タニグチ リウイチ
1979年にテレビアニメ『機動戦士ガンダム』が放送されて以来数々の作品が制作され、2024年で45周年を迎える「ガンダム」シリーズ。そのなかの劇場アニメ『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』(1988年)が、第2回新潟国際アニメーション映画祭のイベント上映として、2024年3月16日(土)に新潟市民プラザにて公開されました。本稿では、上映前に行われた富野由悠季監督、メカデザイナーの出渕裕氏のトークショーでの発言をもとに、1993年刊行・2023年復刊の同人誌『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会』を参考にしながら、『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』を改めて紐解きます。
語っても、語っても語り尽くせない長編アニメーション映画が、富野由悠季監督の『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』(1988年、以下『逆シャア』)だ。2024年3月に新潟市で開かれた第2回新潟国際アニメーション映画祭(以下、NIAFF)で上映された際には、富野監督とメカデザイナーの出渕裕が、36年前の作品から新たに“発見”したことを語り合った。2023年には、「エヴァンゲリオン」シリーズの庵野秀明監督による責任編集で1993年に刊行された同人誌『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会』(以下『友の会』)がアニメスタイルより商業出版として復刊。富野や出渕のほか押井守監督、鈴木敏夫プロデューサー、幾原邦彦監督らが『逆シャア』について語っていた言葉を改めて読むことで、作品への新たな発見を得られ、日本のアニメ界そのものへの警鐘も感じ取れる。『逆シャア』について語ることは、それだけの広さと深さを持った行為なのだ。
シャア・アズナブルといえば、「ガンダム」シリーズを通してトップクラスの人気を誇るキャラクターだ。テレビアニメ『機動戦士ガンダム』(1979~1980年)に主人公のアムロ・レイと競い合う敵方のモビルスーツ乗りとして登場。仮面を被ったミステリアスな風貌や、池田秀一が演じる声の魅力とも相まって、男女を問わず大勢のファンを惹きつけた。
『機動戦士ガンダム』のラストで仇敵のキシリア・ザビを討ち、爆発に巻き込まれて行方不明になったシャアだったが、『機動戦士Zガンダム』(1985~1986年、以下『Z』)で地球連邦軍のクワトロ・バジーナ大尉として再登場し、アムロに代わって主人公となったカミーユ・ビダンをサポートしながら戦った。『逆シャア』はその後、シャアがネオ・ジオンの総帥となって地球連邦に反旗を翻し、地球に小惑星を落とそうとするのをアムロたちが止めようとして、激突する話となっている。
シャアが一度は地球連邦側に立つキャラクターになったことについて、NIAFFのトークに登壇した出渕は、「アムロたちを一緒にしておいたほうが(話が)膨らむかもしれないから」と推察しつつ「失敗だった」と指摘した。たしかに作劇やマーケティングといった要素から、人気キャラクターの再登場は効果的だった。大人の雰囲気を漂わせたクワトロ大尉はそれなりにカッコよく、かつてのファンも関心を持ったようだったが、役どころとしてはカミーユやパプテマス・シロッコの脇に甘んじていた。
こうしたシャアの扱いについて、『友の会』に興味深い証言がある。映画公開当時、アニメ誌『月刊ニュータイプ』の編集長を務めていた井上伸一郎によれば、「当初『Zガンダム』っていうのは『逆襲のシャア』っていうサブタイトルが付いて」いたという。つまり富野監督は、「シャアを主人公にした『ガンダム』っていうのは何かっていうのを、たぶん『Z』の時にやりたかった」(井上)らしい1。
もしもここで、シャアのストーリーに決着がついていれば、『逆シャア』がつくられることはなかった。最終的に『Z』では、カミーユを主人公にしたストーリーが紡がれることになり、シャアは重要な役割は果たしたもののライバルとはならず、途中で消えていった。『逆シャア』はこのときのリベンジを果たそうとした作品だったといえる。
もっとも、そうして再登場したシャアは、ニヒルなライバルといったイメージを超えた、複雑な造形のキャラクターになっていた。NIAFFでのトークで出渕は、『逆シャア』のシャアについて改めて考えるなかで、「独善的で、自分がやろうとしていることには手段を選ばなくて、共感力がなくて要するに人に嘘をつく。サイコパスの症例に全部当てはまる」キャラクターになっていたことに気づいたと明かした。
「(地球連邦との)交渉のときも、女性に対しても、シャアの言っていることに本当なんて一言もないんです。もしかしたら、最後のアムロとの対峙でも、こいつ嘘をついているんじゃないかと思うくらい」とも発言。地球に落下しようとするアクシズを、無謀にもモビルスーツで押し戻そうとするアムロに対してシャアが人類の愚劣さを訴えたり、ララァへの思いを打ち明けたりする場面ですら、シャアがどこまで本心を語っていたのかわからないことを指摘した。
これを聞いた富野監督は、「そうした指摘は初めて聞いたけど、正しいね」と答えて、公開から36年ぶりに何か得心した様子だった。「ラストシーンでのあのシャアとアムロのセリフを作っているときに、今の感覚は実を言うとあったというのを思い出しました。なんか気持ち悪いな、本当はこういうふうにつくりたくないんだけれど、時間切れだからしょうがなくてつくったところがあったことを思い出しました」(富野監督)。
こう聞くと、感動を誘うラストシーンにも人間の偽善や欺瞞が含まれた、複雑な映画だったことがわかるだろう。実際、『逆シャア』には、アニメーションが単純に絵を動かして楽しんでもらうだけでなく、キャラクターを通してその思想や信条に触れてもらい、人間という存在が持つ豊かさや複雑さ、世界が直面している対立の構造を感じてもらおうとしたところがあった。
NIAFFのトークで出渕は、『逆シャア』について「特にね、女性の生っぽさがね、素晴らしいと思った」と訴えた。「チェーン(・アギ=アムロをサポートする技術士官の女性)とか出てくるでしょ。よく見ると嫌な女なんですよ。虎の威を借る狐じゃないですけど、アムロが何か言うと『そうよ』と被せてくる。こういう人いるよねというところが上手いな」と話して、キャラクターのそれぞれに深い性格設定が行われていることを示唆した。
こうした出渕の指摘に、富野監督は「当然です」と即答。「こうやって、ぶっちゃん(出渕)が言ってくれたことが、自分が忘れていていたことも本当に思い出させてくれるんですよ」と感謝しつつ、「『逆シャア』のとき、つまり映画の演出家として一番考えたのは、アニメに少しはまともな女を出す演出をするということ。これは本当に意識しました」と打ち明けた。
「何でもかんでもハイトーンでかわいい声なら女だと思っているお前らは、趣味が悪すぎるということをいっているのが『逆シャア』の映画でもある」と観客に向けて発せられた富野監督の言葉は、アニメの女性キャラクターがかわいらしさを主眼に描かれ、声もそれにマッチしたものに偏りがちな風潮への批判ともいえるものだ。現在は特に、キャラクター人気が先に立つ状況となっているだけに、36年前の時点で女性を女性として描くことに注力した富野監督の演出スタンスを改めて考えることはとても重要といえそうだ。
富野監督は『友の会』でも、インタビューに答えて「ナナイってキャラクターを作るときにシャアが抱きついても恥ずかしくない女にしたいって思いが働くわけ」と言って、大人として性的な行為が交わされるような雰囲気を、しっかり持ったキャラクターにしようとしたことを明かしていた2。NIAFFのトークで出渕は、「ナナイとシャアがガウン着ているところは、あそこすごい力入ってるなっていうか、そこをやりたいっていうのはとてもわかる」と話したが、これは富野監督の意図どおりだったということになる。
そうした意図を持ってキャラクターを造形し、演出をしてもアニメーターによって描かれる絵から男女関係の生々しさが落ちてしまうことは、共同作業のアニメではよく起こる。『友の会』で富野監督も、「『手前はなんなんだァ』って時に、だけどこれでOKしなくちゃ駄目だって時に、本当に萎えちゃってるんだもの、気分が」とこぼして、欲しい絵が得られない悩みを打ち明けていた3。
富野監督は、自分の演出意図なりキャラクターの信条なりを絵で表現できるアニメーターの不足を感じていたのだろうか。『友の会』では、安彦良和の名前を挙げて、「安彦くんみたいな人に、また、出会えるならばね、この仕事自体をもっと好きになれるだろう」とこぼしていた4。安彦良和という“相棒”が併走し続けていたら、富野作品が『機動戦士ガンダム』以降、どのような進化をたどったかは大いに気になるところだ。
『逆シャア』を見た人は、キャラクターの心情にしても舞台となる世界の状況にしても、生々しさを持ったものとして描いていると感じる。『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(1987年)の山賀博之監督は、『友の会』で「ああ普通の社会性みたいなものを、自分の中に持ってなおかつ働いている人が、アニメ作ってんだなと思った」と話している5。これは、『逆シャア』には富野監督の思想や信条が滲んでいることを意味する。
押井守監督は『友の会』のなかで、そうした富野監督のやり口を「確信犯」だと指摘している6。「ガンダム」という人気のコンテンツを使いエンターテインメントを描きつつ、そこに自分の思いを入れ込んでいる作品だと受け取ったようだ。人によっては、そうした「生の部分が出てくるのをとことん嫌う人は、『駄目だ』っていう」(押井監督)反応を示し7、映画を見にいくことすら拒否したらしいが、それでも11億円もの興行収入を当時獲得できたのは、「ガンダム」というネームバリューがあったことを、『友の会』のなかで押井監督とスタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーが指摘している8。
鈴木プロデューサーによれば、そうした「ガンダム」だからといった声に富野監督は憤りを覚えたようだが、「『ガンダム』という名の下に全然別の作品を作るっていう、その思考実験は非常に上手くいったんじゃないか」と声をかけると、富野監督は「そういう事ならば、自分は『ガンダム』を作り続けられる」と答えたという9。『∀ガンダム』(1999~2000年)や『ガンダム Gのレコンギスタ』(2014~2015年)を手掛けられたのも、そうした意識があったからなのかもしれない。
もちろん、これらの活動にもそうした意識は生かされる。NIAFFのトークで富野監督は、「アニメでいえば、今回我々はとても良い人を目標とすることができました。宮﨑駿の『君たちはどう生きるか』がアカデミー賞を取れたという。ああいうとんでもない作品が出ました」と話して、宮﨑駿監督の最近の活動に強い関心を見せた。『君たちはどう生きるか』(2023年)がどうとんでもないかは、「ハッピーエンドではない作品をつくってしまって、それがアニメーション界ではなくアメリカの映画界で」(富野監督)評価を受けたということ。そこにアニメを受容する社会の変化を見て取ったようだ。
宮﨑監督については、『友の会』のなかで『紅の豚』(1992年)を公開して、どこか行き着いてしまった感じがあるといった言説で語られていた10。もっともその後、宮﨑監督は『もののけ姫』(1997年)と『千と千尋の神隠し』(2001年)で興行収入を塗り替え続け、アカデミー賞も獲得して世界の宮﨑になっていく。NIAFFのトークで富野監督も、「宮﨑アニメがあったおかげで、アニメの映画自体も変わってきます」と言って、その功績を讃えていた。
同時に、これからのアニメ界を担う世代にも奮起を呼びかけた。「宮﨑潰すぞというくらい、皆さん頑張ってください」とNIAFFのトークで訴えた富野監督。「アニメというものがディズニーアニメだけではないんだということがわかりました。これ以後を受け継いでいくのは皆さん方です」と言って、奮起を呼びかけた。
実は『友の会』では、30年前のアニメ界に漂っていた虚無感のようなものがいろいろと示唆されていた。宮﨑監督や富野監督のような思想を作品のなかに混ぜ込むクリエイターが、ほかにあまり見当たらないということで、押井監督は「今はだけど、庵野なんかはまだマシなんだけど、もっと若い人達っていうのは、『ない』んですよ、何にも」と、アニメという表現を通して訴えたい主張のようなもののなさを嘆いていた11。
テレビシリーズの『美少女戦士セーラームーンR』(1993~1994年)でシリーズディレクターを務めていた幾原邦彦も、作品に人気があってブームが起こっていながら、「そんなもの何もなくて灰でしかない」と言って、進化していく必要を訴えていた12。幾原監督はそこから『少女革命ウテナ』(1997年)を送り出してアニメ化に新風を吹き込み、『輪るピングドラム』(2011年)、『さらざんまい』(2019年)と革新的な表現に挑み続けている。
庵野監督も、『友の会』で「自分の相補的アイデンティティーを探して、もう一度何もないところからやろうというのが、今やってる『企画』なんですけどね」と話していた言葉どおりに13、テレビシリーズ『新世紀エヴァンゲリオン』(1995~1996年)に始まる「エヴァンゲリオン」の世界を世に問うた。『友の会』が出たときの、宮﨑監督や富野監督はもう終わってしまったクリエイターだといった印象も、信念を持ったクリエイターはもういないといった虚無感も、確実に払拭されて日本のアニメはさらなる成長の途上にあるといえる。
『君たちはどう生きるか』のアカデミー賞受賞で、宮﨑監督はそのさらに先へと行ってしまった感もあるが、富野監督のほうも精力的な活動を続けていて、まだまだ期待したいところ。NIAFFのトークで出渕は、「宮﨑さんももしかしたらもう1本つくるかもしれないけれど、富野さんも絶対つくってほしいですね」とエールを贈った。答えて富野監督は、「そういう意味では、宮﨑監督はいちいち(引退を)言うけれど、僕はまだ引退って言ってないからね」と答えて、いまだ失っていない現役感を覗かせた。
アニメーションの業界に入って、60周年を迎えた富野由悠季というクリエイターが、『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』すら優しいと言わせるとてつもない奥深さと広がりを持った作品を送り出してくる日が、今は待たれてならない。
脚注
※URLは2024年6月12日にリンクを確認済み