中川 大地
「NPO法人 日本PBMアーカイブス」の収蔵対象である国産商用PBMを概観しつつ、現在の視点から見た意義について考察する本稿。後編では、プレイヤー交流やコミュニティ文化の特徴などを解説しながら、インターネットが登場する以前の国産商用PBMが果たした役割を考えていきます。
こうした背景のもと、『ローズ・トゥ・ロード』のゲームデザイナーである門倉直人らを擁した遊演体が1988年に設立。日本初の商用PBM(Play by Mail:以下、PBM)事業として『ネットゲーム’88(以下、N88)』を開始する。現代日本を舞台に、日本神話やクトゥルフ神話(H. P. ラヴクラフトが創造した怪奇小説群に端を発した架空の神話体系)をモチーフとした人外の怪物たちの勢力による邪神の復活を目論む陰謀をめぐり、その阻止を目指す人間側と人間社会に潜伏した怪物側とに分かれたプレイヤー同士が自ら作成した物語上のキャラクターの立場で月に1度の行動を考案・送付し、自陣営の勝利を目指して知略を競ってゆく物語を1年かけて展開するというのが、その概要である。
本作のプレイヤー募集は、主に『タクテクス』『コンプティーク』といった各種ゲーム雑誌の広告で行われ、アーケードやファミコンなどのポピュラーなビデオゲーム系のジャンルに比べて(当時はまだ高価な趣味のアイテムでしかなかったパソコンを所有しているなど)経済的余裕があり、マニアックで文化的な関心の高い10代〜30代を中心にした「おたく」層に訴求。特に初期のコアプレイヤー陣には『スターウェブ』や『ヤタタ・ウォーズ』などの先行企画への参加経験者も少なくなく、そうした特に翻訳SFやボードゲームなどのリテラシーが高かった層が牽引役となりつつ、『ドラゴンクエスト』のような家庭用ゲームからRPGに入門した比較的年少のゲーマー層を裾野とする1,300人程度の参加者を集めることになる1。
このように、主に雑誌メディアを入り口に参入したプレイヤー層によってスタートした『N88』の特徴は、プレイヤーキャラクター(以下、PC)ごとの個別のステータス情報を記載したプレイングシートに加え、現実世界での時間進行と同期するかたちで物語世界上のニュースを報ずる架空の月刊ジャーナルという趣向のオフィシャル情報誌を定期刊行し、共通情報として送付するスタイルを確立した点にある。各プレイヤーは、そのニュースの行間と自分のキャラクターが入手した個別情報を総合しながら事件の背景を推理し、オフィシャル誌に提示された行動メニューのなかからその月のアクションを選択する「定番行動」か、あるいは自由に行動内容を文章で記載する「フリーアクション」のどちらかを所定のはがきに記載してホスト会社の遊演体に返送。これに対して、定番行動に対してはテンプレートの情報文が、採用されたフリーアクションに対しては担当ゲームマスターが執筆したPCの登場する小説形式のリアクションが、翌月の個別情報として送付されるという形式で、ゲームの1ターンが構成されている。
つまり、日本での商用PBMは、『スターウェブ』型の機械処理的な個別アウトプットの郵送と、『メガ・オービス』『フィクショナル・トルーパーズ』型の雑誌ベースの読者参加企画とを折衷させつつ、さらにフリーアクションを通じたリアクション小説のオーダーメイドサービスとして確立されていくことになったのである。
以上のようなホスト会社とのやりとりによるゲームサイクルに加え、PBMの何よりの醍醐味となっているのが、プレイング情報の交換や共同アクションの計画を軸としたプレイヤー交流である。オフィシャル情報誌の役割はゲーム内の共通情報の提供に留まらず、情報交換や同人グループへの参加募集、各地域での公民館などを借りてのプライベートイベントの開催など、プレイヤー有志による自主的な活動を呼び掛けるコミュニティメディアとしてのそれも同等以上に重要だった。
このような自主的なプレイヤー活動がスムーズに促進された背景には、先行するSFファンダムやアナログゲーム系のコンベンション、あるいはマンガ・アニメ系の同人サークルなどで培われてきた交流文化を下地に持つリテラシーの高い層が、『N88』のプレイヤーコミュニティの形成をリードしたことがある。これはインターネットやSNSが登場する以前、パソコン通信のようなオンラインコミュニティの利用層がまだ限定的だった情報環境にあって、雑誌メディアに媒介されたゲーム体験の共有が、学校や職場の外側に濃密な趣味のコミュニティを築く原動力になったケースといえるだろう。
その意味では、ゲームセンターにおける地域的なハイスコアラー文化や、攻略情報誌などを媒介にした家庭用ゲーム機での「裏技」探しのメディア上のブームなどと並列する同時代のゲーマー主導型ムーブメントの一例とカテゴライズすることができるが2、日本型の商用PBMがこれらのビデオゲーム系のユーザー文化と異なっていたのは、コミュニティ形成がゲームプレイ過程そのものと密接に結びつきながら、一つの大きなフィクションの協働創作過程としても機能していた点である。特に『N88』の場合は、フィクション世界の設定や時間進行が現代日本の現実とリンクしており、インターネット普及期に映画『A.I.』(2001年)のプロモーション企画として現実のウェブサイトに物語世界への入り口となる謎解きゲームへの導入サイトを紛れ込ませるかたちで実施された『The Beast』などのARG(Alternate Reality Geme:代替現実ゲーム)や、スマートフォンの位置情報を利用して現実空間を読み替えながら2陣営が対決する『Ingress』(2013年)の社会実験的なムーブメントなどの発想の先取りとしても捉え直すことができる3。
そのため、特に文化系リテラシーの高い『N88』のトッププレイヤー層のあいだでは、単にオフィシャルから与えられたゲーム情報の範囲での正解探しにいそしむばかりでなく、シナリオの題材にされた実際の日本神話や民俗学、ラヴクラフトのような実在の人物に関する知識なども図書館で調べたりしながら物語の謎を読み解き、マスター側に知恵比べを挑むような水準でのプレイングが行われていた。また、敵陣営にスパイとして入り込んで偽情報をばらまく情報戦を仕掛けたり、集団での作戦行動を自律的にオーガナイズすることで大きな会戦が行われたりと、プレイヤー主導で次の物語展開が能動的に準備されていく度合いも強く、現在のデジタルゲームがいまだ追随できていないレベルの創発的なストーリーテリングがなされていた点も、『N88』のような初期PBMならではの特徴である。
こうした『N88』の成功のうえに、日本型PBMのさらなる創発性を広げたのが、遊演体が1990年に実施した『ネットゲーム’90 蓬萊学園の冒険!』であった。柳川房彦がグランドマスターを務めた本作では、ジャーナル発行と個別情報による『N88』の運営システムや現実と同期するリアルタイム性は踏襲しながらも、物語の舞台を日本列島の南海に浮かぶ架空の孤島・宇津帆島に築かれた生徒数10万人を超える巨大学園「蓬萊学園」に換え、前作では現代社会のさまざまな職種のなかから選択していた(それゆえプレイヤーの専門知識や社会経験がプレイクオリティに直結しやすい)PCの社会的身分を、同学園に入学・編入した高等部の新入生という立場に統一。ジュヴナイルコンテンツとしてなじみやすい学園ものジャンルの体裁を採ることで、初心者や若年層にもロールプレイングを容易にし、参加ハードルを下げポピュラリティを高める方向でデザインされている。
ただし、学園の部活動がほぼ各分野のプロフェッショナル集団であったり生徒会が小国家レベルの統治・軍事機構を備えていたりする過剰なスケール感や、『封神演義』『南総里見八犬伝』などの古典にひもづけられた怪異が頻発する伝奇的な世界観、有史以来の宇津帆島の発見から近代における蓬萊学園の創立・発展に至る長大な擬史など、およそ一般的な「学園もの」のイメージをはるかに逸脱した各分野の膨大な知識を投入して各種フィクション設定の骨組みがつくり込まれている点では、『N88』以来の教養主義的なテイストを踏襲。有力なプレイヤーがマニアックな専門知識などを駆使し、細部の設定をさらに充実させていくようなタイプのプレイングを少なからず喚起した。
このように徹底して蓬萊学園という特異な舞台装置の求心力を高めることで、さまざまな物語の芽が埋め込まれたシェアード・ワールドとしての魅力がつくり込まれている点が、現実世界とのARG的な接続性を打ち出した『N88』と比較した場合の本作の特徴だ。そのうえで、1年かけて展開される大きな物語としては学園に手がかりの隠された「地球最後の秘宝」をめぐる争奪戦が一応の本筋になるのだが、本作ではそれ以外の事件を追うサイドストーリーの幅が大きく広がっている。また、正規のゲームプレイとしてシナリオ化されることがなくとも、学園のイメージが明確であったことで、プレイヤー同士が交流同人誌などで独自に自分たちのPCのイラストやマンガを描いたり勝手にシナリオを創作したりと、多彩なUGC(User Generated Content:ユーザー生成型コンテンツ)の制作が促される度合いも大幅に高まった。
言うなれば、1986年に現在のメタバースの先駆例とされるオンライン上のアバターコミュニケーションサービス「Habitat」が始まっていたのと時代的に並行するかたちで、『蓬萊学園』はつくり込まれた虚構世界でのゲームを離れた仮想生活を送ることのできる、さしずめ「想像的メタバース」のようなロールプレイング社会を、デジタルネットワーク技術に先んじて時限的に実装していたと見なすこともできるだろう。
かくして遊演体による『N88』『蓬萊』の2作によって、日本での商用PBM事業は1990年代初頭には多人数参加型のテキストベースのライブRPGとして自立したニッチを確立することになる。とはいうものの、単体の有料サービスとしてのユーザー体験上は、多くの参加者に不満を残させてもいた。先述したように、初期のPBMのカルチャーは雑誌の読者投稿企画の延長線上で培われてきたため、特にプレイヤーが自由に記載するフリーアクションには「没」がありえたからである。
初期遊演体のPBMでは、定番行動で得られる定型のアウトプット文では通り一遍の情報しか得ることができず、自分のPC名が実際に文面に登場して物語上で活躍するリアクション描写を得るためには、ゲームマスターを納得させるだけのクオリティでフリーアクションを成功させなければならない。それは多くのプレイヤーにとって高いハードルで、それを越えること自体にゲームとしての挑戦意欲を抱けるのは、先行するよりハードコアなゲームや投稿文化などのリテラシーを身につけている層に限られていた。
したがって、遊演体が切り拓いた小説アウトプット型PBMの醍醐味を全プレイヤーが味わえるようにするためには、自由記載式のアクションとリアクションへの登場ハードルを大幅に引き下げる必要があった。その構造改革に取り組んだのが、1990年に創業したホビー・データである。同社は大宮亮をはじめとする『N88』『蓬萊』の有力プレイヤー陣をゲームマスターとして起用し、翌1991年に「ネットワークRPG」のブランド名で『クレギオン シナリオ#1 遙かなるアーケイディア』を始動する。
本作は人類が宇宙進出して数千年経った遠未来の星間世界を舞台にした王道スペースオペラもので、辺境星系を構成する複数の惑星国家などで同時並行的に進行する、ロストテクノロジーをめぐる冒険物語が展開された。現代日本を舞台にした遊演体の過去2作と異なり完全に架空の世界観なので、フィクション題材の面で現実と同期するARG的なライブ感は失われた反面、古典教養などのリテラシーの面でプレイヤーにとって差の出にくいジャンル選択がなされていたといえる。
そしてシステム面では、シナリオ全体をあらかじめ物語の舞台となる惑星国家などのエリア別・事件別に分かれた「ブランチ(枝)」単位で進行するように設計し、各ブランチの専属ゲームマスターを配置。それぞれ数十人から最大300人程度のPCたちを担当するようにマスタリング(リアクション執筆)の負担を限定しつつ、参加するシナリオのフレームを明確化したことで、ブランチ内の参加ミッションに関するリアクション小説は必ず送付されるようになる。加えて、プレイヤーからのアクションの記載・送付手段をはがきではなく、封筒で送付可能な「汎銀河パスポート」と称した冊子形式に変更。与えられた選択肢に応じた定型文が返送されるだけの定番行動は廃止され、リアクション内に記載の大枠の行動選択肢を選んだうえで、パスポート内の1ページを使ってその行動の詳細なプロットを自由記載するフリーアクション型が標準化される。これによりPCの毎月のアクション履歴やプロフィールが帳面に残るようになり、プレイヤー・マスター双方がPCの個性やロールプレイ方針を把握しながらともに物語とキャラクターを共同創作しやすくするための運営フォーマットが整備されていく。こうした工夫は、初期遊演体ネットゲームのプレイヤー間でも盛り上がった「理想のPBM」像をめぐる議論の帰結でもあった。
以上のようなシナリオ面・システム面の改革が奏功し、ユーザー体験の平等化と底上げに成功。『クレギオン #1』では初期の遊演体ネットゲームに比べ、よほど的外れなリアクションでないかぎり、格段に多くのPCがシナリオ内での描写機会を得られるようになったのである。
このような通信サービスとしての面に着目するとき、『クレギオン #1』を嚆矢とするホビー・データのネットワークRPGは、いわば編集部が不特定多数の投稿はがきから優れたコンテンツを選別構築する「読者投稿」型モデルから、担当教官がマンツーマンで受講者の提出答案にきめ細かくフィードバックしていく「通信添削」型モデルへの転換を成し遂げたともいえるだろう。以後、ホビー・データは『クレギオン』のほかにもアラビア風ファンタジー『アラベスク』といったシリーズを中心とした数多くのタイトルを運営し、遊演体と並んで1990年代を通じて国内の商用PBMをリードしていく。
ただし、ブランチ制などのシステム整備によるユーザーサービスとしての平等化は、各分野への高いリテラシーと図抜けた独創性・行動力を発揮して選抜されたトッププレイヤー層が、マスター陣と知恵比べしながら謎を解いてシナリオ全体に影響力を及ぼし、現実さながらの複雑さをもつ予測不可能な物語展開を協働制作していった(ように見える)『N88』『蓬萊』当時のゲームプレイ的なダイナミズムと教養主義的な意味での文芸クオリティを、相対的に減退させていった側面があることも否めない。一人あたりのPCの活動の影響範囲がブランチ内に限定され、多くのプレイヤーの関心も小さな物語内での自分のキャラクターの活躍やその周辺の小さな人間関係に留まるようになり、ゲーム全体を通じての大きな物語上の謎や主題に積極的にコミットすることにカタルシスを覚えるアクティブな層に対して、『クレギオン』以降の通信添削型のPBMのユーザー体験に物足りなさを感じさせていたからである。
したがって以後の日本型の商用PBMでは、ホビー・データ式の通信添削型モデルのサービス水準を基盤としつつ、サービスの平等性とゲームとしてのダイナミズム、物語クオリティといった諸要素のトレードオフ関係のバランスを、コンピュータによる自動処理の導入も含め運営コストとの塩梅でそれぞれにデザインしながら、多くの運営タイトルが生まれていくことになる。特に1993年には、札幌に拠点を置くコスモエンジニアリング(のちに不動館、テラネッツと運営名義を変更)が冴島鋭士デザインのテーブルトークRPG(以下、TRPG)システムを援用した『MTRPG1 PSYCHO MASTERS』のサービスを開始し、遊演体、ホビー・データに続く第三の業界大手に発展する。
これを皮切りに、先行PBMの経験者たちを中心とした追随他社の創業が相次ぎ、純粋な小説リアクション型だけでなく機械処理型の再導入、有名ゲームやアニメーションなどの版権コンテンツとのタイアップ、登録イラストレーターへのPCイラストの発注サービスなど、さまざまな試行錯誤が積み重ねられていく。その歴史は、遊演体ネットゲームの最終作となった『ネットゲーム’98 星空までは何マイル?』(1998年)、2002年の時点でインターネットを利用したプレイバイウェブ(Play by Web:以下、PBW)事業への移行を宣言したテラネッツのPBM最終作『MTRPG14 PSYCHOMASTERS AD2058.“ラスト・リゾート”』(2003年)、そして翌2003年のホビー・データ廃業など、2000年代初頭のオンラインゲーム普及などを受けて主要各社が相前後して事業を終了するまで続いていった。
この過程で、『蓬萊学園』シリーズの小説家としてもデビューした新城カズマこと柳川房彦や、『クレギオン』の野尻抱介、『まぶらほ』などの原作小説がアニメーション化される築地俊彦、『フルメタル・パニック!』などのヒットを持つ賀東招二、のちにTYPE-MOON所属のシナリオライターとして頭角を現す星空めてお、『ガンダム』シリーズのコミカライズなどマンガ家・イラストレーターとして活躍することぶきつかさ、さらにスクウェア・エニックスで『ドラゴンクエストⅩ』や『ニーア』シリーズなどのメジャータイトルのプロデューサーを務めた齋藤陽介など、少なからぬライトノベルやSF、ゲーム業界の書き手やクリエイターがPBM関係者から輩出されている。そしてこれら個人単位の活動に加えて、特に1998年のネットゲーム事業の終了後に独立した元遊演体のスタッフ陣は、ボードゲームやTRPG関連の出版事業を手掛けるアークライト、新規のPBM事業を経て各種デジタルゲームの企画やシナリオの開発を手掛けるようになるエルスウェアやM2、アダルトゲームブランドのライアーソフトといった新会社を相次いで設立し、PBM以外の分野の事業にも進出している。
その意味で、インターネットの本格普及が始まりデジタルゲームでのMMORPG(Massively Multiplayer Online Role-Playing Game:大規模多人数同時参加型オンラインRPG)が一般化するまでの期間、TRPGやライトノベル、アダルトADVやビジュアルノベルといった文芸性の高いパソコンゲームのシナリオ制作など、物語テキストを主な表現媒体とするオタク系コンテンツの人材発掘・育成につながる特に濃密なハードコア・ジャンルとしての役割を、日本の商用PBMムーブメントは担っていたといえるだろう。
一方で、小説リアクション型の大規模RPGとしてのPBMのインターネット時代のニッチは、テラネッツ(2011年にクラウドゲートと改称)が『ウェブトークRPG』というブランド名を冠して2001年に始動した『WTRPG1 退魔戦記ZERO』以降の商用PBWへと受け継がれつつ、そこから独立したスタッフが設立したトミーウォーカーやREXi、大手アニメーショングッズショップのアニメイトグループ傘下で雑賀寛元社長ら旧ホビー・データのスタッフを中核とするメンバーを迎えて事業展開を始めたフロンティアワークスなど、複数社の参入を得ながら現在も細々と継続している4。
PBMからPBWへの移行で何が起きたのかを一言で言えば、PBM初期に遊演体からホビー・データへの流れで起きた「読者投稿型」から「通信添削型」への移行によるユーザー体験の平等化・個別化の、さらなる徹底である。ウェブサイトに媒体を移したことで雑誌形式の定期刊行ペースに拘束されなくなり、ちょうどMMORPGを範とするクエスト発注のようなビジネスモデルが確立されていく。つまり、プレイヤーがゲームの運営サイト上でキャラクターメイキングするまでは概ね無料で可能で、タイミングの合うゲームマスター(ライター)が自分の担当する個々のシナリオの参加者を定められた定員の範囲内で募集し、そのシナリオのマスタリング(小説リアクションの執筆)が課金コンテンツとして都度実施されるという方式だ。加えて、自身のPCのイラストも登録イラストレーターに課金コンテンツとして発注可能で、いわばPBWは、当該タイトルの世界観に即してユーザーが自分の分身となるキャラクターのイラストと物語テキストを登録クリエイターにオーダーメイドできる、一種のクラウドソーシングサービスとして発展を遂げていったのである。
そのためPBWのシナリオ運営のスタイルは、運営会社直属のゲームマスター陣がグランドマスターの監修を受けながら、毎月のターンごとにブランチやディビジョンと呼ばれる小シナリオを全体のストーリーラインと緊密に整合させながら進行させていた、運営側のスケジュール負荷の高いPBM時代のようなツリー構造を徐々に脱却。全体のシナリオ進行のメルクマールごとにテンプレート的なシナリオパターンが何種類か準備され、アルバイト登録したマスターたちが、所定のシナリオフォーマットの範囲内で単話完結型のクエスト(大部分は戦闘任務など)を、それぞれ無理のないキャパシティ範囲で提供するという緩めのスタイルを見出すことで、1タイトルが数年単位で運営されるようになり、事業としての持続可能性を見出していく。
こうした事業継続性を重視した最適化により、PBWのストーリーはPBM時代のそれに比べ、マスターの作家性に依拠した連続小説としての文芸性や題材・ジャンル面での多様性、あるいは突出したプレイヤー陣の活躍で物語全体が変容を遂げうるような有機的なダイナミズムは総じて失われ、基本的にはコンピュータRPGの構造に近い、機械処理とも連動したバトル中心のジュヴナイル活劇のような類型へと収斂。高度な推理で物語の謎解きをしたり、重要な役割を果たすNPCとのドラマ的な交流を通じて全体状況に影響を及ぼしたりするような創発性は大規模イベントなどの例外的な機会に限定され、あくまで通常のクエストの枠内では、自らのPCがほかの参加者と役割分担しつつ予め設定した必殺技や決め台詞を発して活躍する見せ場の描写を得たり、レベルアップにつながる経験値パラメーターを得たりするプレイングが、現在の商用PBWにおけるシナリオサービスの主流になっている5。
正規のゲームプレイサービス以外にも、ゲームサイト上にあるSNS風のウェブインターフェースでPC同士が「なりきりチャット」的な交流を行うアバターコミュニケーション文化が強く根付いている点もPBWの特徴で、テキストベースの物語への参加を基盤にしたゲーム体験がロールプレイング的なコミュニケーションを活性化する点は、PBMから順当に受け継がれた特徴といえるだろう。
以上のように、日本へのPBMの移入からインターネット時代におけるPBW事業の持続的定着までに至る流れを顧みれば、日本PBMアーカイブスでの現在の収蔵対象になっている1988年から1990年代初頭にかけての遊演体とホビー・データの初期の運営作品からは、およそビジネスとしての許容範囲を超えた特異な情報密度の物語コンテンツと参加型ムーブメントが奇跡的に成立していたさまが見てとれる。
多くのデジタルゲームやネットカルチャーの盛り上がり方がテクノロジーのブレイクスルーを契機として起こっていたのとは対照的に、むしろICTが未整備だったからこそ、初期PBMでは人間同士が高い参加意識をもって文章を介した想像力を集約・淘汰し、手探りで組織化していく以外になかった。そしてまだ多人数が参加するRPGを誰も体験したことがなかったゆえに、それは単なるフィクションやゲームの一つでは済まない「もう一つの現実(代替現実)」として当時の若者たちに経験され、少なからぬプレイヤーの実人生に爪痕を残したのである。
そのような代替現実レベルの質・量をもってテキストベースのフィクションを構築するセンスは、PBM経験者を通じてライトノベルやビジュアルノベルといったゲーム周辺のコンテンツ業界にも環流し、2000年代以降のつくり手・受け手双方の感性的土壌に少なからず影響を及ぼしている部分もある。例えば日本のモバイルゲームで『Fate/Grand Order』(2015年)のような現実の時間軸と同期する入り組んだ設定と長大な物語テキストをもった運営型ゲームが成功している背景に、PBM的な作劇センスとの親和性を見出すこともできるだろう6。
他方、PBMのニッチを受け継ぐかたちで進化を遂げたPBWの現状と対比するとき、仮想世界やストーリーを共有するタイプのマルチプレイゲームの環境で、多くのユーザーが求めるサービス性と物語の多様性や創発性とのあいだに、どのようなトレードオフ関係や処理ノウハウがありうるのかといった知見も得られよう。そうした経験からは、メタバースのような現実とは異なるアイデンティティで運営される仮想社会を構想する際の制度設計や起こりうる現象の理解にも少なからず援用可能な、人間の行うコミュニケーションとフィクションとゲームの関係をめぐる、普遍的な教訓や課題を見出すこともできるはずだ。
脚注
資料・情報提供協力:曲直瀬一洋、山田真
※URLは2023年6月9日にリンクを確認済み
>フィクション共創による仮想社会構築ムーブメントとしてのPBM(プレイバイメール)とその意義──「NPO法人 日本PBMアーカイブス」の取り組みから[前編]