竹見 洋一郎
スイスを代表する映像インスタレーション作家、イヴ・ネッツハマーの国内初の大規模な個展が2024年3月10日(日)から5月12日(日)にかけて、栃木の宇都宮美術館で開催されています。本稿では「ささめく葉は空気の言問い」展の様子を、写真を中心にレポートします。
2007年、37歳でヴェネツィア・ビエンナーレのスイス館代表になって以降、イヴ・ネッツハマーの活躍は世界的なものに広がっている。サンフランシスコ近代美術館(2008年)、ベルン美術館(2010~2011年)につづき、この度、宇都宮美術館で大規模な個展が開かれる運びになった。
ネッツハマー作品を特徴づける要素の一つは、ドローイングのラインだ。デジタルで描画された流麗な線の連なりが人や動物を象り、それは印象的なグラフィックにとどまらず、現実の三次元空間に越境する。本展では展示室につながる通路のガラス面にドローイングの転写が施され、ガラスの奥に見える宇都宮美術館周囲の森の風景と重なることで展覧会の印象的な導入となっていた。
ネッツハマーは開催地の地理、風土や歴史を踏まえた展示を試みることに関心が高く、本展の展示構成の一翼を担う大型インスタレーションも宇都宮でのリサーチに基づくオリジナル作となる。
5年ほど前に宇都宮を訪れたネッツハマーは、大正から昭和にかけて約70年間大谷石を掘り出しつづけた巨大な採掘場跡を訪問。神殿を思わせる地下空洞の光景にインスピレーションを受けて現地制作された、大規模なインスタレーションが《筏》だ。奥行き30mほどもある構造の骨組みをつくるのは竹(これ自体も中が空洞の素材だ)で、鑑賞者は迷路のように竹で組まれたインスタレーションのなかを歩くなかで、3Dプリンタで出力された白いオブジェに出合うことになる。
ネッツハマーのスタイルで、ドローイングとともに特徴づけられるのが人の形のキャラクターだ。本展で上映されている4作品をはじめ、ネッツハマーのデジタル・アニメーションのなかでもくり返し登場する。
手足と胴体はあるが顔はなく、体の部位(例えば舌)は、外部とのインタラクションの結果として稀に現れる。古来より芸術家たちが人体の動きをモデル化するために使用した木製パペットを思わせるデザインは、3Dアニメーションの骨格を示す人体モデルの原型が、そのままキャラクター化したもののようにも見える。
アニメーション作品はいずれも、動物、機械、自己との境界線がゆらぐイメージの連鎖を描く。そこに一貫した物語の構造は読み解きにくいが、不思議と目を離せない。ヴェネツィア・ビエンナーレ出展作の《反復するものが主体化する(プロジェクトA)》を例にとれば、クジラのような海洋生物の群れと顔のないパペットが傷つきながら交感する過程が描かれる。キャラクターは血を流し、部屋のなかで孤独に震えている。
展示室にもあった3Dプリンタのように、データがありさえすれば永遠に再生可能なデジタルな存在が、血を流して死に向かう様子は「アトムの命題」1も想起させ、ネッツハマー作品に特有の感傷を生む。
自作を解説することがほとんどないというネッツハマーだが、画面に次々と現れるイメージからは純度の高いメッセージの固まりのようなものを感じ取れる。
スイスのジャーナリスト、フィリップ・メイヤーは作品をこう評している2。
全体像を捉えることはできない。ここには断片があるに過ぎない。断片的なイメージはゆっくりと動きながら、互いに組み合わされ、ひとつのドラマを形成する。しかし、その意味と目的はどこまでいっても了解されぬままだ。映像に添えられたサウンドトラックのデジタル音は、まるで悪夢の中を彷徨うときのような疎外の感覚を浸透させ、居心地の悪さを掻き立てる。だがそれは実のところ、わたしたちが日々味わっている現実そのものの反映なのだ。世界は移ろいやすく、経験されたもの、内的に血肉化されたもの、そしてそれらに伴い生じる感情の絶えざる変化のうちで、その都度、把握され直す。そして、継起するその全体を掴むことは不可能なのだ。
展覧会タイトルに示された「言問い」とは、「たずね問うこと、ともに語ること」の意味を持つ。無言のパペットから発せられる問いを私たちは持ち帰り、本展で繰り広げられた幾多のイメージを反すうしながら回答を探すことになる。
脚注
information
イヴ・ネッツハマー「ささめく葉は空気の言問い」
会期:2024年3月10日(日)~5月12日(日)
休館日:月曜(4月29日、5月6日は開館)、4月30日、5月7日
会場:宇都宮美術館
開館時間:9:30~17:00 ※入館は閉館の30分前まで
入場料:一般1,000円、大学・高校生800円、中学生・小学生600円
※URLは2024年4月15日にリンクを確認済み