フィクション共創による仮想社会構築ムーブメントとしてのPBM(プレイバイメール)とその意義──「NPO法人 日本PBMアーカイブス」の取り組みから[前編]

中川 大地

2021年6月、国産商用PBMの記録を後世に残すべく「NPO法人 日本PBMアーカイブス」が発足しました。本稿では、PBMアーカイブスが収蔵対象とする日本の商用PBMと周辺ジャンルの展開を概観しつつ、現在の視点から見た意義について考察します。前編ではアメリカにおけるPBM文化の起源と、国産化の動きについて紹介していきます。

『ヤタタ・ウォーズ』誌面(『Beep』1985年8月号・9月号より)

はじめに:国産PBM作品のアーカイブ活動とその意義

アナログとデジタルの垣根を越えて日本の現代ゲームの歴史を振り返るとき、インターネット登場以前の時代に成立したプレイバイメール(Play by Mail:以下、PBM)というサブジャンルの存在感を無視することができない。PBMとは、その名のとおりプレイヤーがメール(郵便)などの通信手段を用いて遠隔の対戦相手やゲームマスターに自分の手番の行動を伝え、そのリアクションを待つというかたちで進行する、気の長いスパンで行うゲーム形式の総称である。その素朴な形態としては、後述するように通信チェスの対局のような営みから始まっているのだが、こと日本にあっては、1980年代終盤から1990年代にかけて、遊演体やホビー・データなど、いくつかの専業ホスト会社によって運営されていた多人数参加型の大規模RPGのタイトル群が、商用ゲームサービスとしてのPBMの中核的なイメージを形成している。

このジャンルのゲームの特徴は、およそ数百人から数千人のプレイヤーが一つの虚構世界を共有して自身が創造したプレイヤーキャラクター(以下、PC)を投入、互いに連絡を取って連携しながら自身の行動を考案して文章で送付するのに対し、その行動結果を集積した小説形式のリアクションをホスト会社のゲームマスター陣が執筆・返送するというサイクルを繰り返すことによって、同時多発的に進行していく大きな物語を紡ぎ上げていくという協働創作性にある。このような人力処理のネットワークによる共創を通じて複雑な物語を編み上げていくというRPGの形式は、現在一般的なコンピュータ処理のMMORPG(Massively Multiplayer Online Role-Playing Game:大規模多人数同時参加型オンラインRPG)やリアル謎解きゲームのような参加型イベント事業などでもいまだ実現できていない先進的な事例であり、その一回性の体験の濃密さは、その後エンターテインメント業界などに進んだ当時の数少ない経験者たちを中心に、伝説的なムーブメントとして細々と語り継がれてきた1

そんな国産商用PBMの記録を後世に残すべく、去る2021年6月、「NPO法人 日本PBMアーカイブス」(以下、日本PBMアーカイブス)が発足し、ゲーム運営当時に制作されたアウトプット資料の公的な保存と公開を目指す活動を開始した。現在の所蔵の中心は、このジャンルの創始者である遊演体が運営した『ネットゲーム’88』と『ネットゲーム’90 蓬萊学園の冒険!』、および2番目に設立されたホビー・データが運営した『クレギオン』シリーズなどの初期作品で、2023年1月からは両作のPDF化された保存資料のインターネット上での部分公開が開始された2

参加プレイヤーと運営期間が限定されていた性格上、PBMのような運営型ゲームの作品内容を当時の関係者以外の人々が把握するのは困難を極めるが、ようやく研究者などが一般閲覧できる手段が整いつつあることは、サブジャンルごとに進行しているゲームアーカイブの整備にとっても貴重な一歩といえる。とりわけ、メタバースのような仮想社会環境の体験をどのようにデザインしていくかが次代の情報技術やゲーム産業の課題として問われるなか、IT化以前の郵便メディアの段階で未曾有の集団ストーリーテリングを成し遂げたPBMの試みの来歴には、小さくない参照価値が秘められていると考えられる。

本稿では、PBMアーカイブスが収蔵対象とする日本の商用PBMと周辺ジャンルの展開の文化史的な脈絡を概観しつつ、現在の視点から見たその意義について考察してみたい。

アメリカにおけるPBM文化の起源

郵便を用いて行う対人ゲームは、近代郵便制度の確立とともに生まれた都市間で二人が対局を行う通信チェスをはじめ、特定のボードゲームを二人で遠隔プレイする事例は古くから存在しており、アバロンヒル社が発行していたウォーゲーム雑誌『The General』の読者投稿欄などのファンダムをベースに、アマチュア同士での対戦や付随する交流文化なども雑誌メディアをベースに培われていた3

現代ゲームとしての多人数参加型のPBMの直接のルーツになるのが、1959年に発売された多国間のパワーポリティクスをテーマとしたマルチプレイ型の戦略ボードゲーム『ディプロマシー』の遠隔プレイとされている4。そのプレイ経験のあった米陸軍所属のリック・ルーミスが1970年に核戦争シミュレーションゲーム『Nuclear Destruction』のサービスを『The General』の読者投稿欄で募ることで開始。それまでの二人プレイ用と異なり、多人数参加型で基本的にはウォーシミュレーションゲームの延長線上で、ターンごとの行動判定をプレイヤー別に行う必要のあるデザインだった。そして当初は数十人から始まっていたプレイ人数が200人を超えた時点から、ルーミスは友人に頼んでホノルル基地の近くにあったコントロールデータ社のコンピュータの使用時間を借りて自動処理を行うようになる。この成功を経てフライング・バッファロー社を創業し、商用サービスとして多人数参加型のPBMという業態が誕生する5

『Nuclear Destruction』(1970年)

以後、同社は1972年にミニコンRaytheon 704を導入。小さな個人企業が当時は大きな企業や研究機関での利用が中心だったコンピュータを本格的に導入してゲーム事業の自動処理に使用していたという意味でも希少なケースとなっていく。さらに後年、パーソナルコンピュータの普及とともに競合企業が次々と登場してくるなかで、同社は1976年にフレッド・セイバーヘーゲンのSF小説シリーズ『バーサーカー』にインスパイアされた宇宙SF題材の第2弾PBM『スターウェブ』の運営を開始。帝国建設者や商人、バーサーカーなど異なる勝利条件を持つ六つの役割に分かれたプレイヤーを15人ずつ集めた宇宙で、それぞれの支配する星系の勝利を目的に互いに合従連衡しながら毎月プレイングを行い、2年程度のプレイ期間をかけてスコアを競い合うルールの同作は、アメリカPBMを代表する長寿タイトルへと発展。実に2020年代に至るまで運営され続けていくことになる6

『スターウェブ』(1976年)

フライング・バッファロー社の運営ゲームは、基本的にコンピュータ処理によるストラテジー型が中心だったが、1974年に世界初のテーブルトークRPG(以下、TRPG)『ダンジョンズ&ドラゴンズ』が登場してからは、物語に即した行動に対してゲームマスターが人力で結果を文章で送り返すというタイプのゲーム体験が浸透してくる。PBM業界でもこうしたRPG型の要素を導入するかたちで、1978年にはジョージ・シューベルが『Tribes of Crane』をリリース。これはジョン・ノーマン作のSFファンタジー小説「Gor」シリーズをベースにしたストラテジーで、ゲームプレイに対するコンピュータでの自動処理に加え、追加料金を支払うことで自分のターンに物語的な指示を与え、それを人間のゲームマスターが判定するというスタイルのPBMが初めて登場する7。また、1981年にはジム・ダットンがデザインした『Silverdawn』がサービス開始。商用PBMとして、完全に人間がモデレートする初めてのファンタジーRPGとされている8

このようにして、コンピュータを用いたストラテジー型のものから人力処理によるRPG型のものが派生していくかたちで、フライング・バッファロー社の主導で1970年代に商用PBMのスタイルが確立され、1980年代以降は他社が追随していくかたちで、ニッチなジャンルとして形成されていくことになる。

雑誌投稿・同人創作のカルチャーと連動した日本での商用PBM前史

そしてほかのゲームジャンルと同様、PBMもまたアメリカからの輸入を機に、国産化の動きが始まっている。その端緒となったのが、関西外語大学に勤めていたカーティス・ケリーによる『スターウェブ』の日本での運営開始だ。彼はのちにグループSNEを設立する安田均らの助力を得つつ、1982〜1983年頃から日本のSFファン向けに同作のルールの翻訳と実費でのプレイング仲介を行っていたが9、京都で「スターウェブジャパン」としてアメリカのフライング・バッファロー社からライセンスを取得し、『スターウェブ』をはじめとする複数のPBMの日本運営を開始する。つまりは、アメリカからの翻訳SF小説に親しんでいた日本のSFファンダム周辺のコンピュータやボードゲームの愛好者コミュニティが中核的な役割を果たすかたちで初期のPBMシーンが始まり、SF文芸誌の『SFマガジン』やパソコン情報誌の『ログイン』、さらにウォーゲーム雑誌の『タクテクス』『シミュレイター』といった複数のジャンルにまたがる雑誌メディアでの紹介記事や広告を通じてプレイヤーを集めていった10

『シミュレイター』第3号(1985年12月2日発行)に掲載されたスターウェブジャパンによる翻訳PBMの広告。『スターウェブ』『ギャラクティック・コンクリート』『フューダル・ローヅ』『バトル・プラン』の4タイトルが取り扱われている
スターウェブジャパン運営によるアーサー王死後の中世イギリスを舞台にした国盗りPBM『フューダル・ローヅ』の邦訳ルールブック(提供:曲直瀬一洋)

こうした最初期の輸入PBMのコア層を基盤としつつ、その裾野を広げるかたちで国内でのPBMに連なる文化の先駆となったのが、パソコンゲーム雑誌などでの読者参加型企画であった。その嚆矢となったのが、1985年創刊の『Beep』誌の目玉コンテンツとして始まったSFストーリーメイキング企画『メガ・オービス』である。これは同誌オリジナルのスペースオペラ世界に生きるさまざまな恒星系の知的種族や国家勢力といった舞台背景をグラビアで紹介し、同じ世界を共有する小説やマンガ、それにBASICやマシン語で書かれたゲームプログラムといったコンテンツ群を誌上展開していくオリジナルのシェアードワールド企画で、読者に対して誌面記事を手本にした自作ゲームプログラムやメカイラスト、ストーリーなどの自由な投稿を呼び掛けるというものだ。

したがって企画全体として海外PBMのような明確なゲーム的なフレームがあるわけではなく、投稿作品が誌面上で採用されるか否かの挑戦意識や、世界設定と物語の創造に参加する喜びで、読者のアクションをモチベートすることだけに主眼を置いた、あくまでも読者投稿欄の延長線上の試みだったといえる。

ただし、ビジュアルも含めて海外SF風の硬派なテイストでほかの誌面とは一線を画すマニアックな印象が強いうえに、読者にどんな物語や世界観の構築を求めているのかのガイドラインが不明確だったことが祟ってか、さほどの盛り上がりには至らず本企画は9カ月ほどの連載期間を経て終了している。

『メガ・オービス』誌面(『Beep』1985年2月号・8月号より)。多くの知的種族が版図を争う「メガ・オービス」宇宙についての状況設定と、そこで起こる星間紛争などさまざまなエピソードをモチーフにしたイラスト小説や、当時のパソコン誌の多くで掲載されていたような自作ゲームプログラムが誌面上で断片的に紹介されている。PBMのように読者が何らかのゲームプレイやロールプレイを行うのではなく、純粋に自由なフィクション要素の想像・創造だけが呼びかけられている点は、普及途上のRPGなどが萌芽的に垣間見せていたインタラクティブな物語制作の可能性に、過剰な期待が抱かれていた当時の時代性を感じることができる

これと入れ替わるようにして、同誌の1985年8月号からは漫画家の御厨さと美とMICMACプロダクションが企画制作を務めた後継企画『ヤタタ・ウォーズ』が始まっている。こちらも同じくオリジナルのSFスペースオペラ題材でありながら、32×32マスの星図で表現されるヤタタ銀河帝国の覇権を争う2大勢力の艦隊戦を中核とするウォーシミュレーションゲーム的な状況設定が導入されている点が、『メガ・オービス』との違いだ。

さらに、エロティックな絵柄で描かれた7人の個性的な王女が戦闘空域のどこかに潜んでおり、そのうち4人を助け出した側が皇位継承権を掌握するというキャラクターストーリーに絡めた勝利条件や、エネルギー資源の運用・取引にまつわる得点獲得の仕組みなど、毎月徐々に詳細なルールが明かされるかたちで、約1年間のキャンペーンプレイが展開された。

読者はそれぞれの勢力の義勇兵に見立てられ、在住地が静岡・岐阜・石川以東なら東銀河軍、三重・滋賀・福井以西なら西銀河軍、そのあいだに位置する愛知県は第三勢力アイチ圏になるという趣向で、誌面記事の勘所を読み解きながら戦闘やストーリーの各局面にどうコミットするかを文章やイラストなど自由な形式で表現して投稿。それを「ヤタタ神」を称する編集部サイドが、ゲームマスターとしての公正なルール判定だけでなく、ストーリーメイクや投稿ネタとしてのおもしろさを含めてジャッジして誌面記事上に反映するという、『メガ・オービス』的な参加型創作とルールベースのPBMとの折衷的な形態で運営されていたのである11

『ヤタタ・ウォーズ』誌面(『Beep』1985年8月号・9月号より)。制作陣の期待どおりには読者の参加意識を喚起できなかった『メガ・オービス』に比べて、ウォーゲーム的なゲームプレイング要素や「義勇兵」としてのロールプレイング要素を強めつつ、御厨さと美による美女キャラクターのビジュアルや、シリアスさを排して当時のおたく文化に漂う楽屋オチ的なノリを導入することでのポピュラリティの向上を図った点が特徴。それでも厳密なゲーム的ルールの適用ではなく、投稿ネタとしてのおもしろさや独創性に重きを置くスタンスは前企画の基本姿勢が踏襲されている

このような企画が成立した背景には、当時のSFやコンピュータの愛好者たちのコミュニティが、1975年に始まったコミックマーケットなどの同人誌即売会に代表されるマンガ・アニメーション中心のファンジン制作の文化とも隣接関係にあったことが挙げられる。特にプレイヤーが与えられたフィクション世界の中で自らの分身となるキャラクターを操るRPGジャンルが日本でもブーム化していくにつれ、海外ゲームのパッケージアートのようなフォトリアリスティックなタッチではなく、いわゆる「二次元」寄りの絵柄でSFやファンタジーゲームの体験を図像化するカルチャーが、急速な浸透を見せていた12

とりわけパソコンで『ザ・ブラックオニキス』や『夢幻の心臓』といった先駆的な国産コンピュータRPGが発売された1984年には、国産初のTRPG『ローズ・トゥ・ロード』が登場。翌1985年には『D&D』の邦訳版も刊行され、ようやくマニア層以外にも対面での会話を通じて物語を進行していくTRPGが浸透していく時宜があった。

さらにその翌1986年にはファミコン初のRPG『ドラゴンクエスト』が大成功を果たし、『コンプティーク』誌で『D&D』のリプレイ記事として、アニメーション畑出身の人気デザイナーだった出渕裕の挿絵でグループSNEによる『ロードス島戦記』の連載も始まったことから、アナログとデジタルの双方で、いよいよRPGブームが盛り上がっていくさなかでもあった。

そして1986から1987年にかけては、模型誌『モデルグラフィックス』の姉妹紙として創刊された『ゲームグラフィックス』誌上の看板企画として、SF世界での武装車両によるカーレースを題材にした『イングリッズ・レース』や、中近東の架空の国を舞台にした傭兵パイロットによる航空機戦を題材にした『フィクショナル・トルーパーズ』など、明確にルールに基づいて大勢の読者からのプレイング投稿を処理して勝敗結果を掲載する本格的な読者参加ゲームが登場し、人気を博すようになる。

これを追うように、『コンプティーク』でも1988年7月号からは「リーダーズチャレンジ」と称してロボットバトル競技を題材にした『ロボクラッシュ』とガイナックス制作の同名OVAとタイアップした『トップをねらえ!』の企画が毎月交互に開催され、読者参加ゲームの裾野はかなりの広がりを見せることになった。

『フィクショナル・トルーパーズ』(『ゲームグラフィックス』1988年11月1日 vol.16より/提供:曲直瀬一洋)。『Beep』誌の読者参加企画とは異なり、読者≒プレイヤーには明確にルールが提示され、コンピュータ処理によるゲームプレイの処理判定がリストで発表される。そこでの主要な戦局の展開をマンガ化したり、ゲームプレイとは別に読者から自身のキャラクターや愛機などのイラスト投稿を募って掲載したりと、メディアミックス的な読み物企画として展開した点は、海外PBMに対する特徴と言えるだろう
『ロボクラッシュ』(『コンプティーク』1988年7月号・9月号より)。「ゲームグラフィックス」型の読者参加ゲームのスタイルを踏襲し、アニメファンやビデオゲームからの参入者など、よりカジュアルなジュブナイル層に訴求することを試みた企画。各回の大会エントリーから結果発表まで隔月で運営され、あいだの月に『トップをねらえ!』が行われた
1 例えば電ファミニコゲーマー「【ゲームの企画書】リアルを舞台に数千人規模でゲーム…そんなのは約30年前に存在した! 「蓬萊学園」狂気の1年を今こそ語りあおう【新城カズマ×齊藤陽介×中津宗一郎】」(2017年12月30日、https://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/171230)など。
2 詳しくはNPO法人日本PBMアーカイブスの公式ツイッターアカウント(https://twitter.com/NPO_JPBM_arch)参照。
3 Loomis, Rick (May 1999), “The History of Play-by-Mail and Flying Buffalo,” Flying Buffalo Quarterly, No. 79, pp. 2-5.
4 Babcock, Chris (December 2013), “Diplomacy,” Suspense and Decision, No. 2, p. 16.
http://playbymail.net/SuspenseAndDecision/Issue2.pdf
5 Loomis, op. cit., pp. 2-5.
6 Starweb – Rick Loomis PBM. http://www.rickloomispbm.com/starweb.html
安田均「SFゲームへの招待 第1回バーサーカーとPBM」『S-Fマガジン』1983年8月号、115~119ページ。
7 McLain, Bob (August 1, 1993), “Play By Mail: The Infancy of Cyberspace,” Pyramid.
http://www.sjgames.com/pyramid/sample.html?id=363
8 McLain, Ibid.
9 安田、前掲記事、178~179ページ。
10 安田均『日本現代卓上遊戯史紀聞 [1]安田均』、ニューゲームズオーダー、2018年。
11 当時の『Beep』誌での展開を振り返る読者の証言としては、例えば「月刊Beepのはなし」(個人サイト、2004年2月17日、http://furuiotoko.la.coocan.jp/room02/og06beep.htm)など。
12 例えば代表的なシミュレーションゲーム雑誌だった『タクテクス』は、1987年9月発行の通巻46号以降、偶数号はTRPGを取り扱う雑誌になっており、奇数号はハードなタッチの海外ミリタリーゲーム題材のイラストが、偶数号は日本アニメ調の二次元キャラクター中心のイラストが交互に表紙のアートワークを飾るようになっていて、この潮目の変化が一目瞭然である。

脚注

資料・情報提供協力:曲直瀬一洋、山田真

※URLは2023年6月9日にリンクを確認済み

フィクション共創による仮想社会構築ムーブメントとしてのPBM(プレイバイメール)とその意義──「NPO法人 日本PBMアーカイブス」の取り組みから[後編]

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