決定版個人全集『藤子・F・不二雄大全集』が生まれるまで[後編]

中野 晴行

マンガ家の個人全集としては異例の大ヒットとなった『藤子・F・不二雄大全集』(小学館、2009年~)の秘密を探るインタビュー。前編では本全集刊行の企画が持ち上がったきっかけ、制作に入る際に最初に行ったことなどについてうかがいました。後編では、編集上の工夫や販売促進について聞いていきます。

『藤子・F・不二雄大全集』の編纂にあたって、雑誌の初出資料を収集した

『藤子・F・不二雄大全集』を一言で表現するなら「至れり尽くせり」が適切だろう。収録作品が膨大な藤子作品を網羅していることはもちろん、本巻115冊に収録できなかったものも、4冊の別巻と4冊の特典に収録。加えて各巻の巻末ページには「初出掲載リスト」、予告編やカバー絵などを掲載する「特別資料室」、藤子・F・不二雄が作品について語ったものを採録する「あとがきにかえて」、さらに、著名人による解説がそれぞれ収録されている。加えて、「1/f写真館」と題した作品執筆当時の藤子・F・不二雄の貴重なスナップ写真、作品のうんちくや発表当時の風俗を伝えるコラム、解説者の紹介記事などが収録された二つ折り4ページの月報が挟み込まれている。なかでも『ドラえもん』(1969~1996年)4に挟み込まれた大判の「月報号外ドラえもん40周年おめでとう!」掲載の「ドラえもん40周年まるわかり年表」はファンのあいだでも語りぐさになった。これらを完成させた編集上のエピソードを、当時の編集担当者で現・小学館第二児童学習局ドラえもんルーム編集長の徳山雅記氏と、当時スタッフとして編集に関わった編集・ライターの目黒広志氏にうかがう。

積み上げられた全集を前に、ドラえもんルーム編集長の徳山雅記氏

全集のための三つのルール

徳山 全集を編集するにあたって、我々のルールをつくりました。まず大前提として、全作品を収録し、これまでの単行本での未収録作品も必ず入れるということ。そのうえでの一つ目のルールは、作品を発表媒体ごとにわけて、発表順に収録するということです。表をつくって発表媒体ごとに分けると、藤子先生の頭の中にも媒体ごとの分類があったんじゃないか、ということが見えてきました。作品を描くときには対象になる読者のことを考えるし、編集者にも「どういう読者向けなの?」「雑誌はどういう方針なの?」って訊ねますよね。ところが、これまでの単行本では、それらが混在していました。全集では、媒体ごとに集めようと決めました。そこに意味があると考えたのです。「SF短編」も、少年誌、青年誌だけではなくどの雑誌に描いたのかで分けて、次にそれぞれを発表順に収録しています。『月刊マンガ少年』なのか、『ビッグコミック』なのか『週刊漫画アクション』なのか。編集をしていくと、先生が媒体を意識して描いていたことがだんだん見えてきました。

『SF・異色短編』4巻のカバーに巻かれた帯。『S-Fマガジン』『奇想天外』といったSF専門誌に掲載された短編を集めたことが謳われている

目黒 『ドラえもん』や『オバケのQ太郎』(1964~1967年)には未収録作がかなりあったのです。『めばえ』『幼稚園』『小学一年生』に発表されたものに多いんです。おそらく、単行本を出すときにほかの作品とのバランスを考慮して省かれたんじゃないか、と思います。ほかにも、複数ある第一話など内容的に重複するものが省かれていますね。

徳山 過去の未収録作は必ず入れるということは、巻末の予告カットや、お楽しみ企画で描かれたものまで、とにかく集められるものは集めるということです。原稿が見つからないものも多いのですけど、その場合は載っている雑誌を集めました。ただし、収録するのは藤子先生が描いた「本人の筆になるもの」だけにする、という二つ目のルールもつくりました。

目黒 先生がネームを切って、篠田ひでお(しのだひでお)さんが作画協力した『ウメ星デンカ』(1968~1970年)のような作品もあるのです。その場合は、先生が関わっているものだけを「藤子・F・不二雄作品」と判断しています。先生は関わらずにほかのマンガ家さんが代作したものや、ほかのマンガ家さんが『ドラえもん』などのキャラクターを使って描いたものなどは、収録していません。

徳山 藤子・F・不二雄先生と藤子不二雄Ⓐ先生の合作のなかに『仙べえ』(1971~1972年)のような作品もありますね。これは、F先生がご存命中に「自分がお話を考え、ざっくりした下描きをつくってから、Ⓐ先生に渡してキャラを描いてもらって、背景はアタリを入れてアシスタントに渡した」と『オレのまんが道2 まんが家インタビュー』(小学館、1989年)で発言されています。三つ目のルールは、藤子先生の意思を尊重して最終形態のものを使うということです。藤子先生は単行本化に際しては必ず何らかの手を入れる方でしたから、初出と最終形態では違うものがたくさんあるのです。『ドラえもん』だけでも、てんとう虫コミックスがあって、カラーコミックスがあって、『藤子不二雄自選集』(1981~1982年)があって、中央公論社さんの『藤子不二雄ランド』(1984~1991年)があって、文庫などもあって……。生前に出されたものは少しずつ違っています。もちろん、すべて初出に戻すという判断もありですけど、我々は先生の最終意思に従う、と決めたのです。そのかわり、初出データは資料として表の形で巻末に掲載しました。原稿の有無や単行本での加筆修正の有無だけでなく、代筆などの理由で収録しなかったものもわかるようにしています。このデータさえあれば初出を探して読めます。ありがたいことに、読者の方たちは初出データがあるから便利だ、と言ってくださっています。

『ドラえもん』1の初出リスト。掲載雑誌、掲載号のほか、単行本刊行時の加筆修正の有無もまとめらている

学年別繰り上がり方式

一方、「発表媒体別、掲載順収録」という原則を破っている作品もあり、その代表例が『ドラえもん』だ。『ドラえもん』の学年別学習雑誌掲載分は媒体別ではなく、読者の生年別にした「19〇〇年生まれ編」という巻構成になっている。帯にも「年代別『学年繰り上がり方式』採用!!」と謳っているのだ。

徳山 学年誌の『ドラえもん』の場合は、その独特な連載形態が作品の性格にも大きく関わっており、掲載媒体で分けるのは違うんじゃないかと考えたのです。幼年誌と『てれびくん』『月刊コロコロコミック』などは媒体別にしましたが、『小学一年生』から『小学六年生』の学年別学習雑誌の場合は、同じ読者がずっと『小学一年生』を読み続けるわけじゃない。2年生に進級したら『小学二年生』、3年生になったら『小学三年生』というふうに学年が繰り上がるんです。だから、ある年齢の読者が『小学一年生』で『ドラえもん』を読んだのなら、次の年の4月からは『小学二年生』の『ドラえもん』を読んでいる。そこで、読者が「19〇〇年生まれ」という分類にしたわけです。連載当初は掲載が『小学一年生』から『小学四年生』までで、六学年分ないので、1巻だけは複数の学年をまとめましたが、2巻からは1世代1巻で構成しています。3巻の場合だと、1963年に生まれて1970年4月に小学校に入学した読者と雑誌が一緒に上の学年に繰り上がって、1975年4月には『小学六年生』の『ドラえもん』。1964年に生まれて1971年4月に小学校に入学した読者が読んだものは4巻に収録する。私は1966年生まれで、『小学二年生』までで学年誌を読まなくなったんですけど、二つ上の兄が読んでいた学年誌の『ドラえもん』をはっきり覚えています。『小学三年生』1974年3月号は「さようなら、ドラえもん」(全集では4巻)で終わっています。ところが、翌月の『小学四年生』4月号でドラえもんが戻ってきます。「帰ってきたドラえもん」ですね。3月号でしんみりして、翌月にはうれし涙を流す。てんとう虫コミックスでは「さようなら、ドラえもん」は6巻の最終話です。この位置に入っていることで、しんみりとした読後感でページを閉じることができるいい仕掛けだと思います。でも、リアルタイムで読んだ読者には「お別れでしんみりした翌月に、のび太とドラえもんが再会してうれし涙を流した」という記憶がはっきりと残っている。しかも、「帰ってきたドラえもん」のオチは4月号だからできるオチなんです。このスタイルを全集のなかでやりたかった。アイデアが浮かんで、これをやっていいと決まったときには、これで全集を出す意味があるぞ、と思いました。小学館から、てんとう虫コミックスが出ていても、全集の『ドラえもん』には別の価値があると確信できたのです。さらに、こういう巻立てにしたことで、新しい発見もありました。何年生のときに出てきた道具のことがあとで回想として出てくる。ちゃんとエピソードがつながっているんです。この仕事は、常に背中に先生の存在を感じながら、独特の緊張感で取り組みましたが、『ドラえもん』に関しては、「先生、読者をこういうふうに見立てて描かれましたよね。それを形にさせていただきます」という気持ちが特に強かったですね。

『ドラえもん』1の帯。リアルタイムの読者の生まれ年が記載されている。てんとう虫コミックス版とも異なる全集独自の読書体験をつくった

編集部の「売り」は解説と月報

全集の告知は2009年3月7日、映画『ドラえもん 新・のび太の宇宙開拓史』公開日にあわせて公式サイトを立ち上げてスタート。サイトでは『藤子・F・不二雄大全集』刊行と、藤子作品のメディアミックス展開を行う『Fプロジェクト』発足が発表された。第1期全33巻セットの予約開始は2009年5月13日。7月24日の第1期第1回配本3冊については12月までの期間限定で発行記念特別価格での販売がアナウンスされた。これにあわせて、小学館の各雑誌でも、藤子・F・不二雄の特集が組まれた。

徳山 先にも言いましたとおり、藤子・F・不二雄の冠をつけた全集を失敗させるわけにはいきませんから、販売でもがんばってくれました。ただ、我々のほうで「売り」と考えたのは、作品はもちろんなんですが、月報と解説が大きいのです。月報は、宣伝媒体としてつけたのです。次の配本はこれです、とはっきり宣伝して、続けて買ってください、ということですね。第1期が終わる前には、第2期はこういうラインナップだから続けて買ってください、と。ところが、月報を喜んでくれた読者が多かったんです。毎号、先生の珍しいスナップ写真が載っている。これはファンにはうれしいですよね。小学館に残っているもの使うこともあるし、藤子プロさんにあるものを複写することもある。記事も、収録作品の魅力とか時代背景とか、巻末解説者の紹介とか……ちょっとオトクな情報を入れました。しかも、これらは資料として我々の蓄積になっていくわけです。一方で、巻末解説は、私がどうしてもやりたかったものです。解説なんていらない、という人もいるかもしれないけど、私としては入れておきたかった。先生ご自身が語ったことや書き残した文章が残っているものは「あとがきにかえて」として収録したうえで、関係者や作品から影響を受けた方たちにも原稿をお願いしました。当然、影響力のある方たちに宣伝してもらって、話題になればうれしい、というのもありましたけど、我々が勉強したいという思いが強かったのです。今になってみると、元講談社の編集者だった丸山昭さんなど、その後お亡くなりになった方から貴重なお話をうかがえて良かったと思っています。

月報には毎号、藤子・F・不二雄の貴重なポートレートが掲載された

全巻予約期間が終わる2009年12月末の予約目標は5,000セットだったが、第1回配本前に早くもクリア。増刷も決定した。予約好調の背景には、藤子・F・不二雄作品の魅力もさることながら、予約特典の魅力もあったのではないか?

徳山 予約特典にも頭を悩ませました。2004年にテレビアニメ25周年、劇場映画25作を記念して全25冊で創刊した雑誌『ぼく、ドラえもん。』をつくったときにも特典を何にしようかと悩んで、湯呑をつけました。全集も、初めのうちはキャラクターグッズを検討したんです。しかし、全集を買う読者はやはり先生の作品が見たいはずだ、と考え直して、先生の作品にまとまる前のメモや断片を集めた構想ノートをつくったのです。「F note」というタイトルにしたら、白地のノートだと勘違いした人もいたみたいで、予約を締め切ってから構想ノートだと気がついて、悔しい思いをしたという話も聞きました。実は、『F note』は川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム(以下、藤子ミュージアム)の展示にも生かされているんです。なかにマンガ『ドラえもん』ができるまで、というのがあって、これを展示でうまく使ってもらっています。第2期では、「F voice」というタイトルで、1980年にスタートした小学館の「藤子不二雄賞」で藤子先生が新人マンガ家たちに向けて語ったメッセージをCD化したものをつくりました。第3期は、先生のイラストやデザイン画を集めた『F・ART』、これもファンの方には好評で、実は全巻予約は第2期よりも第3期のほうが伸びたんです。第3期の収録作品にはレア度が高いものが多いというのもあったかもしれませんが、特典も効いたのでしょう。後半になって予約が伸びるというのは珍しいのです。第4期が出せたのは第3期が伸びたというのも大きいのです。別売りで専用本棚も用意しましたけど、これも好評でした。

予約特典の『F note』。単行本収録時の書き直し指示など、制作の背景をうかがえる資料を掲載
第2期では、肉声音源をCD化した『F voice』が予約特典になった

全集のデータを活用した新たな取り組み

全集が完結したことによって、小学館には藤子・F・不二雄全作品のデジタルアーカイブが完成した。このアーカイブを活用した取り組みもすでに始まっている。

徳山 全集が終わって最初に着手したのがてんとう虫コミックス『オバケのQ太郎』の新装版でした。全集のために全作品をデジタル化したことで、それまでのアナログからデジタルにデータコンバートができるようになったのです。実は、「新装版」とは謳っていませんが、てんとう虫コミックスの『ドラえもん』もデジタルコンバートしています。旧版は写真製版と言って、原稿を写真撮影したネガフィルム(製版用フィルム)を使って印刷用の版をつくっていたのです。ところが、長年同じ製版用フィルムを使っていると、どうしても劣化します。そこで、重版のタイミングで順次、デジタルコンバートしたのです。ネーム(セリフ)はデジタルフォントで入れているので、てんとう虫コミックスで読みやすい書体サイズに直すこともできます。比べてみると、今のもののほうが断然きれいです。2020年12月には『ドラえもん』連載開始50周年記念として『100年ドラえもん』(全45巻)を刊行しました。これも全集のときにつくったデータを使っています。2022年12月には『100年大長編ドラえもん』も出ました。これは、てんとう虫コミックスと同じモノクロで編集していますが、別にカラーページを特典化していて、全集にも入っていないページも1ページだけ入っています。全集は最終形態を尊重したので、てんとう虫コミックスに入れるときに先生がカットしたページは外さざるを得なかったのです。今回は、プラスの価値をつけた、ということですね。あとは、『100年ドラえもん』にもつけた予約特典の別巻、キャラクターとひみつの道具の索引『引くえもん』を『100年大長編ドラえもん』にも用意しました。これも、全集のときにネームを全部デジタルフォントで打ち直しておいたのがよかったのです。キーワード検索できるように入力しておいたので、例えば「心の友よ!」というジャイアンの決め台詞が出てくるのは、どの巻の何ページなのか、までわかるのです。

てんとう虫コミックスも全集の素材をもとにアップデートされた。右が全集刊行後に出されたてんとう虫コミックス。ドラえもんのブルーのアミ点のつぶれが解消されているのがわかる

2021年9月からは電子版『藤子・F・不二雄大全集』の配信も始まった。巻末ページも含めた完全デジタル版で、巻数の多さから紙版の全巻購読を見送った層にも人気という。

徳山 電子版スタートは、藤子ミュージアム開館10周年にあわせてです。全集をつくるときにデジタル化はできていましたから、その点はよかったのです。少しだけ変えたのは、綴じ目のノドという部分をなくしました。紙の本だと綴じ目を少しあけておかないと絵が潰れてしまいます。電子版にはその必要がないので、ノドをなくしました。そうすると、藤子先生が見開きの絵を1枚絵として描いていたことがはっきりとわかります。扉絵などは一枚絵として鑑賞するととてもいいです。全集をつくったおかげで、アウトプットの幅がとても広がった、と思います。いまは、SF短編集の愛蔵版の編集を進めていますが、これも全集をベースにしながら、これまでのコミックスとも全集とも一味違ったものになると思います。楽しみにしてください。

information
『藤子・F・不二雄大全集』
第1期:全33巻、第2期:全33巻、第3期:全34巻、第4期:全14巻、追加刊行:全1巻、別巻:既刊4巻
発行:小学館
刊行年:2009年~

『藤子・F・不二雄大全集』公式サイト
https://www.shogakukan.co.jp/pr/fzenshu/
「100年大長編ドラえもん」特設サイト
https://www.shogakukan.co.jp/pr/100dora/
ドラえもん公式サイト「ドラえもんチャンネル」
https://dora-world.com/
川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム
https://fujiko-museum.com/

©藤子プロ・小学館 ©藤子プロ・藤子スタジオ

※『オバケのQ太郎』『海の王子』『仙べえ』『チンタラ神ちゃん』『UTOPIA最後の世界大戦/天使の玉ちゃん』は藤子不二雄Ⓐ氏との共著
※インタビュー日:2022年10月25日(小学館にて)
※URLは2023年3月23日にリンクを確認済み

決定版個人全集『藤子・F・不二雄大全集』が生まれるまで[前編]

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