坂口 将史
2022年7月18日に福島県須賀川市で開催された「全国自主怪獣映画選手権 須賀川傑作選」を機に、本イベントの発起人であり、数多くの特撮作品で監督を務める田口清隆氏に、「全国自主怪獣映画選手権」(以下、「自怪選」)や、現在須賀川市で開催中のワークショップ「すかがわ特撮塾」(以下、「特撮塾」)についてお話をうかがいます。前編で語られた「自怪選」誕生秘話や須賀川での開催での特異性、「特撮塾」とのリンクに続き、後編では「特撮塾」での塾生の活動や、今後の須賀川市の展望についても話が及びました。
――2022年度から田口さんをメイン講師に迎えて始まった「特撮塾」ですが、6月の開講式に始まり、翌年1月の閉講式まで毎月開催する連続ワークショップということで、規模も大きいですね。
田口 「特撮映画の制作工程を体験できる通年の連続ワークショップ」という形は、須賀川市さんから依頼があった時点で固まっていたんです。ただ、具体的にどういうメニューでやっていくかは、僕が入ってから決めていきました。須賀川市さんからの案としては、撮影するカットを数カットに絞り込んで、そこに全力投球して物凄いカットを撮るっていう案もあったんです。「特撮カット」として凝ったものにして、撮影技法としてもつくりこんでいって。
――特撮の技術継承の場としては、その方向性もありえたわけですね。
田口 ええ。一つのミニチュアをみんなで精巧につくりこんだりして、その1カットに全力で取り組んで完成度を上げていくという。「特撮塾」としては正しいと思いつつ、田口的にはどうしても、怪獣は欲しいなという思いがあって。
――田口さんが講師をやるなら、怪獣のスーツ造型という項目は外せないと。
田口 新しく立ち上げる「特撮塾」のシンボルとしてオリジナルの怪獣は絶対欲しいなと思って。塾生の子たちからすると、絶対自分たちが頑張ってつくったキャラクターが活躍するほうが撮ってて楽しいはずなんです。
――それは、実際に田口さんが中高生のときに、自分で怪獣をつくって自主映画を撮っていたことも関係していますか。
田口 それは大きいですね。仮にそれが段ボールや毛布でできた怪獣でもいいんですよ。
――田口さんも、実際そうやって自主映画を撮られていましたね。
田口 そうなんです。怪獣スーツをつくるのは結構手間がかかるので、「そんなことはできないんじゃないか」という声もありましたが、僕は自主映画で実際に自分で怪獣をつくった経験もあるから勝算もあったんです。みんなが思っているような「ウルトラマン」とか「ゴジラ」に出てくるようなしっかりとしたスーツは無理かもしれないけれど、塾生たちの熱意の結晶として怪獣が完成していれば、別に「良くできているかどうか」ではないだろうと。
――怪獣スーツ造型がカリキュラムに入ったことで、特撮映画のなかでも「怪獣映画」を撮ることになるわけですね。
田口 そうなると、「怪獣が須賀川の街に上陸したら、どこを壊そうか? 皆のよく知る市役所か(須賀川市民交流センター)tetteだったら、どっちが良い?」と塾生に聞いたら、圧倒的多数で「市役所が良い」と言うので、市役所のミニチュアもつくることになったんですね。
――怪獣が出たら、破壊は欠かせないだろうということですね。
田口 そうです。それで宿題として「市役所を壊す画コンテを描いて」と言ったら、今度は画コンテにおもしろい怪獣のデザインを描いてきた女の子がいたので、怪獣デザインも塾生の全会一致でその子が描いたものに決まりました。市役所のミニチュアに関しても、当初は展望台の部分だけをつくろうということでしたけど、塾生の画コンテを見たり、実際の市役所を見に行ったりしてみると、よく見たら市役所って長細い四角でできていて、複雑な形はしていないんですよ。これも、テレビとか映画とかに出てくるような精巧なミニチュアでなくとも、やれる範囲まで落とし込めばいけるだろうと。これもクオリティよりも、「塾生たちが市役所をつくって、それを子どもたちがつくった怪獣が壊す」ということに意味があるんじゃないかと。それで無理を言って市役所も全部つくることになったんですね。
――そういった流れで、あの大ボリュームの市役所ミニチュアの誕生へとつながっていくことになるのですね。
――今回の「特撮塾」は、「操演・特殊効果」の仕事としてホコリやスモークを焚いたり、「助監督」の仕事としてカチンコを打ったり、「照明」の仕事としてレフ板を持ったりと、子どもたちが幅広い役職を体験できたというのも一つの大きな特徴だったかと思います。怪獣の暴れるシーンを子どもたちに自分自身のスマホカメラで撮影させて、それを編集素材としてアーカイブセンターに送ってもらうのも、ある意味で「カメラマン」の体験とも言えますし。
田口 なるべく、彼らが興味を持ったことは実際にやってもらおうと意識していましたね。最初の授業でメイキング映像を見せながら特撮現場の各パートの仕事内容を説明して、塾生たちに「じゃあ、撮影の時には何のパートをやりたい?」と尋ねて。撮影現場では、交代で持ち場についてもらいました。自分自身、助監督だけをやって監督になったのではなくて、下積み時代から助監督に美術と、軽くですが操演助手や照明助手をやったりしていたんですよ。
――箱馬の使い方であったりとか、ガンタッカーの使い方であったりとか、特撮の現場でまさに使われている技術や用語をかなりこのワークショップのあいだでマスターしているような感じがありました。「ガンタッカー持ってきて」、「ここをやって」と言ったら皆即座に動いて仕事ができるという風に後半戦はなっていましたよ。
田口 「特撮塾」をやって驚いたのが、中高生って本当に吸収力が高くて、こっちが言ったことをちゃんと覚えているんですよね。だから、業界用語も遠慮なく浴びせていこうと。現場で使う「箱馬」という木でできた箱のようなものがあって、ミニチュアの高さを上げたいときに、その箱馬の上にミニチュアを乗せたりするんですね。すでに「箱馬」というのが現場用語なんですが、箱馬の置き方の違いでまた「ベタウマ(箱馬の最も広い面を底面にして置くこと)」「ヨコウマ(「ベタ」を基準として、箱馬を横倒しに置くこと)」「タテウマ(「ベタ」を基準として、箱馬を縦倒しに置くこと)」と呼び方が変わります。
――撮影初日の朝イチ、箱馬の使い方を現場用語と共に叩きこむカリキュラムは、かなりスパルタだなと感じました。
田口 そこで意識をしたのが、言ったらすぐにその場にいる塾生に、「わかる人」と手を上げさせずに突然当てて、「ヨコウマやってみて」とやらせたことですね。「次は自分がやるかもしれない」という緊張感があれば「覚えなきゃ」となりますし、自分でやってみるというのが一番頭に入りますから。座学じゃなくて、目の前に現場があるというのが「特撮塾」の最大の強みだと思います。
――撮影が始まると、田口さんから言われたわけでもないのに、箱馬のベタタテ(「ベタ」の状態の箱馬と、「ベタ」を基準として、箱馬を縦方向に置く「タテウマ」の状態となった箱馬の二つを、上下に重ねて置くこと)でミニチュアの高さを調節していたという一幕もありました。
田口 最初に基礎の基礎からやったので、そこからの応用は本当に彼らが自発的にやっていましたね。それに街の細かい飾り込みに関しても、「街にありそうなものを自分で探して置いてみて。道路には車があるよね?」と言ったらやるわけですよ。僕だって美術助手だったころにああいったことをやってきましたが、工程の基礎と、何をしようとしているのかさえわかれば、まあ特別難しいことではないですからね。もちろんミニチュアをきちんと飾るとなると別ですけど、助手として「そこに自動販売機を置く」というのは、どんな子どもだってできる。それでだんだん街ができてくると、仕事でやっていても未だにそうですが、僕らもテンションが上がるんですよ。カメラを通してミニチュアセットを見ると、さっきまでただの平台だったものが本物の街や村に見えてくる。あの快感は、僕らが特撮美術をやっていて一番楽しいことですからね。そこに至るまでの、つくったり、切ったり、測ったりする細かい作業は大変ですが、その地道な作業をやったことによって、街ができる。市役所の風景は、まさにそれですからね。
――塾生のあいだでも、カメラのフレーム内に捉えられた画面を見ながら「そこに何かちょっと小物を足して!」と指示するやりとりが自発的に起きていましたね。
田口 一回教えて「なるほど」と本人たちが思えば、やるんですよね。あの吸収力にはむしろこっちが驚きますよ。
――2日間の撮影でしたが、2日目の市役所ミニチュアの破壊は、好天のなかでオープンセットの撮影ができたのが大きかったかと思います。
田口 ミニチュアは太陽の光でやるのが一番リアルに見えるので、それをいくらでもやれる「ながぬまラボ」という施設があるのが、須賀川の強みのひとつです。ここは、元・屋内ゲートボール場だったログハウスとその屋外駐車スペースなんですけど、高台なので奥に建物が映りづらいし、申請すれば火薬を使った撮影もできる。最初は、NHK大河ドラマの『いだてん』のミニチュア撮影で尾上克郎監督率いる「特撮研究所」チームが使ったのが始まりで、その後も「特撮研究所」チームは何本かの映画やドラマの撮影で使いながら、撮影環境を整えていったんだそうです。その時々に地元の業者さんに依頼して作った平台や箱馬はそのまま「ながぬまラボ」に残されていて、撮影で使わせてもらえるんですね。「特撮塾」でも新規で作ってもらった平台や箱馬を使用しています。自由に撮れるオープンスペースと、平台、箱馬が揃っている。これだけでも、とても恵まれています。
――街のミニチュアに関しては、須賀川特撮アーカイブセンターにあるミニチュアが有効活用されていました。収蔵庫に保管されたミニチュアのうち、撮影に使用可能なものが「ながぬまラボ」まで運ばれていましたが、塾生たちにそのミニチュアのなかから「街のミニチュアとして良さそうなのはないかな」と探させていらっしゃいましたね。
田口 須賀川特撮アーカイブセンターに収蔵されているミニチュアたちのすごさというのは、収蔵庫に保管されている文化遺産でもありながら、現役の映画のミニチュアでもあるということなんですよ。例えば、ビルの裏にはマジックで「大映」とか書かれていたりして、『ガメラ3』で実際に使われたミニチュアだったりするんです。子どもたちが、本物を使って撮影できるというのは、恵まれた環境だと思います。「(生誕100年 特撮美術監督 )井上泰幸展」での展示用につくられた民家のミニチュアも使用の許可をいただいたので、それも活用しています。
――2022年に東京都現代美術館で開催の「井上泰幸展」でつくられた『空の大怪獣ラドン』(1956年)の岩田屋周辺の展示ミニチュアのことですね。街のセットに使用されていらっしゃいました。福岡の街を再現したミニチュアだったものが、今度は須賀川の街を再現するものとして使われるというのも、特撮の妙だなと思いましたね。
田口 基本的に特撮というのは、必ずしも毎回そこにある実際の建物を再現しているわけではないんですよ。一回つくられて倉庫に入ってしまえば、次は別の街の建物になるというのは、特撮では何をやっていてもそうです。美術館で展示されたものがそのまま現役の特撮セットに使われるというのも、素晴らしいことだと思いますね。恭しく棚に飾られてそれっきりになるくらいだったら、子どもたちに飾られてセメント粉のホコリを浴びているほうが特撮ミニチュアとしてのアイデンティティはあるのかなと。そのことが子どもたちの育成につながるわけですからね。もちろん、それは「井上泰幸展」監修の三池敏夫さんをはじめ、「井上泰幸展」の皆さんが許してくれたからできたことですけど。それに、「収蔵されたものも現役のミニチュア」というアーカイブセンターそのものの理念に関しては、特撮業界自体もある意味そうなんですよね。本人が「やめる」と言わない限り、引退はない。ミニチュアも多少壊れたって、完全に壊れるまでは直して使っちゃいますから。
――壊れたものと言えば、壊れたミニチュアも、市役所のガラ(建物が壊れるときに飛び散る破片)として使用されていましたね。
田口 そうなんですよ、バラバラになったビルだってガラとして使われるから、「特撮にゴミはない」なんて言われるんですよね。
――壊れてもなお使えるというのは、非常に新鮮な発見でした。それも特撮ミニチュアならではの特徴なのでしょうね1。
――「特撮塾」で特撮映像のつくり方を学んだ塾生たちが、今度は自分で特撮をつくり、やがて「全国自主怪獣映画選手権」に応募するということにもつながっていくのではないかと思うのですが、そうした循環作用は意識されていましたか。
田口 須賀川で「自怪選」をやってほしいという話は以前からいただいてましたし、須賀川市さんとしては、企画の段階から「特撮塾」と「自怪選」はセットだったように思います。人材育成の「特撮塾」と、発表の場としての「自怪選」というまさに循環。僕らがみんなで楽しんで続けてきた「自怪選」が、須賀川という場でうまく「特撮塾」という企画とリンクしたという感じですよね。
――「自怪選」と若手の人材育成というのは、意図してリンクさせていったものではなく、あくまで結果的にそうなっていったということでしょうか。
田口 「自怪選」は、もともと「自主怪獣映画」に発表の場をということで始めていますけど、そもそも自分も自主怪獣映画をつくって育ってきたし、あくまで「やりたいこと」としてやってきました。誰に言われるでもなく、もちろん商売でもなく、趣旨に賛同する人たちとボランティアで運営してきたような活動なんです。でも、続けてきた結果、「自怪選」を目指して新作を撮る監督が増えて自主怪獣映画界隈も活性化したし、そこで出会った若い子たちを現場に送り込むこともできた。これは、10年後の特撮業界のために絶対になると思っていて。
――特撮業界の未来につながる活動になったと。
田口 結果的に、日本特撮って文化のためになっているんですよね。須賀川市さんの「須賀川特撮アーカイブセンター」や「特撮塾」に対する考え方でとても良いなと思ったのは、よくある「町興し」ではなく、あくまで「文化振興」なんですよ。「『特撮』という文化を絶やすことなく伝えて、残していこうよ」というのがテーマなので、「特撮塾」も商業的な目的のためにはやってないんですよね。そこで、「自怪選」をやってきた僕らの思いと、「特撮塾」を始める須賀川市さんの思いが合致したという。
――「文化振興」というのは、重要なキーワードですね。
田口 打ち合わせで須賀川市さんのお話を聞くうちに、「ああ、僕らがやってきたのは『文化振興』だったんだ」と逆に気づかされたんですよ。だから、「特撮塾」に対しても、思いとしては「特撮って楽しいんだから、その楽しさを皆で分かち合おうよ」というのが根底にあります。そして、自怪選と同じように「若い子が少しでも業界に来てくれたらいいな」という。
――利潤追求でない、町興しでない形だからこそ、長い目で特撮事業に関わっていただけるのでしょうね。利潤追求だと「結果を出せ」と言われて、どうしても短期的なスパンでしか取り組むことができないということもあるでしょうから。そういう意味でも「文化振興」という枠組みは非常に重要なのですね。
――収蔵されているミニチュアセットをいろいろと使えるという環境は、今回の「自怪選」の展示セットでも「特撮塾」でも非常に有効に機能していました。特撮の映像制作的な要素のある今回の二つの企画を通して、須賀川という街の新たなポテンシャルが見えてきたように思います。ではインタビューの最後に、そうした須賀川と特撮の今後の可能性についてもお話をうかがいたいと思うのですが、田口さんとしては、こうした須賀川の環境をどのようにお考えでしょうか。
田口 須賀川に置かれているものは、ビルなんかのミニチュアにせよ、平台や箱馬にせよ、撮影で行ったら使わせていただけるということに関しては、本当にすごいことだと思います。例えば大学生たちが「自主制作で特撮をやりたい」というときに、彼らは東京のスタジオを借りたり、ありもの(別の撮影のために制作された後、いつでも利用できるように保管されているもの)のミニチュアをどこかから借りたりすることが予算上できないわけです。でも、須賀川に泊まりに来れば、須賀川にあるミニチュアや設備を使って特撮が撮れるわけで。
――自主怪獣映画を撮る若者にとっては夢のような環境ですね。
田口 須賀川にすべて揃っているわけですからね。ただ、唯一の難点は、我々が住んでいる東京から遠いということなんです。東京から移動してきて宿泊するだけで、結構なお金がかかってしまう。これは、例えば「ウルトラマン」みたいなスタッフ人数の多い商業作品だとなおさらです。例えば、自主映画の若者たちを対象に、宿泊などをサポートしてくれる仕組みを整えてもらえたら、須賀川で自主特撮映画を撮ろうという若者たちが確実に増えると思います。須賀川には、そういう若い子たちを受け入れる場所としてあってほしいなと。「特撮塾」もそうですが、若い子たちが須賀川の地で特撮を撮るということ自体に意義があると思うし、それによって作品も確実に増えていく。そして、その中から将来特撮の現場に来る子が一人でも出てくれば、「自怪選」をひっそりと続けてきた我々としては、なお嬉しい。もちろん、「特撮塾」の塾生はじめ、須賀川の若者がそこに加われれば最高ですよね。そういうことが、須賀川市さんの目指す「特撮文化の振興」の一つの形なんじゃないかなと個人的には思っています。
――今回は須賀川市の文化事業についての意義まで話が及び、非常に興味深い内容でした。従来の特撮史や特撮研究は、どうしても商業作品に関する言及に終始してしまうものでしたが、自主制作やワークショップなども含めた広い視点から特撮を見つめ直すことも今後は必要になってくるのではないかと思います。この度はありがとうございました。
脚注
information
全国自主怪獣映画選手権 須賀川傑作選
開催日:2022年7月18日(月・祝)
会場:須賀川市交流センターtette 1階たいまつホール
入場料:無料
https://amateurkaijucontest.wixsite.com/index
※URLは2023年2月17日にリンクを確認済み