向江 駿佑
女性向けに制作されるゲームで、男性キャラとの恋愛要素があるなどの特徴を持つ「乙女ゲーム」。ジャンルの歴史はもうすぐ30年の節目を迎えるものの、学術的な研究は発展途上にあるといえます。本連載では、ゲーム史における乙女ゲームの位置付けと影響について、作品や関連資料に基づいて振り返ります。第1回となる今回は、乙女ゲームの定義や名称が広まっていった過程を整理しながら、ジャンル名の確立がもたらした影響を考察します。
連載目次
本連載では、ゲーム史における「乙女ゲーム」と呼ばれるジャンルの位置付けと、影響について考える。どこを起点とするかにもよるが、一般にこのジャンルは『アンジェリーク』(光栄、1994年)に始まるとされ(これについては次回扱う)、その場合約30年の歴史があることになる。
しかし学術的な研究においては、RPGや美少女ゲームなどに比べ依然として発展途上にあり、この状態で規範的な「~べき」論を述べようとすると、かぎられた視野の下で一面的な批判が展開されてしまうおそれがある。
そこでまずは作品自体や関連資料、制作サイドやプレイヤーの声などを基に、「~である/あった」を記述的に整理するのが本連載の目的である。紙幅の都合上網羅的なものにはできないが、その作品を取り上げる理由や、裏付けとなる資料についてその都度説明することで、筆者がその結論に至った経緯は明確にしている。
それでもなお調査が不十分な箇所や、筆者の誤解による不備が残る部分があるかもしれないが、それについては読者諸氏からのご示教を賜りたい。
※本文中で言及したゲームソフトや書籍のメーカーや出版社は、途中で会社名が変わった場合も含め、基本的には最初に販売・公開された現物の表記を転記している。ただし現在でも継続的に刊行されているものについては、現在の会社名を使用している。
最初に「乙女ゲーム」が何を指すのかを考えてみる。明確な定義がないとしても、まとまりとして説明するには何らかの条件をさだめておく必要があるからだ。
先に述べたようにこの分野の研究はいまだ発展途上であり、相互の参照関係も微弱なレベルにとどまっているが、そのなかでKim(2009年)は比較的広く引用されている。彼女は「女性向けに制作・販売されている」ゲームを「女性向けゲーム」(women’s game)と呼び、多くの場合「男性キャラとの恋愛要素がある」「システムがシンプル」「メディアミックス化されることが多い」という特徴を持つとしている1。
その例として挙げられているのは『アンジェリーク』や『遙かなる時空の中で3』(コーエー、2004年)など、日本のゲーム雑誌などで乙女ゲームとして紹介されている作品であり、彼女の解釈を「乙女ゲーム」の条件として受け入れても概ね問題ないと思われる。ただ、これだと男性同士の恋愛を扱う「ボーイズラブ(BL)ゲーム」も含まれうるため、それらを除いた狭義の乙女ゲームに限定する場合は、「主人公が女性である」という条件を加える必要がある。
実際に商売としてソフトを扱う立場にあるプラットフォーマーは、この点を明確に意識している。PCやモバイルを除く乙女ゲームの主要プラットフォームは、PlayStation2以降、PSP、PS Vita、Nintendo Switchと変遷してきたが、前者三つをカバーするPlayStation Store公式Webマガジンの『PS Store Magazine』では、「乙女ゲームとは、『プレイヤーが女性主人公となり、攻略対象である男性キャラクターと恋に落ちる』というゲームの総称」と説明されている2 。また、任天堂公式サイトのSwitchの乙女ゲーム特集ページでは、「主人公の女性がNintendo Switchの中で織りなすさまざまな物語。そんな女性向け恋愛シミュレーションゲーム」となっている3 。
よって本連載でも、乙女ゲームとは「女性向けに制作・販売された、女性主人公と男性キャラとの恋愛要素があるゲーム」とし、システム面での傾向やメディアミックス化についても適宜補足することとしたい。
ところで、当事者であるディベロッパーたちはどう考えているのだろうか? 意外なことに、この名称を最初にもちいたのは制作サイドではない可能性が高い。
パッケージや説明書を含むゲームソフト自体から得られる情報に限定すると、最初の乙女ゲームとされる『アンジェリーク』は「ネオロマンスゲーム」という呼称を(その後のシリーズを通して)使用している。同シリーズ以外の初期の作品である『アルバレアの乙女』(NECホームエレクトロニクス、1997年)はタイトルに乙女が入っており、広い意味ではこれがこのジャンルでの「乙女」という語の初出となるが、これもジャンル名としての使用ではない。
2000年代に入っても、例えば『ときめきメモリアル Girl’s Side』(コナミ、2002年)は、単に「シミュレーションゲーム」となっている。そして筆者が確認したかぎりでは、少なくともこれ以前に「乙女ゲーム」という呼称がパッケージなどに記載されたことはなかった4。
ではこの名称はいつどこで使われはじめたのか。可能性が高いのはマスメディア、特に女性向けの雑誌だ。すでに休廃刊になったものも少なくないが、女性向けゲーム雑誌として最初(期)に刊行されたのは『電撃Girl’s Style』(現在はオンライン版の『ガルスタオンライン』に移行)の前身である『電撃若SPECIAL』(メディアワークス、2001年)だと思われる。ここでは読者=プレイヤーを「乙女」としている箇所はしばしば登場するものの、ゲームについては乙女ゲームではなく「女性向けゲーム」という表現が使われている。しかし次号となる『電撃若 GIRL’S STYLE』(2002年)では、「乙女の恋心を刺激する! ハートフル乙女ゲームマガジン」「初の乙女ゲーム専門誌」といった表現があり、この段階ですでに読者とのあいだで乙女ゲームが何を含意しているかについての共通認識があったことがうかがえる。2002年4月に創刊された『B’s-LOG』(エンターブレイン)も、2号目となる2002 Summer号において「乙女ゲーもあなどれない!」という表記が見られる。
これらの雑誌の刊行以前は、こうした情報はゲーム専門誌ではなく女性読者が多いマンガやアニメーション系の雑誌などに載せられており、例えばマンガ情報誌の『ぱふ』(2011年に休刊)は何度かゲーム特集をしている。その最初が1996年9月号の『アンジェリーク』特集だが、そこでは同作は「育成シミュレーションゲーム」となっている5。2001年7月号では「女性向けゲーム」の呼称も見られるものの、「乙女ゲーム」表記が登場するのは、筆者が確認できたところでは2006年3月号からである6。
しかしこれまでにあたった文献のなかで、最も早くこの呼称を使用していたのは、やはりマンガ・アニメ系の雑誌だ。2001年12月刊行の『アニメディア特別編集 女の子のための同人誌・コミック・ゲーム・イラスト クチコミ&投稿マガジン』創刊号(GAKKEN)では、「Girls Game 大特集」(ママ)のなかで乙女ゲームの表記が見られる。これ以前にも、『アニメディア』本誌などで使われていた可能性はあるが、乙女ゲームという呼称の起源は、少なくともこの時点までさかのぼることができる。
ちなみに『ファミ通』(KADOKAWA)や『SEGA SATURN MAGAZINE』(ソフトバンク)など機種ごとの専門誌も、主要タイトルの発売日前後を中心に確認したが、すべてのケースで「(恋愛)シミュレーション」がもちいられていた。
また90年代末期のこの時期から、ネット上の掲示板文化が一般にも広がりをみせるようになる。その代表格である2ちゃんねる(現5ちゃんねる)に、早くも2000年7月には「おすすめ女性向けゲーム」というスレッドが立てられており7、『アンジェ』や『卒業M』(イースリースタッフ、1998年)などの名前が見られる。だが最初に「乙女ゲーム」のスレッドが立ったのは2003年10月であり8 、ここにもタイムラグがあらわれている。
ここまでで、概ねいつどこから「乙女ゲーム」という呼び方が広まっていったのかはわかった。しかしなぜ「乙女」ゲームなのか。上に挙げた雑誌の当時の編集部メンバーに取材できれば理想的だが、いずれそうした機会を得た際により踏み込んだ問いが立てられるように、ありうる可能性を前もって検討しておくのも無駄ではないだろう。ここでは二つの観点から考えてみる。
一つはジャンルというくくり方自体の混乱である。本稿でもここまでRPGや美少女ゲーム、BLゲーム、育成シミュレーションなどを並列に扱ってきたが、これらは二つのカテゴリーに分けて考えたほうがわかりやすい。
筆者のホラーゲーム論9を読まれた方には繰り返しの説明になるが、ゲームのジャンルはプレイジャンルと物語ジャンルに区分できる。『テトリス』(BPS、1988年)のように物語ジャンルがないこともあるが、基本的には『ドラゴンクエスト』(エニックス、1986年)= RPG + ハイファンタジーのように、作品ごとに両者がそれぞれ一つまたは複数割り当てられる。
この区分にしたがえば、RPGやシミュレーションは前者、美少女ゲームやBLゲームは後者になる。「乙女ゲーム」もまた後者に含まれるが、逆にプレイジャンルには多様性が生まれる余地がある。
というよりも、この名称が使われはじめた時点ですでにプレイジャンルが多様だったからこそ、「女性向けの恋愛ゲーム」という方向性が共通していた物語ジャンルのほうが、より広い範囲をカバーできる呼び名として採用されたとみるべきだろう(例えば2000年発売の『遙かなる時空の中で』(コーエー)はRPGであり、シミュレーションゲームである『アンジェ』と同一のプレイジャンルには入れられない)。先に引用した任天堂のサイトから現在は「恋愛シミュレーション」の表記が消えているのも、実際にはビジュアルノベルなど多様なプレイジャンルのゲームが多数移植・発売されていることと無関係ではないようにみえる。
これで「恋愛シミュレーション」や「育成シミュレーション」などの呼称が、こうしたゲームの総称として採用されなかった理由については説明できそうだ。だがなぜ「女性向け(恋愛)ゲーム」や、美少女ゲームのカウンターパートとしての「美少年ゲーム」とならなかったのか、という疑問は残る。これについてはおそらく時期が関係していると思われる。
すでに述べたとおり、乙女ゲームという呼称は2001年末から2002年頃に広まりはじめた可能性が高い。そしてこの時点ですでに、BLゲームという呼称が定着していたこともまたうかがえる。このジャンル自体は、小説やマンガの領域ではもっと早くから存在していたが、ゲームにおいても少なくとも1999年には、『聖バレンタイン学園』(DIGITAL MISSION)や『BOY × BOY ~私立光陵学院誠心寮~』(キングレコード)が発売されている。
『ぱふ』2001年2月号で後者が「BLアドベンチャーゲーム」として紹介されるなど、すでに「少年」を含むゲームジャンルが存在する以上、ここで新たに「美少年ゲーム」が登場すれば、プレイヤー側に混乱が生じる可能性が高い。その意味でも、ジャンル名としてすでに存在する(美)少女や少年を含まないものが求められたのだと考えられる。
他方「女性向け」という区分は、現在でも一部に見られる。だが冒頭で述べたとおり、それだとBLゲームも含まれてしまうため、男女の恋愛がテーマであることをアピールするには別の呼称が必要となる。その結果、消去法でそれまで読者(=プレイヤー)に対して使われていた「乙女」が残ったのではないか。そう考えると、このジャンルの特異性も見えてくる。
美少女ゲームもBLゲームも(あるいはGL=ガールズラブゲームも)、ゲーム内の登場人物やその関係性に注目した命名だが、乙女ゲームはプレイヤーに注目している10。その背景には、この名称が読者と双方向のやりとりができる雑誌という媒体によって拡散されたことも関係していると、筆者はみている。
『ぱふ』や『アニメディア』同様、『電撃GS』や『B’s-LOG』にも、アンケートやイラストの投稿、同人作品の紹介などで読者が参加する余地があった。雑誌自体の販売促進だけでなく、顧客とのつながりを強化したい広告主=ディベロッパーにとっても、こうしたインタラクションのなかでより読者=プレイヤーを巻き込むことはメリットが大きい。その結果、読者たちが暗黙のうちに受け入れていた「乙女」という呼称を、ゲームジャンル名としてもプッシュしたというのが筆者の見立てである。
結果から言えば、これはかならずしもメディアや制作側だけに利益をもたらしたわけではなく、双方にとってメリットがあった。
まず乙女ゲームという名称が一般化したことで、マーケットとしてより広く可視化されることになり、新規参入や制作スパンの短期化が進んだ(これについては次回以降の歴史パートで述べる)。
プレイヤーにとっても、出稿や新作情報の提供、インタビューの掲載などで多くのディベロッパーが関与する場が集約されたことで、各自の好みに合った作品や関連グッズなどをより探しやすくなった。同時に、そうした場によかった点や不満点を投稿することで、当該メーカーやタイトル以外の多数の関係者の目にもプレイヤーの反応が共有される機会が増え、ジャンル全体のクオリティが向上するという副次的効果もあった(特に後発メーカーにとっては、市場の動向をさぐるうえで重要なバロメーターの一つとして参照されたのではないか)と思われる。
Kimが述べているように、このジャンルはゲームプレイの面ではシンプルなタイプ(いわゆる「紙芝居」など)が好まれる傾向にあると言えるが、男性読者が多いゲーム雑誌では、そうしたゲームはむしろマイナスの評価を受けることもある。その点、最初からターゲット層が絞られている乙女ゲーム誌なら、プレイヤーが本当に求めているポイントを抽出しやすい。こうした制作サイド・メディア・プレイヤーの相互作用は、このジャンルを支える重要な要素として、本連載を貫く通奏低音となるだろう。
今回は「乙女ゲーム」というジャンル名の成立過程と、それがもたらした影響について述べた。次回は実質的にこのジャンルの方向性を決定付けた『アンジェリーク』と、それ以前になされていた萌芽的な試みや、同時期に海を隔てて起きたもう一つの「女性向けゲーム」史など、80年代から90年代の動きを取り上げる。
脚注
※URLは2023年5月29日にリンクを確認済み