たにぐち部長の美術部3D –メディアアート編2– 第2回 すでに存在する写真

谷口 暁彦

連載目次

これまでのあらすじと登場人物

ここは埼玉のとある高校。そこに部員がたった2名の美術部がありました。部長のたにぐちが、とつぜん美術大学進学を目指して美術の勉強を始めます。その様子を部員のひろしが生暖かく見守ります。2015年に引き続き、再び「メディアアート」について勉強しています。

たにぐち部長
高校3年生。美術に興味がなかったのに、急に美大進学を目指す。理屈っぽい。

ひろし
高校2年生。美術にはあんまり興味がないが、ときどき部長よりも鋭い視点で発言することがある。

顧問の先生
永遠の39歳。誰かに似ている。


犬。マンガを描いていて、コマを埋めるのに困ったときに登場する。

すでに存在する写真

ちょっと古い話から。例えば、みんな使ったことがあると思うけど、Googleストリートビューっていうウェブサービスがあるよね。世界中の膨大な都市の風景を全天球のパノラマ画像で見ることができるんだ
旅行のときや、初めて行くお店を確認するとき、いろんな場面で使ったことがあると思う。いわばロケハン(映画撮影などで事前に撮影場所を取材すること)的な使い方だ。でもGoogleストリートビューが登場する前は本当に現地にロケハンしにいって、写真を撮影していたんだよね。つまりそうしたロケハン的な写真撮影の必要性は、Googleストリートビューの登場で消えてしまったとも言える

あー、たしかに。もうGoogleが撮影しちゃってますもんね

Googleストリートビュー登場以降って、それまで現実とは違う、オルタナティブな世界だったインターネットが現実を取り込んで、現実の一部になってしまったような感じもあるんだ。Googleストリートビューの車が、世界を撮影し、その膨大なイメージをインターネットにアップロードしつづけて、世界が丸ごとデータ化され、保存されていくような感覚。「現在地」ボタンを押すと、Googleマップに自分がいる場所が表示されるけど、インターネットの側から私が今どこにいるのかを教えてもらうのって、いまだに変な感じがする

何か本来は別々のものが、同期することでリアルを人工的につくり出しているような感じっすね

そうなると、たしかにそうすると僕らはもう写真を撮影しなくていいのではという気がしますね

そう、もちろんGoogleストリートビューは、世界のすべてを撮影しているわけではないから、本当に写真を撮影することが不必要になったわけではないけど、そうした「すでに(機械に)撮影されているかもしれない」っていう感覚は大事だと思うんだ
僕は昔、iPhoneを買ったばかりの2009年頃、《lens-less camera》というアプリケーションの作品をつくったことがあったよ。これはiPhoneが登場してすぐの頃で、もし買ったiPhoneにカメラが付いてなかったらどうしようと思って制作したんだ。iPhoneのGPSを使って、現在地の座標からGoogleストリートビューにアクセスして、そこで撮影された画像を取得して、Twitterに投稿できるというアプリケーションなんだ。当時、Twitterでどこか出かけたとき、地名をつけて「○○なう」とつぶやくような書き方が流行っていて、例えば秋葉原に行ってこのアプリケーションを起動してGoogleストリートビューの画像を取得してTwitterに「秋葉原なう」ってつぶやくことができる。だからカメラがなくても写真を撮影できる。けれどその画像は過去で、「なう(現在)」ではない。みたいなことを考えてたんだ

《lens-less camera》(現在は動作しません)
http://okikata.org/work/study/lens-less-camera.html

へー

同じ頃、友人でアーティストの渡邉朋也くんも《somehow camera》というアプリケーションをつくっていたよ。このアプリケーションで写真を撮影すると、その写真に似た写真を画像検索で探してきて、それがiPhoneに保存されるというアプリケーションなんだ。どちらも、いま私が撮影した、あるいは撮影しようとしている写真はすでに誰かによって撮影されているかもしれないという感覚が共通していたと思う

somehow camera》2011年
https://vimeo.com/26388575

へー、当時ってそんな感覚があったんですね。なんか最近の生成系AIの画像生成と似ている感じもしますね

まったく同じだと思ってはいけないけど、似たような側面はあったんじゃないかな。そうした、「すでに存在する写真」っていう感覚を前提とした作品で、セバスチャン・シュミーグ(Sebastian Schmieg)の《Search by Image》(2011年〜)という作品を紹介したい。これは、真っ黒な画像を、プログラムを使って何度も画像検索を繰り返し、だんだんと類似する画像が伝言ゲームのように変化していくさまを3,000枚もの画像を映像としてまとめた作品なんだ

《Search by Image》
https://vimeo.com/34949864

へーすごいっすね、なんか真っ黒なところから宇宙が誕生して、そこから身近なイメージが湧き出てくるみたいでおもしろいっすね

何度も同じ画像が、改変されながら登場してきて、画像が複製、転載されながらインターネットのなかをさまよっている様子が感じられますね

何かこういうのを見てると、本当にもう僕らは新たなイメージをつくり出すことができないのではと思ってしまうんだけど、それを逆手に取った作品もあるんだ。ジャスティン・ケンプ(Justin Kemp)の《Adding to the Internet》(2009~2011年)という作品だ。例えば「Hot dog under a pillow(枕の下のホットドッグ)」のような、Googleの画像検索で1件も結果が表示されない言葉を探すんだ。そして、それを実際に制作して写真に撮影して、インターネットにアップする。そうするとこの写真は世界で初めて制作された「Hot dog under a pillow」になるんだ

「Hot dog under a pillow」2011年
https://web.archive.org/web/20150315095744/http://justinkemp.com/Adding-to-the-Internet

へー、たしかに、そうすれば世界で初めての写真を生み出したと言えそうですね

なんか洒落てますねー

今日紹介したものは、ちょっと古い事例だけど、最近起きている画像やイメージにまつわる問題を考えるうえで、この頃の「すでに存在する写真」の感覚から考えていくのは大事な気がするんだ。このように膨大なイメージがインターネット上にあふれてきて、今度はそうした画像をコンピュータがアルゴリズムによって処理したり、AIが学習したりするようになってくる。そんな流れで次回は「機械のまなざし」について考えてみよう

はーい

~つづく~

※URLは2023年10月25日にリンクを確認済み

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