音を極める――メディア芸術の音を創造した人々 第7回 作曲家・鷺巣詩郎[後編]

不破 了三

作曲家・編曲家として、アニメ音楽や劇伴を含む多くの作品を手掛けている鷺巣詩郎氏。前・中編では、21歳でデビューしたのちにアニメ音楽や劇伴をはじめとしてさまざまな分野の作品を手掛けてきた経緯や、庵野秀明氏との仕事などを中心にうかがいました。後編では、海外での活動について、また自らの歩んできた道を振り返りつつメディア芸術の今後について思うことなどを語っていただきます。

連載目次

鷺巣詩郎さん

肌で感じる海外エンターテインメント界の勢い

――鷺巣さんは東京、ロンドン、パリを拠点にされていますが、そうしたなかで感じられるのはどういうことでしょうか?

鷺巣 最近ロンドンやパリで仕事をしていると、日本から来る若い人の減少を肌で感じます。それに反して中国や韓国の若い人が鋭角的に増えています。これからの日本をつかさどる世代があまり海外に出なくなってしまったのは事実で、私は大いに危惧しています。エンターテインメントの分野で中国や韓国は日本とまったく違う方法で急成長しました。かつての日本はとくに60~80年代、音楽でも映画でも欧米とまさに同じタイミングで数々のムーブメントやその成熟過程を経験してきました。しかし同時期、中国や韓国は政治的な理由もあり、それらをほとんど経験していません。それなのに2020年代の今、彼らのほうが一歩も二歩も先を進んでいるのはどうしてなのか、大いに考える必要があります。私が常に日本と海外を行き来している理由も、そこに関連しています。

日本の若い音楽家が海外に出ないのには複合的な理由があります。長く不況が続いて経済的に余裕がないとか、90~00年代のJ-⁠⁠POPが思いのほか繁栄したので、洋楽ではなくJ-POPのフォロワーが多いとか。私たち劇伴音楽の世界でも、日本の作曲家の層が厚いので、あえて海外の作家を聴かなくても何とかなってしまうこともあるでしょう。日本のエンターテインメントは、ガラパゴス的に純粋培養されるからこそ良いものができる……アニメはその典型とか思われがちですが、それはすでに過去の話になろうとしています。インターネット社会が成熟して物事が自動的にグローバルに作用するようになった今、純粋培養のアドバンテージはなくなりつつあるからです。ゆえに「今後」こそ海外に出ていく必要性が増したのではないでしょうか。負けている原因を探るところにこそ、勝つ要因が隠れているわけです。若い世代に対して、まずそこをはっきりお伝えしておきたいんです。

――鷺巣さんの経験から実感されている、その「負けている原因」とはどんなことでしょうか?

鷺巣 簡単に申し上げると「不便であることが、人間を一番成長させる」ということです。インターネットの登場もあり、この30年間で社会は飛躍的に便利になりましたが、便利になることは、逆に停滞・退化の始まりでもあるんです。例えば世界で活躍する日本のアスリートが、海外でも大いに尊敬され、本当は政治家が備えていなくてはならないカリスマ性、コメント力、リーダーシップを発揮することがありますよね。それはやはり、言葉の壁も含めた不便な海外生活を経験し、他国の大衆の目にさらされることによって、インタラクティブに事を成しうるすべを知らず知らずのうちに勝ち取っているからではないでしょうか。自分の考えていることをしっかり伝え、目標を実現していく力は、やはり不便な環境にさらされてこそ成長します。サッカーも、卓球も、スキーも、F1も、eスポーツも、世界中を転戦しているわけですよね。そうすると当然のことながら、宿や交通の手配も含めマネージメントを自分でやらなければならない。他人まかせでも最終的には自分で再確認しないと海外ではダメです。自国の常識が通用しない他国相手ですから、しかも勝負なら勝たなければならない……言葉がわからなくとも、そこで何かを体得していくわけです。

常に「流行」と共にある私たちエンターテインメント・ビジネスで一番気をつけなければならないのは「時間とは変化である」ということ。誰もが浦島太郎になってしまうリスクがあります。一番怖いのは、自分たちは進化している、最先端であると思い込むこと、錯覚することです。特に日本は島国なので、海外の進化に対して鈍感なところがあります。例を挙げると、いつの間にか韓国映画がアカデミー賞を獲るところまで来ていた……、と思ってしまいがちですが、これは「いつの間にか」ではなく、日本映画よりも韓国映画のほうがより進化していただけのことです。そう信じたくない人たちは、「いつの間にか」と思い込んで、大事なことから目を逸らしてしまうわけです。

もう一つ重要なのは、進化は技術によるものだけではなく精神も重要であるということです。アスリートの世界では、技術が世界一でもメンタルが強くないと金メダルは獲れないことがすでによく知られていますが、これはエンターテインメントでも同じです。韓国が、本当に良い映画をつくるために何が必要かをどれだけ考え、学び、努力してきたか。アニメやゲームはまだ日本のほうが強いと思ったら大間違いです。追いつけ追い越せという気迫で迫ってくる中国や韓国のほうが、もしかしたらもうとっくの昔に精神では日本を凌駕しているのかもしれない。この精神の進化は目に見えないものなので、ネットではなかなか伝わってきません。この30年間の変化を進化と過信し、実際は停滞と退化に陥っていること。それは技術だけではなくて精神面にも当てはまるということ。これが大きなリスクとなって、今、日本のエンターテインメント界を苦しめているわけです。そういうこと一つひとつを私たちはしっかり観察・分析すらできていないのではないか?ということです。

もともと、音楽家は移動が宿命づけられた職業でした。何百年前のクラシックの世界でも……もっと言うと何千年前から音楽のプロフェッショナリズムとは「移動」そのものなんです。国を跨ぐなんて当たり前です。こういうマインドはかつての日本には当然のようにありました。海外レコーディングなんかも盛んにやっていましたし、海外ミュージシャンとの交流も多かった。ロンドンにも、ニューヨークにも、日本人のミュージシャンがずいぶん住んでいましたし、バークリーなど音楽留学したがる人も今より多かった。そういう海外の現場での実践が、特にこの20年で減少しました。代わりに中国人・韓国人はどんどん増えている状況です。古くはビートルズがエリザベス女王に謁見したり、大英帝国勲章をもらったりしましたが、その一番の理由は外貨を稼いだからなんですよね。外貨獲得は私たち商業音楽家に課せられた一つの大きな使命でもあるんです。だからそのために移動しなければならない、国を跨がなければならない。中国と韓国は今、その精神に燃えている……だから強いんです。いっぽう、かつては日本人の心に燃えていたその炎が今や消えかけているということでないでしょうか。移動する生活は不便のかたまりです。自分のホームグランドから離れることによって、言葉が通じなくなる、人種も宗教も異なる人々に囲まれる、精神的な自分の居場所が少なくなっていく。だけど、どこでもやっていける能力は否が応でも上がっていきます。「不便であることが、人間を一番成長させる」というのはそういうことです。こういう経験が、今、日本のミュージシャンに一番欠けていることだと、私は実感しています。

――「移動の不便さ」を経験して成長するためにも、自分たちの「進化、退化」の実態を分析するためにも、海外に出てみるべきということでしょうか。

鷺巣 そういうことです。よく、海外は自己主張する社会だと言われますが、それは「そうせざるをえない何か」がある社会、ということなんですよ。日本人は「他人に迷惑をかけない」ことを美徳として教育されてきました。でも海外に一歩出ると、社会は「迷惑」と「邪魔」に満ちているんです。迷惑をかけられ、邪魔されて当たり前の社会です。電車は時刻表どおりにはまず動かない、自動販売機もATMも街中に見当たらない、銀行や郵便局すら頻繁に臨時休業する、急いでいるのに近所の人が長話をしてくる……何もかもが自分の思うとおりにいかない。それが当たり前。海外で活躍する人や、世界を転戦するような生活を送っている人たちは、この横槍だらけの社会で暮らすことによって得られる対応力、免疫力、耐久力を身に付けていくんです。日本の社会にあるのは、その対極の日常です。他人に迷惑をかけない社会は美しい。ですが停滞と退化のリスクが生じます。不便な日本に戻しましょうと言っているわけではないんです。不便なところにあえて出ていくことも躊躇してはいけないよ、ということです。

不便さを逆手に取ったパリでの経験

――不便さのなかでこそ成長できたと鷺巣さんご自身が思っている体験エピソードなどはありますか?

鷺巣 私は1990年代にパリでクラブを経営していましたが、当時はインターネットなんてありませんから、自分で歩きまわって物件を探しました。結果的には地上5階地下1階の家具屋を買ってクラブに改造したんですが、フランスではパン屋をやりたい人はパン屋の、靴屋をやりたい人は靴屋の、本屋をやりたい人は本屋の営業権を取得する仕組みなんです。だから普通、家具屋を買うのは家具屋をやりたい人だけなんです。でも私はそこでクラブをやりたかったので、まず飲食業の営業権を取得しなければならないし、さらに5種まである営業ライセンスのうち最低4種を取得しないと深夜までお酒を提供できないとか、さらにそのライセンス所有者はフランス国籍の法人代表者に限るとか、半径数百m以内に学校があってはならないとか、たくさんの制約という壁が目の前に立ちはだかりました。日本じゃ考えられないほど不条理で不便でしょ? でもよーく調べてみたら、そのライセンスをブローカーから買えることに気がついたんです。それもやっぱり不条理でしょ?(笑) その不条理を逆手に取り、自分は会社オーナーでありながら別のフランス人雇われ社長を立て、ライセンスをブローカーから買い、やっとクラブ開店までこぎ着けました。さらにパリで人気のアメリカ人とイギリス人のバーマンをヘッドハンティングして、33歳で多国籍企業のオーナーになったんです。不便さを逆手に取ると、次のアイデアまで到達できる一つの例ですね。若いうちにやっておいて本当に良かったと思います。本当に世界が開けましたし、同時に音楽家としての視野もそれまでの何十倍も開けた。日本でそれなりに実績を積み、海外レコーディングも何度も経験していましたけど、それは本当にごくわずかな経験にしかすぎなかったと自覚したんです。

どんどん海外に出て、不便さのなかで成長してほしいと申し上げてきましたが、直接音楽の勉強をすることに限らないんです。大事なのは視野を広げることと、不条理や困難を乗り越える力を養うこと。ただ単純に、若いうちに海外を見ておけとか、世界の音楽を知っておけというようなことを言いたいわけではないと、わかっていただけたでしょうか?

探求することの大切さを伝えたい

――それでは最後に、メディア芸術業界を担う次の世代に向けて、何か提言などはあればお聞かせください。

鷺巣 音楽に限らず、若手のクリエイターの方たちに言っておきたいのは、まず「仕事を始めてから勉強は不可能、遅すぎる」ということ。日本人の美徳として、勉強になりましたとか、学ばせていただきましたと謙遜表現で言うことはあるけど、それはあくまで「表現」であって、仕事を始める前にその分野のあらゆる勉強を済ませておかなければならないということです。学びはじめるのは若ければ若いほうが良いに決まっています。私はそれが可能な「ずるい」環境に生まれ育ったことはお話ししましたが、だから言っているのではありません。例えば、庵野秀明はキング・オブ・オタクだけれども、ただ漫然とアニメや特撮を消費してきたわけではなく、自分の目や耳で覚えたディテールを高い資料性レベルでずっと記憶し、蓄えたわけです。これは幼い頃から「学んで生かす」ことを心掛けたからこそ、できることなんですよ。

ただの映画ファンなら1本の映画を数回見れば良いですけど、映画を仕事にしたければ20回でも30回でも見れば見るほど理解が深まるわけで……音楽も同じです。とにかくそこここに付いている「ヒモ」を引っ張ってみること。好きなバンドやグループが3人組だったら各々に経歴があります。それぞれ影響を受けたミュージシャンも違い、そのミュージシャンにもまた影響を受けたミュージシャンがいるわけです。そこまでさかのぼって初めて得られることってあるんですよ。未来を手繰り寄せることは不可能なので過去からの「ヒモ」を手繰るしかないんです。いろんなヒモを引っ張って、あらゆる過去を手繰り寄せることが大事です。それだけさかのぼって学ぶ必要があるのに、高校を出てから、仕事を始めてから、なんて到底遅すぎですよ。

エンターテインメントの世界は、昔から続いているラグビーみたいなゲームなんです。自分は前に向かって走っているけど、後ろにいる人にしかパスを渡せない。後ろに向かってパスを投げるということは、自分たちのあとから来る人に何かを託すということ。パスを受け取る人は、それがどこから来たかをわかっていないとしっかりボールを掴めないし、次にパスを出すこともできない。その分野を学びたいのであれば、始めたのは誰か、つくったのは誰か、どこでつくったのか、どういう人なのかとか……そういうヒモをどんどん引っ張り過去をたどっていくことが、エンターテインメントを学ぶ大切な方法です。

日本のエンターテインメントが世界に出ていけるかどうかを、単純にチャンスの有無だと思ってはいけないんです。「チャンス」と「オポチュニティ」、日本語だとどちらも「機会」になってしまいますけど、海外では大きく意味が違います。チャンスは偶然やってくるもの、オポチュニティはしっかり備えて待ち構えて自分で掴み取るというニュアンスです。世界に出ていけるオポチュニティの糸口は、昔に比べて本当に豊富になりました。ただ、それを掴むには、準備に準備を重ねて待ち構え、しっかり掴まなくてはならない、ということです。

――本日は貴重なお話をありがとうございました。

鷺巣詩郎(さぎす・しろう)
1957年、東京都生まれ。本名同じ。1978年、ザ・スクエアのデビュー作に参加して以来、これまで約30年間もの長きにわたり第一線で活躍し続け、驚異的なキャリアを誇る、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。80年代初頭のアイドル歌謡曲時代から、インストゥルメンタル・アーティスト、近年のシンガー・アーティストに至るまで広範囲にわたり何百何千もの楽曲、アーティストを手掛け、加えて、映画、TVなど、あらゆる映像音楽(サウンド・トラック)分野でも活躍。あわせて膨大な数のヒット作品を、絶えず世に送り出している。90年代よりヨーロッパでも活動、パリでのクラブ経営、英仏アーティストの楽曲も手掛ける。また、日本人作曲家として初めて韓国映画の音楽監督も務めた。近年の代表作はMISIA、平井堅、CHEMISTRY、エリーシャ・ラヴァーン、SMAP、ゴスペラーズ、葉加瀬太郎、『エヴァンゲリオン』シリーズ、『MUSA』『CASSHERN』『BLEACH』『進撃の巨人』『シン・ゴジラ』『シン・ウルトラマン』など。http://www.ro-jam.com/

※インタビュー日:2022年7月4日
※URLは2023年2月1日にリンクを確認済み

第5回 作曲家・鷺巣詩郎[前編]
第6回 作曲家・鷺巣詩郎[中編]

関連人物

Media Arts Current Contentsのロゴ