シュテファン・リーケレス×五十嵐太郎 アニメーションに描かれた近未来都市を振り返る

竹見 洋一郎

1980年代末の『AKIRA』(1988年)を嚆矢として、『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(1995年)、『メトロポリス』(2001年)などのSFアニメーションが描く近未来都市のイメージは、海外でも高い関心を集めてきました。ドイツのアートキュレーター、シュテファン・リーケレス氏はそれらアニメーションの高密度な背景美術に注目し、啓示的な「風景画」として「Proto Anime Cut」(2011~2013年)と「Anime Architecture」(2016~2020年)の巡回展をデイヴィッド・デヒーリ氏や明貫紘子氏らとともに企画。日本国内でも2023年6月より、その二つの展覧会と明貫氏と共同企画した展覧会「AKIRA: The Architecture of Neo Tokyo」(2022年)をもとに構成しつつ新規コンテンツも加えた「アニメ背景美術に描かれた都市」展が谷口吉郎・吉生記念金沢建築館で開催されています。金沢での展覧会に監修として関わった建築評論家の五十嵐太郎氏とリーケレス氏との対談から、80年代末から2000年代初頭にかけてクリエイターたちが描いた都市のイメージに、今、私たちが何を見ることができるのかを考えます。

『鉄コン筋クリート』(2006年)
松本大洋による原作になかった宝町の地図を設定した
©2006 松本大洋/小学館、アニプレック ス、アスミック・エース、Beyond C、電通、TOKYO MX

美術監督の逡巡

——シュテファン・リーケレスさんと五十嵐太郎さんの関係についてお聞きします。開催中の「アニメ背景美術に描かれた都市」展は、リーケレスさんがキュレーションした巡回展が日本に凱旋した形ですが、金沢での開催に際して五十嵐さんが建築の見地から協力をされたということですね。以前からお二人は交流があったのですか。

リーケレス 私が最初に関わったアニメーションと建築のプロジェクトはベルリンで2011年に開催された「Proto Anime Cut」の展覧会です。五十嵐さんにはこの頃から展示作品に関するテキストの執筆や展覧会図録の刊行などにアドバイスをいただいていました。

五十嵐 取り上げる作品素材の権利が複雑だから日本での開催は難しいけれど、まずヨーロッパから展開できそうだということは聞いていましたね。15年前はいくつかのテキストをお送りしたくらいでしたが、今回の展覧会では会場も建築のミュージアムということで全面的に参加しています。

リーケレス 五十嵐さんと最初に直接やりとりをしたのは、2008年にトーキョーアーツアンドスペース(TOKAS)のレジデンシーのために推薦状を書いてもらったときです。おかげでTOKASでとても貴重なレジデンスの機会を得ることができました。

リーケレス氏。氏は2011年ドルトムントで開催された文化庁メディア芸術祭海外展(https://blog.excite.co.jp/exanime/15384635/)のキュレーターも務めた
写真:タニグチ リウイチ

——リーケレスさんはメディアアートを研究テーマにしていて、アニメーションが専門ではないそうですが、日本のアニメとの接点はどのようなものだったのでしょうか。

リーケレス 日本に初めて来たのは2005年です。ゲーテインスティテュートの「日本におけるドイツ年」のプロジェクトの関連でチームスタッフとして来日しました。これをきっかけに、もっと長く日本に滞在したいと思いました。日本の文化、特に日本の庭園に興味をもったのです。その後、京都に長期滞在して日本庭園のエキスパートに学んでいたころ、友人のデイヴィッド・デヒーリがアメリカの美術館で開催する予定だったアニメの展覧会の仕事を請け負い、私をアシスタントとして雇ってくれたのです。小倉宏昌1 さんにこの仕事で初めて会いました。

——小倉さんといえば押井守監督の諸作で美術監督を務めてきた、背景美術を語る上でのキーパーソンですね。

リーケレス 小倉さんのスタジオを訪問し、机に広げられた『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』の背景美術の原画を見ました。信じられないような職人技でした。その時点では映画もまだ見ていなかったのですが、原画を前にその価値を直感しました。そして重要なのは、私の関心の基盤はメディア批評にあり、原画を芸術的なプロセスが残る断片と捉えていたことです。小倉さんのアートワークは、美術館に置かれる意味での芸術(high art)ではありません。鑑賞者に対して文脈を明らかにする必要があります。キュレーターである私にとって大きな挑戦でしたが、美術館でこれらの作品を展示しなければと強く感じました。

しかし小倉さんの最初の反応は、「とんでもない、こんな絵は見せたくない」というものでした。「これはアートではない。映画が最終的な作品。映画こそアートなのだ」と。その後たくさんの方の協力を経て、2011年にようやく展覧会は実現しました。小倉さんはベルリンでのオープニングに来てくれました。一緒に展示を見てまわったあと、彼は私に「オーケー、シュテファン。わかったよ」と言ってくれたのです。

『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』
©1995 士郎正宗/講談社・バンダイビジュアル・MANGA ENTERTAINMENT

エヴァンゲリオン批評から始まった

——五十嵐さんは建築批評が専門ですが、アニメーションについての批評はいつからですか。

五十嵐 1995年に『新世紀エヴァンゲリオン』がブレイクしたあと、大量の「エヴァ本」が出版されたのを覚えていますか。あのとき大学院生だったのですが、そのような書籍の何冊かに関わっていたのです。実は自分の名前が背表紙にある最初の本がエヴァンゲリオン批評の著作2なんです。もちろん研究は建築を主軸に続けていたのですが、六本木ヒルズの森都市未来研究所で『イノセンス』(2004年)や『スチームボーイ』(2004年)の展覧会が開かれた際に原稿を寄せるなど、アニメーションに建築や都市がどう描かれるかについては継続して執筆してきました。ただ原画はちゃんと見ていなかったので、今回、展覧会で目の当たりにして驚きましたね。どういう風に描かれているのか、手の動きまで見えてくる。現地で原画を見ないと意味がない展覧会だと思います。

五十嵐氏
写真:タニグチ リウイチ

アニメーション制作が変わりゆく時代

——あらためて金沢での展示作品を公開年順に(美術監督の名前とともに)並べると、『AKIRA』は1988年(美術監督:水谷利春3)、『機動警察パトレイバー劇場版』は1989年(美術監督:小倉宏昌)、『機動警察パトレイバー2 the Movie』は1993年(美術監督:小倉宏昌)、『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』は1995年(美術監督:小倉宏昌)、『メトロポリス』は2001年(美術監督:草森秀一4)、そして『鉄コン筋クリート』が2006年(美術監督:木村真二5)と、80年代末からの20年ぐらいの期間に制作された作品になります。この時代的な括り方にはどんな意味があるのでしょうか。

リーケレス アニメーションがデジタルのワークフローを導入する過渡期の作品になります。私にとって重要なポイントはメディアの変化です。変化を反映するアートワーク(原画)に惹かれます。今回の展覧会では「エヴァンゲリオン」に関連した展示をすることは叶いませんでしたが、以前の展覧会に紐付く書籍『アニメ建築 傑作背景美術の制作プロセス』(グラフィック社、2021年)の最終章では『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』(2009年、美術監督:加藤浩6、串田達也7)を取り上げていて、庵野秀明監督が紙に鉛筆で描いた第3新東京のレイアウトなどを掲載しています。本作にはいわゆる手描きの背景美術のアートワークは存在せず、庵野監督のレイアウト以降、すべてのステップはデジタルで実行されます。そのためレイアウトの一部では、ただ「3DCG」という指示が書かれるだけで空白になっているのです8。これこそテクノロジーが制作をどのように変えるかを理解する象徴的な絵(picture)だと思います。

好景気の熱気のなかで

——この時代の作品について五十嵐さんの立場からはどう見ますか。

五十嵐 取り上げている作品には東京を舞台にしているものも多いのですけど、実際の東京に活気があった時代につくられた作品でもあるんです。80年代の後半ぐらいから90年代にかけて、バブルと呼ばれる世界的に見ても異様な経済状況でした。スクラップ・アンド・ビルドが激しく、今の中国や中東のドバイと似ています。あの時代に「パトレイバー」や『AKIRA』といった都市を描いたアニメが生まれたことは偶然ではなかった気がしているんです。

さらに共通して感じるのは都市への破壊衝動についてです。日本は太平洋戦争での敗戦以降、基本的に国内で戦争がなかった国ですけれども、アニメーションや特撮では執拗に都市が破壊されるシーンが描かれています。「パトレイバー」も『AKIRA』も、東京に対する破壊衝動をつくり手に感じます。これが押井守監督(1951年生まれ)や大友克洋監督(1954年生まれ)の下の世代である細田守監督(1967年生まれ)や新海誠監督(1973年生まれ)になると、都市としてのパワーが弱まるのに合わせて関係性が変化していく。細田監督の『バケモノの子』(2015年)では渋谷周辺を密度の高い背景美術で描き、クライマックスでは丹下健三が設計した代々木競技場がカタストロフの舞台になりますが、東京に対する態度(attitude)が違うんです。新海監督の一連の作品は、東京を美しく描いて、もはや憎しみの影もありません。

社会の形を捉える背景美術

リーケレス バブル以降の東京が変化したとしても、新海監督が描く東京は美しすぎます。これはなぜでしょうか。というのも、押井監督なら東京に対して良いとも悪いとも決めない、両義的な態度を作品で示していると思うのですが。

五十嵐 物語の組み立て自体に理由があるかもしれません。新海監督はセカイ系9と呼ばれるジャンルに括られることがあります。主人公である僕と彼女のパーソナルな関係性と、世界の危機のような大状況が直結する構造になっています。つまりセカイ系には社会が抜けているのです。日常と大きな状況の対比を示すため、僕と彼女のいる場所は非常に美化されて描かれる特徴があります。一方、押井監督は社会のあり方に関心が強く、社会が持つアンビバレントな様相も捉えようとします。

リーケレス それぞれの監督の視座が背景美術のスタイルにも影響しているのですね。展覧会のフォーラムでの草森秀一さん、木村真二さんの発言を思い出しました。多くのプロダクションが新海スタイルの背景画を描いてほしいと依頼してくるのだけど、それは自分たちのスタイルじゃないと断っているそうです。

特に草森さんの描く建築美術は、社会と大いに関係していると思います。社会は建築環境に反映するという意識が見られる。だから押井作品と相性がいいのでしょう。

五十嵐 そう思います。今回の展示には草森さんの手掛けた『メトロポリス』が紹介されていますが、まさに社会を背景美術で表わした作品です。『メトロポリス』は都市の構造を地上から地下まで垂直に分けています。超高層の摩天楼ジグラットは未来派やスクイテン10の都市像などを組み合わせた建築群です。地表にはグリッドに整備された古典主義の要素を用いたポストモダン風の空間が広がります。さらに地下では、ロボットたちが住む色鮮やかな空間があり、三つのゾーンが設計されています。

リーケレス 『メトロポリス』では高層世界をCGでつくり、低層世界は手描きの背景美術で描くことで社会の対立構造を強調していました。伝統的な紙ベースの背景とデジタルワークフローを組み合わせたハイブリッドな作品でした。

『メトロポリス』
©手塚プロダクション/METROPOLIS 製作委員会

都市をキャラクターにした大友

五十嵐 木村さんと草森さんのフォーラムでは、『ブレードランナー』(1982年)のことも話題にされていました。特に草森さんの同作への熱量が高く、彼らの背景美術は『ブレードランナー』の子どもでもあるんだと感じました。2019年の設定のロサンゼルスを描くために、ネオンや広告などに東洋的なイメージを接続させて画期的な都市像をつくりました。シド・ミードがデザインした未来的な意匠のなかに1930年代の姿をとどめるユニオン・ステーションが同居していたりして、歴史的な建造物が未来でもそのまま使われる様子もおもしろかった。

リーケレス 新旧の街並みや多文化が混在するイメージは、間違いなくその後の実写映画ばかりではなくアニメーションの近未来都市にも多大な影響があったと思います。ところで『ブレードランナー』はハリウッドの大作映画ですが、ストーリーの伝え方について展覧会で取り上げたアニメーション作品には気になるところがあります。それは強烈な存在感の主人公が不在であることです。ハリウッドやディズニーのアニメーションも、主人公が明快に設定され、目的があり、敵役がいて葛藤が設定されるものです。

五十嵐 『機動警察パトレイバー劇場版』も、事件の首謀者の帆場暎一は早々に物語から退場し、残された人たちが東京のなかを右往左往する話ですからね。

『機動警察パトレイバー劇場版』
©HEADGEAR

リーケレス 『AKIRA』も主人公を捉えるのが非常に難しい。タイトルロールにもなる少年アキラは終盤まで登場せず、物語を牽引するキャラクターは鉄雄と金田ですが、ほかにも多くの主要キャラクターがいて複数のプロットが同時進行します。中心的なキャラクターを見出しにくいのです。

五十嵐 群像劇であると同時に、『AKIRA』はオリンピックを控えた2019年の東京湾上のメガロポリス、ネオ東京が最大のキャラクターとしての存在感を持っているということなのだと思います。本来は背景にすぎない都市が、キャラクターとして映画で描かれるようになるのは『ブレードランナー』以降の大きな流れでしょう。そして『AKIRA』の都市描写については、マンガ家としての大友克洋にも触れなければなりません。これまでの日本のマンガになかった緻密な描き込みで背景美術を描いた。その密度をそのまま映画でも実現した。これはあらためて画期的なことでした。

——大友監督は宮城県の出身ですが、上京したときに受けた強烈な印象は、都心の高層ビルではなく、首都高速が頭上を走っていたことだったと言っています11。大友監督が都市を映像としてどう捉えるかを示すエピソードかもしれません。

五十嵐 『AKIRA』には金田たちがハイウェイをバイクで疾走するシーンが前半にありました。そして映画の後半ではそのハイウェイを含む都市全体が瓦解する様子が描写されます。大友監督は建築が破壊される様子を非常に緻密に描きますね。マンガ『童夢』(双葉社、1983年)でも感じたのは、見えない超能力を視覚化するのに、建築が破壊される描写は有効だということです。

『AKIRA』
©1988 マッシュルーム/アキラ製作委員会

都市のシステムを刺す押井

リーケレス 都市の破壊のあり方で、押井作品は対照的です。彼にとって物理的な破壊はあまりにも単純な解決策でしかないのです。都市を吹き飛ばしたからといって、社会の問題はなくならない。

五十嵐 『機動警察パトレイバー2 the Movie』は地下鉄サリン事件が起きる2年前の作品ですが、情報と交通のインフラを叩くと、機能不全になって疑似的な戦争状態が起きる様子を予言的に描いていました。本当に東京に一撃を与えるなら、超能力ではなく地図的な想像力こそ必要なのでしょう。

リーケレス まさに。『AKIRA』のネオ東京はイメージとしてしか存在しない都市のシミュレーションのようなものです。シミュレーションの場合は、それを完全に破壊することが重要ですが、押井監督が描くように現実に存在しているのであれば、ピンポイントで攻撃するだけで十分ということです。

『機動警察パトレイバー2 the Movie』
隅田川にかかる佃大橋が陸上自衛隊攻撃型ヘリの標的となり、煙が立ちのぼっている
©HEADGEAR

今、ゴジラは東京のどこをターゲットにするか

——アニメーションが新しい近未来都市のイメージをつくるためには、今日の東京がどんな姿をしているのか、それをクリエイターがどう捉えるのかがポイントのようです。お二人は今の東京をどんなふうに見ていらっしゃいますか。

五十嵐 押井監督には何度かインタビューをさせてもらう機会があったのですが、今の東京には何も興味を持てないと言っているんです12。1964年の東京オリンピックには、大きな力で都市が変わる期待感がありました。しかし今回のオリンピックでは新しい都市の凄まじいエネルギーは、残念ながら表出しなかった。草森さんも同意していましたけれど13、ザハ・ハディドの新国立競技場案14が潰れてしまったことは象徴的です。1964年の東京オリンピックで丹下健三が手掛けたスタジアムは世界水準で優れた建築でした。先のオリンピックではそのような水準の建築を見ることはできませんでした。

リーケレス 東京に15年通っていますが、毎年東京に来るたびに、どこかに新しいビルが建っています。渋谷の再開発も目覚ましい。ヒカリエに渋谷スクランブルスクエアに……。でもどれも同じに見えます。80年代からのウォーターフロント開発や建物にはメッセージがあり、新しい物語があった。しかし、今日の東京にはそれがないようです。

五十嵐 同感です。ある建築史家が、「ビジネススーツビル」という表現をしています。ハイスペックだけれどおもしろみがないと。レム・コールハースも同じようなことを指摘しています。端的に言って、東京はコンサバティブになってしまった。『シン・ゴジラ』(2016年)は見ましたか。あの映画のゴジラにとって、興味をひかれる新しい場所が今の東京にはないのです。スカイツリーに行くわけでもなく、ビジネススーツビルディングを破壊しました。そしてラストシーンでは海に帰らず、自ら巨大な像として東京のランドマークになるのです。

リーケレス 都市論として非常にユニークなエンディングですね。一方で、私は日本の近未来都市については期待もあります。今回もいくつかの地方都市に行きましたが、興味深い経験でした。例えば福井県の大野市には本当に高齢者ばかりで、私が市内で一番若いかと思えるほどでした。日本に特有の人口バランスは東京よりも地方で顕在化します。そして人口減が進むなかで、地方で今後数年のうちに具体的な変化が起こるでしょう。人がいなくなるから、かつてのようにスクラップ・アンド・ビルドは繰り返せない。日本の地方で新しい都市のスタイルが生まれると感じています。そのときにはゴジラではない別のモンスターが破壊しに向かうかもしれません。

——そうすると今回の展覧会が東京ではなく金沢で開かれているのも示唆的ですね。

リーケレス 東京からも多くの人が展覧会を見に来てくれるはずです。東京を離れ、自分たちの住む都市のイメージがどのように破壊され、再建されるかを見て、そして都市について新しい考えを持ち帰ることは、素晴らしい体験になると思います。

脚注

1 小倉宏昌は1954年生まれ。1977年、小林プロダクションに入社。1983年退社後、大野広司、水谷利春とともにスタジオ風雅を設立。『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(1987年)で美術監督。フリーを経て『機動警察パトレイバー劇場版』『機動警察パトレイバー2 the Movie』『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』などの美術監督を務める。1995年に小倉工房を設立。
2 五十嵐太郎編『エヴァンゲリオン快楽原則』(第三書館、1997年)のこと。野火ノビタ、宮崎哲弥、東浩紀、香山リカ、宮台真司、植島啓司らが参加する批評アンソロジー。五十嵐氏自身の「エヴァ」作品評は森川嘉一郎編『エヴァンゲリオン・スタイル』(第三書館、1997年)に収録されている。また映画、アニメーションと建築についての論考をまとめたものとして『映画的建築 建築的映画』(春秋社、2009年)がある。
3 水谷利春は1972年、小林プロダクションに入社。1983年退社後、小倉宏昌、大野広司とともにスタジオ風雅を設立。『AKIRA』の美術監督。1997年退社後、ムーンフラワーを設立。テレビシリーズ『ユーリ!!! on ICE』(2016年)、『BANANA FISH』(2018年)などの美術監督を務める。
4 草森秀一は1961年生まれ。2006年、タロハウスを設立。『メトロポリス』で美術監督デビュー。『イノセンス』、『劇場版XXXHOLiC真夏ノ夜ノ夢』(2005年)、「PSYCHO-PASSサイコパス」シリーズ(2012年~)などで美術監督を務める。著書に絵物語『冬の王』(森鴎外原案、グラフィック社、2018年)がある。
5 木村真二は1962年生まれ。1981年、小林プロダクションに入社。『プロジェクトA子』(1986年)で美術監督デビュー。『スチームボーイ』、『鉄コン筋クリート』、『海獣の子供』(2019年)、『漁港の肉子ちゃん』(2021年)などで美術監督を務める。
6 加藤浩は1965年生まれ。美峰に所属し多くの作品を手掛けたあと、2007年にととにゃんを設立。「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」シリーズ(2007年~)で美術監督を務める。
7 串田達也は1965年生まれ。でほぎゃらりー所属。『時をかける少女』(2006年)、『風立ちぬ』(2013年)、『かぐや姫の物語』(2013年)などに参加。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』(2007年)、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』(2009年)では共同美術監督、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』で美術監督を務める。
8 シュテファン・リーケルス『アニメ建築 傑作背景美術の制作プロセス』(グラフィック社、2021年)、248ページなどを参照。
9 新海はセカイ系と評されることについて、例えば以下のようにインタビューで答えている。「2000年代初頭、セカイ系とは『社会をすっ飛ばして、個人と個人の間で、世界の運命を変えてしまうもの』と批判の意味も含めて、そんな言われた方をしていました。でもなぜ社会がないのかと考えると、時代として“社会の存在感が薄かった”ということがあったと思うんです。リーマンショックの前だし、3.11の前だし、なんとなく終わりなき日常が続いていくんだろうという空気があった。だからこそ、漫画にしても映画にしても、作り手が本能的に、社会の見え方が薄い作品をつくっていたんだと思います」。
「『天気の子』新海誠監督が明かす“賛否両論”映画を作ったワケ、“セカイ系”と言われることへの答え」MOVIE WALKER PRESS、2019年8月10日、https://moviewalker.jp/news/article/200868/p2
10 フランソワ・スクイテンはバンド・デシネ作家。代表作でブノワ・ペータースとの共著『闇の国々』(邦訳、小学館集英社プロダクション、2011~2013年)は、銅版画のような細密なタッチで19世紀ヨーロッパの雰囲気をまとう都市群を描写したシリーズ。
11 滝久雄編『東京“偏愛”論 あなたが知らない東京の魅力を語る』(日経BP/日本経済新聞出版、2023年)101ページ。また大友は同書のなかで都市の破壊描写について「僕は超高層ビルの中に、ある種の儚さを見ていて、そこに物語性を感じるのでしょう。(中略)ビルも、都市も、大きな構造物は、最初から破壊が内在されていて、人間は本能でそれを壊したくなる。だから、ゴジラからアキラの超能力にいたるまで、みんな東京を壊しているんです。それで、一生懸命建てたけど、やっぱり壊れたな、って、どこかほっとする」とも発言している(111ページ)。
12 押井守×聞き手:五十嵐太郎「今なぜ東京に「そそる」モニュメントがないのか 五輪、都市、アニメーション」『中央公論』2020年2月号。
13 五十嵐氏と草森氏の対談は以下も参照。「名作アニメの背景美術創作秘話を語る!五十嵐太郎×草森秀一「アニメ背景美術に描かれた都市」開催記念特別対談」日刊建設通信新聞社(YouTube)、2023年7月12日、https://youtu.be/JgwDJ_FODZI
14 ザハ・ハディド・アーキテクツによる「新国立競技場案」は、2012年の国際コンペで選出された直後からコンピュータを活用した流線的なデザインが注目を浴びた。設計JV(日建設計、梓設計、日本設計、オーヴ・アラップ・アンド・パートナーズ・ジャパン設計共同体)と連携して4,000枚以上の実施図面が作成され、建設を待つばかりの状態だったが、ネットでの誹謗中傷の声が高まるなか計画は白紙撤回された。設計資料や開発の経緯については五十嵐氏が監修した『インポッシブル・アーキテクチャー』(平凡社、2019年)にも詳しい。

五十嵐 太郎
1967年、フランス・パリ生まれ。建築批評家。2009年から東北大学大学院教授。2010年からせんだいスクール・オブ・デザイン教員を兼任。あいちトリエンナーレ2013芸術監督。第11回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展日本館展示コミッショナーを務める。主な著書に『終わりの建築/始まりの建築』(INAX出版、2001年)、『3.11/After』(監修、LIXIL出版、2012年)など。

シュテファン・リーケレス
1976年生まれ。キュレーター。2002~2009年に芸術とデジタル文化の祭典「トランスメディアーレ」(ベルリン)のプロジェクト・マネージャーとキュレイターを務める。アニメーションと建築をテーマにした「Proto Anime Cut」(2011~2013年)と「Anime Architecture」(2016~2020年)の巡回展を企画。展覧会等やフェスティバルの企画運営を行う組織「Les Jardins des Pilotes」の創立メンバー。

information
アニメ背景美術に描かれた都市
会期:2023年6月17日(土)~11月19日(日)
会場:谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館
監修:五十嵐太郎(東北大学大学院教授)
企画:シュテファン・リーケレス、明貫紘子、谷口吉郎・吉生記念金沢建築館
https://www.kanazawa-museum.jp/architecture/exhibition/kikakuten7.html

通訳:重野佳園

※インタビュー日:2023年6月29日
※URLは2023年9月14日にリンクを確認済み

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