M WOODSの創設者らが語る、没後初の大規模展の舞台裏【後編】」ARTnews 日本版、2024年1月30日、https://artnewsjapan.com/article/1975
なお以下も参照。そこでは、劉争氏による中国の著名な音楽業界人・張有待(ジャン・ヨウダイ)氏――「観音聴時」展のキュレーターの一人でもある――への電話取材の一端を含め、中国における坂本龍一の受容状況が取り上げられている。劉争+片岡大右「坂本龍一と中国の時間――成都での回顧展を機に」『群像』2024年3月号。
2 [編集者注]本作は第18回文化庁メディア芸術祭アート部門にて優秀賞を受賞した。
3 なおこの藤田の演奏は、彼の最後の演奏となったポール・クローデル『繻子の靴』全曲上演(2018年6月、静岡芸術劇場、翻訳・構成・演出:渡邊守章、映像・美術:高谷史郎)に際して録音されたもの。

information
坂本龍一|一音一時 Ryuichi Sakamoto | SOUND AND TIME
会期:2023年8月18日~2024年1月5日
会場:M WOODS成都(人民公園館)
https://mwoods.org/Ryuichi-Sakamoto-SOUND-AND-TIME

※URLは2024年4月22日にリンクを確認済み

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