坂口 将史
2022年より須賀川特撮アーカイブセンターで、福島県須賀川市内の中高生を対象とした、特撮短編映画制作の通年ワークショップ「すかがわ特撮塾」が実施されています。本稿では、2023年に2期目を迎えた「特撮塾」の展開を見ていくとともに、「特撮塾」の取り組みと特撮アーカイブ事業との関係性について考えていきます。
「特撮の神様」円谷英二の故郷であり、円谷英二ミュージアムや須賀川特撮アーカイブセンターを有する福島県須賀川市は、近年の特撮文化を語るうえで欠かすことのできない地である。そんな須賀川市が「第二の円谷英二」をスローガンに、新たな映像クリエイターの育成を目指して実施している取り組みが、「すかがわ特撮塾」(以下、「特撮塾」)である。
須賀川市内の学校に通う中高生を対象とする「特撮塾」は、2022年5月16日より第1期生の募集が開始され、同年6月18日より全10回の活動が毎月開催で実施された。完成した映像作品は『魂の叫び ヨロイガー』と名付けられ、2023年1月28日の「特撮塾」第10回目の活動「特撮塾第1期生閉講式」において、塾生とその保護者、および「特撮塾」関係者に向けた上映会が行われた。同年3月19日に須賀川市民交流センターtette内にて行われた「すかがわ特撮塾 第1期生 制作映画上映会」では、塾生が上映会の司会を行う一幕も見られた。市民向けのお披露目会として実施されたこちらのイベントは、立ち見が出るほどの盛況であった。
2023年3月をもって「特撮塾」第1期生の活動が終了したあとも、その成果物はさまざまな展開を見せている。
『魂の叫び ヨロイガー』は須賀川特撮アーカイブセンターの視聴覚室にて、庵野秀明企画作品『巨神兵東京に現わる』(2012年)と交互に上映される映像コンテンツとして活用されている。また、怪獣映画に特化した自主映画のコンテスト「全国自主怪獣映画選手権」においても、『魂の叫び ヨロイガー』は出品作品の一つとして、2023年10月8日の「全国自主怪獣映画選手権EX 二大新作!熱海大激突スペシャル」、11月4日の「第20回 米子大会2023」で上映され、好評を得ている。
塾生の手で制作された怪獣「ヨロイガー」のキグルミは、須賀川特撮アーカイブセンターの収蔵庫にて、歴史ある特撮ミニチュアと並んで収蔵されることとなった。また、2023年10月23日に日本テレビ系列で放送されたバラエティ番組『午前0時の森』内で行われた生収録の特撮映像制作において、ヨロイガーのキグルミは怪獣「ヒトリゴン」のキグルミとして使用され、劇団ひとりがその中に入る形で全国放送デビューをはたしている。
以上のように、「特撮塾」第1期生の活動成果は、単なる一ワークショップの枠組みにとどまることなく、さまざまなかたちで展開している。本稿では、そうしたなかで「特撮塾」第2期生の活動がどのように実施されているのか、そして「特撮塾」の活動が、須賀川特撮アーカイブセンターが進める特撮文化の保存・継承においてどのような機能をはたしているのかを明らかにしていく。
「特撮塾」第2期は2023年5月15日より募集が行われ、第1期と同様のペースで6月11日より活動が実施されている。第2期には8名の塾生が集まり、各回の活動には第2期生に加え、第1期生からも希望者が参加するかたちとなっている。
「特撮塾」第1期と第2期の活動内容における大きな違いとして挙げられるのは、講師層の厚さである。第1期については塾長である田口清隆氏が絵コンテ、怪獣造形、ミニチュア制作、特撮撮影の陣頭指揮を執り1、本編撮影、映像編集については田口氏とともに講師を務めていた島崎淳氏がその指揮を引き継いでいた。第1期のゲスト講師は9月3日に実施された「水槽と絵の具を用いた爆発表現」の回を担当した三池敏夫氏のみである2。
それに対し第2期は、塾長の田口氏と講師の島崎氏が全体を統括する体制はそのままに、内容に合わせて専門講師が交代するスタイルで実施された。専門講師陣は、7月29日、30日の「怪獣造形」回が村瀬継藏氏と佐藤大介氏、8月19日、20日の「特撮美術」回が福島彰夫氏、9月16日、17日の「操演」回が中山亨氏となっている。また、田口氏が専門講師として現場を取り仕切った10月7日、8日の「特撮シーン撮影」回においては、福島氏、中山氏に加えて撮影技術の特別講師として鈴木啓造氏が参加し、監督と美術部、操演部、撮影部相互のやりとりからなる特撮の現場を塾生たちは生で体験することとなった。第1期「特撮塾」のプログラムが、田口氏の過去の子ども向け特撮ワークショップや自主怪獣映画制作のノウハウを基に構築されたものであることを踏まえると、第2期「特撮塾」のプログラムは、そうした田口氏のスタイルを土台にしつつも、そこに各セクションのプロフェッショナルの知見が上乗せされた、発展的なプログラムとなっていると言えよう。
そんな第2期の活動のなかでも特筆すべきは、怪獣造形回である。この回では円谷英二とともに仕事をしたレジェンドの一人・村瀬氏から、塾生たちに向けて当時の貴重な話が語られた。また『大怪獣バラン』(1958年)で村瀬氏が開発し、その後も『小さき勇者たち〜ガメラ』(2006年)のジーダス3などでも使用された、ビニールホースを使用した透明感のあるトゲのつくり方が村瀬氏より直接塾生に伝授され、「特撮塾」第2期生オリジナル怪獣の「エスターガ」のトゲに活用された。
「怪獣造形」回の村瀬氏の試みはその象徴であるが、オムニバス授業を彷彿とさせる「特撮塾」第2期の複数講師スタイルそのものが、多くのプロフェッショナルから直接技術の継承ができるという点で、「特撮塾」および須賀川特撮アーカイブセンターの理念をより明確なかたちで結実させたものだと言えるだろう。
「特撮塾」は塾生たちに特撮技術を伝え、将来の映像クリエイターを育成するという、教育的な目的から実施されている取り組みである。そして「特撮」という題材自身もまた、塾生の知的好奇心を刺激するという意味で、教育的な機能を持っている。
例えば怪獣・ミニチュア造形活動に際して、ビニールホースを使って半透明なトゲをつくる、PPシートを使ってビルの窓をつくる、ガチャガチャのカプセルや空き缶を使って給水塔をつくるなど、身の回りの品を活用した試みがいくつか見られた。こうした本来の物品の用途に縛られることなく素材の形や性質を活用するという、特撮のある種のブリコラージュ的な要素の提示は、塾生たちに発想力の重要性を伝え、その鍛錬の場を提供する機会にもなっただろう。
また「特撮塾」には、そうした教育的側面だけでなく、塾生たちに家庭や学校とも異なる人間関係の場を提供するという、コミュニティ的な側面も併せ持っている。「須賀川市の学校に通う中高生」という緩やかな括りのなかで集まった塾生たちは、「特撮」という共通の話題で盛り上がり、普段のコミュニティのなかでは表出できない「趣味」への思いを炸裂させる。このような「趣味」活動を通して、普段の生活圏では構築できない、ここでしかありえない友人関係が、「特撮塾」を拠点に展開されているのである。
こうした「特撮塾」内での塾生同士の関係構築にあたっては、「(特撮)映画」が多数の人間の労力と技術によってつくられるものであることが有効に機能している。一つの「作品」の完成という目標を共有し、それに向かって協働することが、助け合いやコミュニケーションを生み、円滑な人間関係の構築を促しているのである。
「第二の円谷英二監督をこの地から」という「特撮塾」のコンセプトに関しても、すでに一定の成果が現れ始めている。「特撮塾」第1期生の近内翔太さんが製作した映像作品『福島県獣』が、福島県の青少年を対象とする「メディア芸術」作品のコンテスト「Fukushima Next Creators Challenge 2023」の「テーマ部門」において、「中学生の部」の最優秀賞を受賞したのである4。
『福島県獣』に登場する怪獣は、ヨロイガーの胴体と脚をベースに、新規造形した頭と腕を追加したものである。その怪獣造形はヨロイガーでの経験を生かしつつ、目や頭に電飾を入れるという新たなチャレンジを試みたものであった。そして近内さんは、「特撮塾」第2期生の活動に参加しつつ、その合間を縫って、自身の映像制作に関する質問を積極的に「特撮塾」の講師やスタッフに投げかけていた。「特撮塾」の活動がクリエイターの卵とプロとをつなぎ、その拠点として須賀川特撮アーカイブセンターが機能するこの状況こそ、須賀川市が策定した須賀川市特撮文化振興基本方針の柱の一つ「人材育成」が結実したものと言えよう。また、「特撮塾」の休み時間中、近内さんが第2期生に、自作の本編撮影協力を依頼する一幕もあった。「特撮塾」を通じて構築されたコミュニティが、若きクリエイターの実制作においても有効に働いているのである。
こうした第1期生の活躍は、第2期生たちにとっても、今後の自分たちの活動のヒントとなるに違いない。近内さんに続く若きクリエイターも、その背中を追って次々に出てくることとなるだろう。須賀川市の「人材育成」の試みは、今まさに「特撮塾」を起点として、目標とすべき「将来像」から形あるものとして組み上がりつつあるのである。
須賀川市特撮文化振興基本方針の柱である「特撮文化の継承」、「特撮文化の発信」という観点からも、「特撮塾」第2期の試みは注目すべきである。それは、「特撮塾」の取り組みの積極的な公開である
「特撮塾」の造形作業は須賀川特撮アーカイブセンターの作業室で行われ、一部の特撮シーンに関しては須賀川特撮アーカイブセンターの屋外テラスで撮影されている5 。そして「特撮塾」第2期においては、それらの活動が「見学自由」として、須賀川特撮アーカイブセンターの来館者に開放されているのである。これはある意味、従来は映像や特集記事でしか見ることができなかった特撮のメイキングを、生で見る機会を来場者に提供するものである。従来、特撮作品がメイキングとともに楽しまれてきたことを踏まえると、これは「特撮文化の継承」、「特撮文化の発信」において非常に画期的な「展示」だと言えよう。また、いずれ「特撮塾」の制作物が館内で上映されることになるであろうことを鑑みれば、この「特撮塾」の活動公開は、須賀川特撮アーカイブセンターの資料収集・保存・研究活動の公開と同義であるとも言える。その意味では、横手市増田まんが美術館(秋田県横手市)が「マンガの蔵展示室」で行っているアーカイブ作業6の公開活動と共通するコンセプトの試みとなっているともいえるのではないだろうか。
「特撮塾」実施日限定で、塾生が制作した怪獣のキグルミが須賀川特撮アーカイブセンター内で「展示」されていた点もまた、注目すべき事例である。特撮展示においては基本的に、鑑賞者がキグルミを着用することはもちろん、触ることもできない7。これは、キグルミをモノではなくキャラクターとして取り扱いたいというブランディング的な観点や、今後の撮影や展示を踏まえた作品保護の観点から来るものである。しかし「特撮塾」の活動日においては、怪獣の腕や脚が作業室入口前に「展示」され、来館者が自由に着用することができるようになっていた。このようなキグルミ「展示」は、従来のメイキング映像では鑑賞者は想像するほかなかったキグルミの構造や素材、スーツアクターの着心地といったことを知る機会を、来場者に提供するものである。これは従来のキャラクター性を重視する方針の特撮展示では「夢を壊す」などと言われて敬遠されるものであるが、この「特撮塾」をめぐる「展示」においては老若男女を問わず着用して記念撮影をする、人気のスポットとなっていた。
このように、須賀川特撮アーカイブセンターの収蔵資料公開の観点から「特撮塾」を捉え直した場合、展示物の鑑賞とテキストの読解といった従来のアーカイブ施設で得ることができない貴重な知識・経験を来場者に提供するものとして、「特撮塾」を位置付けることも可能となる。「特撮塾」は須賀川特撮アーカイブセンターの収蔵資料や施設を活用する取り組みである一方で、須賀川特撮アーカイブセンターの教育・普及機能を高める取り組みでもあるのだ。「特撮塾」と須賀川特撮アーカイブセンターは、いわば相補的な関係にあるのである。
「特撮塾」は須賀川特撮アーカイブセンターの来場者に、体験を通した特撮知識を提供する機会として機能している側面がある。そして「特撮塾」をベースとした、より深い特撮体験を来場者に提供する取り組みもまた、試みられ始めている。
2022年11月3日、須賀川特撮アーカイブセンター開館2周年記念イベントとして「『ヨロイガー』撮影会」が実施された。これはイベント参加者がミニチュアセットをバックにヨロイガーの写真撮影を行うことができるというものである。なお「『ヨロイガー』撮影会」ではイベントに際して飾られたミニチュアセットを用いた『魂の叫び ヨロイガー』の特撮シーン撮影も行われており、イベント参加者はその様子を見学・撮影することもできた。これは「特撮塾」第2期における、塾生活動の一般公開の先駆けとも言えよう。
そして「『ヨロイガー』撮影会」において注目すべきは、ヨロイガーが街を進撃するシーンにおいて、ヨロイガーが巻き上げる土埃を演出するために平台下からガラ(細かい木片や石膏片)を投げる行為を、一般見学者が担当した点である。急遽実施されたこのガラ投げには、小学生から大人まで、幅広い年齢層の人々が参加した。ワンカットのみとはいえ、「特撮塾」塾生しか体験できなかった特撮撮影を、より多くの人々が体験できるようになった瞬間である。
それから1年後の2023年11月3日、須賀川特撮アーカイブセンター開館3周年イベントとして「特撮体験をしよう」が実施された。これは前年度の「『ヨロイガー』撮影会」においてイレギュラー的に発生した特撮体験を、企画として発展させたものと言える。当イベントには男女問わず、小学生から高齢者まで幅広い参加者が集まり、関東・関西圏からの参加者もいたほどであった。そして参加者はミニチュアビルを用いた街飾りから、怪獣のキグルミを着用しての演技、カメラ撮影の体験と、多数の要素を体験することができた。同イベントには「特撮塾」第1期生、第2期生も参加しており、特撮撮影の経験者として、参加者へのキグルミの着付けやスーツアクターの補助、スタッフのヘルプなどを率先して行っていた。「特撮塾」で学んだことを生かし、未経験者を相手にある種の「先輩」として実践する場が提供されたという意味で、イベント参加者だけでなく、塾生にとっても学びの多いイベントだったと言えるだろう。
以上のような体験を通した特撮知識の提供は、資料保存の意義を人々に伝えるという面だけでなく、中間制作物がいかにして最終的な「作品」へと完成されるのかという「過程」そのものをある意味で「保存」し、人々に向けて「展示」するという面で、特撮文化の後世への伝承においても重要な機能を持つものである。これは、特撮監督の樋口真嗣氏と尾上克郎氏との対談の中で、宮内庁正倉院事務室長の西川明彦氏が述べた『こと』の保存に相当するものである。
西川 『ものごと』という言葉がありますが、我々は文化財である『もの(物)』だけでなく、たとえば宗教行事といった“行ない(イベント)”つまり『こと(事)』の両方を残すからこそ価値を知ってもらえると考えていて。
尾上 『こと』という背景があって、初めて『もの』に価値が生まれるということですよね。
西川 そうです、『もの』と『こと』の両方を残すのが究極の保存ではないかと。8
収蔵庫内に保存された『もの』と、体験を通した特撮知識という『こと』の両輪が揃った現在の須賀川特撮アーカイブセンターは、まさしく西川氏が言うところの「究極の保存」が達成された状況なのである。
「特撮塾」、およびそれをベースとした特撮撮影体験イベントはもちろんのこと、近年は特撮ワークショップが盛んに行われている9。特撮の教育・普及効果を担うものとして広く親しまれているこうしたワークショップの実践において、特撮という題材はどのように機能しているのか、本稿の最後に検討してみたい。
まず注目すべき点として、美術や操演、撮影などの映像制作の現場における各セクションが、責任者と助手のチームで構成されているという組織構造を、ワークショップの指導者と参加者の役割として転換できることが挙げられる。ワークショップの参加者は基本的に特撮技術に習熟していない未経験者であり、彼らの力のみでは一定以上のクオリティの映像をつくり上げることは難しい。そこで講義や指導の時間がワークショップには一般的に組み込まれることになるのだが、特撮においては指導者を美術監督や操演技師、撮影監督といったセクション責任者、参加者をそのセクションの助手と位置付けることにより、実際の現場の体験という体裁を維持しながら自然と講義・指導をそのなかに組み込むことが可能である。その意味で特撮ワークショップは、没入感を伴った体験を参加者に提供することができるのである。
また、そうした「助手」として位置付けられた参加者に要求される「最低限度の」スキルが、ミニチュアを運ぶ、配置する、キグルミを着て動くといった日常的な身体動作の延長線上のものであることも、注目すべき点として挙げられるだろう。怪獣造形やミニチュア制作を行う「特撮塾」に関しても、中高生のスキルでも制作可能なレベルまで工程を落とし込んだ講師陣の功績は無視できないものであるとはいえ、造形で必要となる「切る」「塗る」「貼る」といった身体行為は、幼少期から誰もが経験したことのある基本的な工作活動である。これを仮にデジタル技術を用いた映像制作ワークショップとした場合、参加者へのソフトの操作方法レクチャーにかなりの時間を割かねばならなくなるだろう。それを踏まえれば、アナログ特撮が「モノ」を被写体とするということが、参加者への参入障壁を低くしているということができる。
特撮作品が本編と特撮の二つのパートで構成されている点にも注目したい。本来特撮映像は本編のドラマのなかに組み込まれるものであるが、時には特撮パートが本編から遊離し、カット単体で楽しまれることもある。特撮パートの再編集で1本の番組を構成した『ウルトラファイト』(1970~1971年)は、その極北であろう。こうした特撮作品の受容体験が根底にあるからこそ、時間的事情から数カットしか制作できないワークショップであったとしても、その数カットを「作品」として受容し、「映像をつくり上げた」という達成感を参加者に与えることができるのであろう。短いカットの画からも鑑賞者にカタルシスを感じさせる特撮の性質が、ワークショップの実施上の制約に上手くマッチしているのである。
時間的な制約との関係については、アナログ特撮の持つある種の即興性もまた注目すべき点である。この性質は、日本でミニチュアとキグルミを使用した特撮スタイルが定着した背景とも関連が深い。円谷英二は『ゴジラ』(1954年)の制作にあたって、当初は『キング・コング』(1933年)のようなコマ撮り手法を検討していたが、1フレームごとにモデルを動かすことで被写体が動いているように見せるコマ撮りでは、完成までに長い時間がかる。そこで、被写体さえ準備できていれば、コマ撮りよりは時間をかけずに撮影できるミニチュアとキグルミによる現行の特撮スタイルが、『ゴジラ』で採用されることとなったのである。また、撮りきりによるアナログの特撮撮影の場合、参加者の手仕事がそのまま画面に現れることとなる。こうした限られた時間のなかでも画面を成立させることができ、参加者の活動成果が映像に直接反映されるという特撮のアナログゆえの性質もまた、特撮ワークショップという企画の成立と、ワークショップ参加者の満足度の高さの双方に貢献しているのであろう。
以上のように、「特撮塾」、およびそれをベースとした特撮体験イベントは、従来の特撮展示・イベントでは不可能であった特撮の知識や魅力を、多くの人に向けて伝達するものであった。それは、須賀川特撮アーカイブセンターにおける資料の収集、保存、教育・普及機能とも密接に連関している。そしてこうした取り組みの成功の背景には、特撮そのもののメディア上の特性もまた、大きく寄与しているのである。
ワークショップを通した体験による文化の継承は、「モノ」としての性質を持つ特撮ならではの強みであり、今後も全国各地のイベントで積極的に導入されていくことだろう。そしてその導入に際して、「特撮塾」は大きな成功事例として、各所で参照されていくに違いない。開館3周年を迎えた須賀川特撮アーカイブセンターと「特撮塾」の展開だけでなく、それが特撮文化の教育・普及にどのように波及していくのかも含めて、今後に注視していきたい。
脚注
※URLは2023年12月22日にリンクを確認済み