メディア芸術とアーカイブに関わる仕事 第2回 展覧会エンジニア・金築浩史

松尾 奈々絵

カバーデザイン 鈴木さゆり(一般社団法人マンガナイト)

金築 浩史(かねちく・ひろし)
1962年、島根県生まれ。1982年上京し、当時のアーケードゲームをよく遊ぶ。91年、株式会社ザ・レーザーの入社面接時に東京都写真美術館準備室こけら落としイベントのステラークらのイベントを体験。その後、ARTECの設営・運営などメディアアートの展覧会を行う。93年よりフリーランス。現在に至る。近年の仕事に「デザインあ 展」(2018–21、富山県美術館ほか)、「MANGA⇔TOKYO」展(2018–20、ラ・ヴィレット/フランス、国立新美術館/東京、大分県立美術館)SusHi Tech Square 「わたしのからだは心になる?」展テクニカル などがある。令和5年度文化庁長官表彰を受賞。

――はじめに「展覧会エンジニア」を知らない方に向けて、仕事内容を教えてください。

金築 展覧会には、作家をはじめ、キュレーター、美術館や施工、美術輸送、電気関係、映像関係の方など、いろいろな人が関わっています。その中で、間をうまく取り持ち、技術的な部分の準備や監修を行うのが展示会エンジニアの主な仕事です。会場や予算との兼ね合いなどを見ながら、作家と共に展覧会を作りあげていきます。

僕はどちらかといえば、コンピューターや映像機器など、テクニカルな機材が絡む展示をメインで行っています。1991年に入社したザ・レーザー社にはプログラマーとして採用されましたが、上司がハイテクノロジー・アート国際展や「ARTEC」など1の仕事をしていたことから、一緒に展覧会の仕事をするようになっていきました。

翌1992年には、長島スパーランドで行われた「ザ・ロボット’92展」に参加しました。想像上のロボットや、映画で登場するロボット、海外の芸術家の考えたロボット作品などがそろった展示会です。通訳の方もいましたが、英語が多少話せたので、僕が直接やりとりすることも多く、作家が書いた仕様書をもとに、展示に落とし込んでいきました。

「ザ・ロボット’92展」設営の様子。中央が金築さん
写真はMartin Riches氏ウェブサイト「24 Piece Percussion Installation (1988)」ページより
「ザ・ロボット’92展」図録(写真左)と、当時のFAXでやり取りしていた仕様書(写真右)

施工の方に「この仕様書なら、床を二段にする必要がある。中に機材を入れてケーブルをその床の上に通すから、床の上はフラットにするようにして…」と相談したりとか。

当時はまだFAXを使って打ち合わせをしていましたが、今も仕事内容は大きくは変わらないですね。基本的には、作家がやりたいことをこちらが解釈して展覧会を作っています。

――仕事の醍醐味を教えてください。

金築 作家と一緒に考えて作って、展示が本当にうまくいったときは、やっぱり楽しいですね。作品が綺麗にできたときとか、作家と仲良くなれるのも嬉しいです。

――作家や会場などによって、仕事内容に変化はありますか?

金築 仕様書を細かく書く作家もいれば、あまり決まっていなくて「さあ、どうしようか」という方もいます。こちらから作家に聞いていかないと出てこない話も。「このケーブルは見えていいの?」と確認することもあれば、仕様書の時点で「床の下にこういうふうにケーブルを這わせてほしい」という細かな手法が書かれていたり。

――今と昔では、何か変化はありますか?

金築 昔は例えばプロジェクターを使うにしてもリース料が高額で、買うにしても何百万円もするようなものがほとんど。あらかじめ機材を全て用意するのが基本でした。

今はそこまでシビアにならなくても購入できる機材が増えました。準備する機材の選択肢が増え、ギリギリまで作家が考えられるようになったのは、良い点だと思います。展示の準備を途中までやってみたけど、あまりうまくいかなかったからやめよう、とか。そういう判断を含め、できることが多くなっていると感じます。

一方で音響機器はいまだに金額が大きくなるので、協賛で手配するようなこともあったりと、作家のこだわりの部分で、ハイエンドな機材が必要なこともあります。

――展覧会エンジニアになるには、どのような方法があるでしょうか?

金築 僕はエンジニアになりたくてなったわけではなく、レーザーの仕事をしようと思い、入った会社がたまたまアート関連も仕事にしていたのがきっかけでした。

これから展覧会エンジニアを目指すなら、まずは作家と一緒にやっていくのがおすすめです。作家と一緒だと、チームの一員として活動しやすいので。僕の場合、最初から作家と近いところから始めたことで、施工に完全にはとらわれなかったのが、気分的には楽だったと思います。

あとは施工の会社にアルバイトとして入ってみて、作業に触れてみるのはひとつのルートとしてあると思います。最近は美術系の大学でも、メディアアートを勉強したり、実際に設営に入ったりすることもあるようなので、そこから始める方もいるかもしれません。

――向いている性格はありますか?

金築 僕はもともとモノの仕組みや段取りを考えるのが好きでした。完璧にできるかどうかは別にして、頭の中でシミュレーションをして「これだとちょっとまずいのかな」と考えたり、疑問に思ったりするのは、嫌いじゃないほうが向いているのかも。あとはそれを直接でも間接でも、臆せず言えるような性格じゃないとやりにくいかもしれません。

――展覧会エンジニアの仕事とアーカイブについて考えをお聞かせください。

金築 自分が携わってきた資料は保管しているので、必要とするところがあれば、どんどん渡していきたいですね。資料やメール、こちらで作った図面など、特に昔の紙資料はとってあります。ただ、施工側の資料は僕の手元にはないです。例えばメディア芸術祭についても、最終的なレイアウトまで僕は持っていないんですよね。

――展覧会全体の資料をそろえるのは難しそうです。

金築 最近だとMatterport(マーターポート)で、施設を3Dスキャンして、建物の3Dモデルを作成できるサービスがあります。数年前に文化庁メディア芸術祭でも使っていたものを見せてもらったら、プロジェクターをどのように置いているのかなど、細かいところまで記録されていたので、後で見直すアーカイブとして良いサービスだと思いました。

2022年に青森の弘前れんが倉庫美術館で開催された「池田亮司展」では、コロナの影響もあり、あまり現地に行くことはできませんでしたが、打ち合わせをMatterportで作ってある図面を使いながら行い、あとで現地で測量してもらったデータをもとに、準備を進めました。その場限りの要素などまでは残せませんが、そうしたデータを展覧会単位でとっておくのはアーカイブとして良い気がします。写真だとどうしても抜けてしまうところもあるので。

池田亮司《data-verse 3》2020年 
弘前れんが倉庫美術館での展示風景
撮影:浅野豪 ©︎Ryoji Ikeda

金築 今は映像の資料が多いですよね。展覧会ごとに残しておけると良いと思います。そこからさらに調べたい人は図面を見れたり、作家のアイデアスケッチも見れるようになると面白いかもしれない。途中途中の図面などは、それぞれ担当した人の手元には残ってると思います。僕が持っている資料も、例えばクラウドに保管して、制約は決めながら、必要な人が参照できるような仕組みづくりができると良いかもしれません。自分でスキャンをするのはちょっと面倒なので、どなたかにお願いしたいところですが(笑)。

――アーカイブをするための細かな作業は大変ですよね。他にメディアアートのアーカイブはどのような点が難しいと思いますか。

金築 許諾関係ではないでしょうか。作家に確認を取らなければいけないものもあるでしょうし……。法律的にゆるくできると良いんですけどね。

例えば「MANGA都市TOKYO ニッポンのマンガ・アニメ・ゲーム・特撮2020」は、パリから始まって日本国内でも巡回しましたが、作品を借りているものの期間は限られているので、Matterportのように記録するのは難しいのかもしれません。

アーカイブのためには、フェアユースのようにしないと、難しいのかな。作家は基本的に自分の作品にのみ興味があるから、展覧会全体の記録はあまり残らないでしょう。展覧会で展示している全部の作品・作家の許可が得られないと見せられない状態だと、アーカイブとしてはあまり機能していないですよね。そうした法律の部分の課題を乗り越えられると、アーカイブを進めていきやすいと思います。

――貴重なお話、ありがとうございました。

脚注

  1. ハイテクノロジー・アートは、1980年代頃に使われた当時の先端の技術を利用したアート作品を指す言葉(参考:artscape)。ハイテクノロジー・アート国際展は1985–1987年に東京、名古屋、札幌、大阪等で開催された展覧会。「ARTEC」は1989-1997年に名古屋市で開催された国際ビエンナーレ。 ↩︎

※URLは2024年2月13日にリンクを確認済み

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