松尾 奈々絵
アーカイブの仕事を語る上で外せない「アーキビスト」。資料の収集や保存、活用をし、後世に伝えていくという大切な役割を担っている職業ですが、日本では2012年に初めて「日本アーカイブズ学会登録アーキビスト資格認定制度」が発足したように、制度としての歴史はまだ浅く、アーキビストとはどのような仕事をする人なのか、残念ながら広くは知られていないのが現状です。どのような環境で仕事をしているのか、海外との比較、現在の日本のアーカイブの状況についてなど、さまざまな現場で幅広くアーキビストとして活動されている松山ひとみさんにお話を伺いしました。
松山ひとみ(まつやま・ひとみ)
肩書き:視聴覚メディアアーキビスト
アムステルダム大学大学院(MA, Preservation and Presentation of the Moving Image)修了後、東京国立近代美術館フィルムセンター(現・国立映画アーカイブ)特定研究員(2014-2016 年度)として、ウェブサイト「日本アニメーション映画クラシックス」の構築・公開などに従事した。2017年からは関西に拠点を移し、大阪中之島美術館アーカイブズ情報室の開設を担う。所蔵美術資料の可視化のため、所蔵フローの見直し、データベース構築のほか、利用者サービスの導入・運用を行った。現在は、国立公文書館認証アーキビストとして、複数の記憶機関のアーカイブズ整理・運用業務などに携わっている。主な関心は、映画・映像文化の長期保存に関わる専門知識やスキルの継承。
――はじめに、松山さんのお仕事内容を教えてください。
松山 現在は「人と防災未来センター」「大阪公立大学都市科学・防災研究センター」「神戸映画資料館」の3箇所でアーキビストとして仕事をしています。「人と防災未来センター」は阪神・淡路大震災の記憶を風化させないための施設で、ミュージアムと研究機関、資料室があり、私は資料室で資料の受け入れや整理、保存管理等を行っています。「大阪公立大学都市科学・防災研究センター」では、センターが寄託を受けている上田貞治郎写真史料アーカイブの再調査と目録化、保存環境整備を行っています。映画のフィルムや関連書籍、ポスター、機材などを収集・保存・公開する施設である「神戸映画資料館」では、収蔵するアニメーションフィルムの一次調査のほか、多くの人がアクセスしやすい形で作品情報や所蔵情報を公開するための調査などを行っています。
――アーカイブの仕事を始めたきっかけを教えてください。
松山 大学で専攻していたのは美術史だったのですが、アーカイブに興味を持つようになったきっかけは、他大学で受けた「映画の保存」をテーマにした授業でした。昔の映画が好きで、よく見に行っていたこともあり、「こうした昔の映像はどこに保存されているのだろう」と疑問に思ったんです。なので、アーカイブ全般というより映像のアーカイブに強く関心があり、それは今の活動の軸にもなっています。
留学先でのインターンシップでは、オランダの国立アニメーションアーカイブ(Nederlands Instituut voor Animatie Film, NIAf)で作家資料の整理をしました。制作関連資料の保存や上映素材の管理だけでなく、アーティスト・イン・レジデンス(国内外からアーティストを一定期間招へいして、滞在中の活動を支援する事業)の実施など、資料保存から研究、作家支援まで一貫して行っている施設でした。その翌年に政権が変わり、この施設は閉鎖されてしまいましたが、ヨーロッパの映画アーカイブのなかには、国産映画の保存だけでなく、制作支援やプロモーションなどが同一機関で行われているところもあり、驚きました。また、資料がただ保存されているのではなく、「生かされている」ように見えました。
――どんな瞬間にアーカイブが生きているなと思いましたか。
松山 いくつかアーカイブ施設を訪れる機会もあって、展示や上映など比較的来館者が多い印象は持っていましたが、市立アーカイブでは、自身のルーツなど、個人的なことを調べに来る市民の閲覧利用も多くあると聞きました。一次資料を使って調べものをするのは、研究者だけではないんですね。例えば日本での自分の経験を思い返すと、教科書に載っている写真がどこから来たのかを意識するようなこともなかったですし、歴史が何から組み立てられているのか、与えられた情報にほとんど疑問がなくて、根拠になるものを探したり、自分のために一次資料を紐解いたりした経験がない。最近はフェイクニュースによって、「疑う」ことが以前より身近になったような気がしますが。
――どういう状況でアーカイブされ、公開されてきたのかが、これからはもっと尊ばれていく世の中になるかもしれないですね。
松山 そう思います。時間はかかりましたが、ようやく事実をどこに求めるのかにみんなが目を向けるような時代になりましたね。記録を保管している機関やアーカイブというものに対する意識も少しずつ高まってきたのかなと。そうした中で、何が「フェイク」なのか、情報に対して個人にはどういう責任があるのか、きちんとリテラシーを学ぶ必要があります。前提に立ち戻って確認することで、自分にとってプラスがあるという体験が増えれば、アーカイブの活用から生じる利益について、認識の幅が広がるのかもしれないです。
――松山さんは海外で勉強されたとのことですが、いま、そうしたアーカイブの勉強がしたい、仕事に就きたいと思った際に、国内の環境としてはいかがでしょうか。
松山 私の学んだ映像のアーカイブに限定して言えば、映画・映像制作や歴史を勉強できる大学はたくさんあり、映画の持つさまざまな特性を学ぶことはできるのですが、それをどのように残していくのかを理論的に学ぶことや、現場でどう実践するのかといったことを学べるかというと…難しそうですね。
――国内だと同じようなインターンシップはまだ難しいということでしょうか。
松山 インターンシップの受け入れなども行われていて、もちろんその人が何をやりたいかや、現場のどの部分に受け入れる体制があるのか次第なんでしょうけど、例えば、実際にフィルムを見て状態をチェックしたり、詳細に検査して目録を作ったりするにしても、慣れるまでに時間がかかってしまいます。大切なスキルですけど、短期間のインターンシップだとそればっかりという訳にもいかず。また、アーキビストの仕事は、組織の規模や体制によっていろいろな内容・分担がありえ、全てを1人でやらなければならないような現場もあれば、専門的な分業もあります。それらは、取り組んでいる人が次の世代に渡していかなければいけないことで、現場ごとに方針や大事なことなどが違います。ただ、共通する倫理やルール、基本知識やスキルがあって、それはアーキビストの誰もが持っている必要があると思います。私の場合は、海外で複数のインターンシップを経験できたこともあって、ある程度柔軟に対応できるのですが、国内では、職業として生かせる場があまりなくて、アーカイブは世界中で行われていますが、日本ではまだ、携わっている人の数も少ないですし、雇用面での待遇が悪いと思います。
一方、ここ最近は国立公文書館への視線も増え、注目されるようになってきたおかげで、アーキビストという専門職の存在自体は、少しずつ知られてきているのかも知れませんが。
――今後、どうしたらアーカイブに携わる人を増やせると思いますか。
松山 映像のアーカイブを念頭に言うと、一極集中を目指す必要はないと考えています。例えば実験映画、アニメーション、その地域に根ざしている映像作家の作品など、さまざまな分野や地域で、映像を保有するアーカイブ施設はいろいろとありえます。それぞれがきちんと運営していけるようなサポートがあればと思います。アーカイブ全体に言えることですが、アーカイブ活動そのものは、すぐにはお金にならないんですよね。過去から引き継いだ知識の源泉なので、そこから新しいものが生まれ、利益が生まれますが、そうなってさえも金銭的な利があるかはわからない。そのため、公共的な仕事にならざるを得ない面があります。
――アーカイブとは何をすることなのかは、なかなか一般の人に感じられにくいのですね。
松山 会社でも、書類の整理って「自分がやらなくても、誰かがやってるんでしょ?」と思われてしまうような、「見えない」業務になりがちですよね。保管してあることが共有され、使う人がいて、それによって仕事が効率化したり新しいものが生まれたりすることを実感すれば、アーカイブに価値を感じることもあるかもしれませんが、使わない人にとっては、「アーカイブは大事だ」ということの意味がわからないと思います。
――企業のアーカイブと公のアーカイブでは、課題も違った部分がありますね。
松山 企業内のアーカイブは、会社の中で生かされるべき知を扱う場所ですよね。一般には、紛争対応や情報開示など、文書管理そのものは必須の業務ですけど、アーカイブに残されたものは、付属のミュージアムで公開したり、外部で展覧会を開催するなど、だんだんと対外的に見せる資産になってきていて、文化庁のメディア芸術アーカイブ推進支援事業の対象にも企業アーカイブズが入っています。とはいえ、企業の資料は、基本は会社の発展のため社員に残されるものですよね。一方、公的なアーカイブは、大勢の市民のために残されます。すると、お金をどこから調達するのかという問題には、シビアにならざるを得ない。
企業が自社の資産として管理する部分と、公共的な知的資源として世の中に開いていく部分、そのバランスを上手に取れるのが理想ですよね。爆発的に売れたものと、それほど売れはしなかったものがあった時に、別の時代に別の視点で見る機会が与えられたら、その価値判断はまた変わってくるかもしれない。企業側にはぜひ、そういったアーカイブズの隠れた価値やポテンシャルにも目を向けていってほしいです。
――アーカイブは個人のコレクターの方々の熱意でつながってきたりしたことも考えると、やはりそのバランスというのは、難しい問題のように思います。
松山 そうですね。映画の場合、制作会社が保持しておらず、制作関係者も持っていないようなフィルムが個人の方のところにあるケースも多くあります。神戸映画資料館の収蔵フィルムは、館長をはじめ、個人のコレクションも多く含まれていて、国立映画アーカイブに所蔵のない日本映画などは複製の国立映画アーカイブへの寄贈も行っています。個人の熱量はすごいです。
――「コレクション」というと、コレクターの方が高齢化していて、コレクションが散逸してしまうというようなお話も聞きます。
松山 手放されるケースが増えていますね。コレクターの方ご本人のご存命中は問題にならなくても、世代が変わった時に、保管していける環境を維持できなくなってしまう。受け入れる側としてもスペースが逼迫していて、難しい問題だと思います。
――そのあたりのサポートが、公的・私的を問わず今後、まず求められていくところかもしれませんね。そうした蓄積・維持の次の段階として、アーカイブの「活用」の今後についてもご意見をお聞かせください。
松山 当然なんですけど、使えるように保持していくことかなと。多くが捨てられ失われ、残存数自体が少ない昔の映画の場合はまずは「捨てないで」という現物保存第一の姿勢を持っているのですが、残しているだけではもうどうにもならなくて。で、そのアーカイブを「使う」従来の層は縮小しているのですが、情報の出し方によってターゲットは変わってくると私は思っています。例えば、映画作品にはエンターテインメントとしての面だけではなく、「どのような社会的意味があるのか」「その映画には何が記録されているのか」など、物語だけではない情報の引き出しがたくさんあるんだということも、もっとわかるようにしていきたい。映画のタイトルだけを見て「この作品には興味がないな」と思われないよう、アクセスポイントを増やしていくことで、さまざまな分野の研究者が、映画にも目を向けるようになるかもしれない。ネットワークが発達して、いろいろなものが見つけやすい世の中なので、それに対応する準備をどんどんしていかなければいけないですし、もともとその資料を作った人が予想していなかったようなところからも、発見してもらえるようにしていきたいですね。
――キュレーションの仕事も含まれていくということでしょうか。
松山 クリエイティブな意味でのキュレーションはアーカイブの一つ上の段階にあるイメージで、情報の選択と抽出をしています。ある情報をより見つけやすく、理解しやすくするために、どのような見せ方が良いのか、どのように紹介するのかといった、資料と人々との接点を考え、準備する立場です。そんなキュレーターも含め、個人が知りたいことを好きなように探せる土台となるのが、私たちアーキビストが作る情報です。
これまでは、情報を探す方もプロフェッショナルで、培った直感で求める情報に辿り着いていたようなところがあったかと思います。今後はアーカイブ側から、いろいろな方が自ら必要な情報を見つけられるように、工夫をしていかなければいけないですね。
――そのためには、データベースの整備がやはり大事というところになるんでしょうか。
松山 そうですね。データベースが整備されていない状態だと、関係者同士の噂や口コミなどが頼りになり、人脈のない他分野の研究者には、情報を見つける術がなかったりするので。
――今後、松山さんご自身が取り組んでいきたいことを教えてください。
松山 神戸映画資料館の仕事は、関わりたいとずっと思っていて、積極的に始めたことです。運営する上での資金繰りの難しさや人手不足、その一方で収蔵品は大量にあって、課題もいろいろとありますが、コレクションは今も増え、成長し続けています。その価値や活動の意味がもっともっと知られるように、私のできることをしつつ、「寄付したい、支援したい」という人や企業が増えるような取り組みを底支えできたらと思います。アーカイブは、記録媒体にかかわらず、自分たちの記憶、生きてきた時代の証として、その次の世代に残していく大事な価値があるものだということを誰もが身近に体験できるようになるといいですね。
また、これにはやはり、残していくだけではダメで、時代が変わってわからなくなってしまった面白さや見方を紐解いて、今の私たちが楽しむことも大事です。上映プログラムや展覧会を考えるなどキュレーションをする立場のプロフェッショナルと協働したり、コレクション情報をよりよいものにし、さまざまな発見を促したりしていきたいです。
アーカイブは、個人や限られたコミュニティに帰属していたものが、時を経て取捨選択され、人々に共有の知的資源へと変わっていくもので、そうやって別の時代から私たちのために残されてきたものなので、次の世代へ渡すことを意識しながら、もっともっと、自分たちもそれを生かせるような世界にできるといいですね。