クレジットタイトルアニメーションという実験場――混淆を呼び込む揺籃としてのOP/EDアニメーション

田中 大裕

『ダーリン・イン・ザ・フランキス』第1シーズンオープニングタイトルより

「名簿」から表現のための「実験場」へ

「クレジットタイトル」とは、映像作品において、関わった人物や企業などを記名した、いわば「名簿」のようなもので、オープニング/エンディングシークエンスに配置される。クレジットタイトルの役割は、関わった人物や企業などの貢献を明示することにある。したがって、鑑賞者に興味深い映像体験を提供することは、クレジットタイトル本来の目的ではない。

もともとは「名簿」としての役割しか有していなかったクレジットタイトルを、それ自体一つの「作品」として鑑賞に耐えうる水準にまで押し上げ、そのありかたを一変させたのが、のちにクレジットタイトルに革命をおこしたアーティストとしてハリウッドの歴史――ひいてはグラフィックデザイン史にその名を刻むことになるアメリカ出身のグラフィックデザイナー、ソール・バスだ。バスは、1955年公開のオットー・プレミンジャー監督作品『黄金の腕(原題:The Man with the Golden Arm)』のクレジットタイトルを手掛けたことで、一躍脚光を浴びる(図1)。バウハウスの流れをくむシンプルかつ洗練されたアブストラクトなパターンが印象的な同クレジットタイトルは、それまでの単調で退屈なクレジットタイトルとは一線を画し、クレジットタイトルの新たな可能性を拓いた。以降、バスは、アルフレッド・ヒッチコック監督作品『めまい(原題:Vertigo)』(1958年)、『北北西に進路を取れ(原題:North by Northwest)』(1959年)、『サイコ(原題:Psycho)』(1960年)、スタンリー・キューブリック監督作品『スパルタカス(原題:Spartacus)』(1960年)など、数々の名クレジットタイトルを手掛け、名を馳せた。

図1 ソール・バスが手掛けた『黄金の腕』オープニングタイトル

バスが画期的だったのは、単にグラフィックデザインの発想をクレジットタイトルに導入した点のみに限らない。それよりもむしろ、クレジットタイトルを、単なる「名簿」の役割から解放し、本編とはすっかり異なる表現様式のもとに「作品」として成り立たせた点に注目すべきであろう。それはすなわち、本編からなかば自律した表現のためのスペースとして、クレジットタイトルを再定義したということだからだ。それこそが、バスの真の画期性といえよう。

ようやく本題に移ろう。バスの登場以降、クレジットタイトルは本編からなかば自律した表現のためのスペースとして確立した。ドラマツルギーや造形はかなりの程度、逸脱を許容され、本編中ではとうてい許容されえないであろうさまざまな表現が導入された。議論を先回りすると、「アニメ」のクレジットタイトルは、本編からなかば逸脱した、感覚的で、絵画的で、非キャラクター的な表現の「実験場」となり、その結果、ビデオアートや広告映像といった隣接領域のアーティストたちがアニメに参入する際の足掛かりとなる1

「実験」の先駆者①――南家こうじ、森本晃司

筆者は、アニメのクレジットタイトルは、本編からなかば逸脱した表現を許容する「実験場」になったと述べた。しかし、それは最初からそうだったわけではない。クレジットタイトルの自律性を突いて境界の外側へ触覚を伸ばした、いわば「先駆者」たちの創意工夫によって、徐々に「馴化」してきた。以下、そうした「先駆者」のなかでも、特に代表的な二人を確認したい。

まず一人目は南家こうじだ。南家の代表作であるテレビアニメ『うる星やつら』(1981〜1986年)のクレジットタイトルにおいて、写実的な空間は退けられ、主題歌と緊密に同期したアブストラクトなパターンや、極端にデフォルメされたキャラクターアニメーションが、前面に押し出されている。特に第107話から第127話にかけてのエンディング〈恋のメビウス〉に顕著なように、バスのクレジットタイトルを彷彿させる部分もある(図2)。本編とは異なる絵画的かつ感覚的な空間表象を有し、本編の世界観や物語を端的に摘要してみせるというよりは、ある種、ミュージックビデオのような、自律した「作品」としても鑑賞に耐えうる映像となっている。

図2 『うる星やつら』エンディングタイトル「恋のメビウス」より

もう一人は森本晃司だ。森本が手掛けた劇場版『ダーティペア』(1987年)のオープニングタイトルは、欧米のコミックスやサイケデリックアートを彷彿とさせるビジュアルで、本編とはあきらかに異質な表現様式が採用されている(図3)。通常のアニメとは異なり、「図と地」の境界が不明瞭で、物語性よりも、絵画的な、視覚的な快楽を優先しているように感じられる。さらに、本編のキャラクターデザインからはすっかり逸脱しており、タイトルが表示されなければ、あるいは『ダーティペア』のオープニングタイトルとわからないくらいかもしれない。つまり、劇場版『ダーティペア』のオープニングタイトルは、本編とはまったく異なる映像を志向しているのだ。

図3 劇場版『ダーティペア』オープニングタイトルより

「実験」の先駆者②――尾石達也

南家や森本のほかにも、さまざまなアーティストたちが、クレジットタイトルという「実験場」を舞台に、アニメ表現の拡張を試みてきた。大張正己、都留稔幸、鈴木典光、石浜真史、山下清悟、等々……。それらすべてをつぶさに確認することは紙幅の都合上かなわないため、本稿の議論にとってわけても重要な一人のアーティストに傾注したい。尾石達也だ。

尾石は、テレビアニメ『ぱにぽにだっしゅ!』(2005年)のオープニングディレクターを務めたことで、一躍脚光を浴びる。『ぱにぽにだっしゅ!』のオープニングタイトルは、洗練されたデザインのパターンや色彩感覚が、いずれもクレジットタイトルの古典的傑作を彷彿とさせる2

『ぱにぽにだっしゅ!』オープニングタイトル「黄色いバカンス」

しかしながら、ここで目を転ずるべきは、女性キャラクターと日用品のアマルガムという非キャラクター的――それどころか反キャラクター的とすら形容しうるかもしれない――志向性がみてとられる点であろう。

尾石の非キャラクター的な志向性が最も極端に表れているのは、オープニングディレクターを務めたOAD『魔法先生ネギま! ~白き翼 ALA ALBA~』(2008〜2009年)オープニングタイトルであろう。本作は学園を舞台にしたいわゆる「学園ハーレムもの」であるにもかかわらず、オープニングタイトルの全体がビリヤードボールの3DCGとモーションタイポグラフィのみで構成されている(図4)。例外的にキャラクターが登場するのは、わずかに静止画1カットのみだ(図5)。ビリヤードボールの数字が生徒たちの出席番号に照応しており、ボールを生徒たちに見立てる設計がなされている。こうした、極端にミニマルで、還元主義的なデザインは、アニメーション制作を効率化するための創意工夫という側面もあろうが、つくり手の自覚的/無自覚的を問わず、キャラクター中心の前提を批判的に問い返す自己批判性を有する。

図4 『魔法先生ネギま! ~白き翼 ALA ALBA~』オープニングタイトルより
図5 同上

加えて『魔法先生ネギま! ~白き翼 ALA ALBA~』のオープニングタイトルは、アニメーターの手仕事による精密なアニメーション表現や空間描写を一貫して退け、色面構成や編集のリズムを前面に押し出している。それは、通常のアニメ作品よりもむしろ、前衛映画やモーショングラフィックスと志向を共有しているといえよう。

以上確認してきたように、野心的なクレジットタイトル制作者たちは、クレジットタイトルの自律性を突いて、本編からなかば逸脱した表現を積極的に志向した。感覚的で、絵画的で、非キャラクター的な、通常のアニメ表現にことごとく抹消記号を付していくかのような表現を導入することで、なかばハックするようにしてアニメの輪郭を拡張してきたのだ。その結果、アニメのクレジットタイトルは、逸脱的な表現を許容する「実験場」として「馴化」する。以降、クレジットタイトルは、ビデオアートや広告映像といった隣接領域のアーティストたちがアニメに参入する際の足掛かりとなった。

クレジットタイトルアニメーションが呼び込む混淆

2010年放送のテレビアニメ『四畳半神話大系』エンディングタイトルは、クリエイティブディレクターの川村真司と映像作家の細金卓矢の協同によって生まれた。間取りをモチーフにした、モンドリアンを彷彿させる抽象的なパターンが、主題歌とシンクロしながら展開する(図6)。同エンディングタイトルは、細金が、制限時間内にデザインを競うライブイベント「Cut & Paste」に出場した際に制作したパターンを流用しており、純粋なモーショングラフィックスのアニメクレジットタイトルへの全面的な導入は、当時、画期的であった。

図6 『四畳半神話大系』エンディングタイトルより

2015年放送のテレビアニメ『すべてがFになる THE PERFECT INSIDER』では、オープニングタイトルを映像ディレクターでフォトグラファーの関和亮が、エンディングタイトルを映像作家の橋本麦が、それぞれディレクションした。ここで特に注目したいのは、エンディングタイトルのほうだ。橋本は、作中に登場する天才プログラマー・真賀田四季をイメージして、プログラミングされた数学的アルゴリズムによってイメージを生成する「ジェネラティブアート」の方法を採用したと語る(橋本)。また、ピクセル単位で精密に描画された粒子的なイメージや、重層的で深い奥行きを感じさせる立体的なレイヤー構造は、『エンダーのゲーム(原題:Ender’s Game)』(2013年)や『猿の惑星:新世紀(原題Dawn of the Planet of the Apes)』(2014年)などのハリウッド映画にも参加したアメリカのグラフィックデザイナー、アッシュ・ソープを彷彿とさせる(図7)。

図7 『すべてがFになる THE PERFECT INSIDER』エンディングタイトルより
アッシュ・ソープが手掛けた「FITC Tokyo 2015」タイトル映像

映像作家の千合洋輔と映像ディレクターの荒牧康治が共同で手掛けた、2017年放送のテレビアニメ『龍の歯医者』オープニングタイトルもまた、『すべてがFになる THE PERFECT INSIDER』エンディングタイトルと同様に、ソープの仕事を彷彿とさせる(図8)。千合と荒牧、さらに映像ディレクターの神谷雄貴を加えた三人は、2018年放送のテレビアニメ『ダーリン・イン・ザ・フランキス』オープニングタイトルと、2019年から2020年にかけて放送されたテレビアニメ『Fate/Grand Order -絶対魔獣戦線バビロニア-』オープニングタイトルにおいて、高精細なモーショングラフィックス、いわゆる「セル」のスタイルで描画されたキャラクター、そしてタイポグラフィという、全体を構成する異なる様式をもった諸要素を、一貫した美意識のもとに統合する画期的な仕事をなしとげる(図9、10)3。その詳細については、紙幅の都合上、今後の機会にゆずりたい。

図8 『龍の歯医者』オープニングタイトルより
図9 『ダーリン・イン・ザ・フランキス』第2シーズンオープニングタイトルより
図10 『Fate/Grand Order -絶対魔獣戦線バビロニア-』第2シーズンオープニングタイトルより

まとめよう。クレジットタイトルは、バスの登場以降、本編からなかば自律したスペースとして確立した。野心的なクレジットタイトル制作者たちは、クレジットタイトルの自律性を突いて、逸脱的な表現を志向し、なかばハックするようにしてアニメ表現を拡張してきた。その結果、クレジットタイトルは、本編ではとうてい許容されえないであろう、通常のアニメからは逸脱した表現を許容する「実験場」として「馴化」する。それにより、クレジットタイトルは、隣接領域のアーティストたちがアニメに参入する際の足掛かりとなった。

つまり、アニメのクレジットタイトルは、アニメとその隣接領域が相互乗り入れするためのいわば「のりしろ」の機能を果たしており、アニメ表現の限界を押し広げる、まさに最前線なのである。

脚注

1 本稿では以降、「アニメ」は、アニメーション全般と区別するために、便宜上、組織的な分業体制のもとに制作されたアニメーションを指す。なお、あくまでも暫定的な定義であり、より詳細な定義の検討はほかにゆずりたい。さしあたり、一般的なテレビアニメーションなどを想像してもらえれば問題ないだろう。
2 実際、尾石は『ぱにぽにだっしゅ!』のオープニングタイトルを制作するうえで、往年のクレジットタイトルを参照していたようだ。例えば〈黄色いバカンス〉では、スタンリー・ドーネン監督作品『シャレード(原題:Charade)』(1963年)のオープニングタイトル――映画「007」シリーズのアイコンとしてよく知られる「ガンバレルシークエンス」を手掛けたタイトルデザイナー、モーリス・ビンダーの代表作――を参考にしたという(尾石・小黒)。
3 神谷は、『ダーリン・イン・ザ・フランキス』オープニングタイトルは「maxilla」名義、『Fate/Grand Order -絶対魔獣戦線バビロニア-』オープニングタイトルは「uki」名義での参加。千合、荒牧、神谷の協同の詳細については、荒牧・千合・神谷を参照されたい。

参考文献

荒牧康治、千合洋輔、神谷雄貴「SIGNIF荒牧 × 千合洋輔 × maxilla神谷「アニメとモーショングラフィックスの共鳴」」Helixes.log、2020年9月24日、https://log.helixes.co/anime-motiongraphics。
尾石達也、小黒祐一郎「「尾石達也 自作を語る」第1回『ぱにぽに』OP」『月刊アニメスタイル第1号』スタイル社、2011年、154頁。
橋本麦「Making-of: すべてがFになるED」橋本麦ウェブサイト、2016年11月28日、https://baku89.com/making-of/ffff

※URLは2024年2月7日にリンクを確認済み

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